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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
一章 門番と皇女
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26.パン屋の槍③

 この世界で飼育されている牛のような生き物は、俺の知っている牛とは由来を別にする生物だ。外見は牛というよりは馬に近く、気質としては豚に近い。

 その生き物を、この世界では「牛」と呼んでいる。

 長い年月をかけて品種改良されたその肉質は、食感はほぼ牛肉で風味は馬肉に似ている。

 焼いたその「牛」の厚切り肉に塩と胡椒めいたスパイス――これも、こちらの世界で「胡椒」とされている、似て非なる香辛料――をふんだんにかけた焼肉が、これでもかというほど串に刺さっている。

 シンプルなのはとても良いことだ。俺はその豪快な焼肉串を両手に持ち、往来のど真ん中を歩く。

 二刀流。即ち、無敵だ。

 俺はスタイリッシュなポーズを決めながら、右手に持った串の肉を齧った。

 

「……何やってんの」

 

 隣を歩くサリッサ嬢は、そんな俺に不気味なものをでも見るような目を向ける。

 俺は仕方なく、もう一方の串をサリッサに差し出した。

 

「楽しいからお前もやってみろよ」

「絶対に嫌」

 

 ノリが悪い。

 本当に心底嫌そうな顔を作りながら、赤黒のエプロンドレスの少女は串を受け取る。線の細いサリッサと豪快な焼肉串は、見た目的にかなりミスマッチだ。

 だが、彼女は思い切り肉に齧り付くや、さして噛みもせずにがぶがぶと食らっていく。瞬く間に分厚い肉だけが消失した串を、俺は呆然と見た。

 

 ――何だ、今のは。

 

 最近現世に戻った際にテレビで見た、ライオンの捕食シーンが脳裏を過ぎる。

 

「何よ」

「いえ、何でもありません」

 

 適当に誤魔化し、俺も焼肉を齧る。香ばしく美味ではあるのだが、なかなかの歯応えだ。サリッサのように一口でモリモリ食べ進めるのはとても無理だ。この少女は一体どんな顎をしているのだろうか。

 彼女のほっそりした横顔を眺めてみても、秘訣は見当たりそうになかった。

 

「で、次は何食べるの?」

「な……!」

 

 昼間から分厚い焼肉を平らげた後だとは思えない台詞を吐くサリッサ。その視線は、商店街の両側に広がる屋台の列を向いている。

 本気だ。俺はなかなか噛み切れない肉を咥えたまま戦慄した。

 誘ったのは俺だし、乗り気なのも俺だったはずなのだが、今は何だか酷く怖い。

 置いていかれた猫? とんでもない。両手を腰に当てて周囲を睥睨する黒髪の少女の姿は、まるで黒豹のようにすら見える。

 

「肉の次は、やっぱり肉よね」

 

 まるで意味不明なことを言いながら、サリッサは屋台のひとつへ大股で向かっていく。焼き鳥らしき料理の店だ。近寄ってくる猛獣に、店主が気圧されたかのように一歩下がり、さらには呪文のような長さの注文を聞いて大口を開けた。

 俺は注文の内容をなるべく聞かないようにしながら、静かに肉を食む。

 サリッサは、両手の指よりも多く串を持って戻ってきた。そして、俺の方へ戻ってきた時には既に、三本の串の鶏肉が忽然と姿を消している。

 秒刻みで消えていく肉。なんて速さだ。俺は負けじと冷めてゴムみたいに固くなった焼肉をようやく一枚食べ切ったが、その頃にはもう、彼女の両手に鶏肉が残った串はなくなっていた。

 ひっ。

 思わず、短い悲鳴を上げる。彼らは一体、何処へ消えてしまったのだろうか。

 涼しい顔で、全てを飲み込むサリッサが言った。

 

「あれ? タカナシって意外と小食なのね。この間も揚げパンひとつで満足してたし」

「……ちょっと具合が悪くなってきただけだ」

「そうなの? 大丈夫?」

「ああ」

 

 胸焼けがしてきただけだ。

 俺は肉体的に同世代の男よりもよく食べる方だと自負しているのだが、さすがにブラックホールめいたこの少女とは比較の余地はないだろう。桁が違う。

 やや心配そうに俺の顔を覗き込むサリッサだが、数秒後には再び次の目標を見据えて行動を始めている。

 デザートでも食べるのかと思いきや、また肉だった。

 俺はもう、見るのをやめた。

 

 

 

 

 まったく、大した健啖家ぶりだ。

 

 サリッサは、俺が焼肉串を一本食べ終えた頃には、既に買い食いの残骸を文字通り山ほど抱えて立ち往生していた。

 収穫祭の当日にはゴミ入れの木箱があちこちに配置されるのだが、まだ祭りは始まってもいない。試運転がてらの営業をしている屋台の店主たちも、さすがにまだゴミ処理までは頭が回っていないのだろう。当然といえば当然だ。

 ゴミの処分に困った俺とサリッサは、早々に南門の詰め所まで引き上げることになった。結局、俺は串一本しか食べれていないのだが、サリッサの食べっぷりを見ているうちに満腹になってしまった。

 

 詰め所の木箱にゴミを放り込んでから、

 俺たちはどちらが言い出すともなく南門の前の平原に足を向けた。

 そこは、サリッサと初めて出会った場所だ。

 

 あの時はお互いに苛々していたように思う。お互いの手には武器があったし、最後には殴り合いになった。

 実に酷い出会いだ。サリッサが俺を嫌うのも当たり前だろう。

 

「あの時は悪かったわね」

 

 微風に髪をなびかせながら、同じことを考えていたらしいサリッサが言った。

 俺は少々驚き、それから、風にざわつく野草の群生を見ながら言った。

 

「お互い様だ。俺も悪かった」

 

 今、彼女の手には武器はない。持っているのは、真っ赤なキャンディーアップル――リンゴ飴だけだ。まだ食べるのか、という俺の問いに、彼女はまるで当たり前のように頷いてそれを購入していた。

 また胸焼けがしてきた。俺は持っていた長い棒状の布包みをそこらに転がすと、普段から着ている皮のコートを脱ぎ、草原の上に雑に敷いて座った。

 空を見上げれば、雲ひとつない快晴だった。

 

「言っても信じないかもしれないけど、あたしだってあんな仕事は嫌だったのよ」

「……いや、信じるよ」

 

 サリッサは驚いたような顔で振り返り、すぐに赤い瞳を逸らしてリンゴ飴を齧る。

 僅かに飴の割れる音がした。

 

 あの時のサリッサは、確かに俺と出くわす前から機嫌が悪そうに見えた。

 月明かりの下を、のしのしと大股で歩いてくる姿をよく覚えている。何せ、彼女は目立つ大鎌を背負っていた上に、かなり派手な格好までしていた。またとんでもないのが来たなと、俺は仰天したものだ。

 ジャンの手前、断ることも出来なかったのだろう。その是非を問われれば、俺としてはやはり否定するしかない。

 だが、自分を省みれば俺も偉そうなことは言えない。人と約束したことをそのまま延々と続けているだけの俺には、そんな資格はないだろう。

 

「……だからなのかな。負けたのは凄く悔しかったし、あんたはやっぱり憎たらしかったけど……なんか、本当は安心してた。誰が来ようと、きっとあんたは負けないから。あたしは無敵の門番に捕まったまま、ずっとパン屋で暮らしていく。騎士に戻るなんて……もう二度とないんだって、そう思ってた」

 

 なのに。

 言葉に被さるようにして、リンゴ飴を齧る音が届いた。

 

 俺は遠くに見える山の深緑を眺めながら、頭の中で言葉を探す。

 がらくたのような俺の頭では、どうにも、ろくでもない言葉しか見当たらない。頭も悪いのに口も悪い。学もない。無敵でもない。

 そもそも何が問題なのかも分からない。

 

「パン屋でいいじゃないか」

 

 だから俺は、やはり無責任なことを言った。

 リンゴ飴を口に当てたまま、サリッサは呆然と俺を見る。

 

「パン屋がいいなら、パン屋でいいじゃないか。騎士がパン屋になっちゃいけないなんて決まりはどこにもない。それとも、カタリナが駄目だって言ったのか?」

「そんなことないけど……でも、店長だって騎士は一人でも多く欲しい筈でしょ?」

 

 どうやら、病室でのカタリナの話を立ち聞きしたらしい。

 俺は立ち上がり、コートを羽織った。

 傍らに置いていた長い布の包みを持ち、サリッサの前に立つ。

 

「あいつは無理強いなんてしない。サリッサはサリッサがしたいようにすればいい」

「したいように……って言われても……」

「やるよ」

 

 棒状の包みをサリッサに手渡す。

 

 かつてサリッサと戦った際、俺は彼女の大鎌を破壊している。残骸を回収はしたのだが、折れた俺の長剣と同様、修復は難しいとのことだった。

 これは、せめてもの侘びとして用意していた品だ

 中身は長槍だ。大鎌の代わりにはならないだろうが、騎士が丸腰では様にならないだろうと思ってのことだ。思っていたのとは少々違う形で渡すことになってしまったが、それはそれで構わない。

 

「必要なら使ってくれ」

「……それって結局、店長に協力しろって意味じゃない」

 

 呟くように言ったサリッサは、布の包みを開けて長槍を手に取った。

 

 二メートル半程の黒い長柄の先端に、赤い鞘に収まった剣状の穂先が付いている。素材は分からない。金属のようにも見えるし、石のようにも見える。

 この槍は、かつての俺の仲間が倉庫に死蔵していたものだ。現世に帰っていった彼から俺に譲り渡されてからも、一度も使用されていない。

 あまりにも長い年月が過ぎたにも拘わらず、槍はメンテナンスもなしに輝きを保ち続けている。何らかの魔法がかかっているのかもしれないと俺は推測している。

 

「違う。この槍は単に、選択肢は多い方がいいって意味だ。パン屋が戦っちゃいけないなんて決まりもどこにもない。いつか役に立つかもしれない」

「余計なお世話よ」

 

 サリッサは左手でリンゴ飴を持ちながら、右手だけで長槍を器用に回して石突を地面に立てる。まだ騎士の力が戻っていないにも拘わらず、その動作は見事なものだ。長柄の得物の扱いは慣れたものなのだろう。

 言葉とは裏腹に、サリッサは長槍を満更でもなさそうに見上げる。

 この先は彼女次第だろう。

 

 俺は至近にあるサリッサの白い頬に、掌を当てた。不意を突かれたサリッサは顔面を真っ赤に染めながら身を固くするが、飛び退いたりはしなかった。

 いい調子だ。

 

「そのまま、しばらく動くなよ」

「……えっ? えっ!?」

「動くと失敗する」

 

 サリッサは動転の境地にいるようだったが、ここは我慢してもらうしかない。

 俺は頭で様々に浮かんでは消える言葉の中からひとつを探し、集中する。

 

 

 魔法を使うイメージは、どうにもこうにも回りくどい気がしてあまり好きではない。呪文を覚えるのも難しい。素質がない、とは俺のような人間を指すのだろう。

 何とか必要なイメージを脳内で構築し終えた俺は、何がしかの覚悟を決めて目を閉じているサリッサに向けて、端的な呪文を口にした。

 

 

解除(リリース)

 

 

 かしゃん、と何処かで薄いガラスが割れたような音がした。

 どうやら成功したらしい。

 頬を染めたままポカンとするサリッサから離れ、俺は緊張の汗をぬぐった。

 

「……虜囚術式(コンプレヘンシオー)の解除はやっぱり怖いな。失敗すると、色々大変なことになるし。術式をかける手間に比べるとまだマシとはいえ、俺にはちょっと荷が重いぜ。いやあ、成功してよかった」

 

 俺は心からの安堵の笑みを浮かべるのだが、サリッサの顔面はみるみるうちに引き攣り、憤怒の様相を帯びていく。

 おかしい。無事に成功したというのに、サリッサの様子は変だ。わなわなと震えているばかりか、激しい怒りに支配されているようだ。

 一体何があったのか。

 

「こっ……この野郎……よくも……この野郎!」

 

 魔素(マナ)の操作を取り戻したパン屋の周囲に、見えざる重圧が生まれた。

 俺は全身が粟立つのを感じた。

 何だかよく分からないが、まずい。とても、まずい。

 そう思った次の瞬間、ちょっと洒落にならない速度で振るわれた長槍を受けた俺の体は、見事に宙を舞っていた。

 

 

 な? 選択肢は多い方がいいだろ?

 

 

 早速、長槍を有効活用してくれたサリッサを空中で温かく見守った後――

 ――俺は、大地と熱烈なキスをした。

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