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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
六章 天蓋
260/321

10.肉

 新手を警戒しながらハニー・ヴァイキングの船橋に向かう途中、俺たちは甲板上だけでも無数の血痕を確認していた。遺体は残されていなかったが、出血量からして相当数の人間が命を落としていると推測できる。

 いつまで経っても新手が来ないので、全てオルダオラの仕業だったのだろうと見当もついた。甲板だけでこの有様では、船内全体でどうなっているかはあまり考えたくない。

 翼竜もそうだが、魔素の絡んだ生物に異界の人類が抗する術などはない。現界でさえ付呪された武器や道具でやれなくもないといった程度で、それでも概ねの場合はただ殺される。魔力による強化のせいで身体能力に差があり過ぎるからだ。対抗策が皆無である異界においては考察するまでもない。ここでは虐殺があったのだ。

 

 ハニー・ヴァイキングの船橋は遠目で見て想像していたよりも大きかった。ちょっとした集合住宅ほどの大きさの構造体の内部が六フロアの階層になっていて、最上部のブリッジとその一段下のデッキに航行設備が集中している。その他のフロアは居住区画だったようだが、人は残ってはいなかった。惨劇の痕跡が辛うじて残っていただけだった。

 船橋部分の確認を終え、俺はオルダオラが単独で行動していたのだとほぼ確信した。別の敵が居た痕跡は残っておらず、船の制御系を押さえられる段になっても出てこないのであれば、もう他には居ないと考えていいように思える。それはそれで辻褄の合わないこともあるのだが、今はいい。

 

「うん! さっぱり分からないね! これは触らない方が良さそう!」

 

 船橋全体の安全確認の後、ブリッジ。操舵装置の前でラミネート加工された簡易マニュアルと睨めっこしていた来瀬川教諭が降参を宣言した。

 

「そりゃそうですねとしか……素人が下手に触ると遭難しかねませんって」

「遭難しても大丈夫だよ。こういう船なら食べ物もたくさんありそうだし、ひと月くらいは航海できるんじゃないかな?」

「普通に嫌です。さっさと帰りましょう」

 

 俺はと言えば、手近にあった電子海図のディスプレイ画面と勝負を続けている。航路がどうなっているのかを確認したかっただけなのだが、海図の上に伸びているどの線がそうなのかいまひとつ確信が持てない。

 状況からしてオルダオラが操船していたのは間違いない。船を止めるなり行き先を変えるなりする前に、あの竜種がどこに向かおうとしていたのかだけは確認しておきたかった。

 

「高梨さん、無線が繋がりました。永山室長です」

 

 無線機のマニュアルと格闘していた落合操縦士は勝利を収めたらしい。流石、プロは違うなあなどという訳の分からない種類の感想を抱きつつ、俺は手近なフックに掛かっていたハンディーマイクを手に取った。

 ボタンを押している間だけ繋がるタイプのマイクだった。慣れない代物にまごつきながらも声を張った。

 

「高梨です! 永山さん、申し訳ない! おおとりを壊しました!」

『こ、声が大きいですよ。随分とお元気のようで……いえ、良いことなんですが。本当に。まずは君たちが無事でよかった。おおとりのことは残念ですが、気にしないでください』

 

 どういう設定になっているのか、デッキ全体に永山管理官の声が響く。落合操縦士は慌てて手元のパネルを操作しているが、恐らく船内に敵はもう居ないので構わないだろう。身振りで制した。

 

「あと現場判断で申し訳ないんですが、ハニー・ヴァイキングの安全を確保しました。船員は見付かりません。俺たちじゃ船の操作はどうにもならないんで、なるべく早く人を送ってください」

『手配します。情報規制対象の物品や情報は船内にありますか?』

新種(・・)が出たので剣を抜きました。あと、誰だか知りませんが銃撃戦をやった跡があります。血痕もいたるところに」

『……なるほど。やれやれ、今回も処理が大変だ』

 

 大型のタンカーとなると一般的な船舶免許の範疇ではないだろう。人選が難しそうだなあなどと他人事のように考えていると、

 

『ちなみに、船は結局どこを目指していたんですか?』

「あー、ちょうどそれを確認中だったんですが……」

 

 海図に視線を戻す。手元の資料と見比べてみても、ディスプレイには失踪前の計画航路しか表示されていない。オルダオラが再設定していなかったと見るべきだろう。必要なかったのか、それとも単に操作を知らなかったかだ。

 どうも船舶には自動航行の機能がそもそもないらしい。となるとやはり、オルダオラが直接手で操舵していたということで――今は手放し運転のような状態ということにならないだろうか。

 

「大丈夫なのかこれは……?」

 

 幸い、デッキから夜の海を見る分にはまだ海の真ん中である。直ちに問題が起きるということはなさそうだった。

 

『高梨君? なにか問題でも?』

「……大丈夫です。ただ、目的地の情報は得られそうにないですね。専門家が見ればまた違うかもしれませんが」

『分かりました。代えのヘリを回します。到着まで待機してください』

「了解」

 

 交信を終えてハンディーマイクを元に戻すと、俺はようやく一息をついた。一時はどうなるかと思ったが、これ以上事態が悪化することはなさそうに思える。永山管理官はまたしばらく家に帰れないだろうが、情熱で乗り切って頂く他ない。

 会話を聞いて緊張が解けたのだろう、落合操縦士がデッキの窓に寄りかかって脱力していた。そこに来瀬川教諭が小走りに並ぶ。

 

「落合さん」

「あっ、はい?」

「ご協力ありがとうございました。おかげさまで何とかなりそうです」

 

 おお。ひーちゃん先生のボケが炸裂した。小柄な先生が深く頭を下げると、落合操縦士はいっそう困惑した表情を浮かべた。

 

「いえあの、私、警官なので……」

「え?」

「市民の方にそう言われてしまうと立場がないというか……ですね」

「……あ、あはは! そうですね!」

 

 問題はなさそうだ。

 俺は笑い合う二人を後目に階段へ足を向ける。ここで自然に居なくなれば気付かないのでは、と少しだけ期待したのだが、別にそんなことはなかったらしい。

 

「高梨さん」

「うっ」

「どこに行かれるんですか?」

 

 振り向くと、拳銃を持ち上げた落合操縦士が心配そうな顔でこちらを見ていた。引き金に指がかかっている。怖い。怪訝そうな顔の来瀬川教諭もだった。

 安全宣言した直後なので言い出し難かっただけなのだが、仕方がない。

 

「……ちょっと船のタンクの中身を確認してこようかと」

「タンクを? なぜ?」

「説明が難しいですね。気になる、とだけ」

 

 オルダオラを撃破した瞬間、あれの巨大な魔力反応が霧散したのは確かなのだが、実はどうもまだ船体の中から魔力を感じる。感覚としては居るというより在るが近いかもしれない。付呪器具(エンチャントアイテム)転移門(ポータル)のような気配だ。この船はやはり何か積んでいる。

 

「おひとりでは危険です。同行します」

「いや大丈夫です。サッと行ってサッと帰ってきますので……」

 

 と言ってる間にも落合操縦士は拳銃片手にのしのしと歩いてくる。そんな長身の彼女の後をミニマムな来瀬川教諭も追ってくるので身長差が愉快だった。いや、俺も少し疲れているのだろう。いまなら箸が転げても笑うかもしれない。やはり常のことだが、俺は寝不足だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 タンカーの体積の大半を占めるタンクだが、正確には貨物油槽(カーゴタンク)というらしい。デッキで拝借した図面にはそう記載されている。

 これも何となく想像していたものより大きい。本当に船体部分の殆どが占められている。構造的にはタンク本体の周囲にバラストタンクなる別の空間があるのだが、それにしたって巨大なタンク本体と比べると微々たるものだ。

 五十万トンという数字を想像するのは困難だが、この巨大タンカーのほぼ全てが液体なのだと考えると多少はイメージが固まる。

 

 一度デッキから船外に出て、甲板にあるという清掃用の倉口を目指す道すがら、やはり安堵しているのだろう。落合操縦士が疑問をこぼした。

 

「あの……私が聞いてはいけない話なのかもしれませんが、ひとつ教えて頂けますか、高梨さん」

「なんです?」

「……さきほどのあなたを見て、資料室が不明災害をどう処理しているか分かった気がしました。私達がなぜ今まであなたがたを運んでいたのかも、です。この目で見なければ信じられなかったでしょうが……」

「でしょうね。無理もない」

 

 俺はこれも同じくデッキから拝借した懐中電灯を片手に頭を掻いた。俺とオルダオラの戦いは常人の目には捉え切れないものだったはずだが、落合操縦士は目が良い。もしかするとかなりの部分を視認できたのかもしれない。

 

「こういっては失礼かもしれないですが、高梨さんはなにか……サイボーグのような手術をされたとか、そのような方なのでしょうか?」

「サイボーグ」

 

 思わず脱力してしまう。

 確かに近年発表されていた人型ロボットの運動性能には目を瞠るものがあった気がする。動画配信サイトで映像を目にしたのだが、悪路を踏破したりアクロバットを披露したりしていた。あれを見れば改造人間が居ても不思議ではないのでは、という気にならなくもないが、落合操縦士はちょっと変わった人のようだ。

 

「……残念ながらロボではないですね」

 

 どう説明したものだろうか、と歩きながら考える俺だったが、代わりに答えたのは来瀬川教諭だった。

 

「高梨くん。サイボーグとロボは違うよ。サイボーグは生身の一部が機械。ロボットは全部機械だからねっ」

「そ、そっすね」

 

 回答ではなく単なる訂正だった。特に助け舟を出してくれる様子もなかったので、俺は海を見ながら言葉を虚空に投げた。

 

「個人的な才能とだけ。もう一人の実働要員も似たようなもんです」

 

 もうひとりの実働要員とは不在の来瀬川(みどり)――ミラベルを指している。落合操縦士はやや落胆したような調子で言った。

 

「やはり機密情報なんですね」

「なにか気になりました?」

「いえ、気になるというか……もし誰にでも可能な……手術のような手段で実働要員になれるのなら、私も受けたいと思いました」

 

 なかなか突飛な思考である。

 俺と来瀬川教諭は顔を見合わせた。

 

「なんだってまたそんなことを」

「動ける人員が増えれば、不明災害の対処をあなたがたに押し付ける必要がなくなります」

 

 なるほど、そう見えているのか。俺は納得した。

 落合操縦士は真面目な人らしい。

 

「……おおとりの出動は頻度も範囲も異常でした。人員不足は明らかです。それに危険な職務です。おふたりのような方々がされることではありません」

「警官の仕事でもないですけどね」

「それは……そうでしょうが、一般市民の方にあたらせるなんて……」

「後ろめたいですか」

「問題だと感じます」

 

 本当に真面目な人だ。やや感心しつつ、俺は頭を振った。

 

「問題はあくまで不明災害の方です。対応人員の不足じゃない」

「……?」

「不明災害なんてものがなければ必要ないんですよ。俺みたいなのは。そこを履き違えてしまうと別の問題が発生します」

 

 全員が甲板に降りたタイミングでそう告げると、来瀬川教諭が俺を見上げて言った。

 

「きみは拡散を心配してるんだね」

「ええ」

 

 俺と来瀬川教諭の間ではそれで共有が済んだ。

 だが落合操縦士はそうもいかない。首を傾げている彼女に、俺はやはり歩きながら口を開く。

 

「俺みたいなのを量産してしまうと、今度はそれを制御するための人員が必要になります。資料室に対抗した組織なんてのも出てくるかもしれない。もし手法として一般化なんかしてしまえばもっと増えていく。戦争や犯罪にも使われるかもしれません。それはもう、新しい不明災害といっても過言じゃない」

 

 往還門を適切な管理なく運用すればそうなる可能性がある。異能を持った不老不死の魔力使いが大量に発生し、正負を問わず全てが変わるだろう。その混沌の負の面だけを見るのは悲観的に過ぎるかもしれなかったが、混沌と秩序なら俺は秩序を選ぶ。

 

「いま起きていることは俺が終息させます。もう二度と起きないようにする。それで終わりです」

 

 俺がすべての門を閉じる。今は天秤(LIBRA)という手段がある。どうやってか異界に渡ってきた竜種が仮に別の往還門をもっていたとしても、それも閉じる。そして流入した翼竜や竜種を掃討する。これがベストだ。

 

「……うーん」

 

 しかし、来瀬川教諭は何か納得のいかない様子で腕組みをした。ただ、明瞭な言葉にするまでには至らないらしい。

 なにか見落としているだろうか。考えてもよく分からず、ただ歩を進めていると目的の場所へと到達してしまった。

 

 甲板に備わった、貨物油槽(カーゴタンク)の清掃用ハッチである。リベット打ちの武骨な鋼の蓋に、ロック機構と取っ手が付いている。

 もちろん鍵などは持っていないので背広に付呪された解錠の魔術を使おうと思っていたのだが、照明の薄明りに照らされた無機質な蓋は、僅かに開いて浮いているように見えた。それが意味するものはひとつだ。

 オルダオラがハッチを開けた。

 

「……ふたりとも下がってください」

 

 俺は来瀬川教諭と落合操縦士を下がらせ、剣を抜いた。

 あまり危険はないように思えるが、罠という可能性もなくはない。不穏な気配を感じとった落合操縦士も拳銃を構える。

 

 ハッチに近寄って電灯で照らすと、床の汚れだと思っていた模様がなにかを引き摺った跡であることに気が付いた。それから、鼻をつく異臭にも。

 船内の至るところにあった血痕と同じもの、とするには面積も量も多すぎる。

 

 あまり考えないようにしていたことがある。

 姿のない船員の行方だ。はっきりと遺体が残っていたのは船員なのかどうか判断のつかなかった、無線機の男性だけだった。残りの人達はどこへ消えたのか。

 

 想像は付いた。

 付いたのだが、それだけではないのだろう。

 俺は重いハッチの蓋を開け、油槽の中に口を広げた闇に、電灯の光を向ける。

 

 

 

 色が見えた。

 本来は油が満ちているはずの広大な空間には、あってはならない色があった。赤。肌色。黒やピンクもあるだろうか。そんな色をした、剥き出しの何か、柔らかいものが波打っている。一面の肌。剥き出しの筋肉。内臓。

 

 肉だ。

 なにかの肉が油槽を占領していた。

 

 最初からそれが肉のようなものに見えていたのは確かだったが、俺の脳はそう認識しなかった。五十万トンの液体が収まる空間なのだ。そんな、何かの肉で満ちている筈がないだろう――

 

 小さな手に腕を掴まれ、俺は我に返った。

 無表情の来瀬川教諭が俺の腕を掴んだまま、その場にへたり込んだ。

 背後では嘔吐する音が聞こえた。

 

 むせ返るような異臭。これは潮風の匂いだと思っていたのだが、そうではなかったのだ。好きになれようはずがない。

 言い知れない、冷たい感覚が爪先から登ってきていた。それを素直に恐怖だと認められる程度には、俺は場数を踏んできているつもりだった。

 だが分からない。

 大型タンカーを満たすこの肉の塊が、いったい何を意味して何を目的としているのか。この船に残されたオルダオラの狂気と企みの産物を、俺は、まったく理解することも看破することもできなかったのだ。


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