11.死ぬ光①
十五年が経った。
痩せ細った男が、静寂の中に沈んだ白いベッドの上に横たわっていた。窓の外から冷えた風が吹きすさぶ音が聞こえるが、男が特にこれといった反応を示すことはない。濁った目で部屋の天井を見上げているだけだ。その様子からは、かつて彼が壮健であった頃の姿など想像もつかない。彼は王国内でも指折りの繁栄を誇った領の主であるはずだった。
男が倒れたのは三年ほど前のことだ。心の臓が拍動を乱したためであり、当初は過労かと思われていた。しかし男の体は休養をとっているにも拘わらず日に日に変化していった。急激に筋力が衰え、四肢の動きは痛みを伴うようになった。心の臓も弱り、身体の自由は奪われ、精神も重く沈んでいった。
いつしか男は、物言わぬ骨組みだけのような姿になっていた。もはや患ったのが死病であることは誰の目にも明らかであった。実際に幾度となく死に瀕するような発作を起こし、彼が生き延びる度に医師は奇跡だと宣った。
事実である。
病床の傍らに佇む男の妻、アリア・マイアハイズなる少女が、奇跡を以て夫オルランド・マイアハイズ伯爵を死なせなかった。彼女は命に関してのみ神と等しき権能を持ち、請われればその力で以て人々から病を払い傷を癒す、枢軸教の聖女。マイアハイズの黒百合と呼ばれ、王国内の多くの人々の尊崇を集める貴婦人であった。
しかし、その彼女にも死に瀕したオルランドを完治させることはできない。彼の発作の度に死の影を払うことはできても、元の姿に戻してやることはできなかった。方々手を尽くし、旧知の叡智の力を借りることで漸く原因こそ分かったものの、状況は何も変わらなかった。毎夜、寝ずの番をしてオルランドの発作に備えることくらいしか、彼女にできることはない。
叡智の曰く、オルランドを蝕んでいるのは通常の病ではなかった。
先天性心疾患。染色体の突然変異による体組織の変化であると。彼の体は遺伝情報の変化により、異常な状態が常態になってしまった。肉体の損傷でもなければ異常でもなく、正常な状態でこれなのだと。故に、命を健常な状態に戻すアリアの権能では治すことができないのだと叡智は言った。
あらゆる病を払い傷を癒すアリアにも、老いは覆せない。
それと同じなのだと。
「……オルランド、夜が明けたわ」
語りかけてもベッドの上のオルランドは答えない。
発話ができないわけではなく、女中や枢軸教の司祭などとは会話をしていると聞いていた。拒絶されているのは医師とアリアだけだ。
これでも最初の一年ほどは会話があった。寝ずのアリアを気遣うような言葉もあり、彼女はいっそう治療の手立てを探すことに腐心した。
二年目からは反応が減った。彼はなにを考えているのかを話さなくなり、今では答えないか、答えがあってもどこか疎ましげな言葉が返るようになった。心身が弱っているせいのだとアリアは理解している。本来の彼は違うのだと、彼を子供の頃から知る彼女は信じていた。
***
夜明けと共にやってくる医師に看護を引き継ぎ、アリアは領主の寝室を後にする。離れの自室で休む暇はない。大抵の日は伯爵夫人としての責務、領主代行の仕事が執務室で待っている。
成人して久しい義理の息子、ステファノに領主代行を任せるべきとの声も家中にはある。アリアに枢軸教という後ろ盾があるとはいえ、後妻がマイアハイズの実権を握っていることを快く思わない人間も多い。歳をとらない様子のアリアは一部の家人たちからも不審に思われている。枢軸教の威光だけでは反感を抑えきれなくなりつつある。
彼女自身も立場に固執してはいない。このままオルランドの状態を維持できたとしても、彼が再び領主として働けるようになる可能性は限りなく低い。ステファノがマイアハイズを継承し、オルランドと自分は一線を退くのが順当だろうとも思っている。
問題は次期領主のステファノにある。
彼は賢明な青年に成長した。領主代行の補佐として仕事振りも良く、銀髪で長身の美男子となったステファノは縁談にも事欠かなかったため、良縁にも恵まれて婚約も早期に済ませている。貴族社会の一員としては完璧といっていい。
しかし、
「父上はまだ生きているのですか? 早くお隠れになっていただいた方がマイアハイズの為になるのですが」
執務室でアリアを出迎えたステファノが発した言葉は、そんなものだった。彼女が父オルランドの命を繋ぎ続けていると知った上で、彼は度々そう口にする。
吐き捨てるように言うのだ。
「義姉さんもそろそろ見切りを付けたらどうですか。いまの父上にあなたが貴重な時間を割く価値なんて無いですよ」
「……ステファノ。言って良いことと悪いことがあるでしょう……」
「事実でしょう。父上はもう使い物にならない」
頭痛がする。
寝ずともアリアが健康を損なうことはなかったが、疲労は蓄積する。隈の浮いた目を揉みながら、彼女は執務机に着いた。この机はまだ譲れない。
「……あなたがそんなだから、領を任せるのは不安なのよ」
「義姉さんが甘過ぎるだけですよ。西方諸国の影響力が強まっているこの時勢に、あんなガラクタに割く時間がいったいどこにあるというのですか。義姉さんが居なかったらとっくにうちの領は……」
「いい加減にしなさい……それと、私はもう義姉ではないわ。公の場では母か領主代行と呼びなさい。何度言わせるの」
途端にステファノは反抗的な目をするが、アリアは畳み掛けるように続ける。
「価値があるとかないとか……あなたは身内だけじゃなく、領民に対してもそんな判断基準でやっていくつもりなの?」
「必要とあればやりますよ。非情かもしれませんが合理的だ」
「はあ……浅慮もここに極まれりね」
「浅慮ですって?」
「非情なだけの領主に誰がついていくというの……長い目で見れば、目先の損をとってでも信を得るべき場面があるのよ。こと、マイアハイズのように領民が富んで栄えている領なら尚更ね。執政が誰であっても飢えることはないのだから、見放すことにも躊躇はないでしょうし、簡単に挿げ替えようともするでしょう」
「ばかな。マイアハイズは代々領主の一族です。挿げ替えるなどと……」
「……その保証はどこにあるの、ステファノ。王権を持っているのはマイアハイズではないわ。王家よ。その信任はマイアハイズが領民を掌握しているという前提の上で成り立つ契約にすぎない」
ステファノは閉口する。
竜戦争後、戦乱の時代を見たアリアは知っている。人心を失った指導者の末路は悲惨だ。立場に胡坐をかいているだけではいずれ立ち行かなくなる。
やはり頭痛がする。アリアは溜息を交えて言った。
「つまり、執政も人気商売なのよ。有情非情を使い分けてこそ本当の合理というもの。あなたのそれは経営者の理屈でしかないわ。商会を開きたいのでなければもっと学びなさい」
「っ……では、父上を生かしているのも打算ですか」
「本当にそう思うなら……人としても失格ね。苦し紛れにしたって突くべき場所はそこじゃないでしょう。感情に訴えたいのか論理で詰めたいのか、せめて狙いを絞りなさい」
「……」
反論できず歯噛みする義理の息子にアリアは肩を落とす。この程度の詭弁も破れないようでは、王国の老獪な貴族たちや西方の商人たちを相手にやっていけるとも思えない。やはりオルランドの不在が厳しい。彼が健在であれば、息子の独り立ちまで支えることも導くこともできたはずだった。
人格面は、どうしてこうなってしまったのかアリアにもよく分からない。貴族学校に入るまでは利発で素直な少年だった。アリアが後妻に収まり、彼の入寮で目が届かなくなった頃から歯車が狂っていったようにも思えた。いま思えば、あの頃がもっとも平穏な時期だった――
ふと気付くと、執務室からステファノの姿が消えていた。入れ代わりに、黒いローブ――アカデミックドレス姿の少女が開いた戸口に立っている。
四角いトレンチャーキャップの縁から覗く双眸に、常人では気付くことのない極微量の不機嫌さを滲ませながら、著しく表情の乏しい少女は淡々と言った。
「舌打ちして出て行った。あの男は器量に欠く。おそらく大成はしない」
「……そう言わないで頂戴。今はあんなでも良い所のある子なの」
「親の贔屓目。でも、アリエッタが身内に甘過ぎるという点には同意する。あの男は自分も甘やかされていると気付くべき」
「聞いてたの……恥ずかしい所を見せたわね、レーシャ」
今はマイアハイズの食客をしている少女、叡智の福音レーシャ・デニソヴナ・ソロキナは無言で首を振った。
そのまま静かにアリアのもとまで歩み寄ると、頭痛と心痛とで天井を仰ぐアリアの顔に、魔術で蒸したタオルを置いた。
温かさが疲れた目に染みる。アリアが礼を述べようとすると、レーシャが先んじて小声を発した。
「枢軸教がきな臭い」
「……続けて」
「以前から西方諸国、特に帝国にすり寄ろうとしている動きはあった。けど、今回はあきらかに動きの質が違う」
「具体的には?」
「教徒が大森林で製鉄をしている」
アリアは耳を疑った。蒸しタオルを取り去り、レーシャの顔を見る。
「製鉄は王国の管理下でしか許されないはず……そもそも鉄鉱石なんてどこから手に入れたの。この辺りでは採れないのに」
「開発されたばかりの魔術を使っている。物体を二地点間で転送する術。余所で採った鉱石を燃料豊富な大森林で加工し、また別所に送っている」
「最新の魔術……帝国ね。なんてことを」
鉄の保有は軍事力に直結する。故に国内で許可なく行えば法に触れる――王家に叛意を持っていると見なされても不思議ではない。
枢軸教は王国、マイアハイズ発祥ではあるものの、現在ではその影響力を東西の諸国にまで伸ばしている。本格的に西方へ軸足を移す、その手土産として鉄を作り帝国に供与している。そう考えれば動機はある。
一線を越えている。
王家に露見すれば枢軸教への致命的な攻撃は免れない。さらに領地に大森林を含むマイアハイズ領は、枢軸教と関係を持っているアリアが領主代行なのだ。
「……嵌められたかしら」
この図式は出来過ぎていた。
枢軸教の行いを看過し、帝国に利するがままにするか。王国に義理立てて枢軸教を排除するか。細かな配慮を抜きすれば、マイアハイズ領が取れる選択肢はこの二択である。
そして、そのどちらでもアリアの立場は脆弱になる。枢軸教の行いを看過した場合、王家に密告されるだけでマイアハイズは領を追われるだろう。王国に義理立てをしたとしても、アリアが枢軸教に組していたという疑惑は拭いきれない。最低でもアリアは領主代行から廃されるだろう。処罰の程度は不明ながら。
いずれにしても王国は弱体化を免れない上、枢軸教の聖女アリアも排除される。外敵に都合が良すぎる展開しかない。
「この絵を描いたのも帝国。あの国の謀略は大陸中に跨ってる。珍しくない」
「……野心が強すぎる。いったい何がしたいのか……」
「分からない」
叡智が分からないのであれば、常軌を逸しているか人智が及ばないかのどちらかだ。考察するだけ無駄であると切り捨て、アリアは羽ペンを取った。
「王へ報告と枢軸教討伐の書簡を出すわ……幾らか心証が良くなるでしょう」
「枢軸教を切るのは確定?」
「……当然。どっちがマシかと言えば、領が残りそうなだけこちらがマシよ」
「でも、あなたの味方が居なくなる」
アリアは苦笑した。叡智を持っていても、レーシャは根が善良であるが故に人間の腹の内を読み切れていない。
マイアハイズが窮地に陥るのが自明であるにも拘わらず帝国に組した時点で、枢軸教は既に味方などではない。言うことを聞かず傀儡にもならない聖女よりも帝国を取った。自らの権勢に固執するその有り様は、宗教団体というより政治団体に近い。
「……心配してくれてありがとう。でも、もともと私の味方なんて殆ど居ないからいいのよ」
その数少ない味方であるレーシャの頭を撫でる。彼女の表情は変わらなかったが、情動が薄いだけで無いわけではないのだとアリアは理解している。気にせずペンを走らせていると、レーシャが言った。
「アキトを呼ぶべきだ、アリエッタ」
手が止まる。
「帝国と枢軸教がどんな手段に出るか予測できない。帝国との衝突が起きれば領軍の手には余る」
「……表立って軍を動かすほど枢軸教を欲しがってるとは思えないわ」
「根拠のない憶測。私もあなたも人間相手の戦いは下手だ。戦いなったら対応しきれない」
レーシャの言にも一理はある。武力衝突の可能性は十分にあるのだ。
遠隔地である王国にまで軍を遠征させるのは現実的でなくとも、枢軸教に騎士を派遣するくらいはやっていても不思議はない。マイアハイズの領軍には魔力使いなど殆どおらず、もし帝国の騎士と戦わなければならないとしたら、貴族として魔力使いの素養を持っているステファノしか戦力として数えることができない。しかし、平和なマイアハイズの後継として温室で育ったステファノが、精強と名高い帝国騎士に太刀打ちなどできるはずもない。火を見るよりも明らかだ。
そうなるとアリアやレーシャが対応せざるを得なくなる。が、本人も言うように向いているわけではない。一対一なら万に一つも負けはないにしても、戦というものは一筋縄ではない。
「……」
しかし、アキト――高梨明人に助けを求めるという選択肢もアリアには無い。
自分が請えば来るだろうと分かっている。分かっているからこそアリアにはできない。何もかも失ったあの少年を今さら頼ることなどできはしない。
何故できるだろうか。人類種のくだらない蹴落とし合いなどに何故巻き込めるだろう。飽きもせず自身の幸福だけを求めるこの浅ましい種に、彼がいったい何の義理があるというのか。あの天性の英雄はそれでも戦えてしまうだろうと分かっていて、何故。
しかし、レーシャは引き下がらないだろうとアリアも予感していた。思いのほか自分を慮るこの少女も、これ以上巻き込むのは本意でない。
ゆえに、アリアはこう言った。
「……そうね。あなたが伝えに行ってくれる?」
マイアハイズからサントレイアまでは往路で三か月。復路で三か月。半年もかかればすべては終わっている。どう転んでも彼が戦うことはない。
それが自らを遠ざけようとする方便でもあるとレーシャも理解した。乏しい表情に抗議、或いは悲しみの感情を宿す。しかし、断ったところで状況が好転することもない。彼女にできることは可能な限り早く救援を求めることだけだ。
「わかった。絶対に事を急がないで」
「勿論」
端的に答えて国王への書状を書き上げ、封蝋をする。
その頃にはもう、レーシャの姿も書き置きを残して消えていた。
「……半年もかからないかもしれないわね……あの子なら」
独り言ちて笑い、アリアは書簡を託すべく鈴を鳴らして家令達を呼んだ。
事態は一刻を争う。マイアハイズとしての立場を明確にしておかなければ領が滅ぶ。書簡を出したとて王のもとに届くまで時間がかかる。この状況を切り抜けるにはまだ弱い。潔白を証明するためにも、事が公になる前に先制する必要があるとアリアは考える。
レーシャの書き置きに記された大森林の製鉄場を押さえ、領軍を使ってマイアハイズ領内の枢軸教会をすべて封鎖する。明日にでも動かなくてはならない。
家令に事の次第と命令を伝えて下がらせた後、アリアは椅子の背もたれに身を沈める。
この地――オイディスやマイアハイズの血脈への愛着から始めた生活だったが、いったいどこで間違えたのかアリアには分からない。可能な範囲で人々を癒すことも、この地にそれなりの繁栄を呼ぶことも、マイアハイズの血脈を見守ることも。それほど高い望みだったろうかと百五十年を振り返る。
或いはもっと前から。飢えと寒さに苦しんでいたあの村を、ただ流れてきた異物にすぎない偽りの巫女が、おこがましくもより良くしようなどと考えたあの日々から、なにか間違えていたのか。
白瀬柊には分からない。
***
分からない。
月明かりが微かに漏れる夜、石畳の街路。夜闇に浮かび上がっている白と青の人影が、今になって自分の眼の前に現れる意味を、アリア・マイアハイズは理解し得ない。
長い金の髪を吹きすさぶ北風になびかせながら、その妖精はアリアを見据えて立っていた。
「マリア……?」
「……お久しぶりです、アリエッタ。いえ……ヒイラギさん」
四、五メートルほどの距離に立つマリアの表情は、宵闇に混じり判然としない。その声と口調だけが百五十年を経ても変わらず、アリアは顔を曇らせる。
消息を絶っていたマリアが無事であったことは、素直に喜ばしかった。少なくとも会話が成る状態であることに歓迎以外の気持ちはない。
しかし、
「あなた、今までどこに……明人がどれだけあなたを……」
待っていたことか。
鉄の菱を喉から絞り出すかのような心地でアリアは問う。問いながら、己の醜さを自覚した。純粋に喜ぶ気にならない理由が、彼女の身を案じていたからではないということを、はっきりと自覚したからだ。
対するマリアは、やはりどこか非人間的だった。
「ご心配には及びません。それよりも、今はこのマイアハイズの地に喫緊の問題があります」
「……なんですって?」
「街を出てください、ヒイラギさん。留まればあなたの身に危険が及びます」
「きゅ、急に現れてなにを……そんなことは言われなくても承知しているわ。でも、私がやらなければ……」
「やらなければ、なんです? どうなりますか?」
アリアは言葉に詰まる。頭痛がする。
代わりにと言わんばかりに、マリアは言葉を並べる。
「そうですね……マイアハイズ領は少々痛い目を見るでしょう。ですが致命的ではありません。あなたが領主代行を降り、領主家と絶縁さえすれば。なにせ、オルランド・マイアハイズは寝たきりで、息子のステファノには実権も能力もない。無実は明らかです。王にも罰せはしない」
「……」
「逆に、今のままではあなたがオルランドを傀儡にして枢軸教の裏切りを援助していたようにしか見えない。マイアハイズは終わります」
それは容赦のない正論だった。
何故マリアが事態をそこまで理解しているのかは不明ながら、彼女の言う「アリアの放棄」は現状での最適解のひとつだ。枢軸教とマイアハイズの繋がりの根拠となりうるアリアさえ居なければ、マイアハイズが過剰な咎を受けることもない。
だが、それにはいくつかの代償が伴う。
「……駄目よ。オルランドは……私が、居なければ……」
「亡くなりますね」
温度の無い声でマリアは言った。
「その何が問題なんですか」
「あなた……!」
「むしろ何故彼を生かしているのです。彼は明らかに……寿命ですよ」
アリアの肩が跳ねた。
マリアは構わなかった。
「命を自在にし過ぎて忘れてしまったんですか。人は死にます。誰しもが。別れを受け入れなくてはならないこともあるでしょう」
「……知った風なことを言わないで。家族なのよ……!」
「なら、なおのことです。あなたは目を背けているだけだ」
その一言は。
アリア自身も自覚していなかった、心奥の何かに触れた。
「ッ……死なないでしょうが! あなたも、私も! どの口が言うの!?」
「人ではないからだ。あなたも、わたしも。認めなければならない」
正しい。
本当はアリアにも分かっていたことだった。
人と、なにか別のものが、ありきたりな家族になどなれるはずはなかった。
頭痛がする。割れるように頭が痛む。頭を抱え、アリアは叫ぶ。
「好きで……こうなったんじゃない! こんなはずじゃなかった! 誰も死にたがってなんかいなかった! 私は上手くやっていたのに!」
「だろうとも。だとしても。あなたが欲しているものは、ここには無いのだ」
いちいち正しい。
どれだけ請われて病を払い傷を癒しても。どれだけ繁栄を願い、どれだけ家族を求めても。終わりがないのだから充足もない。間延びした生の中で、人の醜さだけが際立っていく。
それでも、それでも。
我慢をして積み上げてきた砂の城を、アリアは手放すことができない。ままごとのような家族の幻想を捨て去ることができない。
「マイアハイズを去るべきだ。今夜ならまだ間に合う。帳尻は私が合わせ……」
「去って何処へ行くというの!? 私は……私の居場所は……!」
一瞬、サントレイアの麦畑が見えた。
全て投げ出してあの街へ行けたら、どんなにいいだろうと思う気持ちはあった。十五年の間、一度も思わなかったはずもない。
けれど、それはやはり夢想にすぎなかった。未熟なステファノやマイアハイズ領を中途半端なまま放っておくことなどできなかった。
それに、なによりも。
「あなたが奪ったんじゃない!」
自らでさえ理不尽だと思うような弾劾の言葉が、勝手に衝いて出た。夜闇から引きずり出すように白の杖を――慈悲の杖を現出させ、悲痛な面持ちで凍り付くマリアに向ける。
命を奪っても構わない、と。
一瞬でもそう思ってしまったことに絶望しながら、直後に「問題がない」とも思いながら。
杖の先に立つ少女の死を想った。
しかし、我に返った瞬間には既にマリアの姿は何処にもなく、月明かりが微かに漏れる夜、石畳の街路の上にはアリアひとりが取り残されていた。
やり場のない感情と白杖を敷石目掛けて突き立て、彼女はただ、ひとりで立っていた。




