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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
一章 門番と皇女
34/321

34.セントレア防衛戦③

 静寂があった。

 

 

 倒れ伏した俺は、早々に炎弾が山ほど撃ち込まれて俺を消し飛ばすものだとばかり思っていたのだが、なかなかその時はやってこなかった。

 誰の目にも死に行くだろうことが明らかな俺の姿を見て、放っておけばよいと判断したのか。僅かに顔を上げることさえままならない俺にはもう、何も分からない。

 

 ただ、騎士団とは逆方向から近寄ってくる気配があった。セントレア側から走ってくる人間の足音が、複数聞こえる。

 町長が隣町の騎士団を連れてくることに成功したのだろうか。

 

 細くなっていく意識の中で訝る俺の耳に聞こえたのは、悲鳴に近い叫びだった。

 

 

「タカナシ殿!」

 

 

 有り得ない。

 その声は、聞こえるはずがないものだ。

 力を振り絞り、薄ら目を開けて首を動かした俺の目に、ぼんやりと映る人影がある。

 倒れた俺を覗き込むその少女の泣き顔が、炎に照らし出されて俺の胸を衝いた。

 

 マリー。

 衝撃が、落ちかけた俺の意識を再び持ち上げる。

 

「こ、こんな酷い傷……わたしの治癒術では……!」

「大丈夫だ、マリー。治癒はあたしに任せろ」

「すぐに敵の騎士が来ます! サリッサはここで防御! 残りの全員は迎撃を!」

 

 険しい表情で治癒術を詠唱する女医と、周りの騎士達に指示を飛ばす侍女の姿もある。再び陣列を組んで押し寄せる水星天騎士団を目掛け、周囲に展開した六人の騎士――九天の騎士達が一斉に各々の得物を抜き放つ。

 

「ハッハッハ! 彼奴等め、半分も残っていないではないか! であれば、我らが遅れを取る道理はないな!?」

「然り。一人頭十人も倒せば事足りよう。容易い」

「相手が水星天騎士だけなら、ですけどね。ミラベル殿下には警戒しないと」

「ああもう、細かい事はいいっての。蹴散らしてから考えるから」

 

 迫る軍勢を前に、彼らは一様に涼しげな顔で軽口を叩く。

 実際、やれるのだろう。俊敏に散開していく騎士達の背中には、何の躊躇も窺えない。自信と自負だけがあった。

 水星天騎士団の後列から放たれた炎弾の大群を前に、不朽の岩壁――ヴォルフガング・イージスペインが吼える。

 

屹立する石柱(ロックピラーズ)ッ!」

 

 紫電めいた魔素(マナ)を迸らせ、大地に拳を叩き付ける。

 瞬間、地面から突き出るようにして出現する巨大な岩の柱の列に阻まれ、迫る炎弾の群れが見えなくなった。次いで、石柱の向こうから無数の爆音が響く。

 凄まじい質量を持つだろう石柱は数十の魔法の直撃を受けてなお、揺るがない。

 石柱の影から飛び出した九天の騎士達五人が、騎士団の陣列を食い破らんと一斉に突撃した。その威容を目の当たりにした水星天騎士団の一人が、慄き、叫ぶ。

 

「な、九天の騎士ナイトオブナインヘイブン!? イオニア戦線で全滅したはずでは!?」

「ハッ。何の事だか分からんな」

 

 見るからに毒々しい紫の煙を撒き散らしながら、黒衣の毒刀使いが疾走する。飛び上がり、空中で魔素(マナ)の足場に飛び乗った彼は、眼下に広がる騎士達の隊列目掛けて無数の毒瓶を放り投げた。

 手榴弾のように炸裂した瓶から、更に濃密な毒霧が広がる。霧に巻かれた騎士達が昏倒する中を、呼吸すらしないのか――無言の騎士、クリストファが駆け抜けた。彼が剣を振るう度、立ち塞がる騎士が地面に没し、平原に巨大な孔が穿たれる。

 掻き乱された陣列を更に散らすように、巨大な白銀の突撃槍(ランス)と盾を持つ若い騎士二人が、全くの同時に突撃槍を一閃させた。本来は馬上から敵を貫く超重量の武器に薙ぎ払われた騎士達が、ひとたまりもなく弾き飛ばされて地面に転がる。

 

 総崩れになった騎士団を、九天の騎士達が正面から蹂躙していく。

 圧倒的な数的不利を覆して余りある、技量の差。

 彼らの奮戦を倒れたまま横目で眺めていた俺は、間近で放たれたドネットの声に意識を引き戻された。

 

「おい、坊や。起きてるならさっさと立て。寝てる暇はないぞ」

 

 治癒術の燐光を片手で操りながら、倒れる俺の脇腹をブーツの先で小突く。

 

「聞こえてないんじゃない?」

 

 次いで、槍を片手にしかめ面をしていたサリッサが俺の背中に座った。

 柔らかいが、重い。潰れる。残り僅かな体力がギリギリまで減った気がした。

 

「……お、お前……止め刺す気か……加減しろ……」

「刺されても文句は言えませんよ! こんな無茶苦茶をして!」

 

 背負った矢筒から取り出した矢を単弓に番えて敵の方角へ向けながら、カタリナが怒鳴る。その眼鏡の奥の腫らした目に、ちくりと胸が痛んだ。

 

「まったくよ。ま、あんたが簡単に死ぬわけないけどさ」

 

 人の背中に乗っかったまま、サリッサが呟いた。

 表情は見えないが、その声は微かに揺れている。

 

「一人で騎士団に立ち向かうなどと、貴殿は大馬鹿者なのか!?」

 

 ぼろぼろと涙を流しながら、一際大きな怒鳴り声を上げるマリー。

 つい先ほど、そんなものは自殺行為だと彼女に言った手前、返す言葉もない。

 

「どうして記憶が残ってるんだ。忘却(オブリビオン)は……」

「セントレアで発動していた術式のことなら、あたしが元に戻したぞ」

 

 何でもないことのように、ドネットが言った。

 信じられない。一度発動した魔法の効果を元に戻すなんて話は聞いたことがない。

 

「そんなことが……」

「できるさ。というより、できるようになっていた。外壁に編み込まれた術式は到底手に負えるような代物じゃなかったが、戻す術式が別に用意されてたのさ」

 

 せわしなく手を動かしながら言うドネットの頭の横で、漂う光球が瞬いた。

 伝声術だ。

 

『僕がドネットさんに頼んだんです』

 

 光球から響く声に、俺は驚きに目を見張った。

 

「町長」

『君は知らなかったでしょうが、代々の町長はあの魔法を打ち消すための魔法道具(マジックアイテム)を受け継いできました。誰かに悪用された時に備えてのことだと思います。ドネットさんなら止められるかもしれないと思って彼女に渡しました』

「なぜだ。あのままならマリー達を逃がせたんだぞ」

『君があの魔法を利用して一人で戦うつもりなのだとは気付いていましたよ。でも、それを見過ごしてしまえるほど、僕は大人じゃなかった。共に戦うこともできない癖にね』

「……馬鹿なことを」

「こいつがその魔法道具だ」

 

 女医が白衣のポケットから取り出したのは、古ぼけた白い絹織物だった。

 この布には見覚えがある。これはリボンだ。彼女の長い髪を結んでいた。

 治癒術のお陰で大半の傷が回復した身体を起こし、それを受け取る。

 セントレアの街が拓かれたのも、忘却(オブリビオン)が生み出されたのも、彼女が消えて以降のことだというのに、なぜ彼女のリボンに術式が刻まれていたのか。

 

 ――マリア。

 

 心中で呼び掛けても、記憶の中の少女は何も言ってはくれない。

 麦穂の向こうで、静かに佇んでいるだけだ。

 

 手の中にある純白の布が、長い年月を一挙に経たかのように風化してボロボロに崩れ、平原に燃える炎が起こす風に流されて散っていった。

 手の内に僅かに残った残骸を握り締め、コートのポケットに入れる。込み上げる感情を振り解き、四人の方へ向き直った。

 考えるのは後だ。とにかく、目の前の状況に対応しなくてはならない。

 

 全員が戻ってきてしまった今、もはや撤退は不可能だ。

 水星天騎士団を正面から撃破するしかない。

 

「九天の連中は戦って大丈夫なのか? 人質の件はどうした」

「大丈夫よ。タカナシが敵の主力を一人で引き付けてくれてたから、その隙にウィルが救出したわ。今頃は安全なところまで脱出してると思う。筆頭はその援護に回ってる」

「動きが早いな」

「全員の記憶が戻った途端、ちびっ子が散々喚き立てたからね。みんなその勢いに巻き込まれたってわけ」

「う……だって、タカナシ殿が……」

 

 肩をすくめて苦笑するサリッサに、口をへの字に曲げるマリー。

 その様子に、カタリナがようやく少し表情を和らげ、口を開いた。

 

「アキトがアルビレオと思しき人物を倒したのが大きかったですね。元々、水星天騎士団だけが相手なら十分に勝算はあります。後はミラベル様さえ押さえれば」

 

 傍目にはそう見えたのだろうが、致命的な認識の齟齬がある。

 言葉を遮り、俺は言う。

 

「カタリナ、アルビレオはまだ……」

 

 

 

 言い終わるよりも早く、遠くで地面が爆裂した。

 大蛇のようにうねる無数の霊体(アストラル)の腕が噴出し、這いずる。

 その中心でゆらりと蠢く人影があった。

 遠目に分かるほど明確に人の形から外れたシルエットが、ゆっくり前へと歩きだす。

 

「……な……なんだ……あれは……!?」

 

 マリーが震える声で呟いた。

 土煙から現れた礼服の少女は、左の胸から肩にかけての大部分がなくなっている。

 顔の半分も削れ、背骨が折れているのか上体の安定が取れていない。ぐらぐらと揺れながら歩みを進めるその姿は、まるで悪い夢のようだ。

 背中から生えた青白く透けた腕の数は、八から二十に近い数へと増えている。数だけでなく、その太さ、長さも増大していた。宵闇に浮かび上がるそれらは、巨大な磯巾着のように揺れながら、騎士達が取り落として平原に散らばっていた武器を掴んでいく。

 鈍く赤く輝いた双眸が、何かを探して彷徨った。

 

 怖気を催す光景を目の当たりにした九天の騎士達と、水星天騎士団が動きを止める。

 誰もが怯む中を、外典福音(アポクリファ)は緩慢な歩みでこちらへ向かってくる。

 

「あれは……死霊術の産物ですね。あそこまで頑強なものは、ちょっと見たことがありませんが……」

帰参者(レブナント)と呼ばれている、死霊術の到達点のひとつだ。生半な攻撃じゃ止まらない。耐久力に際限がないというか、とにかく尋常じゃないくらいタフだ。ある意味、魔族の方がよほどマシかもしれない」

 

 カタリナとサリッサが、魔族という単語にぎょっとして俺を見る。長く魔族を退け続けているウッドランド皇国の騎士ならば、魔族という存在の強大さも当然知っている。

 かつて俺が帰参者(レブナント)と交戦した時は、往還者が二人がかりで権能を使って、ようやく一体を葬った。それほどの難敵だ。

 加えて、アルビレオは通常の帰参者(レブナント)に比して、宿している霊体の数が桁外れに多い。その分、遥かに強力だ。

 

 アルビレオの異様を観察しながら黙考していたドネットが、静かに提案を口にした。

 

「耐久力に際限がないといっても物理的な肉体が存在するのなら……火力のある魔法で一気に消し飛ばしてしまえば、さすがに死ぬんじゃないか」

「それに賭けてみよう。サリッサ、九天の中に攻撃魔術が得意な奴はいないか」

「ヴォルフガングは岩ばっかりだから駄目だとすると……ハリエットか毒蛇が高火力の攻撃魔法を使えると思う。人間一人を一発で消し飛ばせるかどうかは分からないけど」

「一発で決めなくても、畳み掛ければ何とかなるんじゃないかね。あたしゃその手の攻撃魔法は専門外だから参加できんが」

 

 どこまで本当かは分からないが、女医はそう言って腕を組む。

 カタリナは魔術師だが、体質的に考えて彼女に魔術を使わせるわけにはいかない。

 俺はそもそも攻撃魔法を習得していない。

 残るは――

 

「当然、わたしも行くぞ。わたしも攻撃魔術が使えるからな」

 

 涙を拭い、無い胸を張るマリーをどうしたものか。

 俺としては当然、彼女に危険な橋を渡って欲しくない。カタリナも同じ心境でいるはずなのだが、赤い眼鏡の侍女は何故か黙って弓を構えているだけだ。

 槍を片手に戦場を睥睨するサリッサも、白衣のポケットに手を突っ込んでそっぽを向いているドネットも何も言わない。三人とも一体何を考えているのか。

 こめかみを押さえながら、どう説得したものか考えていると、マリーは不意に俺のコートの袖にしがみ付いた。そして、鋭い視線を俺へ向ける。

 

「言いたい事は山ほどあるのだが、今はこれだけ言わせてもらおう。わたしは貴殿に守られるだけの存在になるつもりはない。言ったはずだ。わたしは、貴殿と並び立てるような門番になりたいのだと」

「いえ、ですが……」

「敬語も禁止だ! 相棒なのだからな!」

「あ、相棒!?」

 

 このちんちくりんの皇女様に背中を預けろというのか。

 頭を抱える俺に、彼女は言葉を連ねる。

 

「それに、やはり姉上と決着を付けねばならん。元はといえば、これはわたしの問題だ。全てをタカナシ殿や騎士達に任せて後ろから眺めているのでは筋が通らない」

 

 言うが早いか、マリーは慣れた手つきで腰の長剣を抜いた。相も変わらず体格と武器が釣り合っていないが、もう彼女が剣の重みでよろめくことはない。その術を教えたのは俺だ。それが正しい行いだったのかどうか、今の俺にはもう判断がつかない。

 長槍を肩に担ぎ、サリッサが笑った。

 

「あはは。ちびっ子のそういうところ、結構好きかな。あたしも付き合うわよ」

「アキトもその負傷では十全には戦えないでしょう。私もバックアップします」

 

 カタリナも弓を携えて言う。

 ドネットだけはヴォルフガングの作った石柱にもたれて座り込むと、

 

「戦うのは専門外だし、あたしはここで伝声術を繋いでおくよ。坊や、後で治療費を払ってもらうからな。許可なく死ぬなよ」

 

 とだけを言って、胡坐をかいて目を閉じた。

 途端に全員の傍に伝声術の光球が現れる。それだけでも十分な支援だ。

 

 

「さあ、行くぞ! タカナシ殿!」

 

 

 長い間一人で戦ってきた俺には、彼女達の行動をどう表現していいのか分からない。

 俺にはもう、仲間はいない。彼女達とも同じ時間を歩むことはできない。

 それでも、今だけは。

 

 

「ああ……分かったよ、マリー」

 

 

 お姫様の猛進が始まる。

 戦場に向け、白い外套をなびかせて走り出すマリーと、それに続く二人の後を追いながら、俺は長剣の柄を強く握り込んだ。

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