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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
六章 天蓋
259/321

09.線

 竜種という生き物は強大で尊大。そして傲慢だ。

 自分たちが至上の存在だと思っている節がある。実際、生物としてのスペックが桁違いなのは確かだ。一部の人類にも似たような節はあれど、彼らのそれはスペックと同様桁が違う。過激派の竜種の辞書に他者の尊重などという言葉は存在しないし、敬意などというものを自身の上位者以外に向けることはない。

 

 そんな竜種が自身の本来の姿を捨て、別の生物の姿をとるなどということは屈辱以外の何物でもないのだという。

 まあ、俺としては生物として他に類を見ないほど巨大な体躯など不便で仕方ないように思うし、五体のバランスが文明に向かない竜種の造形はどうにも哀れだとすら感じる。なので人化法なる禁忌を竜種が持っていると知ったときも、別におかしなことだとは思わなかった。

 しかし、人化法を実際にやった竜種は一体しか見たことがない。人類種に味方した最後の竜。裏切りの娘デッセネウラ。彼女は今も、俺の遺物(アーティファクト)である白い剣と共に現界の地の底で眠っている。

 

 つまり竜種にとってすれば、種族全体の裏切り者でようやく実践するかどうか、という次元の禁忌なのだ。人に化けるという行為は。

 故に、活動の気配ばかりがちらついていた、ようやく遭遇した完全な竜種が人の姿をしているという事実が、俺にはいまひとつ腑に落ちない。

 

 それに、だ。

 天敵の前に出ざるをえなかった竜種の女はさぞ不本意なのだろうが、俺としても様々な意味で不本意極まりない。翼竜でさえ耐え難かったのに、死に絶えたはずの竜種が異界に渡って来ているなどという現実は、まったく認められない。誰にとっても不幸でしかない。

 

 

「はぁー……」

 

 

 女と対峙したまま、俺は最大級の溜息をついて頭を掻いた。

 それから様々な選択肢を検討し、中から最も適当と思えた言葉を口にする。

 

「帰れ」

 

 竜種は、女の顔で唖然としていた。

 わざわざ振り返らなかったが、来瀬川教諭たちも似たような顔だろう。

 

「どうやってこっちの世界に来たか知らんが、今すぐに帰ってくれ。でないと、警視庁公安部の業務委託者として直ちに警察権を行使する」

「……ぎょ……業務受託者だよ……高梨くん……?」

 

 来瀬川教諭の大いに困惑した、呆然とした訂正の呟きが風に流れていった。

 なるほど。たしかに俺が委託してるわけではないな――などと納得していると、女が唖然としたまま言葉を発した。

 

「貴様は何を言っている」

「筋を通して折り合いをつけてる」

 

 即答して剣を担ぎ直した。

 

 竜種を根絶やしにした後悔は、まだ俺の中で燻っている。しかしそれは、目の前の危機や今ある誰かの平穏と釣り合いが取れるものではない。守るために戦うことが必要なら、また竜種と戦わなければならないのだと。その折り合いを、俺が、俺につけるために言う。

 

 

「最後の警告だ。帰れ」

 

 

「――増長しよるわ! 小虫が!」

 

 

 名も知らぬ竜種の目が見開かれる。

 剥かれた歯には牙が覗くが、少しも恐ろしくはない。

 

 習慣として仮面を被った俺の抜剣と同時に、竜種の足元の甲板が耳障りな金属音をあげた。歪み、大きく陥没しているのが見える。ハニー・ヴァイキングの船体が僅かに傾いたような錯覚さえした。

 

 質量が増したように見える。どうもパワータイプらしい。

 そう解釈しつつ、新たな愛剣である西洋剣の刃を担いで踏み込む。

 

 現象攻撃(フェノメノンアタック)を使う。

 敵が騎士であろうが魔術師であろうが、人間だろうが竜種だろうが関係ない。防御も防具も何もかも切断する、剣の福音の現象攻撃。当たれば致命。防ぐことは叶わない。

 敵もそれを理解している。千年前の戦いを覚えているのだ。

 女は自身の足元、甲板を構成している鋼板パネルへ無造作に掌を突っ込んだ。信じ難いことに力だけで鋼板を破断したらしい。そのまま掴んでパネルごと持ち上げ、鋼板の壁を作る。力自慢にも程がある。

 

 いや、力自慢ばかりというわけでもないらしい。

 俺が瞬時に二度、剣を振るって斬り飛ばした鋼板の壁の向こうで、女は大きくバックステップしていた。膨大な魔力任せの機動。一息で十数メートルほどの距離を稼いでいる。

 強引に初太刀を外し、距離をとって遠距離戦を仕掛ける。

 そういう腹であったらしい。

 瞬間を何分割かした刹那、後ろ跳びに滞空する女の両掌が打ち合わされるのが見えた。近代の魔術師が知らない、原初に限りなく近い魔術の予備動作。

 

 魔術とは、突き詰めれば魔素への命令だ。

 複雑なことをしようと思えば合図や伝達手段が複雑になるだけの話で、本来、意思さえ伝われば合図は何でもいいらしい。その意思伝達が、人類種の精神的なスケールでは低い限界しか持たないために魔術は複雑化した。

 だが竜種は異なる。人類種の数十倍の体積をもつ脳と強靭な霊体に裏打ちされた、強大な精神力を保有している。彼らに複雑な魔術など必要ない。練り上げた膨大なイメージをダイレクトに魔素へと伝達し、凄まじい威力を行使できる。原初に近い魔術。力持つ祈祷だ。

 

 が、そんなものを座視する理由がない。

 

 既に逆手に持ち替えていた愛剣を振りかぶり、投擲の構えをとる。それから最小最短の動きで剣を放った。特に何も思わなかった。

 一直線に飛翔した剣は予備動作の姿勢をとったままの女、胴の中央に突き刺さった。

 

 その様に。

 一瞬だけ、遠い過去の光景が重なる。それは本当に一瞬のことで、竜種の女が衝撃できりもむように吹き飛ぶのを俺は何の感慨もなく見送った。

 

 

 

 こうなった原因の半分は、人化による弱体化だ。

 屈辱がどうとかいう以前に、人化法には戦闘面のメリットが殆どない。どころかデメリットだらけだ。ただそれだけで人類種を蹂躙できる強大で頑強な体躯を放棄し、脆弱な人体を選択するメリットがもし何かあるとすれば、それは技術だ。

 肉体のスペックだけで言えば弱者の部類である人類種は、道具や技術を磨くことでその不利を埋めてきた。工夫と言い換えても良いだろう。生来のスペック頼み、力押しありきの竜種の戦い方とはまったく相容れない。莫大な魔力も宝の持ち腐れだ。

 

 それでも戦うなら、最初から接触などせず、俺の視界外から長射程高威力の魔術を連射して飽和攻撃を狙えばよかったのだ。ついでに攻撃範囲に来瀬川教諭たちを巻き込めば盤石だ。それなら俺はある程度不利な戦いを強いられることになっただろう。

 

 しかし、竜種はそれをしない。

 工夫を嫌うからだ。己を絶対者であると定義するが故に、その否定である弱者の戦術を採用することができない。真正面から戦い、強大な力で圧倒して捻じ伏せることこそが彼らの美徳なのである。負けると悟っていても。それが、こうなった原因のもう半分だ。

 

 

 

「くく……こうも、歯が……立たぬとは、いっそ清々しい……心地よ」

 

 吹っ飛んだ竜種の女は甲板上の鋼管に縫い留められていた。

 腹には俺の愛剣が突き立っているし、周囲には鮮血が大きく飛散している。

 あまり気分のいい光景ではなかった。

 

「人化してる以上、肉体は人間と大差ない。致命傷だ」

「……この肉は、そうとも」

 

 鋼管に貼り付いた女は濁った眼で笑みを刻む。

 

「剣の、者……星霜の果て……貴様の力は、減じた。我らは覚えて、いる……恐ろしげなる姿……燦たる、光。きさまの……牙」

「お互い様だ」

 

 今のところ、俺が遭遇した竜種は弱体化が著しい。

 半死半生で半身だけの個体と、人化などをしてしまった異常者。脅威には違いないが、かつての姿からすれば見る影もない。

 だが、

 

「なれば、此度こそ……我らの、勝ちだ」

 

 やけにはっきりとした言葉を残し、女の体が崩れた。細かな肉片と骨が甲板に落ち、床の上でぐずぐずの赤黒い肉塊になった。そこから何か、おぞましい変化でも見せるのかと身構える俺だったが、肉の塊が何らかの動きを見せることはなかった。魔力も消えている。

 

 どうやら死んだらしい。

 そう判断して詰めていた息を吐いたとき、頭の中に奇妙な音が響いた。

 

 

 

 ――我は先触れたる陪神(カーロ)、右角オルダオラ。

 

 

 

 竜種特有の、思念による意思伝達だ。まさか遺言ではないだろう。

 判然としないが、殺しそびれたのかもしれない。これが人間相手なら幻術や死霊術などの小細工を疑うところだが、竜種には個体固有の能力もある。

 

「名乗るなよ……やりにくいだろうが」

 

 気が重い。俺は頭を抱えた。

 先触れ、とは尖兵に近い意味だろうか。よく分からない。

 だが、陪神という語が指すのは明確だ。覚えている。竜種の中でも力ある個体に従属する竜種のことだ。

 生態として竜種は群れないが、そういう主従関係はあった。オルダオラなる竜種が現代でも陪神として動いていたのなら、更に上位格の竜種が蘇生している可能性がある。

 敵の言を鵜呑みにするのも問題だが、気に留めておいた方が良さそうだ。

 

 思考を打ち切って顔を上げると、剣によって鋼管に縫い留められた一枚布の上衣が風に揺れていた。今さらながらに潮風の匂いに眩暈がする。海はあまり好きになれそうな場所ではなかったらしい。

 何より洋上は寒い。だというのに今日は諸事情でコートがない。魔術的な保護を施された安物の背広を着込んでいる俺だが、防寒性は皆無に等しい。

 

「きみさ、警察権の意味、知ってる?」

 

 なので、来瀬川教諭の小さな足音が寄ってきたのも、やや非難の色がある声をかけてきたのも分かっていて、俺はポケットに手を突っ込んだままだった。

 

「いや、適当言っただけです」

 

 振り返ってみれば、やはり仮面の向こうに来瀬川教諭が立っていた。

 察してはいたが、落合操縦士の姿は遠い。遠巻きに、拳銃を構えてこちらを向いている。その銃口が誰に向けられているのかは、おそらく構えた本人もよく分かっていない。俺も考えないことにした。

 

「殺したの?」

「分かりませんが、そのつもりで攻撃しました。最善だと思ったので」

「……きみは言い訳をしないんだね。先生と落合さんを守るために仕方なかった、とか」

「言ってほしいんですか?」

「ぜんぜん」

 

 来瀬川教諭は力なく笑った。

 彼女の目の前で戦ったのは初めてだ。翼竜駆除とはまた違う。ショックを受けていて然るべきだと思うのだが、来瀬川教諭は来瀬川教諭のままだった。

 だから、俺も俺のままで返答をした。

 

「俺の選んだ最善は俺のものです。それが俺の線引きです」

 

 人にお裾分けするのは好きじゃない。そういうのは傷になる。

 来瀬川教諭は苦笑した。まるで眩しいものでも見るかのように目を細め、顔を逸らす。

 それから幼い顔の造形に不釣り合いな、どこか冷めたような、透徹した表情でオルダオラの肉塊を見た。

 

「人間にしか見えなかったのにね。言葉も喋ってたし」

「哀れだと思いますか」

「ううん。奇妙だなあって思っただけ。人間の形をしてるだけで話が通じるとは限らないし。すごく怖かったし」

 

 来瀬川教諭はそう言うと、ふっと遠い目をした。

 

「人間同士だってどうにもならないことがあるのに……言葉と形だけで分かり合えるんだったら、どんなに良かっただろうね」

「……そうですね。本当に」

 

 彼女の発言が何を想起してのものだったかは分からない。俺の見てきたものと違うのは確かだったが、向いている方向は同じだと思った。俺がそう信じたかっただけかもしれないが。

 いつか、彼女が話をしてくれる時が来るだろうか。俺の知らない来瀬川教諭の話。彼女の見ているもの。その全てを。

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