04.オイディスの巫女④
フェデリカ・トルナブオーニを除く、マリア一行の残りの面々が巫女の家に現れたのは夜半を過ぎた頃合いだった。
その三人の若者たちは実に奇妙な取り合わせだったと言える。少年二人に少女が一人。全員の人種が違う。海外に明るくないヒイラギには特定こそできなかったものの、一際目立つ金髪碧眼、痩身の美形がドイツ語を。殆ど喋らない、異国の女学生風の少女が未知の言語を繰り出したあたりで理解を放棄した。残る一人、柔和そうなアジア系の小柄な少年には若干の期待がかかったが、身振り手振りで尋ねたら大陸系の訛りがあるイントネーションで「ニホンゴデキナイ」と言われてしまった。
ならば外殻大地の言葉でと促したものの、答えたのはアジア系の少年ではなくドイツ語を繰り出した美形だった。
「すまない。俺とハオはまだ玄語をあまり習得してなくてね。付け焼き刃で聞き取り難かったら申し訳ない」
「……構わないわ。フェデリカさんよりずっとマシに聞こえるから」
「ははっ、そうか。ならいいんだ。俺はカレル・チュルダ。こっちのニホンゴデキナイ君はハオ・ランだ」
くしゃ、と破顔した美形、カレルがハオと呼ばれた少年の頭をわしゃわしゃと掻き回すと、ハオは目を白黒させながら愛想笑いをした。
「ヨロシク、ハオデス」
「……よろしく。私のことはアリエッタとでも呼んで頂戴」
頷きながらあだ名のような偽名のような名乗りを済ませ、ヒイラギは視線を三人目の少女に送る。
無言で目が合った。その少女はハシバミ色の瞳でヒイラギを見ていた。無機質で淡白な顔を向ける少女に困惑していると、カレルが取り繕うように間に割り込んだ。
「あーっと、彼女はレーシャだ。あまり気にしなくていい」
「気になるのだけれど」
「レーシャは殆ど喋らなくてね……最低限、必要なとき以外は」
つまり今は必要でないとき、ということになる。どうも好ましく思われていないらしい。ヒイラギは頭を抱えた。カレルのような同世代の異性にも不慣れではあったが、とっつきにくい同性というのも少し困るものだ。ヒイラギは自分を棚に上げた。
どこか底の見えないマリアよりはずっといいが――
「アリエッタ嬢。こんな夜中にもかかわらず歓待いただいて光栄だが……その……あなたは何をやっているんだ?」
「……? 食事の支度だけれど」
「食事って……ソレが?」
やや怯んだ様子のカレルが指し示す先、ヒイラギは自分が木べらでかき混ぜている土鍋の中身に視線を落とした。
そこでは、粘性のある乳白色の半固体、といった有り様のなにかが渦を巻いている。なるほど、旅をしているマリア一行には馴染みもないだろうと納得し、ヒイラギは説明をした。
「モルモルよ」
「……」
絶句したカレルに言葉足らずだったかもしれない、と補足をする。
「……この辺りでは主食のモル芋を粉にして保存しているの。そのモル粉を水で練って加熱した食べ物が食事」
「食い物……なんだな」
「そう」
「ええ、と。呪物とか毒ではなく?」
「……馬鹿馬鹿しい。おとぎ話じゃあるまいし」
難はあれど、モルモルはれっきとした保存食だ。
「はは……ひどく景気の悪い顔で混ぜているんだから誤解もするさ……ああいや、まあ、失礼な物言いだったな。申し訳ない」
「謝意は不要よ、カレル・チュルダ。モルモルは私も好んで食べないし、見た目が良くないのも分かっているから」
「分かっていて客に出すのか……」
「ええ、こちらの歓迎度合いを的確に表していると思うわ」
「て……手厳しい。俺たちの来訪は歓迎とまではいかなくとも明るい出来事なのだと思ったが……いままで心細く思ったりはしなかったのか?」
「……こんな異境で巫女だなんて呼ばれている女がそんなに繊細なわけがないでしょうに。苦労はあったけれど、それだけだわ」
カレルは驚いたような顔をした。
ぱちぱちと瞬きをして、それから、ふわりと優しげな笑みを浮かべる。
「それはよかった」
実際に優しい青年――少年なのだろう。いささか礼に欠けてはいても、それは年相応の純真ともとれる。元々の育ちが良いのか、親しみを前面に出した言動ながらもどこか品がある。ヒイラギは苦虫を噛み潰したような顔のままで美貌から視線を外した。陰気な女には眩し過ぎる笑顔だ。
それでも、カレルとハオ、レーシャの三人が印象通りの好ましい若者たちというだけであるかは大きな疑問符がつく。
なぜなら、彼らがオイディスに辿り着いた際に携えていたのはあまりにも大きな――数メートルはあろうかという、巨大な爬虫類の頭部であったからだ。
カレル・チュルダ。
彼は簡素な旅装といった出で立ちだったが、今もその全身に生乾きの返り血を纏っている。それこそ竜とでも表現すべき生物の首を引き摺りながら現れた彼は、己の血生臭さをまったく気に留めていない様子であった。
フェデリカから聞いていなければ、彼らをこの表向き平和なオイディス村に招き入れるなど、到底有り得ないことだ。
生首がどんな生物なのか、ヒイラギはおぼろげに理解している。
知っていた。
見たことがあった。
外殻大地に招かれる直前、ヒイラギは紆余曲折を経てヘリコプターなどに乗っていた。その窓から見た、追いすがって来た、およそ現実とは思えなかったあの生き物。翼持つ蛇。あれが。
「従僕」
ヒイラギの呟きに、カレルの眉が跳ねた。
傍らのハオも固唾を飲む。レーシャだけは顔色が変わらない。
「……俺としては翼竜と呼びたいところではあるんだけどね。翼竜と呼んだ方が通りが良いだろうって意見が内輪では主流だ」
翼竜。どこの国の言葉だろうか、と考えてはみたものの、思い当たる節はない。国際色が豊かすぎてヒイラギの手には余る。
「アリエッタ嬢は日本人なんだろう。英語圏なら翼竜派だろうな」
「……意味するところが同じなら、呼び名なんてなんだって構わない派よ。あと、日本は英語圏ではないわ」
「そうなのか?」
「私の知る限りはね。それより、あなたたちの合流が遅れたのはさっそく従僕を狩っていたからのようだけれど」
「マリア嬢が周辺地域を調べて、この一帯を統括する竜種が居るのは分かっていたからな。敵の戦力削減を兼ねて、手分けして威力偵察をね」
「……あんな生き物を相手に、本当に戦っているのね」
「できるからね。できるのなら、救世は俺たちの義務だ」
「救世……あなたもマリアも、やけに大きく出るわね」
「そのほうがヒロイックだろう?」
冗談めかして笑ってのけるカレルに、ヒイラギはやはり若者相応の幼なさを見た。正義感、使命感。総合的に見てカレルという人物は善人に違いなかったが、特権によって芽生え始めただろう自尊心も垣間見える。
モルモルを木皿に取り分けながら、ヒイラギは残りのふたりを横目で観察する。ハオ・レンは愛想笑いのまま。もしかすると会話を聞き取れていないのかもしれなかった。そこでカレルに通訳を求めないあたり、消極的な少年なのだと評価できる。
レーシャは変わらず、無表情で立っているだけだった。あきらかに異質な様子だったが、あとのふたりが反応しないので常のことだろうと片付ける他ない。気にはかかるものの――
「……」
ひとまず、この三人とも表裏がある人物には見えない。
そんな域にはまだ達していない、若者たち。
さしあたって警戒はいらないかもしれない。
「アリエッタ嬢は……歳の割にずいぶんと思慮深い人のようだ。よほどの苦労人なのか、それが外殻大地で生き残った秘訣なのか」
「……さあ? まあ、値踏みしているのはお互い様のようね」
「俺たちもここに至るまでそれなりに場数を踏んでいるからね。何も分からない子供、とは言えないのさ」
「外洋を渡ってきたのでしょう……どれだけ大変だったか、オイディスにひきこもっていた私には想像もできないわ」
「意外となんとかなるものさ。とはいえマリア嬢の貢献が……大きいかな」
僅かに言い淀んだ。
ヒイラギは推測を深める。
「大きい」という言葉は嘘ではないが、きっと真実でもない。
「……彼女があなたたちのリーダー?」
微かな自尊心を感じるカレル・チュルダにも可能性があったが、口ぶりに主体性がない。なによりまだ青い。
会話が成立しにくいハオとレーシャは論外だ。彼らが率いるのでは集団としてまとまると思えない。野営するマリアに付き添うと言ってこの場に居ないフェデリカ・トルナブオーニも、全体の動きからは一歩引いている印象がある。
分かっている中では、マリアが長として自然だった。
訊かれたカレルは、複雑な――苦笑がもっとも近いと思われる顔をした。
「いや、マリア嬢は……彼女は、アドバイザーとでも言った方がしっくりくるかもしれない」
「……そうなの?」
「年の頃は……そうだな。俺たちとそう変わらないと思うんだが、おそらく一番この世界に適応してる。サバイバル生活や……戦いにね。もしかすると兵役義務のある国の出身なのかもしれない。そういう面の助言も含めて、俺たちを助けてくれているんだよ」
曖昧な情報ではあるものの、マリア本人の弁とも矛盾しない。
ヒイラギは納得半分、疑問半分でカレルの言葉に頷く。
「なるほど……彼女を信頼してるのね」
「……勿論」
断言するカレルの顔色は、いささか判断が難しかった。
虚偽であるかどうか、ではない。本音であることは前提で、微かな羞恥と圧倒的な確信と、あとは――
「なるほど、ね」
「……っ」
悟ったことを悟られたらしい。顔色を大きく変えるカレルに、ヒイラギはくつくつと笑った。
こんな状況で色恋とは。なんとも若者らしい甘酸っぱさで結構なことだ――などという、率直な揶揄いの言葉を投げてしまいたい気持ちもなくはなかったものの、べつにヒイラギ自身も色恋沙汰に明るいわけではない。オイディス村における二年分の人生経験、デナンとメリンの様子がそれであるだけで、あとの見識はフィクションに留まる。他は――すぐには思い当たらない。
だって、二年も経ってしまったのだ。元の世界の、しかも数日間の出来事でしかなかった思い出は、鮮やかなまま、徐々に遠ざかり始めている。
また再会するにしても、
その少年は、あの日の高梨明人ではない。
「アリエッタ嬢?」
「……なんでもないわ。あなたの顔が愉快で、つい昔のことを思い出しただけ」
努めて思考を切り替えて、であれば一行の統率者は誰だろうかと考える。
フェデリカは同行者があと四人居ると言ったものの、夜半に現れたカレルたちは三人連れだ。
数が合わない。
おそらく、単独行動をしている。
「……カレル・チュルダ。道連れはあと一人いるのでしょう? ずいぶん到着が遅いようだけれど、様子を見に行かなくて平気なのかしら」
「あー……まあ」
モルモルの木皿を受け取りながら、カレルは艶やかな金の髪を湛えた頭をばつが悪そうに掻いた。説明に苦慮しているようにも見えるし、可笑しな気持ちを押さえているようにも見える。
少なくとも、心配はしていないらしい。
「ヤツに限って滅多なことはないな。そのうちひょっこり顔を出すかと」
「あら……腕が立つ人なのね」
「天性のものがある、とは思う。ガキだけどな」
ふふっと笑い、カレルは木の匙でモルモルを口に運ぶ。
「―――ぐッ」
途端、稲妻にでも打たれたかのような表情で凍り付いた。得も言われぬ不快感を体現しているかのような面相だった。
モルモルのもっとも厄介な点はビジュアルではない。食感や味、匂い。そのどれもが致命的に悪いわけではなく、そこはかとなく不快だという程度で「食べられなくはない」という点なのだった。
食べ物なのだ。
貴重な。
この過酷な外殻大地では、旨い不味い以前に、温かい食事というものが貴重である。旅などをしていれば殊更にそうだろうとヒイラギにも想像できる。もしかすると食べ物が無かったこともあるかもしれない。この二年の生活でそれくらいは測れるようになった。
だからまあ、潤沢とは言えない食料を割いて、温かいものを出してあげようという程度の歓迎はしているのだった。
「ふ……ははっ、これはひどい! まるで接着剤だな、アリエッタ嬢!」
「そうね」
きちんと飲み下してから爆笑するカレルも、顔をしかめながらがっつくハオも、黙々と自分のぶんのモルモルを平らげるレーシャも、分かっているから食べ物を粗末にはしない。多少の難があっても食べなければならない。食べられるだけ有り難いことなのだと理解している。それは重要なことだ。
悪くない。
この一行とはやっていけなくはない、かもしれない。
漠然とそう考え、ヒイラギは視線を上げる。
「口直しに、やたらと酸っぱい木の実ならあるけれど」
「いただこう。マリア嬢も明日からは本格的に狩りを始めるはずだ。俺も、おもてなしに甘えて栄養をつけておくよ」
「……そう」
線の細いカレルや大人しいハオたちが翼竜を狩る様など想像もつかない。当然、マリアもだ。いくらかの興味はあった。
同行して様子を見るか、別行動をするか。いずれにしても良し悪しはあり、どちらでも構わないのだが――ヒイラギが思案していると、
「ざっと見てきた限り、この地の翼竜を一掃するには隣接する大きな森を攻略する必要がありそうだ」
「……大森林に?」
「図体の大きな連中が隠れるにはうってつけだからね。たぶん奥地に居る。なかなかハードな挑戦になるかもしれない」
ヒイラギは苦笑する。
これはまた因果なことだ。ヒイラギは大森林で目覚め、大森林と共に生きるオイディス村で二年を過ごした。その大森林の奥に人喰いの怪物が巣食っているのなら、言いようのない腹立たしさがある。村のためにも除かなければならない。
たとえ自分が偽りの巫女だとしても、せめてそれくらいは、自分の手でやるべきことのように思えてならなかった。




