28.偽り②
俺は動揺していた。
継承戦は往還門とまるで関係のない出来事だと認識していた。
しかし、目の前に居る第十六皇女は関係のない筈の二つの点を結んでいる。
皇女ミラベルはステンドグラスの彩光を浴びながら、くすくすと笑った。
「司教といっても、私は生来、どちらかと言えば政治向きの人間のようで。ですから、本当はもう、信仰心なんて持ってはいないのです。伝承が真実そのままを記録しているだなんて、執政を志す者が、そんな馬鹿げたことを信じられるわけがないですものね」
笑みの張り付いた顔はやはり美しかったが、俺は彼女の笑わない瞳を見据えて言う。
「伝承については同意だが……ミラベル、君は俺が敵対する立場の人間だと分かっていてここへ連れて来たのか」
「ええ。ですが、あなた様と出会ったのは偶然です。九天の騎士を繰り出したのは確かに私ですが、マリアージュを守っているのが何処の誰かまでは報告を受けていませんでしたからね。ただ、門番とだけしか聞いておりません。それではどんな人物かまでは分からないでしょう」
ミラベルは妖艶さすら漂う笑みを浮かべ、俺を値踏みするように見た。
身を乗り出すようなその仕草も、どこか計算高さを窺わせるものだ。
「でも、伝承の通りの黒髪の少年が、伝承通りの形状の門の近くで門番をしているのであれば、もう偶然ではありえませんよね。九天の騎士たちには悪いことをしてしまいました。神に等しき権能を持つ守り手が相手では、さすがに分が悪過ぎるというものです」
ミラベルが胸のアミュレットを触りながら発した言葉を、俺は冷めた心境で聞いた。信仰心などないと言った舌の根も乾かぬうちにこれだ。この面の皮の厚さは、確かに政治には向いてるかもしれない。
すっ、と白く細い手を差し伸べて、ミラベルは言う。
「これは運命です。タカナシ様」
「運命?」
「そうです。ぜひ、私の騎士になっていただけませんか」
芝居がかった仕草も相まって、まるで絵画のような光景だ。
だが、演出はともかくとしても、交渉自体はまるでお話にならないお粗末なものだ。
駆け出しの商人ですらもうちょっとマシな売込みをするんじゃないだろうか。
「ありえないな。俺には君に組する理由がない」
「ありますとも」
手を差し伸べたまま、小首を傾げてミラベルは言う。
「タカナシ様、歴代皇帝はなぜ統一戦争を続けているのだと思いますか」
問った皇女の顔に笑みはない。
初代皇帝が戦争を起こした理由を俺は知らない。あまり興味がなかった、というのが正直なところだ。気が付けば彼は戦争を起こし、いつのまにか死んでいた。
理由なんて権力欲だとか、どうせそのあたりだろうと思っている。それが皇国の国是となって以降、伝統のような惰性がずっと続いているものだと勝手に思っていた。
しかし、ミラベルは無感動に言った。
「還る為ですよ」
「……なんだって?」
「元の世界に帰りたいんですよ、あの化け物は。あの哀れな始祖帝の成れの果ては。この世界を平和にすれば門が再び開くと本気で信じています」
言わんとするところをおぼろげに察した俺は、戦慄した。
渇いた口を開く。
「奴は死んだはずだ」
「死にましたよ。遥か昔、現界にも異界にも絶望して、全てを呪って死んでいきました。だから今も、この国の王として存在しているのです。この世界に平和を齎し、元の世界に帰るまで。永遠に戦争を続けるために」
翡翠の瞳の少女はさも当たり前かのように言った。
俺は言葉もない。意味が咀嚼できない。
人は、死んだら終わりだ。何処へも行かない。ただ消えるだけだ。その筈だ。
「輪廻転生ですよ、タカナシ様。彼は自らの血族に生まれ変わることができるのです。記憶と力とを保持したまま、再び世に生まれ出でるのです」
俺には理解の及ばない話だ。
だが、ないとは言い切れない。話を鵜呑みには出来ないが、現に往還者が不老であるように、その死後も何らかの形で縛られる可能性はあるのかもしれない。
検証するためには俺も死んでみる必要があるが、それは当分先の話だと思いたい。
「つまり歴代の皇帝は……初代の生まれ変わりだと?」
「ええ。皇帝が空位となる期間があるのはそのためです」
「……死んで、また生まれるまでの期間だけはどうしても縮まらないからか。もし本当に奴が健在なら、それ以降の期間は奴の権能でどうとでもなる」
「ええ。その通りです。やはりあなた様は本物ですね」
俺は初代皇帝になった往還者が持っていた権能を思い出す。
時の福音――時の渦。時間を操る力だ。
恐らく、皇帝は生まれた直後に自分の時間を加速させ、即位に耐え得る年齢にまで一気に成長しているのだろう。
「継承戦とは、額面通りに継承権を争うのではありません。彼は生まれ変わる先を選べませんから、次の身体を生ませる親以外は邪魔なんですよ。政敵にもなり得ますからね。だから一人に絞る。それが継承戦の真の姿です」
人間の考える事とは到底思えない。
込み上げる吐き気を抑えながら、俺は言う。
「……やめさせろ。門は閉じてなんかいない。帰りたいならいくらでも使わせてやる」
恐らく皇帝は、往還門の位置を知らない。既に閉じたのだと誤解している。
そもそも、往還門を開くことなんて人間にはできない。かつて俺たちが竜種を滅ぼしたタイミングで往還門が開いたのは間違いないが、世界平和だとか、そういう人間の都合は、あの門には全く関係ない。あれはそんな単純な存在ではない。
「それは駄目です」
ミラベルは即座に俺の言葉を否定し、差し伸べていた手を下げる。
「まさか彼が郷愁の念に駆られたのだとでも思っているのですか」
「どういうことだ?」
「……彼は現界と異界を争わせて両方を滅ぼすつもりなのです。かつて自分の命を奪った者達への復讐として。異界への帰還は、その手段に過ぎません」
祈るように手を組み、祈るべき神を持たない少女が言った。
「……なんてことを考えやがる」
往還門を通して両世界が戦争をする。そんな事態は考えたこともなかった。
技術バランスの崩壊などよりも、よほど致命的だ。
俺の足りない頭では、起きる混乱の規模すら予想できない。
「私はそれを阻止するため、継承戦を利用することにしました。皇族を根絶やしにし、最後に私が死ねば、老いた彼にはもう、次の身体を用意することはできないでしょう」
「だから……マリーを殺すのか、君は」
「……はい。殺します」
その瞳に微かに揺れる光を見て、俺は確信した。
この皇女は情動が薄いのではなく、ただ、隠すのが巧いだけだ。
「皇帝を打倒し、両世界を守るために……門の守り手であるあなた様にも、ご協力いただきたいのです。いかがでしょう」
ミラベルが嘘を言っているようには見えない。
とはいえ、彼女の話をそのまま信じるのも危険過ぎる。裏付けは必要だろう。
ただ、裏が取れたとしても、きっと俺の答えは変わらない。
脳裏にちらつくのは、いつも背伸びをしている皇女様の笑顔だ。
彼女やミラベルを犠牲にして世界を救ったところで、きっと、俺はまた後悔をする。
それだけは確信できる。
何せ、俺は千年近く後悔ばかりをしてきたのだ。もう足りている。十分に。
だから、俺は言った。
「断る。そんなものは俺の仕事じゃない。悪いが、君を保護させてもらうぞ」
まさか断られるとは思っていなかったのだろう。
ミラベルは驚愕に目を見開いた。
「なぜです……タカナシ様は門の守り手ではないのですか!?」
「そりゃ勿論、皇帝だろうが何だろうが、人様に迷惑をかける奴に往還門を使わせやしないさ。同時に、俺はセントレアの門番だ。職務規定上、街の住人であるマリアージュ・マリア・スルーブレイスの身を守る義務が俺にはある」
狼狽する皇女に歩み寄り、俺は手を差し出す。
「君もだ、ミラベル」
「……は?」
「この教会の鍵を持ってるって事は、君はこの教会……セントレアの教会に赴任した司祭ってことだ。つまり街の住人だ。だから君を保護する」
「……あ、ええと……これは単に人気のない場所を確保したかっただけで……」
「でも町長はそのつもりで鍵を渡したんだろう? なんだ、それとも騙したのか? だったら詐欺で拘束する。いずれにせよ、俺は君を捕まえる」
ぽかん、とした表情で俺を見るミラベル。
その顔にはもう、無機質な仮面は貼り付いていない。
俺には彼女がずっと演技をしていたように見えていた。それは、歳若い少女が世間と渡り合っていく為に身に付けた処世術だったのかも知れない。
しばらく呆けていた皇女だったが、不意に長い銀の髪をかき上げて破顔した。
それから、ぽつりと呟く。
「……まったく……バカヤロー、です」
刹那。
俺は腰の長剣を抜剣し、風切り音を上げて背後から迫った刃を弾き返した。
弾かれた銀の長剣が床の赤絨毯に転がる。
即座に振り返った俺は、相手の姿がどこにも見当たらない事に僅かに動揺した。
先の攻撃の太刀筋は、投擲などではない。確かに斬撃だったはずだ。
にも拘わらず、襲撃者の姿は教会の中にはない。
「……本隊まで離脱します。アルビレオ、彼の足を止めなさい」
埃が舞う古教会の中、ミラベルの冷たい声が響く。
再び彼女に向き直った俺は、声と裏腹に、表情を歪めて離れていく少女の姿を見た。
「ミラベル!」
呼び掛けに応えず、ミラベルは祭服を翻して去っていく。
追おうとする俺の耳に、再び視界外から飛来する刃の風切り音が届いた。
「邪魔だッ!」
長剣を一閃させ、二度、三度と迫り来る剣を弾き飛ばす。
やはり繰り出している相手の姿はない。これでは剣が独りでに飛来しているとしか思えない。正直に付き合えば付き合うほど、分が悪くなる。
俺はカラクリの見えない攻撃を防ぎつつ、並んだ長椅子を蹴って教会の出口に向かって跳躍した。体当たりのような形で教会の扉をぶち破り、外の地面に転がり出る。
起き上がって見回した限り、閑散としたセントレア東部の街並みの中に、ミラベルの姿は何処にもない。正体不明の攻撃も止んだ。それは、ミラベルがもう足止めの必要がない場所まで移動してしまったという事実を示している。
「くそっ!」
吐き捨て、俺は石畳を蹴って走り出す。
ミラベルは「本隊」と言っていた。わざわざそんな言い方をするということは、彼女が大人数を引き連れて来ているという事に他ならない。
そして、その本隊はもうセントレアの近くに来ている可能性が高い。
俺は、南門を目指して全力疾走する。今はただ、不吉な予感だけがあった。




