22.カオス③
「中央情報局って何ですか?」
「CIAって言ったら高梨くんにも分かるんじゃないかな」
あー、と俺は曖昧に頷いて缶コーヒーを啜る。
うすらぼんやりとした記憶領域にあるアメリカの諜報機関の名称を、苦労しつつもなんとか思い出すことができた。
だが、俺は名称くらいしか知らない。それだってテレビだかゲームだかの知識だ。具体的なイメージがまったくできない。CIA。俺の脳内カテゴリではFBIと同じ場所に辛うじて収まっている。
「どういう連中なんですか」
「米国の国益のために動く諜報員、工作員……といったところでしょうか。極めて実戦的な組織です」
「……兵隊とは違う?」
「違いますが、似たような側面も持ちます。実際、非正規戦をするための部署も持つようで、戦地での情報収取なども担当しているようです」
「なるほど」
俺は来瀬川教諭と永山管理官の説明に頷きながら、おおよそのイメージを固める。情報局という組織は諜報の他、斥候のような性格も持っているのだろう。結構な実働戦力を有するのかもしれない。
それはいいとしても、
「その連中が日本の街中で電磁パルス攻撃を行い、ひと目憚ることなく銃を撃ちまくってなぜか一般人の瑠衣を追いかけ回した挙句、偶然居合わせたうちの姫様に手討ちにされたと」
「氷室准教授からの情報も加味するとそういうことになりますね。情報局は瑠衣に一種の……資質があると判断していたようです」
「……訳が分からない。状況が複雑すぎる」
俺は雑居ビルの屋上で奇妙な風貌の死体を見せられていた。
胴体の中央が抉れた、人間らしき生き物の死体だった。傍に転がる壊れた小銃を見るにも堅気ではないのだが、腐食性の薬品でも掛けられたかのような面容をしているので、初見では人間であるかどうかの確信すら持てない。
それ、がどうも他国の諜報員であるらしいと聞かされても、俺にはいまいち実感がない。
ミラベルの見解では「魔術的に何かされたのでは」だそうだが、もしもそれが竜種の仕業であるとするなら、推測するだけ虚しい。竜種の使う魔術は根源的な概念に絡むものが多く、理解が困難だ。
「というか、国際問題とかじゃないんですかこれ」
「まあ、そもそも先方はそんな作戦の存在は認めません」
「……それで済むもんですか。認めるだの認めないだので」
「いいですか、高梨君。国家間ではね、政府が公式に認めない限り存在しないんです。出来事も、人間もね。だから、ここで死んでいる……おそらく男たちは身元不明者ということになるでしょうし、行方をくらませた新田椎子も米国とは無関係です。事実はどうあれ、そうなるんです」
そこはもうどうにもならない部分なのだろう。永山管理官は眼鏡を押し上げるだけで気にする素振りを見せない。
「それより、彼らがどれほどの脅威かを明確にしたいところです」
「もう亡くなってますが」
「他に居ないとも限らないでしょう。局地的な電磁パルス攻撃なんてものが人間の仕業だとも思いません。だとすると何でもありだ」
この人も慣れてきたな、と苦く思いながら俺は男の死体から視線を外す。
「そうですね。脅威度、という意味では銃を持った兵隊と変わらないと思います。ミラベルの話によると魔力使いでもないようですし」
「この見た目で、ですか。まるで怪人ですが」
「武器とワンセットで、即製の使い魔に近いものにされてるように見えます。とはいえ構造的に人体から逸脱してるわけでもない……普通の人間と違うのは、おそらく魔力使いを撃ち殺せる、という点だけかと」
「それは……」
「あきらかに魔力使い対策です。俺への対抗策でしょう」
殺したと思ったが、オルダオラが生きていたということなのだろう。
そのせいで諜報員とやらが竜種の尖兵にされて死んだ。
おそらくそういうことなのだ。
千年前からそうだったように、俺は基本的に人間を殺さない。そう見切っているが故の策なのかもしれないが、どうもそのアプローチは正面から戦いたがる竜種らしくない。余裕を感じないとでも言うべきか。異界に剣の福音が居たのがよほど不味かったと見える。
敵の作戦は間違っていない。
もし俺が変わり果てた諜報員たちと対峙していたのなら、負けはないにしても軽くない手傷を負っていたかもしれない。銃を持った人間は特に相性が悪い。加減が難しいからだ。俺がミラベルと同じ状況に陥っていたとしたら、やはり殺さずに事を収めるのは不可能だっただろう。翼竜相手の方が遥かに気楽だ。
そんな俺とは逆に、継承戦を戦うために己を鍛えていただろうミラベルの魔術は対人戦闘に焦点を合わせたものだ。諜報員たちが蹴散らされたのは吸血姫が居合わせたという偶然の結果と言える。
幸運だったか不運だったかは、判断が難しい。
「……であれば君たちは前で動かない方がいい。変わらず待機をお願いします」
「いや、そういうわけにもいかないでしょう」
「万に一つでも君たちを失うようなリスクは冒せませんよ。それに、向こうの駒が銃を持った人間と変わらないなら、むしろ我々の出番です。私だって法治国家でこんな好き勝手をされて黙っているつもりはありません」
おおとりの件がよほど堪えているのか、永山管理官は頑なだった。俺に反論の暇を与えず、携えていたモバイル端末向けのようなケースを来瀬川教諭に差し出す。
首を傾ける彼女に、永山管理官は言った。
「電子機器です。壊れたタブレットの代わりと……氷室准教授が通用する武器を用意してくれました」
「私に武器を? それはちょっとグレーなのでは……」
「この装置の所持や使用を規制する法律は日本にありません。法的な問題は何もありませんし、あったとしても握り潰します。身を守ってください、来瀬川さん。いま相手にしているものは昔とは違う」
言われた来瀬川教諭の顔が強張った。二人の間でしか通じないニュアンスが多分に含まれているその会話に、俺はいくらかの疑問と疎外感を覚える。
来瀬川教諭は過去、警察に協力していたのではないか。おぼろげにそう推測もしているのだが、理由にも内容にも想像がつかない。
だが少なくとも、彼女が荒事に関わっていたとは思えない。彼女にはそんな身体能力はない。百メートル走だって完走できるか怪しいと俺は勝手に思っている。だとすると人脈か、頭脳的な意味で手を貸していたということになるが――彼女の洞察力や判断能力がいかに優れていたとしても、警察が一般人を使うものなのかどうか。
いや。
使った、のだろう。
いまの俺たちがそうであるように。
その結果としてどうなったのかも、程度の差こそあれ予想はできる。
かつての俺たちがそうであったように。
来瀬川教諭と永山管理官の不思議な距離感の原因もそこにあるように思える。親しいようでいて互いにはっきりと一線を引いている。古い付き合いでありながら長期間顔を合わせていなかった様子なのも、或いは同じ理由なのか。
何にせよタンカーの犠牲者といい情報局員たちといい、人が死に過ぎている。あのタンカーの積み荷のことも。
永山管理官はどこまで一般人である俺たちを使うのか、難しい判断を迫られている。彼にとって俺たちは非常に強力なカードだが、同時に庇護の対象でもある。
「セーフハウス……安全な住居があります。高梨君、来瀬川さん。君たちの判断で使って下さい。瑠衣をよろしくお願いします」
永山管理官は言い残すと、足早に立ち去った。残された来瀬川教諭がケースから引き抜いたのは拳銃に似た形状の黒い装置だった。外見上は少女であるところの来瀬川教諭が銃のようなものを所持している様は、どうにも違和感が凄まじい。
「作品番号一番?」
彼女は表面に刻印された文字を読み上げて怪訝な顔をする。
「時期から考えても急造品なんだろうけど、変わった名前」
「銃にしか見えんですね。ほんとに電化製品なんですか」
「うーん……重さからして、たぶん。使い方は……分かりやすい形状だね」
先生は拳銃のような装置の銃把を握ってぎこちなく構えた。銃身には銃口も照星もない。蛍光ブルーのラインが入った黒い直方体でしかなく、およそ武器の類には見受けられないものだ。
だが彼女が引き金に指をかけた瞬間、変化があった。電源が入ったのか、銃身の下部がスライドして何らかの機能を有すると思しき端子が露出する。
いったいどういう仕組みなのだろうか。純粋に、魔力障壁を貫通する仕組みに興味があった。
「ちょっと気になりますね。俺を撃ってみます?」
「やめてよ」
本心から嫌そうな顔をして、先生は作品番号一番なる銃をケースに仕舞った。
「先生はこんなの使うつもりありません。できれば」
「はい」
付け足した言葉は覚悟と上回る信頼からのものだと受け取り、俺は頷く。
俺だって撃たせたくはない。
ミラベルはもう二人撃って殺した。殺してしまった。それがどれほどの重みのあることなのか、かつて多くを殺した俺には、もう、本当の意味では分からない。ただそれでも、永山管理官や来瀬川教諭がこれ以上現界絡みの人死にに慣れるようなことがあってはならない。
まだそれだけは分かる。それが俺の線引きだ。
そのうえで、これからどうするか。
芥峰駅前は電磁パルス攻撃によって都市機能が麻痺している。同じ混沌が別の街で起きないとも限らない。逃げるのも手だが、追われない確信はない。被害が拡大するリスクは看過できない。
打って出るべきだ。
こちらが狩られる前に敵をすべて無力化、或いは狩り殺す。それが最優先だ。
「ひーちゃん先生、俺はオルダオラに対処します」
永山管理官からの待機要請を無視するのは大前提になる。
来瀬川教諭は異を唱えない。平淡な顔で、ただ確認をした。
「できるの?」
「やってみせます」
敵は、おそらくオルダオラは俺を恐れている。
あの竜種は知っているのだ。俺は人類の敵を殺すことだけには躊躇をしない。後悔をすることはあっても、対話不可能のカテゴリに置いた存在に対して加減をすることはないし、ありもしないその意味を見い出すこともない。
人間とそれ以外の命に順列を付けている。
その考え方が冷酷、あるいは邪悪だと思う反面、付けなければならない場面があるとも俺は知っている。でなければ失われるものがある。だとすればその邪悪は、俺だけが持っていけばいい。
「きみがそう言うなら、できるんだろうね」
頷く来瀬川教諭は表情を変えなかった。
「でもどうやって居場所を探すの?」
「重力波望遠鏡……天秤が使えると思ってます。理屈からしておそらく竜種も重力波探知に引っ掛かるはずです。新田さんに……いや、もう駄目でしたね。彼女は」
「なら重研には先生が行くよ」
意外な申し出に俺は驚き、思わず来瀬川教諭の顔を凝視した。
新田椎子が後ろ暗い背景を持つ人物であった以上、彼女の仮初の職場であった富士重力波研究所も百パーセント安全とは言い難い。
かといって、氷室は東京に出張ってきている。事情に明るくない所員に天秤を操作させるのも難しい気はする。
「ミラベルさんと一緒ならいいでしょ。誰かが行かなきゃ」
「それは……次善策として考えてください。氷室にやらせるのが一番いい」
「ハニーヴァイキングを放っておくわけにもいかないよ。あっちを氷室さんに見てもらうのが一番いいと先生は思います」
それはそうだ。俺は受け入れるしかなかった。
人手が足りない。
対処可能な戦力という意味で、まったく人の手が足りていない。
現界で九天や水星天騎士団が協力してくれたのがどれだけ有難かったことか。俺は今になって思い知る。
「……すみません」
「ううん、大丈夫。きっとうまくいくよ」
やはり平淡な顔で言う来瀬川教諭は、無根拠な激励を口にする際にすら表情を緩めなかった。
翼竜の出現に端を発する混沌が、その阻止に奔走した俺たちの努力を無視して世界を侵しつつある。この瀬戸際で押さえ込めるのか否か、あるいはもうとっくに手遅れなのか。聡明な来瀬川教諭はもしかすると以前から見通していたのかもしれない。その危機感がそんな顔をさせるのか。
竜種の目的が何であったとしても、もう何もさせてやるつもりはない。瑠衣は守るし、これ以上人死にを出させるつもりもない。そう動くことでしか先生の顔に笑顔を戻せないのなら、俺はそうするだけだ。




