32.セントレア防衛戦①
鞘走りの合唱と数多の詠唱の輪唱が響く中、俺は長剣を抜き放つ。曝け出された老鍛冶師の最後の夢、無銘の名剣の刃が、周囲に広がる炎を反射して鋭く輝いた。
黒い柄を両手で握り込む俺へ、前方の騎士の間に立った祭服の少女が叫ぶ。
「投降してください! 無駄死になさるおつもりですか!?」
ミラベル。煌々と燃える炎に照らされた少女の姿は、やはり壮絶なまでに美しい。
彼女の提案に乗るという選択肢はない。
草原に広がった火の手は、あくまで限定的な範囲に留まっている。そもそもこの世界の騎士達は魔力障壁を持つため、単なる物理現象でしかない炎では何の足止めにもならない。俺が放った火には、単なる虚仮脅しと、視界を確保する照明以上の意味はない。
その気になれば騎士達は易々と火中を走破し、或いは迂回してセントレアへ殺到するだろう。マリー達が現在どの辺りまで逃げおおせたかは不明だが、追い付かれない保証がない。
俺はまだ、最低限の勝利条件も満たせていない。
平原に突き立ち燃える、十九振りの剣。その一本を左手で取り、俺は炉を回す。
溢れんばかりの魔力を剣に通し、掌握する。権能で再生した剣技――かつてサリッサの大鎌を破壊した投擲を、俺は今、再び放つ。
今度はただ技を再生するだけでは足りない。もっと速く。もっと強く。
一体、自分のどこにそんな激情が潜んでいたのか、自分でも不思議になるほどの咆哮が俺の口から迸った。
瞬間、轟音が生じた。
俺が左の腕で投じた燃える剣は、音の壁を超えて凄まじい衝撃波を伴う銀閃と化し、数多の騎士達を吹き飛ばしながら一直線に飛翔する。
そして、枯葉のように吹き散った前列の騎士達の向こう――陣列を組んだ騎士団の真ん中に、地響きを轟かせて着弾した。
弓や魔法を構えていた後列の騎士達が、剣に込められた膨大な魔力と運動エネルギーの爆裂によって舞い上がった土砂の煙に包まれる。
そのあまりの威力に、水星天騎士団の誰もが一瞬、動きを止めた。吹き飛ばされながらも無傷だった者も、何の影響も受けずただ目の当たりにした者も、直撃に近い形で衝撃波を受けて転倒した者も。
唯一人。予め張り巡らせていた多重の防御魔法によって髪の毛ひとつ揺らがなかった皇女ミラベルを除いて。
残り十八本。
宵闇の中で燃える剣を目指して走り、再び左手で掴み取る。
「あ、相手は一人だ! 怯むな! 包囲しろ!」
先頭に立っていた隊長格らしき騎士の男が檄を飛ばしながら立ち上がり、剣と盾を構えながら猛然と駆け出した。同様に吹き飛ばされていた前衛の騎士達もすぐに立ち直って殺到してくる。
魔力障壁を持つ騎士達に対して、単なる物理現象でしかない衝撃波では大したダメージは与えられない。
俺を包むようにして展開しようとする騎士達に向け、両手の剣をそれぞれ構え、再び剣技を発動させて既知の技を引き出す。
大気に拡散した魔素を収束させ、不可視の重圧を纏った二本の剣を同時に振るった。
「な、なん……っ!?」
九天の騎士の一人、クリストファの恐るべき剛剣。
まるで巨大なハンマーに叩き潰されたかのように、数人の騎士達が凄まじい勢いで地面に没する。重圧の勢いはそこに留まらず、平原に巨大な二つのクレーターを穿った。
技に耐えかねた左手の長剣の刃が根元から折れ飛ぶ。残された柄を投げ捨て、俺は次の剣を目指して駆け出した。残り十七本。
剛剣によって半数にまで減じた前衛の騎士達が追い縋ってくる。
隙なく盾を構えて先頭を走る大柄の騎士が声をあげた。
「我こそは水星天騎士団副団長! ガルーザ……」
「うるせえ!」
燃える剣の柄を再び左手で掴み、怒鳴りながら剣技を再生する。地面からの抜きざまに振るった剣尖が、そのまま一直線に伸びて副団長とやらの盾を直撃した。
鋼鉄の盾を跳ね上げた剣尖を再び突き込み、同じく鍛えられた鋼鉄の鎧目掛けて魔力で編み上げた刺突を飛ばす。「早送り」で瞬時に五回。五度の衝撃を受けた鎧が砕け、血飛沫を散らして副団長が転倒する。ほぼ同時に、多大な反動を受けた鉄剣が木っ端微塵に砕けた。残り十六本。
副団長を失ってもなお、前衛の騎士達四人は一糸乱れぬ連携で槍を突き込んでくる。
一本を右手の剣で弾き、二本の切っ先を身を捻って避ける。
最後の槍の穂先が脇腹を掠め、革のコートを穿った。俺は舌打ちしつつコートで槍を絡め取り、柄の半ば目掛けて刃を振り下ろす。
槍を断ち切られた騎士がたたらを踏んだところを、フルフェイスの兜の後頭部目掛けて長剣の柄を叩き込む。くず折れた騎士を置き、次の剣を探して視線を這わせる。
そこへ、体勢を立て直した後列の騎士達が放った矢や魔法の炎弾が降り注ぐ。
火線に前衛の騎士達が巻き込まれ、悲鳴を上げた。
錬度が知れる体たらくだ。俺は長剣で飛来する炎弾を叩き落としつつ、大地を蹴って次の剣の元まで辿り着くや、再び騎士団の後列目掛けて長剣を投げ放つ。
またも稲妻のように閃いた剣は、陣列の中央を直撃し土煙と混乱を撒き散らした。
残り十五本。
続けざまに次の剣を掴んで放とうとした俺の視界に、騎士団の前で長杖を構えて立つ少女の姿が飛び込んでくる。
後列の騎士達を守るように立った皇女ミラベルは、杖を持たない左手の指で宙に円を描く。何かしらの防御魔法を詠唱しているようだが、今は構っていられない。直撃させなければ死にはしないだろう。手加減できる状況でもない。
三度、俺の左手から放たれた長剣が飛翔した。同時にミラベルの魔法が完成する。
「積層鏡楯・十七層!」
杖を掲げた皇女の前方。
放たれた銀光が対物対魔の効果を持つ高度な魔法障壁を構築し、更にそれが幾重にも織り重なって、巨大な盾を形作る。
放たれた長剣は銀の盾に激突し、瞬きの間に爆散した。衝撃波までも完全に遮断されたらしく、ミラベルは杖を掲げたまま平然と立ち続けている。残り十四本。
彼女も補佐司教という位階に居るほど人物なので無視はできないとは思っていたが、その実力は俺の予測を遥かに上回っている。もしこれが皇族の血統の力だというなら、今の皇帝の身体は一体どれだけの力を持っているのか。
騎士団の後列から報復のように殺到する矢を切り払い、俺は後ろへ跳び下がる。
百対一。これはもう、有利とか不利とかという次元の戦いではない。足を止めると、その時点で敗北が決定するレベルの火力差がある。
この戦いは視界が限定される夜戦であることと、俺が剣技という権能を持っていることで、辛うじて成立しているに過ぎない。
蹴散らされた第一列の前衛の騎士達に代わり、第二列の騎士達が前進してくる。
後衛への牽制はミラベルが防いでしまう。相手の支援火力が健在の状態で前衛と交戦するのは自殺行為だ。俺は踵を返し、背後で燃え広がる炎の向こうへ飛び込む。
炎の熱は障壁が阻むので効果が期待できないが、軽質油による黒煙が視界を遮るため、炎の向こうには射線が通らない。追ってきた騎士を一人だけ長剣で叩き伏せ、俺は再び走る。
道すがら地面に突き立った剣を引き抜き、僅かに思案する。その最中、ちらと覗いた騎士団の隊列の中から、三騎の騎兵が飛び出すのが見えた。
マリー達の脱出の脅威になる、足の速い兵は優先して潰しておく必要がある。
疾走する騎馬の上から騎士達が長大な突撃槍を構える。
騎兵と正面から相対した俺は、走りながら右の剣でクリストファの剛剣を繰り出した。頭上からの重圧に、直撃を受けた二騎が潰れて平原の大地に沈むが、先頭の一騎だけは速度を上げて難を逃れるや、まだ槍の届く距離ではないにも拘わらず、俺を目掛けて突撃槍を突き出した。
魔力を利用した遠当ての戦技。
俺が用いる刺突を飛ばす剣技と、本質的には同じ技である。しかし、騎兵の突撃槍によるそれは、より鋭く速かった。
防御として割り込ませた左の長剣が半ばから完全に折れ曲がる。不可視の突きはそれでも止まらず、俺の左肩をもぎ取らんばかりの勢いで抉っていく。
激痛に苛まれながらも、眼前にまで迫った騎兵の突撃槍を見据えて深く息を吸う。曲がった左手の剣を捨て、両手で長剣を握りこんだ俺は、静かに権能を発動させる。
斬鉄。
かつてジャン・ルースが一度だけ垣間見せた剣技。
一瞬の交錯の間に鋼鉄の突撃槍を断ち切った右の長剣を振るい、再び走り出す俺の背後で、騎兵が崩れ落ちる音が響いた。残り十三本。
走りながら治癒術で応急的な止血を済ませ、大剣を構えて飛び掛ってくる騎士の鎧に飛び蹴りを入れる。その勢いのまま手近に刺さっていた剣を取り、ミラベルの張った魔法に防がれると分かっていながらも、後列の騎士達の方角へ放る。残り十二本。
ミラベルの障壁が輝き、空中に爆発の華が咲いた。まるで徒労に思えるが、彼女を防御に縫い止めておけるのであれば全くの無駄にはならない。彼女の魔力が攻撃に傾けられるのは非常に不味い展開で、それだけは避けたいところだ。
とはいえ、このペースで剣を消費していくと数が不足するのも見えている。
騎士団全員を撃破するのは最初から不可能だと分かり切っていたが、最低でも半数は戦闘不能にしたいと俺は考えていた。
負傷者が増えれば増えるほど、彼らの足並みは乱れ、移動速度は低下する。より多くの時間を稼ぐことができるはずだ。
鋼鉄を鍛えて造られた愛用の長剣の耐久力は高いが、やはり無限ではない。平原に突き立てておいた剣を上手く利用し、配分を考えていかなければ武器がなくなってしまう。
未だ姿を見せないアルビレオという敵の存在も考慮すれば、剣をできる限り温存しておきたいところなのだが――
ふと気が付くと、前衛の騎士達が後退していた。
接近戦で追い立てる方針から遠距離戦で削り倒す方針に切り替えたのかと思いミラベルの方を見やるが、皇女はただ静かに佇んでいるだけだ。
後列の騎士達も今まで散々放っていた炎弾の魔法を詠唱している様子がない。弓兵も同様に、弓を携える手を下げている。
何かがおかしい。
まだ全体の二割も損耗していないというのに撤退という線は有り得ない。
遠巻きに見守っている、という表現がちょうど当てはまるような動きだ。
訝る俺の前に、燃え盛る炎の向こうから一人、歩み出る影があった。
黒い礼服に身を包んだその細い少女は、俺を見てにっこり笑うと、腰に下げた白い細剣の柄に手を置いた。
「やあ、はじめまして」
「あ、ああ?」
剣士らしき少女のやけに気さくな挨拶に面食らった俺は、やや上擦った声をあげた。
騎士なのだろうかとも思ったが、それにしては随分と無邪気な表情を浮かべた少女は、大雑把に切られた栗色の髪を揺らしながら、ゆったりと近寄ってくる。
「あんたが門番さん? 剣の福音?」
「その呼ばれ方はあまり好きじゃないな」
「そっか。ま、呼び方なんてなんでもいいよね。僕、あんたと戦えって言われてるんだよ。あんた、ちょっと強過ぎるからさ。騎士を無駄遣いしたらもったいないでしょ?」
「なるほど」
俺は長剣を持ち上げ、少女へ向ける。
「君がアルビレオだな」
肯定の代わりとばかりに、少女の手が細剣の白い柄を引き抜く。
澄んだ音を奏でて鞘走る刀身の色も、やはり白だった。
滑らかな含み笑いのまま、アルビレオは細剣を構える。全く気迫がない立ち姿に、俺は言い知れない、妙な違和感を覚えた。
本当にこの少女は剣士なのだろうか。
ごく自然な、無形に近い構えを取るアルビレオからは、今まで相対したどの騎士よりも剣に気力が感じられない。
剣士ではない可能性を考慮しつつあった俺の思考は、次の瞬間に鋭く踏み込んできたアルビレオが繰り出した細剣の切っ先に中断させられた。
反射的にその剣尖を長剣で受け、勢いを殺して受け流す。しかし、アルビレオは器用に刃を返すと、更に一歩踏み込んで薄刃を突き込んでくる。
軽量な細剣の利点。小回りに優れるという武器を巧みに操って攻めに転じる彼女は、確かに剣士だ。超絶技巧、とまではいかないが、俺よりはよほど優秀と見える。
剣技を使う。
度重なる発動によって反動が蓄積しているが、未だ底が見えない目の前の少女は早々に倒してしまいたい。長引かせると、どんな計算違いが起きるか分からない。
引き出したのは、サリッサの技。三連の払い。
破軍と名付けられたその技は、瞬きの間に連続した軌跡を描き――
寸分違わぬ同様の軌跡を描いたアルビレオの細剣と激突し、激しい火花を散らした。
少女の唇が大きく釣り上がり、俺は瞠目する。
全く同じ技で返された――かつてない経験に動揺する俺の耳に、聞き覚えのある風切り音が届く。古教会で遭遇した、原理不明の遠隔斬撃。
背後から襲い来る二振りの剣。ひとつは弾き、もうひとつを飛び下がって避けた俺の右肩に、浅い切り傷が刻まれた。
「ちっ、惜しかったなあ。あんた、背中に目でもついてるの?」
にこりと微笑むアルビレオの周囲を、ゆらりと浮かぶ影があった。
多種多様の八本の剣。そして、それらを握る、薄ら透けた魔素の腕。八つの腕は全て、アルビレオの背中から伸びている。
その異形の姿に、俺は乾いた唇を動かす。
「霊体が人の形をしていないのか、お前は」
霊体は生物に必ず存在する、体内の魔力の流れそのものだ。これが分離したものを幽霊と呼ぶように、魂そのものと言い換えてもいい。
その形は、基本的に肉体と同じ形になる。いや、同じ形でしか有り得ない。魂と肉体の形が合致しない生き物など、この世には存在しない。
肉体を持たず、濃密な魔素だけが意思を持った存在――大精霊や魔族を除けば、この原則に例外はないはずだ。
「やだな、僕はれっきとした人間だよ。容器に対して、中身の数が多いだけさ」
中身。
眉根を寄せる俺の眼前で、少女の顔が増えた。あどけない少女の頭からずれるように現れた霊体の頭が、透け、ぼやけて判然としない顔で俺を見た。
どこか逞しいシルエットを見る限り、その霊体の頭は間違いなく男性のものだ。
「複数の霊体が……ひとつの身体に……可能なのか、そんなことが!?」
「数多の騎士の魂を混ぜ合わせて造られた帰参者。それがその娘です。タカナシ様」
戦慄した俺の問いに、いつの間にか傍に現れていた銀髪の司祭が答える。
珍しく嫌悪感を露わにしたミラベルは、翡翠の瞳を俺へ向けた。
「皇帝からは剣の外典福音と呼ばれています。タカナシ様……あなたの権能を模して、三代前のウッドランド帝が作り出したそうです」
「馬鹿な……どこまで腐ってるんだ! 奴は!」
通常の死霊術で作成される帰参者は、一体の死体につき一つの霊体を封入する。封入された霊体が死体を動かすという理屈だ。
だが、目の前の少女――主人格の性別は定かではないが――は複数の人間の霊体を無理矢理一つの身体に押し込めている。
恐らく腕の立つ騎士の霊体を肉体から引き剥がし、一体の死体に詰め込んだのだ。
たった一体で、全ての剣技を知る剣士を作り出すためだけに。
「あっはは! 模したとか言わないでくださいよ、ミラベル様ぁ! それじゃこの人が僕のオリジナルみたいじゃないですかぁ! 僕はこんな雑魚よりもっと多芸ですよぅ!」
その、当の本人は白い細剣を片手におどけてみせる。
「さ、この人をちゃっちゃとぶっ殺して、みんなみんなぶっ殺しましょうよ。僕らが継承戦を勝ち残らないと、世界が大変ですもんね?」
饒舌に喋るアルビレオの濁った瞳は、何処も見ていない。
元より、彼女は生きてもいない。死霊術は肉体を蘇らせる魔法などではない。
この少女は、既に終わっている存在だ。
「……ええ、そうですね。アルビレオ」
僅かに憐憫の情を浮かべていたミラベルは、羽織っていた白い祭服を脱ぎ捨てると、ケルト十字を模した長杖を両手で構えて先端を俺に向ける。
自分が生き残る道が完全に閉ざされたことを、俺は悟る。
仮にこの強敵二人を退けたとしても、残る騎士全員を相手にするだけの余力が残されるとは到底思えない。
それでも、最後まで足掻けと誰かが叫ぶ。
これは義務だ。神が作り出したインチキを得た俺の。
悟ったように、のうのうと生き続けた俺の。
弾かれたように大地を蹴って走り、八本目の剣を掴む。
ミラベルが間髪入れずに放った銀の魔力弾を斬り飛ばし、俺は叫んだ。
「せめてアルビレオは道連れにさせてもらう! その子はもう破壊してやるべきだ!」
「見過ごす道理はありません」
「ハッ! やってみな、門番ッ!」
ミラベルが張った銀の障壁が俺の投擲した剣を弾き、爆発を受けて砕ける。その爆炎を切り裂き、アルビレオの霊体の腕と剣が空を舞う。
異能と異能が飛び交う戦いは、呆然と見守る周囲の騎士達の介入を許さず、
ただどこまでも、激化していく。




