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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
一章 門番と皇女
27/321

27.偽り①

 大魔法とは即ち、効果範囲が広い魔法のことである。

 あまりにもいい加減で単純な理解だが、魔法に関しての造詣が極端に浅い俺では、その程度の形容しかできない。

 にも拘らず、他人が構築した魔法陣を起動するにはその程度の知識で事足りてしまうのだから、さしたる問題はないだろう。

 

 深夜。セントレア外周を囲む石壁の一箇所に掌を当てていた俺は、必要十分な量の魔素(マナ)を通し終えると、大きく息を吐いた。見上げた満天の星空が、やけにちかちかと目につく。

 

「……何とか間に合ったな」

 

 様々な要因によって進捗が芳しくなかった大魔法の構築が、今ようやく終わった。

 毎年のことながら、擦り切れそうな魔法陣を修復したり魔力を注ぎ込んだり、何ヶ月もかけて一つの魔法を準備するのは、不向きな俺には結構な辛苦である。

 マリーがセントレアにやってきた際、俺が夜の番を引き受けた理由の半分はこれだ。この魔法に関しては、誰にも気付かれることなく準備を進めなくてはならなかった。

 

 だが、終わった。

 後は、この大魔法を適切なタイミングで発動させるだけだ。

 

 俺は途方もない解放感を覚えながら、しかし、石壁に背を当ててずるずると座り込む。別に魔力が尽きたわけでもなく、肉体的な疲労があるわけでもない。

 自分でも、自分が何故こんなにも脱力しているのかが、よく分からない。

 

 他者の自由を奪う虜囚術式(コンプレヘンシオー)は外法の誹りを受けても当然だが、この大魔法の効果の下劣さは、虜囚術式を数段は上回るだろう。まさに外法中の外法と言える。

 だが、それでも行わなければならない。俺がこの先もセントレアで門番を続けていくためには、この魔法の力は必要不可欠だ。

 

 ずっと迷わずに行ってきたことを、どうして今になって躊躇う必要があるのか。

 俺は再び夜空を見上げ、それから固く目を閉じる。

 

 瞼の裏に答えはなかった。

 

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 

 その少女は修道女(シスター)のような、司祭(プリースト)のような、奇妙な服装をしていた。

 やけにタイトな黒い修道服の上から、白い祭服をケープのようにして羽織っている。頭にベールやビレタを被るわけでもなく、長い銀髪は露わだ。まるで人形のように整った容貌も相まってか、色彩に乏しいセントレアの街では群を抜いて非日常的な存在に見える。

 彼女は澄ました――というよりは、無感動な表情をしていた。内心を窺わせない、情動の消えた瞳の色は緑。その怜悧な双眸を、目の前に立つ酔っ払いにじっと向けている。

 

 対する酔漢は、特に変わったところのない中年男性だ。服装から察するに、馬車の御者か行商人か。少なくともセントレアの住人ではないだろう。ただでさえ忙しい収穫祭の時期に、昼間の往来で酒を飲んで女の子に絡むような暇な人間は、この街には一人もいない。

 

 詰め所で寝ていた俺が、住人からの通報を受けて駆け付けて最初に見たのは、商店街の真ん中で少女が胸倉を掴まれて凄まれている場面だった。俺は遠巻きに見守る商人連中を掻き分け、二人の下へ急ぐ。

 口から泡を飛ばさんばかりの勢いで何事かを喚き立てる男に、胸倉を掴まれたままの少女が言った。

 

「下郎が……気安く触らないでください」

 

 言うなり、男の手を跳ね除ける。肝が据わっているのは大変結構だが、この状況でその対応はちょっとまずいのではなかろうか。

 恫喝をまるで意に介さない少女の言動に、中年男の怒りは頂点に達したらしい。真っ赤に染まった顔を更に醜く歪め、拳を振り上げる。

 野次馬たちが悲鳴や呻き声を上げる中を、俺は腰の長剣を鞘ごと抜いて地を蹴った。

 

 魔力による身体強化の技術は、習得の有無で身体能力に天と地の差が生じる。騎士階級にある人間と、それ以外の人間を大きく隔てる要素のひとつだ。

 象と蟻は言い過ぎだが、大人と幼児程度には差がある。

 

 酔漢が腕を振り下ろすよりもずっと速く二人の傍に到着した俺は、男の拳を鞘に納めたままの剣で受けた。

 鈍い金属音と共に、男の拳が少女の鼻先で完全に阻まれ、砕けた。

 

「ぎゃああ!」

 

 男は絶叫し、拳を抱えて蹲った。指の骨が折れたのかもしれない。

 血走った目で俺を見上げる男に、コートの二の腕部分に留めている腕章を示す。

 

「番兵団だ。これ以上続けるなら、拳だけじゃ済まなくなるぞ」

「……な、何が番兵だ! 東洋人のガキが、舐めるんじゃ……がぁ!?」

 

 無事な左手で腰の短剣を抜こうとした男の顎を軽く蹴り上げ、放り出された短剣も蹴り飛ばした俺は、もう一度口を開いた。

 

「いい加減にしろ。罰金を払うか? それとも、街の外に摘み出されたいのか?」

 

 周囲の野次馬が沸き立つ。が、俺の心中は冷めたものだ。

 この街の衛兵隊であるセントレア番兵団の規模と内情は町内会レベルではあるが、れっきとしたウッドランド正規軍の下部組織だ。言わば、官憲である。にも拘わらず、その番兵団の身分を明かしても、たった一市民すら抑えることができないとは。

 祭りでやってきた外部の人間だということを差し引いても、皇国全体として、治安が徐々に悪化してきているのかもしれない。

 

 蹴り上げられた顎を押さえて呻いていた男だったが、憎々しげに俺を一瞥すると、足をもつれさせながら走り去っていった。

 俺は長剣を腰の剣帯に戻し、手を叩いて周囲の野次馬に言う。

 

「ほら、見世物じゃないぞ。早く仕事に戻ってくれ」

 

 野次馬の商人や農家の皆様が渋々解散していく中、俺は聖職者のキメラみたいな服装をした少女へ向き直る。

 少女は僅かに目を見開いて俺を見ていた。ほんのささやかな表情の変化だったが、先ほどまでの無表情ぶりが印象的過ぎて、逆に感情の動きが見て取れてしまう。

 恐らく、驚いているのだろう。ややあって落ち着いたのか、少女は口元にだけ笑みを浮かべて言った。

 

「ご迷惑をお掛けしました。助けていただいてありがとうございます」

「ああ、仕事だから。それより、ああいう手合いには気をつけなきゃ駄目だ。絡まれる前に逃げる。もし絡まれたら、相手をせずにささっと逃げるのが一番いい」

「……ですか」

 

 分かっているのか分かっていないのか。

 少女は曖昧に頷き、じっと俺の顔を見る。相変わらず口元は笑っているのだが、目は笑っていない。何故かそんな風に見えた。

 穏やかな口調で少女が言う。

 

「失礼ですが、どこかでお会いしませんでしたか?」

「え、いや、どうかな。俺に覚えはないけど」

「……ですか」

 

 思わず面食らいながら答える俺に、少女は再び曖昧に頷いた。

 目の前に立つ少女の、まだ幼さが残る白い顔に見覚えはない。

 こうして正視してみれば、とんでもない美人だ。恐らく、一度知り合ったら当分は忘れないだろう。残念ながら、やはり俺の記憶にはない人物と言わざるを得ない。

 

「ウィリデと申します」

 

 すっと差し出された繊細な白い手を、俺は惚けながら見た。何故ここで握手なのか。怪訝に思っていると、ウィリデと名乗る少女は小首を傾げ、緑の瞳で俺を見た。その瞳は、どうも俺が握手に応じないのを不思議に思っているように見える。

 俺から言わせれば彼女の方がよほど不思議な生き物なのだが、かといって無下に扱うのも何だか違う気がする。

 

「タカナシだ。この街の門番をしてる」

 

 簡潔な自己紹介をして手を握り返すと、ウィリデの瞳がまた僅かに見開かれた。その微細な表情の変化の最中も、少女の口元には笑みが浮かんだままだ。

 目は口ほどに物を言うというが、彼女の場合は目しか物を言っていないように思える。理由は分からないが、俺にはそれが酷く悲しいものに見えた。

 

「……タカナシ、さん。タカナシさん。ええ。不思議な響きのお名前ですね」

「よく言われるよ」

 

 現世から流入した名詞が乱雑に入り混じるこの世界においても、日本語名は存在しない。今のこの世界には俺の他には恐らくいないだろう。

 口の中で名前を反芻しているだろうウィリデの顔は、やはり何を考えているのかを窺わせない笑みが張り付いている。

 

「ウィリデはセントレアの住人じゃないよな。収穫祭目当てか?」

「……いえ、教会の仕事です。皇都から来ました」

 

 服装からは階位の見当がさっぱり付かないが、やはり聖職者のようだ。

 ウィリデの首に下がっているケルト十字のアミュレットを見やり、俺は頷く。

 

「なるほど。遠くからご苦労様。教会に滞在するのか?」

「はい」

「ならよかった。この街の教会なら、街の中心から東よりの区域にある。皇都のものと比べるとかなり小さいと思うが、ちゃんと使えるはずだ」

 

 観光客であれば宿を案内しなければならなかったが、その心配はなさそうだ。

 セントレア北部にある安宿は、商売で泊まっていく人間向けで質があまり良くない。ドネットのような女傑ならば別だろうが、一般の観光客には耐え難いものがある。

 なので、収穫祭目当ての観光客はこの時期だけ二階を宿として営業する酒場や、祭を主催する町長が指定したゲストハウスなどに案内するのが通例である。

 

 だが、ウィリデのような、ウッドランドの教会に属する人間は別だ。

 彼らは各都市に教会を持っており、巡礼者や布教活動に従事する聖職者はそこで寝泊りすることが許されている。

 今現在、セントレアの教会には聖職者が誰もいないので閉めっぱなしだ。もしかすると彼女は教会からこの街に派遣されてきたのかもしれない。

 町長からそういった申し送りは受けていないが、もしそうなら街にとっては喜ばしいことだ。信仰を持たない俺にとっては、何ら関係ない話ではあるが。

 

「ではタカナシさん、差し支えなければ教会まで案内していただけますか? どうもこの街には、目印になるような建物もないようですので」

「ああ。構わないよ」

 

 正直、真昼に起こされて眠いには違いなかったが、仕事は仕事だ。道案内も立派な門番の仕事ではある。そうでも思わないと眠ってしまいそうだった。

 皇都から来たらしいというのに手荷物のひとつもない少女を連れ、俺は街の東部へと歩き出した。

 

 

 

 セントレアの東部は外の街道と繋がっていることもあり、民家などの建物がそれなりに集中している区域だ。条件としては南門も同じなのだが、皇都から直接やってくる場合を除けばこちらの方が交通量が若干多い為、南部よりも栄えている。

 とはいえ、やはり田舎街である。中央の商店街で収穫祭の準備が進みつつあることもあり、石畳の道には殆ど人が居ない。

 ウィリデと並んで歩く俺は、遠くに見える簡素な教会を指差して言った。

 

「教会はあれだ。鍵は持ってるか」

「ええ。心配ありません」

 

 今は使われていない教会の鍵は、確か町長が管理していたはずだ。

 その鍵を持っているということは、やはり、ウィリデは正式に赴任してきた聖職者なのだろうか。

 しかし、何の荷物も持っていないのはどういう訳だろう。

 

「しかし、荷物とか大丈夫なのか。皇都からだと結構かかっただろうに」

「従者に持たせていますから。恐らく、先に教会に着いているでしょう」

「ああ、なるほど」

 

 従者がいるとは、そこそこ立場のある役職なのだろうか。

 何にせよ、ありがたい神官様が街にやってくるのは住人にとっては朗報に違いない。

 見える位置まで案内できたのでそろそろお暇しようかと思った矢先、ウィリデは前を向いて歩きながら、ぽつりと言った。

 

「もう少し、お話しませんか」

 

 聖職者とはいえ、美しい少女からのお誘いは素直に嬉しいことだ。

 が、眠いものは眠い。

 俺の中では眠気の方が遥かに勝る。というより、眠気に勝るものが存在しない。

 どう断ったものかと思案していると、銀の髪を持つ少女が続けざまに言った。

 

 

「私はあなた様とお話がしたいのです。剣の福音を持つ、偉大なる神の使徒よ」

 

 

 俺は、長剣の柄に手を伸ばしかけていた。

 聖職者の少女に敵意はなく武器も持っていないというのにだ。行き過ぎた対応を瞬時に思い直し、右手を下げ、そ知らぬ顔で隣を歩き続ける。

 ウィリデはそんな俺の動きに気付いた風もなく、相変わらず無感情な瞳だけをこちらに向けた。

 

「よもや、このような辺境の地におられようとは。定命の者に混じり、一体どれだけの長い年月を過ごされたのでしょう」

「答える義務はないし、そもそも俺は神の使徒とやらでもない。戯けた口調はやめろ」

「……はい。では、そのようにします」

 

 彼女の言う神とは、俺の知る神とは異なる。

 皇国の前身となる帝国を築いた往還者が、その死後に神として奉られたのがルーツになっている。

 要は、でっち上げの神である。ウッドランド皇国の唾棄すべき国教だ。その教義の中では、残り八人の往還者は、主神である初代皇帝の使徒という扱いになっている。

 事実とは全く異なる話だが、異世界の人々が何を信奉しようが別に自由だ。と、俺は今の今までそう思っていたのだが、実際に「あなたは神の御使いです」なんて言われた日には真正面から全否定したい衝動に駆られるものだと気が付いた。

 

「なぜ俺がそうだと思ったんだ」

「まず第一に……異界への門が、この街にあるからです」

「……へえ」

 

 俺は動揺を表情に出すまいと試みるのに、かなりの労力を要した。

 この数百年もの間、往還門の存在が暴かれたことは一度もない。俺が自分で教えたケースはあっても、気付かれたことなど、ただの一度もなかった。だが、カタリナが誰かに往還門の事を話したというのも考え難い。そもそも、誰が信じるというのか。

 

 往還門の仕組みがどうなっているのかは分からないが、あの門は魔法とは異なる仕組みで顕現している。魔素(マナ)を検知するような仕組みの探査にはまず引っ掛からないし、そもそも地下室の四方と床は分厚い金属の層に囲われているので、生半な魔法では突破できないはずだ。

 唯一、金属層のない真上(・・)からでもなければ。

 

 ――そこで、俺はある人物を想起し、思考を終わらせた。

 

「そのご様子では、心当たりがおありのようですね」

「さあな」

 

 これ以上、この少女に情報を与えるわけにはいかない。

 彼女を捕まえるかどうか検討し始めた俺に、ウィリデは口元に微笑を浮かべた。

 

「勘違いなさらないでください、タカナシ様。門の存在は、その者と私しか知らぬことですし、公表するつもりもありません。発見したその者ですら一体何なのかは分かっていないでしょう。なにせ国教会に残されている伝承の中でも、最も謎に包まれた存在なのですからね」

 

 そりゃそうだ。俺は内心で呟いた。

 主神である初代皇帝がこの世界にもたらした高度な冶金技術や言語などとは違い、往還門は俺たちの間で「不定形の神」と呼ばれていた未知の存在が生み出したものだ。

 これを認めてしまうと、主神である皇帝よりも上位の神が存在することになってしまう。教会にとっては都合の悪い話だ。

 むしろ、記録が残っていたのが不思議なくらいだ。何処の誰が書き残したかは知らないが、こっちとしてはいい迷惑である。

 

「私は国教会の中で、古の伝承を最も深く理解している者です。異界の門の守り手が、剣の福音を持つ使徒の一人であることも、その守り手の風貌も知っています。だから、あなたがそうなのだと確信しました」

 

 ウィリデは淡々と述べる。

 本当に迷惑な話だ。肖像権の侵害だろう。

 伝承とやらの中で自分がどう記述されているのかは気になったが、置いておく。

 

「それで、君の目的は何だ? まさか、おとぎ話を語りたかったわけじゃないだろ」

「勿論です。ここから先は、中でお話しましょう」

 

 話しているうちに、いつの間にか教会の前に辿り着いてしまっていた。

 白塗りの塗装が所々が剥げた、木造の小さな教会だ。

 ウィリデが言っていた従者の姿はどこにも見えなかったが、考えてみれば、従者が教会の位置を知っているなら道案内など必要ないはずだ。

 従者とやらが実在するのかも怪しい。

 

 彼女は訝る俺を気にすることなく鍵を回し、教会の扉を開ける。

 教会内の掃除はまるで行き届いていなかった。

 埃っぽい空気が蔓延する簡素な教会の中を、ウィリデは気にする様子もなく静かに歩んでいく。

 そして、祭壇の前まで辿り着くなり、銀の髪を翻しながらゆったりと向き直ると、翡翠のような瞳を細め、初めて感情らしきものを浮かべて、言った。

 

 

 

「はじめまして、タカナシ様。

 私はアルスゴー教区補佐司教、ミラベル・ウィリデ・スルーブレイスと申します」

 

 

 

 銀髪の少女は微笑みすら浮かべて言い終えると、修道服の裾を両手で摘んで優雅に礼をした。

 

 

 

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