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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
六章 天蓋
275/321

25.人間③

 人化術を経た竜種の見目が良いのは明人から聞いていたとおりで、十メートルほどの距離にまで寄ってきた女の造形はどことなく作り物のようにさえ思えるほど整っていた。見ようによってはコーカソイド系人種にも見え、どこかアジア系にも見える。そんな曖昧さもあってか、不気味な美だった。

 

 竜種、オルダオラは姫路を無感動に見ていた。きっと興味が薄いのだ。その様子は、それはそれで知性を感じさせるものである。姫路は右手の銃を持ち上げようとしてみたものの、手が痛むしそもそも銃など扱ったことがない。十メートルでも命中させる自信はない。当てられもしないものを向けたところで、という気持ちが勝った。

 

 結局、姫路は視線だけでオルダオラと相対した。

 

「何者かと思えば、船で見た小虫か」

「そう? 私の記憶が確かなら、あなたと同じ顔をした人は死んだよ」

「はは、人。人か。まったく、おぞましいことよ。躯体ひとつでここまで小虫に舐められるとは」

 

 オルダオラは笑うが、姫路は目を細めるのみだ。

 種をひけらかしてくれるなら楽だったが、悪い冗談のような出で立ちや悪夢のような傲慢さでありながらも、口を滑らせる気はないらしい。

 

「正直、ここで会って驚いたよ。あなたは船の方に向かうと思ったから。当てが外れて本当にびっくり」

「……ほう、おまえは軍師の類か。戦士でも術師でもない小虫が何を飛び回っているかと思えば」

「あなたはその小虫相手にわざわざお出迎えくださっているのだけど」

「すべては剣の者に備えてのこと。徒労だったようだが……いや、剣の者がここに居ないことを素直に称賛すべきか」

 

 やっぱりそうだ。姫路は確信を抱く。

 本命はあくまでハニーヴァイキングであって、天秤(LIBRA)や瑠衣への襲撃は囮なのだ。解せない点は、オルダオラ本人がここに居ることだけだった。

 可能性は多くない。不合理を消去して、残ったものが真実というものだ。姫路はいくつかの可能性を総括した一言を放った。

 

「そう。一体じゃないんだね、あなたたちは」

 

 オルダオラの眉が動く。

 

「あなたが一番の戦力なら、ここに居るのはどう考えたっておかしいもの」

「頭の巡りは悪くないようだ」

 

 ひとでなしに褒められたところで嬉しくもない。難しい話でもない。オルダオラの称賛を内心で一蹴し、姫路はようやく銃を持ち上げる。

 オルダオラが自身の目的を喋るとは思えず、ほかに有益な情報が得られるとも思えなかったからだ。

 

 竜種は人間のささやかな抵抗を嗤った。

 

「無駄だ、定命の者(モータル)

「そうでもないよ」

 

 腕力だけで船の甲板を引き剥がすような怪物を相手にして、姫路が敵うはずがない。怪物でなくとも人間の男にだって勝てやしない。その意味で姫路は幸運だった。もし手駒にされているという諜報員たちをこの場に充てられていたら、万に一つも切り抜けられなかったに違いない。

 

 

 しかし、ここに居るのは怪物だ。

 人間を小虫と侮り、油断をして言葉遊びなどをするただの怪物。

 

 

 姫路は覚束ない手つきで、しかし迷いなく作品番号一番(オーパス・ワン)の引き金を引いた。オルダオラは身じろぎひとつしなかったが、それでも姫路は人間大の的に射撃をして命中させられるとは思っていない。

 姫路が狙ったのはオルダオラではなかった。坑道の真ん中を走っている天秤(LIBRA)のパイプ。

 異形の電子銃が機構を展開するや否や、パイプの表面に光が生まれた。高出力のレーザーパルスを受けてプラズマ化しているのだ。いやに耳障りな電子音が響き、青白いスパークが弾けてオルダオラを閃光が包み隠した。

 

 直後、溶解したパイプの穴から白いガスが噴き出した。

 

 高精度のレーザー干渉器である天秤(LIBRA)はその原理上、熱温度による誤差を抑えるべく常に絶対零度近くまで本体の冷却を行っている。

 噴き出したのはその冷却に用いられているガスだ。ガスといっても毒性の低い気体だったが、そもそもそんな極低温に対応できる生物など存在しない。

 

 魔素(マナ)。魔力障壁というもので冷気を遮断できるとしても、どこまで?なにしろ絶対零度近い、極低温の気体が充満しているのだ。仮に体表面の冷気を遮断できたとしても、ひと呼吸でもすれば肺から凍て付く。

 

 そうなっても維持できるのだろうか、魔力障壁というものは。

 答えはすぐに出る。

 

「……ず……がっ!」

 

 冷却ガス。白い靄の中で何事かを喚くオルダオラが両手を振るうのを、その左腕が凍ててへし折れる様さえも、姫路は冷淡な顔で見ている。

 ハニーヴァイキングで見た人々のなれの果て。船上であっただろう虐殺。その報いと考えればまだ足りない。

 竜種は恐ろしい怪物で、本当は見ただけでも腰を抜かしてしまいそうだった。今でさえ、銃を握る姫路の手は僅かに震えている。でも。

 

 この生き物はここで殺す。

 

「許さんぞ……! 小虫、戦士でも術師でもない小虫がッ! 我を……」

 

 靄を裂いて踏み出し、まるで獣のように吠えるオルダオラの怨嗟には取り合わず、姫路は無言でもう一度パイプを撃った。

 再び火花が咲き、人の形をした怪物はまたも冷却ガスに呑まれた。作品番号一番(オーパス・ワン)は申し分ない威力を発揮してくれたものの、設計上の最大出力射撃は二発までだ。姫路は電池切れになった銃を下げ、痛む足をひきずりながら坑道を引き返す。

 

 他に武器は持っていない。

 仮に姫路がなにか別の武器を持っていたとしても、そもそもうまく扱えるはずもない。魔力障壁を備えるオルダオラには通用もしない。

 だから用意しなかった。

 

 姫路の武器は頭の中にある。

 情報と想像。理論と推理。

 かつて千暁と分担していた役割(ロール)のすべてが姫路の中にある。

 

 来た道を逃げる途中、姫路は坑道の壁に備え付けられたレバーを押し下げた。オレンジの回転灯に火が点り、けたたましい警報が鳴り始めるのを後目に、あくまで足は止めない。

 その位置にそのレバーがあるのは事前の図面確認で把握していた。姫路は頭の中で組み立てた計画通り、布石を打っていく。

 

 予想外だったのは、振り返って見たオルダオラの様子だけだ。

 靄から現れた竜種の女は、半身が凍て付いて崩れながらも悪鬼のような形相で追いかけてくる。その速度は足を引き摺る姫路より僅かに速い。

 冷却ガスは想像以上の効果をもたらしたというのに。人体と大差ない構造で、あんな重傷で、まだ生きて動いている。追ってこれるものなのか。

 

 捕まれば殺される。

 あの怪物は、片腕だけでも姫路を難なく引き裂くだろう。

 

 恐怖に足が竦みそうになる。

 それでも、もつれかけた足を強引に運ぶ。己を叱咤する。

 

「許さないのは私の方だ!」

 

 またひとつレバーを下げ、姫路は唸るように吐き捨てた。

 なにが定命の者(モータル)だ。苛烈なまでの傲慢さで好き勝手に命を冒涜する怪物が、正しい命をいったいどの位置から蔑むというのか。

 人ひとりを育むのに、どれだけ多くの人が心を砕いているのか分かっているのか。ひとりひとりに人生があった。あったはずなのに。

 

 親友は、千暁は事件を通じて数十人を助けた。そのことに安堵し、救われていたのはもしかすると千暁自身だったのかもしれない。きっと彼女には彼女にしか分からない苦悩と救いとがあった。結末があんなものだったとしても、希望だってあったのだ。

 

 なのにこの生き物たちは、翼竜は、その何百倍もの命をわけのわからない理屈で簡単に奪い去る。信じられない。理解できない。まさしく恐怖(ホラー)だ。そんなことができてしまう生き物など、絶対に許さない。

 

「……!」

 

 ぞわ、と。

 姫路は全身が総毛立つのを感じた。

 追いすがってくるオルダオラが、凄まじい形相で右手をかざしている。その途端、不可視のなにか、気配のようなものが膨れあがって姫路に殺到した。

 

 魔法だ。

 辛うじてそう認識するのがやっとだった。そして自分がこのまま死ぬとも理解した。伝え聞く破壊魔法というものは、およそ人の身で受けて無事で済む威力ではない。避けようもない。

 ああ、やっぱり駄目だった。剣と魔法の世界から来た恐ろしい怪物に、ただの人間が敵うはずもなかったのだ。

 無念も未練もあった。できればこんなところで、ひとりぼっちで死にたくなどはなかった。

 

 しかし、仕掛けはほぼ完成している。オルダオラは深手だ。もしあの生き物が怒りに任せて事切れた姫路を蹂躙するとすれば、さらにいい。それであの生き物をあと少しだけこのフロアに留まらせることができるなら。

 

 

「高梨くん」

 

 

 謝罪か、それとも他の言葉だったのか。

 自分でも分からないまま、姫路は彼の名を呼ぶ。

 

 姫路の小柄な体が凄まじい衝撃で浮いた。後ろ向きに弾き飛ばされながらも、姫路は坑道を埋め尽くす銀の光を見た。

 オルダオラの魔法ではない。円形の鏡が姫路とオルダオラの間を遮るように現れ、竜種の破壊魔法と激突したように見えた。姫路はその魔法を知っている。

 

 鏡楯(アイギス)

 ミラベルの魔法。

 もんどりうって転がりながらも、姫路は理解した。ミラベルがハンカチに仕込んだ遠見の魔術は生きていたのだ。

 

 竜種の魔法と銀光は一瞬だけ拮抗した。直後、鏡楯はガラスのように砕けて散る。なにか恐ろしい威力を秘めていたはずの竜種の魔法を、完全に相殺して。

 

 でも、これはきっと一度きりだ。

 姫路は直感的にそう思った。地盤は魔素を通しにくいとミラベルは言っていた。なら、いまの魔法だって無理をしたはずなのだ。離れたどこかに居るだろうミラベルにはこれ以上頼れない。

 今しかない。姫路はよろめきながら走り出す。痛む足で、前へ。

 

「おのれッ! おのれ小虫ども!」

 

 振り返って見るオルダオラは、半分崩れていた。

 綺麗に正中線から左半分、ぐずぐずに爛れて崩壊しつつある。

 

「小虫じゃない!」

 

 姫路は逃げながら叫び、駄目押しのように三つ目のレバーを押し下げた。

 警報のベルが拍数を増す。防護区画内の消火装置を起動する旨の日本語アナウンスが坑道内に響き渡った。

 

 不活性ガス消火装置。

 消火剤や水などを散布するような通常の消火設備が使えない、大量の電子機器を扱う場所でよく用いられている特殊な消火装置だ。

 

 すでに三基のアルゴンガス(・・・・・・)散布機構が起動している。アルゴンガスは空気よりも比重が重い気体だ。天秤(LIBRA)を収めた地下七階、最下部に位置するこのフロア全体に窒素ガスとアルゴンガスが充満し始めている。

 冷却ガス同様、アルゴンガスにも顕著な毒性はない。だが、高濃度のアルゴンガスには――窒息作用がある。

 

「小虫なんかじゃなかったんだよ! 誰も!」

 

 強い息苦しさを覚えながら、必死に坑道を進みながら、姫路は叫んだ。怒りからではない。あまりにも隔絶した価値観を持つ怪物が、もしかすると哀れだったのかもしれない。

 だから万に一つ、億に一つでも言葉が届けばいいと願った。もしも僅かにでも悔やんでくれるのなら、今からだって遅くはないかもしれなかった。

 しかし、姫路の声は坑道を反響するだけだった。オルダオラは憤怒を露わに、再び右手をかざす。言葉は届かない。届いていない。

 

 だからもう、遅いのだ。

 

 姫路は辿り着いた非常口、側面の壁にある金属ドアを開けた。その向こうは三メートル程度の避難坑になっていて、コンクリートの壁面には上のフロアに繋がるはしごが埋め込まれている。

 ここに辿り着ける可能性は高くなかった。ほとんど運だ。ミラベルの助けがあったからだ。それでも、辿り着くことができた。

 避難坑に身を滑り込ませて金属ドアを閉める直前、姫路はオルダオラの最期の言葉を聞いた。

 

 

「おまえの顔は覚えたぞ、定命の者(モータル)! 殺す! たとえこの世の何処に逃げ延びようとも殺す! この屈辱、決して忘れん!」

「無理だよ、あなたには」

 

 

 呟いて、重厚なドアを閉めてロックする。

 立ち止まることなく、はしごを登る。

 

 じき、坑道内は生物が生存可能な酸素濃度ではなくなる。

 姫路の計算ではあと数十秒。

 もしオルダオラが万全の状態であったなら、もしかすると生き延びることも難しくなかったかもしれない。魔法や怪力でいくらでも活路を開けたかもしれない。

 

 だが気付いていない。

 坑道内に己を殺すガスが充満し始めていることに。

 

 アナウンスが鳴り響いていても、気付けない。オルダオラは日本語を解さない。彼女の世界、現界(セフィロト)にはない言語だからだ。姫路がなにか仕組んでいることに気付いてはいても、その意図までは分からない。

 

 気付いたときにはもう遅い。

 致命的な酸素濃度に達した瞬間、意識喪失してそのまま死亡する。

 確認の必要はない。あの生き物は、もう詰んでいる。

 

 

 

 

 自分に、ここまで残酷なことができるとは思っていなかった。

 

 死地としか表現しようのなかった地下七階から逃げ延び、地下六階の避難坑でハッチを閉じた途端、姫路は脱力してその場に座り込んだ。

 安堵からか負傷からかは分からない。今まで生きてきて、こんなに怪我にまみれたことはなかった。

 ただ、今更に恐怖が込み上げてきたのは確かだった。姫路は自分の肩をかき抱いて嗚咽した。それはあの哀れな生き物への恐怖でもなく、死を間近に感じた体験へのものでもなく、未知の自分への言い知れない恐怖だった。

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