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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
六章 天蓋
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11.インターミッション①

『僕の方でいくつかランダムに組織片を採取して見てみたんだけど、どの検体もヒト由来の細胞だったよ。生活反応もある。人間の身体組織をぐちゃぐちゃに並び変えて混ぜた異質同体(キメラ)といったところか』

「あれが人間? なんなんだ一体。何が目的であんなことをやる」

『断定は難しい。翼竜の食料として用意したのかとも考えられるけど、ただ単に肉が欲しいなら人間である必要はないし生かす必要もない。なにか魔術的、呪術的な意味合いがあるのかもしれない』

 

 公安に借りたスマホから聞こえる氷室の声が、やけに遠く感じた。

 俺は現界(セフィロト)で様々な酸鼻の極みを見たつもりでいたが、ハニー・ヴァイキングで見たものは様々な意味で一線を画している。撤収から数時間後、俺たちと入れ替わりにハニー・ヴァイキングに乗り込み、詳しい調査を行っている氷室と調査隊の報告を芥峰高校の屋上で聞いている俺だったが、未だに混乱と疑問に収拾をつけられていない。

 

「あれが行方不明者だとすると……海外はそこまで状況が悪かったのか?」

『さあね。元々、失踪者というのは極端に珍しい話ではないんだ。日本ですら年間何万人。どの先進国も似たり寄ったりで、途上国ならもっとだろう。正確な被害者数を把握するのは難しいと思うよ』

「……そうなのか」

『まあ、タンクの半分を満たしてると考えても重量換算で数百万人分。さすがに有り得ない数字だ。実際に材料にされた人間はもっと少ないと思う。魔術で増やしたと考えるのが妥当なところだね。正確なところは遺伝子検査でもしないと分からないけど』

「……」

 

 うまく思考がまとまらない。

 疲労を自覚しつつ、俺は最大の疑問を口にした。

 

「……助けられないのか?」

『無理だね』

 

 鈍い音がした。

 数秒遅れで、それが自分の奥歯が立てた音だと気付いた。

 

『あれは人というよりは、もう培養肉みたいなものだよ。知的反応も見られないし外科的に分離する手段もない。不可逆的な形態変化だと判断せざるを得ない』

「いや……なにか手はないのか。医学的に駄目でも魔術なら……」

『君にできることはないよ。当然、僕にもだ』

 

 断定する氷室の声には、有無を言わせないという意志を感じた。

 代案も名案も持たない俺は、ただ閉口せざるを得ない。

 

『悪いね。誰かがはっきり言ってあげないと、君はひとりで世界中の不条理を背負い込みそうだから。それとも、生命の福音(アリエッタ)でも連れて来るのかい。それなら話は別だ』

 

 不可能だし、無駄だ。

 今の生命の福音、白瀬柊には何の力もない。

 

『このあとハニー・ヴァイキングは米国に引き渡すことになったらしい。僕らも引き上げる。処理は向こうに任せることになる』

「……そうか」

 

 結局、俺には何もできなかった。

 成り行き任せにオルダオラを撃破したところで、最初から手遅れだったのだ。

 頭を抱えていると、氷室が電話の向こうで溜息を吐いた。

 

『……ついでに伝えておくよ。おおとりの代わりが配備されるまで二週間はかかるらしい。資料室もその間は出動できなくなる。しばらく休暇だね』

 

 ぎょっとした。

 現状、ほぼ唯一の不明災対応部門である資料室が休みなどと。

 

「いや……いや待て、んなこと言ってられる場合じゃないだろ。俺は動ける」

『君だけ動けるからなんだってのさ。ひとりで非合法な活動でもする気か』

 

 言葉に詰まる。やりかねないと見透かされている。

 氷室は再び溜息を吐いた。

 

『不災対だって遊んでるわけじゃない。対不明災用の部隊も編成されたしね。資料室の活動が一時的に停止しても問題ない。総合的に、そう判断される程度には翼竜の数が減った。そういうことなんだよ』

「だからって異界人に翼竜が倒せるわけないだろうが……!」

『さあね。自信はあるんでしょ。一応、部隊は僕が監督することになってる。最悪、僕が片付けることになるだろうけど、まあ、なんとかなるよ』

 

 そう言われてしまうと俺には何も言えない。

 不災対の部隊とやらはともかく、氷室一月の実力はよく知っている。福音を返還した唯一の往還者である彼だが、翼竜やオルダオラと同程度の相手なら誇張抜きで瞬殺するだろうと俺は見る。

 氷室は元々、法の福音(ルールエヴァンジェル)――超常や異能、権能の無効化という攻撃向きでない福音のみを有していながら、強大な竜種や魔族達と互角以上に戦っていた男なのだ。率先して前で戦う性格でこそなかったが、素の戦闘能力のみに限って言えばかつての往還者たち九人の中でも一、二を争う。よほどの大群でも押し寄せないかぎり負けはない。

 

『明人君はちょっと働き過ぎだ。休めと言われた時は休めばいいのさ。ここは外殻大地じゃないんだし、もっと人を頼りなよ』

「……お前」

『そうそう。来瀬川さんに聞いたんだけど、学校で来週から修学旅行があるんだろ。ちょうどいい骨休めじゃない。眉間のシワをとっておいで』

 

 氷室がくすくすと笑い、そのまま通話は切れた。

 当然、永山管理官に抗議のメールを送る俺だが、恐らくは無駄だろう。氷室が実働部隊として名乗りを上げているなら、無理に俺を戦力として採用する理由がない。休暇を取らされるのはもはや避けられない。

 どうも、おおとりの大破だけが休暇の理由ではない気がした。ハニー・ヴァイキングの犠牲者たちを目の当たりにした俺や来瀬川教諭への配慮もあるのかもしれない。しかし、配慮されても気乗りする心境ではないというか、

 

 そもそも修学旅行に興味がない。

 まったく、ないのだ。

 

 橋本や長命寺などは瑠衣まで巻き込んでグループを作り盛り上がっているが、俺は彼らの会話の半分以上を聞き流していた。資料室の活動などの兼ね合いで不参加にせざるを得ないという公算が大きかったからだ。

 公安に借りたスマホでグループチャットのログを確認する。行先は――

 

「北海道……二泊三日……だと?」

 

 背筋が寒くなった。

 そんな遠方に出掛けてしまうと、芥峰でなにかあったときに対処ができない。無貌の件でカバーしなければならない瑠衣は修学旅行に参加するので良いとしても、芥峰には柊がいる。

 別に今だって四六時中柊を見ていられているわけでもない。放課後に病院で様子を見ている程度なので今更な話ではある。しかし、もし二泊三日の不在のうちに彼女が現界へ招かれたりなどしたら、もう完全に何もできなくなる。

 

 次週の修学旅行までに、柊について何らかの結論を出す。

 でなければ修学旅行を瑠衣共々欠席する。

 

 こうする他ない。俺の中で、修学旅行の優先順位は非常に低い。最低と言っていい。その価値観に瑠衣を巻き込んでしまうのは申し訳ないが、我慢してもらうしかないだろう。

 徹夜のせいで曜日感覚がおかしくなっていたので意識していなかったのだが、今日はまだ水曜日だった。来週の修学旅行まで五日ある。

 資料室の業務がないのであれば、寝るために出席していた授業の時間もある程度は削れる。瑠衣と一緒にサボって病院に行くこともできる。猶予はある。

 

 まずは瑠衣と相談しなければならない。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

「べつにいいよ」

 

 午前の授業を終えた昼休みの食堂、昨夜からの一件で帰宅しなかったせいで今日初めて顔を合わせた瑠衣は、俺の都合だけを押し付けるような提案を黙々と聞いた後、あっさりと首を縦に振った。

 普通の学生は修学旅行を楽しみにするものだ、という固定観念がある俺としては意外に思える反応だった。

 

「いいのか?」

「お世話になってるし、守ってもらってる立場だしね。できる限り付き合うよ。それに、まだ欠席確定ってわけじゃないんでしょ。そもそも私もそこまで行きたいわけじゃないし、いいよ」

 

 さらりとそう言うと、瑠衣はカレーとライスをよく混ぜてから口に運んだ。

 一口目から目を白黒させている。学食のカレーがよほど口に合ったらしい。しかしすぐに表情を引き締めると、目線を上げて俺を見た。

 

「そもそもさ。その白瀬って人も無貌の神とかっていうのに狙われてるわけだよね。高梨くんの言う……招き? をされそうになってる」

「そうだ」

「で、招きを受けると千年前の現界(セフィロト)に連れていかれてしまう。ついでに不老不死になって不思議な力も授かるってことだよね?」

「そういうことになる」

 

 瑠衣はそこで腕組みをした。しばし悩むような素振りを見せた後、最近の瑠衣にしては珍しく伏し目がちに呟いた。

 

「ちょっと考えてみたんだけど、それってそんなに悪い話じゃなくない?」

 

 俺は唐揚げ丼を抱えたまま、唖然とする他ない。

 

「むしろ良いことの方が多いと思う。そりゃ、高梨くんの話を聞くと大変な苦労をしたんだろうなってことは分かるけど……きみだってそうやって剣の福音を授かったんだからさ。だったら……」

 

 あまりシビアな話を瑠衣にしたくはなかった。

 しかし、彼女が招きを肯定的に捉え始めているのなら包み隠さず話しておかなければならない。

 

「……メリットデメリット以前に、まず生き残れるかって話になる」

「というと?」

「千年前、竜種と戦った往還者が九人だって話はしただろう」

「うん」

「今となっては確かめようがないことだが、実際にはもっと多かったんじゃないかと俺は考えてる」

 

 瑠衣の顔が曇る。

 続く話の内容を予感したのだろう。

 

「それって……」

「招かれたものの、人知れず死んだ異界人たちが居たんじゃないかって話だな。俺だって竜種と戦ってる最中に死にかけたのも一度や二度じゃない。他の異界人と合流する前はもっとつまらないことで死にかけた。飢えとか、食中毒で」

「でもきみは生き残ったじゃない」

「運がよかったからだ。送られた場所もよかったし、たまたま他の異界人と早く合流できた。でなかったら俺も早々に退場してたよ。これは謙遜じゃない」

「……」

 

 俺が現界(セフィロト)に送られた際に降り立った場所は、人里も近い穏やかな気候の土地だったと辛うじて記憶している。もしそこが極寒の雪山であったりしたらそれだけで当日のうちに俺は死んでいただろうし、砂漠や無人島でも似たような状況だっただろう。この時点で俺はかなり運がよかった。

 苦しめられた飢えや食中毒に至っては完全にルーレットだ。サバイバル技術に長けてでもいない限りは、この辺りで大体死ぬ気がする。そして、その後には竜種との戦いも待ち受けている。

 

「無作為に百人送って一人生き残れば上出来なんじゃないか。少なくとも俺がそう思ってしまうくらいには厳しい環境だった。俺としては君をそんな危ないところにやるわけにはいかない」

 

 千年前の現界で瑠衣が生き残れるかどうかは断言できない。

 しかし、千年後の現界に伝わる往還者が九人なのは間違いない。それだけでも俺が瑠衣を守る理由にはなる。

 

 じっと瑠衣の目を見て語る俺だったが、当の彼女はやや狼狽えるような顔で顔を背けた。

 

「しょ……しょうがないなあ。そこまで言うなら今は納得しておくよ」

「本当に分かってるのか……?」

「分かってるって。しつこい」

 

 拗ねたような顔でスプーンを咥える瑠衣。子供か、と突っ込みたくなるような振る舞いではあるが、分かっているのであれば文句もない。

 昼休みも無限ではない。

 我に返って唐揚げ丼に手を付け始める俺に、瑠衣が呟くように言った。

 

「やっぱり、きみの話は面白いね。ずっと聞いていたくなる」

「そりゃどういたしまして」

 

 ちょっとした皮肉だったのだが、瑠衣は気を悪くした風もなくカレーを頬張るばかりになった。

 彼女が招きを肯定的に捉え始めていたのは些か、いや、かなり違和感のある心境変化だと思えるのだが、話をする以上に俺にできることはない。やはり瑠衣からも目を離してはいけないだろう。

 氷室や永山管理官の配慮はありがたく思うべきなのだろうが、休みなどを貰っても心休まる時間はなさそうだった。

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