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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
六章 天蓋
282/321

32.天蓋⑥※

 ああ。

 あの人はなにを一生懸命になっているのだろう、という疑問が何よりもまず最初に浮かんで来たことを、白瀬柊は不思議に思った。

 仮面の人物は、得体の知れない――明らかにこの世のものではなかった男、シーワイズを消してしまった。跡形もなくなってしまったのだから、他に形容しようがない。殺した。戦って殺した。そうやって妥当な形にして事実を飲み込もうとしても、柊の知る世界にこんな事象は存在しない。受け付けられるものではない。

 それが自分を巡って起きているということだけは流れから察せてはいても、まるで柊が居ない方が世の中のためだと言わんばかりだったシーワイズに、仮面の人物がなぜ抗ったのかもよく分からない。

 

 彼が高梨明人だということは分かる。

 考えるまでもなく、分かる。柊は他の誰にも連絡していないし、だいいち彼は灰色のコートを着たままだった。

 仮面などをしていても意味がない。背格好も声も彼そのもので、そんな彼がまるで魔法のように速く駆けて剣を操ってみせたり、屋上を半分瓦礫にしてしまうくらいの人間離れした大立ち回りをしてみせたのも、なぜだかしっくり来てしまう。

 そうやって傷付き、ずっと人知れず戦ってきた人なのかもしれないと、どこか納得してしまうものがある。けっして長い付き合いでもないのに分かってしまう。

 

 だから怖くはなかった。

 柊は膝を折って肩を上下させている彼に問うた。

 

「これから……どうなるの?」

 

 自分や彼を指しての問いではない。

 柊はシーワイズの語ったことが半分も理解できなかったが、このままではきっと良くないことになる。でなければ灰色のコートのあちこちが赤く染まってはいなかっただろうし、シーワイズが黒い光の中に消えることもなかったはずだった。

 

 返答は遠かった。

 距離的にも、時間的にも。

 

「なんとかするさ」

「嘘ね」

 

 こちらを向かない明人の答えを、間を置かずに切り捨てる。

 声の調子で虚勢だと分かったからだ。

 

「宇宙人がどうとか……さっきの話を信じるわけじゃないけど、あなたの言うことは信じられる気がする」

「……」

「だから教えて頂戴。私はどうすればいいの」

 

 また間があった。

 明人は上腕の傷を押さえて何か、光のようなものを溢していた。処置のようなものなのだと考えて終わるまで待とうとした柊だったが、彼は早々に言った。

 

「もうすぐ……たぶんだが、別の世界へのお迎えが来る」

「……私が死ぬってこと?」

「そうじゃない。文字通りに、他の世界に飛ばされるんだ。たしか柊が飛ばされるのは西大陸の東部、温暖な気候の平野だ。近くに集落がある」

 

 柊は眉を寄せる。

 

「どういうこと?」

「信じられないかもしれないがあるんだ、別の世界が。地球でもない、別の星でもない……とにかく、此処じゃない何処かだ。俺たちは千年過ごすことになる」

 

 他の世界。千年。

 まったく実感の沸かない言葉に、柊は眉間を押さえる。

 処理が追い付かなかった。

 

「え……と。そんなに生きられる自信はないのだけれど……」

「大丈夫だ。大丈夫になるから」

 

 詳しく語るつもりがないのか、明人はそこで言葉を切った。処置が終わったのか、立ち上がって柊を振り返る。

 白い仮面。意匠もなにもない、皿と変わらないような造りの面に穴がふたつ開いているだけの奇妙な仮面がこちらを向いた。

 

「お前は集落で人を治療して生計を立てるんだ。怪我とか病気とかな。集落では大事にされてたと思う。まあ、文明水準を考えれば当たり前か……」

「……まるで見てきたような口ぶりだけど」

「見てきたんだよ」

 

 仮面の向こうから苦笑の気配が漏れ、柊は顔をしかめる。ジェスチャーだけで脱ぐように促すと、明人はこだわることなく仮面を取った。

 年相応の少年の顔が露わになる。しかし、刻まれている表情はずっと大人びて見えた。

 

「……じゃあ、あなたは未来から来たってこと?」

「少し違う。過去とか未来とか、あまり意味のある表現じゃないが……俺からすると遠い過去、柊からすると未来の話になる」

「あ……」

 

 ああ、そっか。

 そうなのか。

 

 納得して、柊は口の中だけで言葉を転がす。もうひとりの白瀬柊が誰なのか(・・・・)が分かってしまった。明人と友達だったという彼女がいったいどういう人間だったのかはさて置き、納得できてしまった。

 想像することさえできてしまった。長く付き合えば、性格が合うとは言えない明人と喧嘩をする自分すらリアルに想像できた。彼との共通項など、人類であるということくらいだ。

 

「だから……助けに来てくれたの?」

 

 気付けば、そんな言葉が口から零れていた。

 明人は未来の友人の危機を防ぐためにやって来たのだ。

 そう考えれば辻褄は合うかもしれない。色々な違和感にさえ目を瞑ってしまえば、それが一番収まりがいいように思える。嘘でも「そうだ」と言ってくれれば、柊は追及しないつもりだった。

 

「……違う。違うんだよ、柊」

 

 しかし、やはり彼は首を振った。

 そういう人なのだと分かっていたような気さえした。

 

「俺は……この先、お前が辛い目に遭うのを知ってる。だから俺は……単純に、何かできないかと思ったんだ。このまま黙って別の世界に行かせるべきなのかそうじゃないのか、ひとりで考えても答えを出せなかった」

「……」

 

 辛い目、を具体的に聞かなければ柊にも何とも言えない。

 柊はそう考えながらも口には出さなかった。彼が言わないということは、口にするのも憚られることなのだ。

 断片的な情報。文明水準の低い別世界というものを少し想像してみて、いくらでも辛苦を想定することはできた。死ぬよりも恐ろしいことが起きるのも珍しくないかもしれない。尊厳を踏みにじられるようなこともあるかもしれない。

 

「行かないという選択肢はある?」

「……分からない。だが、防ぐことはできる。俺なら、おそらく」

「なら防いで頂戴」

 

 行きたいか、と問われれば間違いなくノーだった。しかし、それだけの話であれば明人が悩むはずもない。

 薄々分かっていたことを、彼は明確な言葉にした。

 

「行けば……お前の病気はおそらく治る。千年だって生きられる。だが……」

「……行かないと治らない、と」

「そうだ」

 

 明人は頷いた。

 大きく息を吐き、柊は目を閉じる。

 

 ああ。

 それは、悩むだろう。悩まないはずがない。まず、そんな風に思った。

 柊自身は特に思うことはなかった。

 

 未来などというものは最初からなかったのだ。

 突然降って湧いた幻想に手を差し伸べられても、自分にこの先があるという話をすぐに受け入れられるわけもないし、嬉しいというよりむしろ苦しい(・・・)

 シーワイズの話も忘れてはいない。このまま自分が生きていると、きっと良くないことになるのだ。明人はそれを分かっていて話していない。そんな彼の気遣いも、どうしようもなく辛い。

 いっそ、今すぐに屋上から飛び降りて死んでしまった方がいいのかもしれないとさえ思った。そうしてしまおうか――

 

「酷い話ね」

「……ああ」

「救いがない」

「そんなことは……」

 

 言い淀む明人に苦笑し、柊は踵を返した。瓦礫になったフェンスの向こうに暗い空が見える。それは、柊の目にはひどく現実味のない光景に映った。

 箱の中で始まり箱の中で閉じるはずの自分の世界が、もうすぐ箱の外さえ巻き込んで終わろうとしているかのように思えた。

 

 さっさと済ませてしまおう。

 一歩踏み出そうとした瞬間、信じられない早さで明人に手を掴まれた。

 心を読んだわけでもあるまいし、と目を丸くしていると、語る明人本人が戸惑った顔をしていた。

 

「あ、いや……分かるんだ、そういうのは。お前相手なら」

「な……なんで?」

「覚えてない。ずいぶん昔のことだからなのか、俺が忘れっぽいのか……でも、分かるんだ。だからやめてくれ。それだけは」

 

 熱のある言葉だった。

 掴む手も熱く、冷えていた手に熱が伝わってくる。

 その熱は、曖昧な疑問に繋がった。もうひとりの白瀬柊と彼は本当に友達だったのだろうか。本当にそれだけだったのだろうか。

 

 分からない。聞くのが恐ろしい。それは、この先にあるという辛苦などとは比較にならないほど強い恐怖だった。

 その恐怖を踏み越えることは、まだできない。

 

 

 ただ、はっきりとしていることはひとつだけ。

 こんなにも誰かに生きることを求められた経験は、いままで無かった。

 一度も。

 

 挿絵(By みてみん)

 

「……なら、私を助けてくれる?」

 

 少しも期待などしていない。しかし心とは裏腹に、とうに餓死していたはずの表情筋が少し動いた気がした。

 明人は一瞬、呆気にとられたような顔をした。しかしすぐに、しっかりと頷く。その必死な顔が可笑しくて、柊はやはり少しだけ頬を緩ませる。

 

 

 だからもう、隣人からのノックの音は聞こえなかった。

 きっと、二度とは。

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