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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
六章 天蓋
287/321

37.祈りの剣

 異郷の聖歌が響く空を切り裂いて進む俺の前方、立ち塞がるようにして翼竜が翼を広げた。加速術によって砲弾の如き速度を得た今、敵の視認と対応行動までの猶予はほぼゼロに等しい。ほぼ無意識に、反射のみによって愛剣を振るう。

 交錯の瞬間、おおよそ斬撃によるものとは思えない爆音と衝撃波が轟いた。半身の吹き飛んだ翼竜が弾き飛ばされ、海に消えていくのを一瞬だけ見送り、俺は空を滑りながら加速術を再び足元に展開する。精霊に変わった魔素が雪の結晶に似た紋様を描き、七色に輝いた。

 

 これは最早、戦技というより魔術に近い。遠い未来の誰か(・・)が到達する、歩法という技術の終着点。見果てぬ頂。僅かな申し訳なさはあったものの、今、この瞬間のために使わせてもらう他ない。

 

 紋様を蹴り、俺は再び加速する。空を埋め尽くす勢いの翼竜達は、明らかに二派に分かれている。が、敵味方の判別は付かない。無秩序に飛び回る翼竜の群れを避け、海に向けた角度で俺は飛翔する。

 水面ギリギリでもう一度、今度は水平に紋様を蹴った。遅れて耳朶を叩く衝撃波が今の自分の出鱈目な速度を物語り、やや肝が冷える。水平飛行に移ったはいいが、もし水面に掠りでもすれば途端に安定を失い、きりもみして全身の骨が砕けるだろう。

 

 しかし、その綱渡りの甲斐はあった。

 ハニーヴァイキングの船体は間近だった。そして船体から上体を生やす、巨大な影。翼を広げた肉色の竜もはっきりと視認できた。

 空の眼孔に宿る梔子色の輝きも、また。

 

「オルダオラ――」

 

 確信があったわけではなかった。

 人化術でとっていた美しい女の姿とは似ても似つかない。速成と思しき作りかけの竜の体は醜悪で、どこか哀愁の念を覚える。

 だがそれでも、あれは強大なる竜だった。いびつな形の牙が並ぶ咢を大きく開き、口腔の奥から膨大な魔素の輝きを溢す。息吹(ブレス)。しかし、その矛先はこちらに向いてはいない。

 乱戦状態の翼竜の大群の中、明らかに異彩を放っている一団。その先頭を駆け、光を放ち続ける一頭を狙っている。この海と空とに歌を響かせ、たったひとりで悪夢を押し留め続けるあの少女を向いている。

 

 許容できない。

 飛びながら姿勢を変え、俺は剣を逆手に持ち替えて投擲の姿勢をとる。高速に流れる視野で、狙いも何もあったものではなかった。それでも、剣に充填される魔力が紫電を迸らせるのを中止しない。


 当たる。

 当てられるはずなのだと強くイメージする。遥かに遠い距離、当たるはずのない攻撃をパークで命中させた時の感覚を想起し、俺は真実に触れていく。響き渡る聖歌によって常世から外れたこの領域でなら。世界の形、世界樹を僅かに理解した今ならば、俺も垣間見ることができる。

 

 

 

 当たらない。やはり、当たらなかった。

 彼方の空に遠ざかった古びたる剣は、翼竜に掠りもしなかった。力が足りなかった。及ばなかった。絶望する俺の姿が見える。

 殆どの(ブランチ)で、ほぼすべての可能性で迎える結末が見えた。無念と後悔の果て、俺は血反吐を吐きながら戦い続け、技を磨き、己を高め、しかしやはり、最後に力及ばず枝は燃え尽きる。

 

 そしてその今際、彼は願った。もしあの時、あの一刀を外していなければ。もしあの時の自分に、今の自分のような力があったなら。

 

 無論、そんな嘆きと叫びには何の力も何の意味もない。事実、そうして彼はただ死んだ。しかし、ほんの少し。人がまだ知らない摂理によって時間と空間を超え、ひとかけらの熱と記憶とが灰になり、世界樹の外に降る。そしてそれは、無限にありうる選択の連続と結果という可能性の枝の中で、無限に降り積もっていく。

 

 これは何も特別なことではなかった。本当は誰もがそれを持っている。ただ知らないだけ。世界樹の外を認識しないだけだ。

 福音(エヴァンジェル)は、それらの可能性の欠片を拾い上げ、燃やし、いまこの時の力に変える。

 凡庸な少年、高梨明人が辿った総ての枝の記憶と熱。それが剣技(グラディオアルテ)――剣の福音(ソードエヴァンジェル)の正体だ。

 

 

 

 海水の飛沫が頬を叩き、俺の意識は刹那の思惟から立ち戻る。スライドしていく視界の先、息吹(ブレス)を放たんとする竜の頭が見えていた。

 手にした愛剣は充填された魔力で稲妻の如く空気を震わせている。これも、俺ではない、無限の中にかつて居た高梨明人が変え難い何かを変えるため、成就し難い何かを為すために、彼が最期に辿り着く剣技のひとつ。虚誕雷霆(プセウド・ケラウノス)

 

 全力で腕を振り切る俺は、もう剣の福音のすべてを理解している。体を衝き動かすものの正体が分かっている。一切の違和感なく、剣を投じた。

 だから当たる。まさしく雷のように宙を奔った剣が、寸分違わず竜の頭部。その眼孔の輝きを貫いて炸裂した。

 体表面、鋼鉄に匹敵する鱗や分厚い皮膚が完成していないのが幸いしたのだろう。十数メートルはある竜の頭部が半分、爆ぜて吹き飛んだ。

 

 頭部を半減させた肉の竜体が大きく傾き、なおも息吹(ブレス)を放つ。しかし、大きく狙いを逸らしたその極大の閃光は昏い曇天のみを裂き、莫大な威力と魔素を虚空に散らしていく。

 

 だが、死んでいない。

 転移街(ポート)アズルで蘇った竜の屍同様、明らかな致命傷を受けているにもかかわらず、オルダオラの竜体はまだ生きていた。

 油槽から飛び出している竜体の下部分。未完成の下半身は、おそらくハニーヴァイキングに蓄積された膨大な量の肉と魔力に繋がっている。それらをリソースに竜体を構築したのだろうが、それだけでは不死性の説明が付かない。柊を襲った男、シーワイズも即座に肉体を再生していた。こんなことが可能なのは――

 

 不吉な推測を言葉にはせず、ひとりでに飛翔してきた愛剣の柄を掴む。素性が骨董である愛剣は傷み、所々欠けて黒く灼けてしまっていた。

 手入れこそしてはいたものの、老兵に無理を重ねさせている自覚はあった。俺自身、若々しい存在ではない。資料室の仕事を重ねるうち、どこか共感や愛着のようなものさえ湧き始めていた。

 

 別れるのは辛い。そう思う自分に驚きながらも、俺は仮面を被り、愛剣を翻して宙を走る。咆哮する竜のもとへ。

 竜の空の眼孔が接近する俺を向いた。あと何度打てるか分からない剣身が周囲に吹き荒ぶ魔力と風で震え、細い金属音をたてる。

 勝手に言葉が口を衝いて出た。馬鹿げているとはまったく思わなかった。

 

「行くぞ! 倉庫で埃をかぶって生きるより、本懐を遂げたいだろ! 俺も、おまえも!」

 

 錯覚ではない。愛剣から金属音が消え、深く魔力が浸透する。この剣を振るい始めてからで言えば最高の状態だった。それがじきに尽きる燭火なのは明らかだったが、迷いはない。

 向かってくる翼竜を現象攻撃で爪ごと斬り散らし、俺は魔素の足場を駆け上がる。数千にまで数を増している翼竜の渦の中で、抵抗がこの程度で済んでいるのは今もなお響く歌――慈愛の福音ディボーションエヴァンジェルのおかげだ。

 

 その歌が途切れる。

 走りながら見れば、一群を嵐のように引き連れる翼竜が旋回しつつこちらを向いていた。その背で杖を携え、こちらに呼び掛ける幼い少女の姿がある。

 銀の髪に夏の装い。エイル。物質界(アッシャー)にあるはずのない、想定と異なるその姿に一瞬混乱するが、彼女が口を開いた瞬間に疑問は氷解した。

 

「アキトさん!」

「……ミラベルか!?」

「時間がありません! オルダオラは船にある全ての肉体と命を共有しています! あの竜体が飛び立つ前に、ぜんぶ……終わらせてください!」

 

 返答を待たず、ミラベルを乗せた翼竜とその群れは再び上昇していく。今もなお生まれ続ける翼竜の拡散を防ぐつもりなのだろう。

 そして、走る俺の隣に浮かび上がる人影があった。その姿はやはり幼く、薄ら透けてさえいたが、この状況で泰然自若とした表情を浮かべていることからも分かる。エイルだ。

 

「物質界に干渉できないんじゃなかったのか……!」

「指輪を渡した時に教えたでしょ。見えるようになるって」

 

 言われて思い出すが、貰った白い指輪は今も指にある。曲がりなりにも遺物(アーティファクト)ということなのだろう。或いは、最初からこういう状況を見越して渡されたものだったのかもしれない。

 エイルは俺の肩に手を置き、僅かに悲哀を滲ませた。

 

「……今から剣の福音(あなた)(ヘセド)に接続する。あくまで一時的にだけど、使える力が増えるはずよ。聖性(セフィラ)の欠片くらいなら退けられる」

 

 言わんとすることは分かっている。ハニーヴァイキングにあった肉塊は、大きく変容しているとはいえ元は人間だったものだ。もう意識も何も残ってはいないとしても、人を殺める力を貸すのが彼女の本意であるはずがない。

 

「頑張って」

 

 なのに、溶けるように消える寸前、エイルは微かな笑みを俺に向けた。

 連戦の傷や消耗が僅かに癒え、力を取り戻した足が俺を前へと運んでいく。もはや目前にまで迫った竜、オルダオラは削れた貌で咆哮する。

 

 

 ――またしても。またしても貴様なのか、剣の者――!

 

 

 大気を震わせる大音量と、物理的な衝撃さえ伴った思念波が脳と耳朶に叩き付けられる。だが、俺は足を止めなかった。ハニーヴァイキングの船体を越え、振り上げられた竜の巨大な腕と爪を加速術で跳ねて躱す。

 

 

 もう沢山だ。

 異界(クリフォト)だってそう悪い世界じゃなかった。翼竜だの竜種だの、訳の分からない恐怖に蹂躙されるべき場所じゃない。

 

 

 現象攻撃(フェノメノンアタック)を使う。

 そう決めた瞬間、異様な手応えと眩い光が愛剣に生まれた。思わず両目を細める俺は、しかし、その感触がとても――とても懐かしいものだということに気付く。宛がわれた遺物(アーティファクト)である白い剣を手放してから、永遠にも似た時間失われていた、剣の福音の全盛期の力なのだと。

 異なるのは、用いているのが白い指輪。(ヘセド)という別種の源泉から齎されている力ということだけだ。

 

 大気が震える。

 放射する光を目の当たりにした肉の竜が、恐れによって叫んでいる。

 

 タンカー全体を揺るがすような絶叫の中、俺は愛剣を弓のように引き絞る。あまりにも長大な効果範囲を持つこの力は、振るってしまうと周囲を巻き込んでしまうからだ。

 繰り出さんとする刹那に、万感の思いが去来した。

 この力だけは、二度と手にすることがないと思っていた。自らの手で葬った仲間の竜の顔や、永い後悔の歳月が脳裏を過ぎった。過ぎって去ったそれらの先に、俺は、今にも崩れそうな愛剣を真っ直ぐ突き出して光を撃ち出す。

 

 

 それは遥かな昔にマリアが名付け、かつて竜種の尽くを殺した巨光の剣。すべてを両断する、剣の福音の真なる現象攻撃(フェノメノンアタック)

 祈りの剣(ソードオブプレイヤー)

 

 

 燦爛たる輝きが一条、オルダオラの竜体を、その中心点を貫く。苦悶の叫びが聞こえる。祈りの剣はすでにその威容を貫通し、その後方にあったタンカーの船橋すらも駆け抜け、海面にまで達していた。

 竜体と繋がっているタンカー全体、油槽の中から幾千幾万の死が放散された。ほどけた人の霊体(アストラル)。薄い色彩の魔素(マナ)が奔流となって噴き出してくる。

 噴き上がる光彩の彼方、オルダオラが最後の抵抗を見せた。削れた咢を開き、残された魔素を使って息吹(ブレス)を吐こうとしていた。

 

 

 ああ。

 別れを悟り、俺は口を開いた。

 

 

「……ありがとな」

 

 

 愛剣を、名も無き古剣を持つ手を僅かに持ち上げる。

 手元ではほんのささやかな角度に過ぎなかった。しかしその延長線上、長大な光である祈りの剣は大きく角度を変える。中心点から頭頂まで、光によって竜体は音もなく両断された。息吹も終ぞ放たれることなく四散し、巨大な竜体が一斉に燃え上がった。

 

 

 そして、その最後の僅かな操作で、名も無き古剣は折れた。

 祈りの剣の反動に耐えきれず、半ばから折れた。

 剣身は最後に澄んだ音を奏で、瞬きながら、魔素の奔流の中へ消えていく。

 

 

 そして、俺はタンカーに落下して転がった。剣を失った状態では歩法が使えない。いよいよ疲労も頂点に達していた。脱力したのもある。

 無量無数に舞い上がっていく魔素の光と、対照的に落ちていく翼竜達を眺めやり、崩壊し沈みゆくハニーヴァイキングの上で五体を投げ出す。

 それから傾きつつある視界に危機感を覚えつつ、遠くから接近しつつあるヘリコプターのローター音に安堵の息を吐き、俺は目を閉じた。

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[一言] やっぱ剣の必殺技はでかい光剣ですよね!
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