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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
七章 ロスペール戦役
306/321

02.オイディスの巫女②

 村に異変が訪れたのは、ヒイラギが村の長から従僕(エドム)の話を聞いた三日後のことだった。

 あの会話は皮肉じみた共時性、あるいは虫の知らせだったのかもしれない。そんな馬鹿げた考えに努めて自分の気を逸らしながらも、別世界にやって来てまで実在性を考慮する自分に腹を立てもした。今さら固定観念で物を考える方が馬鹿げている。いい加減、慣れなければ――

 

「……なんて。そんな風に考えたところで結局、現実逃避なのよね」

 

 村の芋畑の一角。ぽつりとこぼして視線を落とした先には、死体がある。

 見覚えのない男だった。少なくともオイディス村の住人ではなさそうだ、とヒイラギは曖昧に確認する。言い切れないのは、男の死体の損壊具合が五割を超えているからだ。横向けに倒れた男の死体は地面側半分が潰れた果実のような様相で、顔半分までしか判別できない。

 

「惨いものですな……如何な目に遭えばこうなるのやら」

 

 ヒイラギ同様に少なからぬ衝撃を受けた様子の村長が感想を溢す。村長と巫女であるヒイラギは、死体を発見した村人に緊急事態として現場に呼び出されたのだった。

 盛り土に浅く埋まった格好で死んでいるその男の死因を、ヒイラギは死に様から安易に想像する。

 墜死。

 高所からの落下だ。しかし当然、単なる芋畑の中に高い建造物や高木などがあろうはずもなく、そもそもオイディスに人間が墜死するほどの高さを持つ建造物など無い。あるといえば村の四隅にある木組みの櫓くらいで、元の世界の二階建て家屋程度の高さ程度でしかなく落ちた人間が判別に支障が出るほど潰れるような高さではない。

 であれば自然、飛行する生物の仕業であると見るほかなかった。人間を持ち上げて飛べるような、何か。大きな生物。

 だからやはり、あの会話は皮肉じみた共時性、あるいは虫の知らせだったのかもしれない。目に見えない、何か運命のような力があるのかもしれない。思わずそこまでを考えてしまう。

 

「まあ……くだんの翼持つ蛇(・・・・)でしょう。そう思いたくはないのでしょうけれど、私たちが目を背けても事実は変わらないわ」

 

 考えてしまったとしても、ヒイラギはいたって現実的な言葉だけを顔色の悪い村長に投げかけた。

 オイディスに身を置いて二年。テキストに書かれた未来を読む限り、いつか村に竜種の脅威が及ぶのは分かっていた。ヒイラギに分からなかったのは「時期」だけだ。既に落ち着きを取り戻している彼女と村長の差は、これを予定調和と見ているかそうでないかの差だった。

 

「……そうですな。巫女様のおかげで久しく死人を見ていませなんだ。村の者ではないにせよ、やり切れないものです」

なかったこと(・・・・・・)にもできるけれど」

「今はおやめください。この者には申し訳ないことですが、我々に都合が悪い」

 

 ヒイラギの齎す蘇生の奇跡を指して、彼はそう言った。死すら取り上げる異能を知る者は、このオイディスでは村長ひとりだ。

 

そう(・・)してしまえばオイディスの者らは危機感を覚えんでしょう。代わりに巫女様や私が危難を説いたところで、この惨さは伝わらない。奇跡はその後にしていただければと思います」

 

 老爺は沈鬱な面持ちのままで言った。ヒイラギにも特に異論はない。

 危機感を持たない生き物の末などは知れている。生態系そのものの縮図と言える大森林に傍で二年。人生の少なくない割合を病室で過ごしたヒイラギにも、自然の摂理というものが実体験として見えている。

 

「人である我々は、死を忘れてはならんのです」

「……そうね」

 

 村長の言葉は老成からの知見に過ぎなかったが、ヒイラギは表面上の肯定をするのが精一杯だった。

 元の世界からの移動後、ヒイラギは大森林を踏破する過程で何度か死を経験している。自身が不死であることは移動の際に交わした姿の曖昧な存在との会話で知っていたにせよ、実感があるのとないのとでは重みが違った。

 

 つまり。

 死なないお前は人ではないのだ。そう言われた気がした。

 言った当人は彼女の不死を知らずとも。知らないが故に、尚更。

 

 

 

 ***

 

 

 

 原種に近い芋と野草の栽培、それに森林での狩猟が主な食糧供給源であるオイディス村において、これらの途絶は食糧難に直結する。

 変死体の発見を受け、果断に富む村長が村外での狩猟と採集を禁じたのは村民の安全面から言えば当然と言えたものの、ある程度の反発が村民側から出るのも自然な流れだった。

 

 人間には蛋白質が必要だ。

 豆の類が乏しいオイディスでは、狩猟で得る獣の肉以外に蛋白源がない。主食が僅かに蛋白質を含む穀類であれば補えるはずだったが、オイディスの主食は芋だった。彼らの知恵として種実類(ナッツ)を食する文化がありはしたものの、それも森に入らなければ手に入らない。

 

 寒空の下、切り株に腰掛けてタブレットに表示した栄養分析表を眺めていたヒイラギは、頭を抱えた。

 

 絶妙に時期が悪い。

 オイディスでは食料確保が困難な冬期に備えて備蓄を行う。岩塩に漬けた肉や芋を冷暗所に保管したりなどして、冬を超える分の食料を貯めこむ。

 オイディスで二年過ごしたヒイラギは彼らの営みをよく理解していた。精霊の予言として村長に助言などをする立場にある彼女は、むしろ統治側に立っている。だから、それらの備蓄が春先には尽きていることも、よくよく分かっていた。

 狩猟ができなければ、オイディスの食料はじきに芋類だけになる。すぐに飢えることはなくとも、長期的に見て蛋白質の欠乏が村民の健康に悪影響を及ぼすのは明らかだ。

 そして、それを経験則的に理解しているからオイディスには狩猟文化が存在するのだ。人の営みとはそういうもので、風習には何かしらの意味がある。病院育ちの少女がこの二年の間に実地で得た学びだった。

 

「塩漬け肉だってもうないんだ。狩りができないと森の精霊様に供える供物だって用意できない。お怒りに触れるぞ」

「えー……? 精霊様ってそんなことで怒るのかな……?」

「供物が絶えた年は森での狩りもうまくいかなくて死人が多く出たって爺さんに聞いたことがある。きっと精霊様がお怒りだったんだってな」

 

 少し離れた位置、視界の端で交わされる木こりの青年デナンとメリンの会話を盗み聞きながら、ヒイラギは寒天を仰ぐ。

 因果関係が逆だ。供物が絶えたから死人が多く出たのではなく、森での狩りが芳しくなく供物が絶えるほどだった年に蛋白質の欠乏で死人が多く出たのだ。

 しかし、経験則を積み上げることでしか学びが起きないオイディスの環境では、この結論に到達できない。故に「供物を用意できる程度に狩猟を行う必要がある」という原理が「精霊に供物を用意する」という迷信じみた風習として残った。芋の栽培も同じで、それらが可能であるが故に彼らは生き残りオイディスという村落を成立させ、それらが不可能だった集団は自然淘汰的に失われたに違いない。

 

 ただし、オイディス村に関してはここに至り新たな要素を得ている。

 異世界からの異物。ヒイラギ自身である。

 

 彼女がオイディスの窮地を救うのは難しくない。ヒイラギが持つ死の操作という特権を最大限に行使すれば、肉の供給は無限に可能である。

 ヒイラギは切り分けた肉の一片から、骨の一部からでも全体を蘇生することができる。つまり、その気になれば五つに切り分けた肉から五頭の獣を生じさせることができるということだ。

 更にもう一度それを繰り返せば、大した苦労もなく二十五頭の獣を用意できる。これだけで二百人弱のオイディスに充分な量の食肉を持続的に供給できる計算になる。もはや狩猟の必要などない。

 

 しかし、ヒイラギはこのプランを良しとは思わなかった。

 

 ヒイラギはオイディスに永住するわけではない。仮にその方針を採ってオイディスを繁栄させたとしても、自身が去った後、狩猟をせずして肉を得ることを覚えたオイディス村がその文化を維持し続けられるかどうかが疑問だった。

 狩猟などという困難な形式で食肉を得る行為を厭わないのは、生存が懸かればこそだろう。せずとも生きられるという経験を得てしまった人間が再び奮起するだろうか。ヒイラギには分からない。

 ただ、安易な助力は堕落に繋がるのだと感じるのだ。その堕落がオイディスの住民たちの首を絞めるのだと。彼らは自力で生きていかなければならない。

 

「……将来的には畜産を成立させるとしても、いまは狩りを諦めるわけにはいかない。問題は……やっぱり従僕(エドム)とかって生き物の方か」

 

 とんとん、とタブレットの画面を指で叩きながら、ヒイラギは眉を寄せる。

 人を捕食できるような体躯を持つという飛行生物。

 いかにも不自然(・・・)だ。

 古代史を現在進行形でやっている外殻大地で、最大の違和感を覚えるもの。古代史に恐竜が登場するかのごとき乱暴な存在だった。

 もし、隕石が原因だったという大絶滅が恐竜たちの身に降りかからなければ――地球もこういう環境になっただろうか?

 

「ないわね」

 

 ちゃちな想像を打ち消し、ヒイラギは頭を振る。

 そうであったのなら哺乳類が人類まで進化することはなさそうに思える。爬虫人類のようなものが生まれそう、とまで妄想してから思考を切り上げて立ち上がった。

 

「……デナン、長の言うとおり狩りはしばらく禁止よ。射手衆も言い含めて、全員で大人しくしておきなさい」

「は……、ですが精霊様の供物が……」

「そんなもの何回か欠かしたところで精霊は怒ったりしないわ。いいからメリンと畑の手入れでもしてなさい」

 

 デナンとメリンは困惑顔を見合わせる。が、巫女が言い切ってしまえば異論を挟めようはずもない。ヒイラギが精霊の巫女であるのは建前上のことだが、村民は本当に信じている。

 言い切ってすたすたと歩き出したヒイラギに、デナンは追いすがる格好で問いを放った。

 

「み、巫女様はどちらへ?」

「蛇退治」

 

 狩猟を妨げる要因である従僕(エドム)を排除する。

 シンプルな結論だったが、これがヒイラギなりの熟慮の結果だ。

 

 軽挙であるような予感もあった。しかし、是非に及ばずでもある。まだ見たことのないそれらが生態として人を捕食する獣なのであれば、人間との共存共栄はこの先も有り得ない。オイディスの繁栄を見込むのなら、向こう数十年。もしくは永久にその脅威が及ばないよう排除するしかない。

 いずれにしても「未来」で戦うことになるというのなら、多少早まったところで大きな支障もないだろうと判断した。

 

 何より、許し難い。

 

 従僕(エドム)の背後に居るだろう偉大なる種族とやらは、未来においてヒイラギを襲った男、シーワイズを差し向けた竜種(ドラゴン)とイコールであると推測できる。

 外殻大地の現状も、あの未来も。もしそれら作為的なものなのだとしたら、元凶を許す理由は一切なかった。結果として死病の克服という恩恵を受けた自分は別としても、高梨明人やオイディス村の住民達のような善い人々の命が脅かされるのは我慢がならない。

 それだけで、力を使うのに十分な理由になる。

 

 もしかすると自分がこの世界に送られた理由など、蓋を開けてみればそれだけのことだったのかもしれない。

 蓮の杖を片手に、納得を始めたオイディスの巫女は歩みを進める。それでは卵が先なのか鶏が先なのか、わかったものでなくなると気付いてはいても。

 

 蛇退治といっても、飛行する生き物を探すアテなどヒイラギにはない。

 まずは櫓にでも登ろうか、と村境まで進んだヒイラギは、囲いの柵の向こうで見張りの村民と誰かが問答をしている場面に遭遇した。

 

 そこには、見覚えのない少女の姿があった。

 まず髪色が異彩を放っていた。オイディスの人間はブラウンの髪を持っていることが大半で、次いで赤毛が多い。黒髪はヒイラギひとりだけで、老齢の村民の白髪を除けば明るい髪色の人間は居ない。

 しかし、その少女は目が覚めるような金色の髪を持っていた。透き通るような碧眼も。これも、色素の具合がオイディスの住民とは大きく異なっている。

 そして何より、その美貌。

 元の世界で画面越しに見た上澄みの美女たちでさえ、その少女には及ばない。方向が違う。遺伝子の偶然ではありえない、あたかも絵画や彫刻であるかのような、虚構めいて見えるほどの美しい少女だった。

 厚そうな外套(マント)からして旅装の出で立ちと見えたが、ヒイラギは近くにまで歩み寄って絶句した。

 それは脳を揺するような彼女の美貌からではなく、ヒイラギを見止めたらしきその少女が手を振り、はにかみながら口にした英語(・・)による挨拶ゆえだった。

 

 

「はじめまして、オイディス村の巫女。私はマリア。あなたの味方です」

 

 

 言葉を失ったまま、ヒイラギはどこか間抜けに手を振る少女を呆然と眺め続けた。怪しいとか怪しくないとか、もうそれ以前の問題だった――

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