17.遺跡都市グラストル ※
妙だとは思っていた。
設置条件が限定的とはいえ、現代の転移門に匹敵する機能を有する天空回廊が数百年も前に完全に廃れてしまったのは些か不自然というか、勿体がない話だと感じたのだ。転移門が利用しにくい、転移街と離れた僻地のような場所では補助的な輸送手段として残っていても不思議はないのでは、と。
専用のプラットフォームであるという発着場に多数遺棄されていた巨大な金属製の箱――貨物列車のものを思わせる輸送容器に乗り込み、出発までの時間を待つ段になってから何となくその疑問を思い出した俺は、床に寝転がったまま傍らの棺桶に訊いてみたのだが、
「……安全性が微妙だって言ったろ? 事故が起きると結構な大惨事になるから、安全性の高い転移門が開発されたときに使用が禁じられたのさ。新造もできなかったし」
「事故?」
「荷物の詰め過ぎで予定軌道から外れて山に激突したり、発着場から外れて野原に墜落したりさ。そんなだから、現役時代もなるべく人間の輸送には使わないことになっていたんだよねぇ」
予定軌道。墜落。
そんな言葉を現界で聞くことになるとは思わず、俺は眉間を揉みながら認識齟齬の修正を試みる。
「……まさかこの天空回廊って、貨物が瞬間的に移動するわけじゃないのか……?」
「はあ? するわけないだろ……ド旧式の転移魔術なのに。この箱を空に飛ばすんだよ。グラストルまでだと十五分くらいかかるんじゃない?」
「……! マスドライバーじゃねえか……っ!」
その言葉を聞き、俺は思わず身を起こしそうになる。しかし全身の筋肉痛によってのたうち回る羽目になった。
一千キロも離れた場所に十五分で飛行。そんなものはもはや発射と形容すべきだし、この輸送容器は弾体と称するべきだ。転移という言葉が連想させる移動法としてはあまり乱暴で、原始的過ぎる。巨大な投擲機のようなものだ。そりゃ障害物に弱いわけである。そんな速度で何かに激突したら輸送容器が粉々になるのは当然として、ぶち当たった地面なり建物なりも根こそぎ吹き飛ばされることになるのではないか。正気の沙汰ではない。
現界でしばしば直面する科学と魔術をミックスしたトンデモテクノロジーの中でも、天空回廊は群を抜いていると言えるだろう。
「ねえ、そのグラストルって街はどれくらい離れてるのかな?」
「……あー、千キロ強ってとこですかね?」
「うーん……このコンテナを大雑把に二トンとして考えて、だいたい時速四千キロで飛行した場合の運動エネルギーは……えーと、約十二億ジュールだから……運動エネルギーの破壊力だけで言えば巡航ミサイルより上……総合的にも匹敵するレベルかなあ」
来瀬川教諭がのんびりとした調子でそんなことを言ったものだから、その輸送容器内で面を突き合わせている俺たちは絶句することなった。彼女が何を言っているのか分からないだろう棺桶は除いて。
特にルカなんぞは顔を真っ青にしていたが、ふと気付いたように首を傾げた。
「あれ……? なんで破壊魔法に転用されなかったんだ……? こんなの、どう考えても魔法史を一変させる技術なのに……」
そこである。
俺もその点が先程から気になって仕方がない。人類種の扱う破壊魔法の射程はいいとこ数百メートル程度でしかなく、火葬もとい黒の数十キロメートルですら他に類を見ない破格の射程といっていい。
この天空回廊のように超長距離から物体を送るような技術があるのだとすれば、それこそ弾体なり兵員なりを前線にドコドコ撃ちまくれば色々なことが解決するはずである。港が固定施設だとしても、それを上回るメリットが盛りだくさんだ。
棺桶は笑いながら言った。
「天空回廊の核になってる術式を、王国の王族が秘密にしたまま墓の下まで持って行ったからさ。港にも細工がされていて、後世の魔術師たちには解くことができなかった。むしろその暗号技術の方に価値を見出した研究者もいたほどらしいねぇ」
「そ、そうなんだ」
よほど魔術に長けた人物が居たのだろうか。新造できなかった、とはそういう理由であるらしい。
あまりパロサントの内政に関わらないようにしていた俺には当時の記憶がまったくなかったものの、その理念には頷けるものがある。寝転がったまま物思いに耽る俺だったが、来瀬川教諭とミラベルが何やらひそひそと会話を交わしている。
「……慣性の法則とか大丈夫なのでしょうか」
「ちゃんと物資を運んでたなら、さすがに無茶な早さの加速はしないと思うけど……な、何かに掴まってた方が良いかもだねー……」
倒れたまま再び眉間を揉む。
ベーカリー、つまりカタリナがパンの輸送に使っていたということなので大丈夫だろうとは思うのだが、先ほどミラベルの治癒術を受けて負傷は癒えているとはいえ相当に消耗している俺は何かに掴まる元気などない。
そんな俺を棺桶はせせら笑った。
「ヒヒ! いいザマだねぇ、門番さん。まぁ、マルトに借りを返したことだけは褒めてあげるよ」
「……そりゃあどうも」
アルビレオが棺桶から出てこないのは理由がある。それはどうやら俺が彼女を撃破する際に仕掛けた古代魔法、虜囚術式が影響しているのだという。なんとアルビレオを修復した極光――ドネットでさえ、俺の掛けたその術式を完全に解呪することができなかったのだそうだ。
あの田舎街セントレアから外に出ることを禁じる。破れば対象の霊体を破壊する。虜囚術式はそんなシンプルな効果を持った拘束用の術式なのだが、不死者であるアルビレオを倒すべく霊体への直接攻撃に転用したわけだ。
なので、その影響を取り除けていないアルビレオは、実は今も魔術的にはセントレアから出ることができない。そこでドネットが作成した呪物、あの棺桶を疑似的に「セントレアの土地の一部である」とし、その周囲でのみ活動することで虜囚術式の致死的ペナルティを誤魔化しているらしい。
加えて、霊体的にも大半を削られてしまっていて、かつての姿より大幅に弱体化しているのだそうだ。
要するに、棺桶に縛られているアルビレオのザマは、床にへばりついている俺と大差無い。俺たちは落ちぶれ者仲間なのだ。
そう思うと慣性とかで大変なことになる前に棺桶を何かで縛ってやらないと可哀想だという気にさえなる。が、残念ながらその元気が今はない。なるようになるだろう。
それにしても、マリーたちがロスペール行きに回廊を採用しなくて良かったというものだ。カタリナも天空回廊の存在が脳裏を過ぎらなかったはずがなかっただろうし、リコリスが居ればどれだけ高度な暗号化がされている魔術であろうが、魔術である限り転用はおそらく可能だったはずだ。彼女たちの理性と正気が保たれていたことに感謝である。ついでに飛行艦を隠し持っていたマクシミリアンにも――などと考えていると、輸送容器がガタガタと揺れ始めた。
「うわあ動いた」
あたふたと壁にしがみつくルカ。俺なんぞはもはやまな板の上の鯉のような心持ちなので、なんだかアトラクションみたいだなぁなどと現実逃避を敢行している。棺桶と瑠衣の中身以外は富士のパークと同じであるわけだし。
揺れる輸送容器の中、さすがに狼狽した様子の来瀬川教諭が言った。
「うう……外が見えないのは危ないかもしれないね。なにかにぶつかりそうになっても気付けないから」
「気付けたところで……という気はしますが、遠視術……遠見の術の応用で外の様子を見るくらいならできますよ」
「うそ? ほんとに?」
「はい」
さすがのミラベルが小さく呪文を唱えてから壁に手を触れる。
危険の察知さえできれば、緊急時に三人と棺桶を抱えて脱出することもでき――今の俺にできるかは微妙なラインだったが、視界ゼロよりは幾らもマシである。嬉々として上半身を起こした俺は、
遠見の術の応用とやらが効果を発揮した、驚くべき光景を見た。
「うおっ」
鉱物系の術に長けるというミラベルには金属壁に対する細工も容易いのか、輸送容器の内壁が透けて、外の風景が見えている。
それは既にサントレイア港の景色ではなかった。いつのまに飛び立ったのか、凄まじい勢いで流れる地表と空が見える。更に輸送容器は容赦なく速度と高度を上げているらしく、どんどん地表は遠くなっていく。
回廊の軌道は大きな放物線を描いているのだろう。
雲を抜け、夜空を超えて、もう地上の様子は分からなくなった。来瀬川教諭いわく時速四千キロだという速度をまったく感じさせることもなく。
俺たちは静寂に包まれた空の中心で、遠い地平から顔を出した曙光を目撃していた。陽光が大気の境界を縁取り、黄金色の光輪が広がる向こう、微かに見える地表が球形の輪郭を見せている。
それは圧巻としか言いようがない光景だった。言葉を無くした俺たちに、開いた棺桶から斜めに顔だけを出したアルビレオが笑う。
「異界の人間でも、空の終わりを見るのは初めてかい」
「あ……当たり前だよ」
「ヒヒ、気分がいいねぇ。皇帝陛下は空の向こう……星に向けて旅をした異界の人間なんかの話を、さも自分がしてきたかのようにしていたものだからさ。僕としては大いに不満だったんだよねぇ」
異界の惑星探査も大変な偉業ではあるが、魔術の力を借りているとはいえ、五百年も昔にこれを実現していたパロサントはまったく別の意味で偉大だ。
大した重力加速度もかかっていなければ、衝撃音があったわけでもなく、さほど寒くも息苦しくもない。これがどれほど凄いことなのか、当時の現界の人々に分からなかったのは無理もないが、ロストテクノロジーになってしまったのは本当に惜しい。
転移魔法では未踏の領域を拓くことができない。宇宙とまで言うつもりはないが、現界にも別大陸や南北極点があるはずで、未だに人類種の未踏領域であり続けている。そこに夢を見ない男は居ない――はずだ。たぶん。
「いや結構結構……本当にいい気分だ」
棺桶が閉じられ、アルビレオは静かになる。彼女なりに思うことがあるらしかったが、俺には窺い知れない。
成層圏だか何だかの景色にひたすらに歓声を上げ続けているルカと来瀬川教諭を後目に、静かに歩いてきたミラベルが座り込んだままの俺の傍にちょこんと正座をした。
「たしかに。これは平凡な一生を過ごしていて見られるものではないです」
「平凡の定義が分からなくなるな……俺たちは十分数奇で特異な人生を送っていたと思うんだが……」
「ふふ。では見識がまだ狭い、ということなのでしょう。この広大な世界にはまだまだ見るべきものが沢山あるのかもしれませんよ」
かつて世界中を見て回ったつもりでいた俺だが、そう言われてしまうと返す言葉もない。未踏の領域は確実にあるし、千年で変わった世界を俺は殆ど知らない。
この世界で過ごす長い生に倦んだつもりでいたが、その実、きっと俺は何処へでも行けたのだろうし、多くの未知に触れていく旅もできたのだろう。それはかつての戦いの旅とはまた違った、心躍るような日々だったのかもしれない。
悪くない。そう思った。
思ったが口には出さず、苦笑するに留める。そんな俺を些かの恨めしさを秘めた細目で眺めてから、ミラベルは透けた床の向こうに広がる雲と地上に手を這わせた。
翠の瞳が反射する曙光に、俺は息を呑む。思わず状況を忘れてしまいそうになりながらも、俺は彼女の呟きを聞き取ることに成功した。
「ここからでは人も街も、国でさえも見えないというのに。人と人のしがらみにすら囚われた私たちの、なんとちっぽけなことか。皇帝や……剣聖も、この光景を見れば少しは考えが変わるのでしょうか」
そう語るミラベルの横顔は、異界ではあまり見せなくなっていた仄暗い笑みが浮かんでいる。
彼女は彼女の祖母のような存在であったカリエールさんを指して剣聖と呼ぶ。訣別の済んでいる存在であるとして。撃退を告げたときも、ミラベルは一言「そうですか」と流しただけだった。
しかし、ミラベルが和解を考えない筈がない。その余地さえ生まれれば殺し合いを演じていた兄弟とすらも和解をまとめた少女である。口では何とでも言うが、彼女の澄まし顔の奥に隠された愛情深さは善悪二元論を易々と超越する。
「ああ。そうだと良いな」
なので俺も、ただの願いを口にすることにした。
実際には分からない。何ら無駄であるようにも思えるし、これほどの光景なら多少響くものがあるのではとも思えてしまう。俺はマルト・ヴィリ・カリエールという人間を理解できないし、皇帝の行動原理もおおよそにしか見切っていない。言い切れることなど何もない。
少なくとも、いま俺たちが戦わなくてはならない存在は彼らではない。ならば可能性だけを語っても罰は当たらないだろうし、もし罰が当たるのなら俺は狭量な神を先に斬るだろう。こんな少女に、分かり切った気休めを言うことすら許さないのならば。
俺の答えが意外だったのか、ミラベルはぱちぱちと瞬きをした。
それから、
「……ありがとうございます、アキトさん」
自然な微笑みでそう言ったので、満足した俺にそれ以上の言葉はなく、視線を宇宙と空の境界に戻す。
疲労と消耗が明らかとはいえ、いつまでも床と愛し合って休んでいるわけにもいかないのが辛い所である。目的地に到着したら急いでランセリア行きの転移門を使ってロスペールに向かわなければならない。
まあ、その前に、この輸送容器が無事に着地できればの話ではあったが。
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ウッドランド最北端の街、北方の要衝グラストルには様々な異名がある。
北の山脈の向こう、魔族や亜人種の住まう地との境界に位置するその街は、塁壁に囲まれた市街区本体の他に周辺にいくつかの小要塞を有する防衛堅固な建築物群である。
皇国の大盾、不破の防壁。北方大動脈。などなど。
しかし、グラストルが城塞都市や転移街と形容されることはほぼ無い。それは、塁壁に囲まれた市街区本体に理由があるのだが、
北方特有のキメの細かい粉雪に足を取られながら進む今現在の俺には、あまり関係がない話である。
「はひーっ、はひーっ」
棺桶を雪上ソリのように曳きながらの登坂は辛い。
かといってまさか女性陣に運ばせるわけにもいかず、俺は頑張って頼れる男性を遂行している。
結果をいえば、天空回廊は俺たちの乗った輸送容器を無事グラストル近郊の港に着陸させた。
港といってもサントレイアの立派な建物とは似ても似つかない、石造りの塔とシンプルな発着場だけが残った遺構であったのだが、アルビレオの言葉通り未だに機能を保持しているらしく、俺たちが地面や建物に突っ込むことはなく、緩やかな軟着陸を実現してくれたのだった。
問題は、遺構の場所がグラストル主街区から一キロは離れていたことくらいだ。まあ、それが消耗した俺には大問題だったのだが。
セントレアとグラストルの緯度経度の差もあり、おかげでもう夜が明けようとしている。
「やっぱり手伝いましょうか……?」
「……いや、大丈夫だ。俺はまだ……」
「それにしては呼吸が未だかつて聞いたことのない音を奏でていますが……」
「だ、大丈夫……だ」
先を歩くミラベルが申し出てくれるが、俺は夜明けの騎士であるらしいのでおそらく大丈夫だ。そして、よくそう呼ばわってくるルカはもう見えなくなりそうなくらい先行している。あの野郎。瑠衣の身体でなければ手伝ってもらうところだ。
「男の子してるなあ」
来瀬川教諭はそんな俺の様を振り返りながらニコニコとしている。
やらいでか。普段は情けない姿ばかりを見せている分、体力仕事くらいは涼しい顔でこなせなければならないのだ、俺は。というか、アルビレオが歩いてくれれば早いのだ。ゾンビめ。
ぶつぶつと呟きながら小高い斜面を登り切ると、視界が一気に拓ける。
上からは塁壁に囲まれたグラストル市街区が一望できた。塁壁の外周、つまりは俺たちが登って来た斜面は大きな陥没孔の外縁である。グラストルは直径約五キロの陥没跡の中に築かれた大都市なのだ。
千年近く前のことになる。
北方の山脈の麓であるこの地に、魔道に長けた小国があった。
一夜にして地底に消えた謎多きその国の跡地には、やがて流民によってささやかな街が築かれていく。そして数百年後、消えた魔道の国は、発掘家達によって地下に広がる巨大な遺跡群として再発見されることになる。
長大な地下洞窟と、地底で迷宮化した城下街。アルセウム魔導国遺跡と名付けられた広大なこの遺跡から発見される様々な魔法遺物を巡り、発掘家や冒険家が集い始めた街は爆発的に規模を拡大。やがて人類居住領域、その最北端としての機能をも担うようになっていく。
遺跡都市グラストル。
これがその成り立ちである。




