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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
六章 天蓋
258/321

08.パスファインダー④

 おおとり9号(アグスタ)との別れは呆気なかった。ハニー・ヴァイキングの巨大な甲板に目掛けて高度を落とし始めた瞬間、機体は完全に安定を失って急降下を始めた。そんな状態でヘリポートもない船に着船などできる筈もない。そう判断し、新たな権能で剣を「呼び寄せた」俺は、来瀬川教諭と落合操縦士を抱えておおとり9号(アグスタ)から脱出した。

 

 落下した機体は前部、操縦席を頭にして甲板の前方部分に突っ込んだ。降着の瞬間は着弾と表現した方が妥当だったかもしれない。爆発こそしなかったものの、凄まじい衝撃音と共に機体は完全に破壊されてしまった。

 よくよく考えてみれば、石油タンカーにミサイルをぶっ放すのと大差ない危険度だった気がする。もっと手前の海上で機体を乗り捨てた方が穏当に済んだかもしれなかったが、着船が不可能だとまでは予期できなかったので結果論にすぎない。つまり事故だ。俺や永山管理官の胃に穴が開くくらいで済むといいのだが。

 

 ハニー・ヴァイキングの甲板は橙色の照明が煌々と灯っていた。それがなければ計器類を殆ど失っていたというおおとり9号(アグスタ)で辿り着くことはできなかっただろう。落合操縦士は憔悴した様子でそう語ったが、大海原の上ではドット程の大きさだっただろうハニー・ヴァイキングを探し出すのは並大抵のことではないように思う。彼女がおおとりの操縦士だったことのほうが僥倖である。

 

 落合操縦士は、顔を合わせてみればかなり長身の女性だった。体格のせいか、つなぎのような意匠の独特な服装が妙に似合っている。この状況で会話禁止も何もないだろう。彼女は普通に口を開いた。

 

「おふたりとも声がお若いとは思っていましたが……おいくつなんですか?」

「あはは……」

「聞かない方がいいっすよ」

 

 俺も来瀬川教諭も、正直に年齢を話したところで信じてはもらえないだろう。その質問は愛想笑いで誤魔化した。

 

 来瀬川教諭の負傷は見た目ほど重くはなかった。痛々しく直視に耐えなかったが、硝子片のものと思しき細かい切り傷が多い以外は、右大腿に軽い火傷を負った程度で済んでいた。

 浅い切創や火傷程度なら俺レベルの術使いでも完全な処置が可能だ。今日ほど治癒術を習得していて良かったと思ったことはない。

 落合操縦士は応急処置の様子や俺の携えた西洋剣を心底訝しそうに見ていたが、やはり職務上深入りは禁止されているのだろう。次なる質問が飛んでくることはなかった。

 

「ありがとね、高梨くん」

 

 傷を消し終えると、来瀬川教諭ははにかむような笑顔を見せてくれた。術に集中していたので意識していなかったが、治療のためとはいえ知った顔に体をあちこち触られるのは抵抗もあっただろう。申し訳ないことだった。

 思えば、ほぼ一般人の来瀬川教諭がこの状況でも冷静なのはどう考えても奇妙なのだが、のんびり話をしていられる場合でもない。

 俺は懐に仕舞っていたスマートフォンを取り出し、電源ボタンを押下した。が、そうかもしれないと思ったとおり全く反応がない。

 

「ふたりの端末は使えます?」

「うーん、どうかなあ……電源が入っても電波は入らなさそうだけど……」

「あ、そうか」

 

 言われてみれば海のど真ん中に回線の基地局があるとは思えない。

 来瀬川教諭はライムイエローのカバーが付いた端末を取り出してぽちぽちと操作するが、やはり電源が入らない様子だった。落合操縦士は試みるまでもなく首を振る。

 

「電話は操縦席に置いていました」

「あー……それは申し訳ないことを」

「いえ、問題ありません。ああしなければ全員危なかったですし、正直助かりました。墜落を覚悟していたので」

 

 さっぱりしたものだが、ふたりに混乱されても宥める自信がないので非常に助かる。実のところ、人間ふたりを抱えてヘリから脱出などという芸当をぶっつけ本番でやるのはかなりの博打だったのだが、知らぬが花である。

 

「となると、やっぱり頼みはタンカーの無線か……どうしたもんかな」

「……?」

 

 考え込む俺に、来瀬川教諭がくりっとした目を向けてくる。

 おおとり9号が落着した場所。俺たちの居る位置は巨大な甲板のほぼ船首部だ。無線の類があるとすればタンカーの後部に立っている船橋だろう。大体三百メートルほど離れているように見えた。そこまで移動しなければならないのは明らかで、なにも迷うことはないだろうという疑問なのだろうが、

 

「どうしたの、高梨くん」

「いや……この船、ちょっととんでもないのが乗ってるっぽくて」

 

 乗り込む前から気付いてはいたのだが、船内から翼竜が可愛く思えるほどの魔力の気配が漂っている。船体で遮蔽されているせいか明確に読めないまでも、遠距離、しかも金属の遮蔽物越しにも分かるという事実がかえって強さを物語っている。

 人外。つまり竜種だの魔族だのと数知れず戦った身としても、これほどまでの魔力量はちょっと古代まで遡らなければ記憶にない。

 

「危険そう?」

「見てみないと何ともですが、こんな騒ぎで船員が出てこないのはそういうことでしょう。関わりたくはないですね。できれば」

「そっか……そうだね」

「とはいえ、避けられもしない。このタンカーが行方をくらませてたのもそれのせいでしょうし」

 

 難しいのは行くか行かないかではなく、来瀬川教諭と落合操縦士。ふたりと別れるか別れないかだ。巻き込まないという意味ではどこかに隠れていて貰った方がいいようにも思えるが、彼女たちの自衛力にはまったく期待できない。別行動に不安が残る。

 悩ましいところだが、覚悟を決めるしかないだろう。何があっても俺が守れば良いだけの話だ。

 

 名もなき西洋剣を肩に担ぐ。

 

「先行します。五メートル離れて後ろをついてきてください。できれば物陰に隠れながらがいい」

 

 彼女たちの目に時代錯誤な武器を担ぐ俺がどう見えているのかはさて置き、ふたりとも黙って了解してくれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 竜種の相手をしていた時代もそうだったのだが、あまりに巨大な力を持つ存在というのは色々な意味で大雑把で、時として人間相手よりも楽な場合がある。

 彼らの感覚からしてみれば人間はコバエくらいの微小な生き物だ。生態系序列がどうこうとか貴賤の話ではなく、物理的にそうなのだ。サイズの話である。なので、こちらがあまりにも巨大な図体と魔力反応に怯え散らかしていても、竜種側は気付いてもいないということがままあったと記憶している。

 

 ハニー・ヴァイキングの船体に潜むものが何者であれ、そういった類の大物である可能性が高まっている。現におおとり9号(アグスタ)の墜落から時間が経っても何も姿を現さない。

 甲板をのんびりとした歩調で堂々と歩く俺の前に、急にとんでもない化け物が現れるということはなかった。良い兆候なのか悪い兆候なのか判断し難い。

 

 初めて目にする石油タンカーの大きさに驚きながら数十メートルを進んだところで、俺は甲板上に倒れた人間を見つけた。

 首が半分以上裂けた外国人男性だった。血だまりに倒れた彼が絶命しているのは明らかだったが、敢えて無防備に近寄って脈を確認する。

 もしその様子を害意ある何者かが見ていたなら、このタイミングで襲ってくるだろう。しかし何か攻撃が来る気配もなく、俺は息を吐いた。

 

 いっそ早く掛かって来てくれた方が楽だ。

 

 遺体は首以外は綺麗なものだった。まだ体温も残っている。ワイシャツの上にハーネスという奇異な出で立ち。服の上からでも一目瞭然なほど精悍な体つきをしている。無線機の付いたハーネスやベルトのガンホルダーから推測するにも、タンカーの乗組員ではなさそうに思えた。いや、言い切る材料も俺にはない。もしかすると海賊対策に雇われた警備員という線もある。

 

 所持品を確認させてもらおうと手を伸ばしたとき、後方から足音が寄ってきた。振り返ると、来瀬川教諭が男性に向けて手を合わせている。その様子に、本当は俺もそうあるべきだったんだろうな、と僅かな感傷を覚えるが、変化してしまった意識はもうどうしようもない。

 落合操縦士は俺と似たようなものだ。甲板に落ちていたらしい拳銃を拾ってスライドを引いているところだった。弾が残っていなかったらしく弾倉を捨てていたので、俺は男性のベルトに残っていた弾倉を引き抜いて投げ渡した。

 

「これ一本だけです」

「ありがとうございます」

 

 落合操縦士は慣れた手つきで装填を済ませるが、表情が硬い。発砲にまでは慣れていないように見える。武器の有無に慰め以上の意味はないので構わないだろう、と簡便に片付けて、男性の所持品を簡単にチェックする。

 何も持っていない。電話どころか財布すらないのだから徹底している。素人ではないのかもしれない。

 仕方がないので無線機だけをお借りして、僅かに黙祷を捧げた。

 身元が分かれば国許に報せるくらいはできたかもしれないが、これ以上は余裕がない。彼を背負っていくわけにもいかない。

 無線機は周波数を合わせるタイプのものだった。あまり期待せずそれらしいボタンを押すと、意外なことにノイズが鳴る。使い方は分からないが、電源が生きているだけでも幸運と言える。

 

 幸運? 本当にそうか?

 

「タンカーはさっきのあれ影響なかったのか……?」

 

 腑に落ちない感覚が口から勝手に漏れた。

 無線機に興味を示したらしい来瀬川教諭がひょっこり歩み出てくる。

 

「甲板の照明も生きてるし、やっぱり影響なかったんじゃないかな。本当に電磁パルスだったらそんなに広い範囲に照射できないと思うし」

「電磁波のことですよね、それ。なんで広範囲は無理なんです?」

「正確には違うんだけど……単純に電力量の問題かな。原発でも持ってこないかぎりそんな大電力を持ってくる方法が……」

 

 喋りながら来瀬川教諭のミニマムな身体が傾いていく。角度が最大になったところで、はた、と気付いたような顔になった。

 

「魔法?」

「断言はできませんが、魔術で電磁波レーダーをやった人間を知ってます。違いは出力の多寡だけかと思いました」

「怖いね。どこまで応用できるんだろう」

「俺の居た時代では限定的ですが重力制御までやってます。ほかにも色々」

「冗談でしょ」

 

 来瀬川教諭の顔色は悪い。そりゃそうだ。魔術が魔術のまま異界(クリフォト)に流入したらこういうことにもなってしまう。

 とはいえ、こんな馬鹿みたいな大出力の魔術を魔素リソースの乏しい異界で繰り出せるのは魔族か竜種くらいなものに思える。そしてその何者は、ハニー・ヴァイキングから指向性の魔術をぶっ放したと考えて良さそうだ。

 狙いは分からないが俺たちじゃない。追撃がないのがその証拠だ。加えて、何故か破壊魔法を避けてまだるっこしい術を使っている。指向性くさいのは収束させて射程を稼いだか、タンカーが壊れることを嫌ったと考えるべきか。

 わざわざ乗ってきたくらいだ。まだハニー・ヴァイキングが必要なのだろう。どれほどの重要度かはともかく。

 

 状況が少し見えてきた。

 

「落合操縦士」

 

 呆然と突っ立っていた落合操縦士に今度は無線機を投げる。

 唐突なタイミングでも彼女は取り落とさなかった。

 

「俺にはアテがないので、三分だけ通信の試行をお願いできますか。駄目だったら予定通り船橋に移動しますが、道中も引き続きお願いできれば」

「あ、はい」

「先生は他に気付いたことがあったら教えてください」

「うん? そうだね……」

 

 来瀬川教諭は目線を夜の海に向ける。

 普段の生活や業務のオペレーションだけではない。パークの一件でもそれ以降の翼竜駆除でも、来瀬川教諭の洞察は俺と違う経路で物事の奥を見通す。

 照明の緋色を写して煌めく大きな瞳は、夜闇の一点を見詰めて動かない。いったい、この人の目には何が見えているのか。俺に同じものは見えるのか――

 

「……なんで石油タンカーなんだろう?」

 

 ややあってから発せられた言葉に、俺は首を動かした。

 甲板からも縦横に伸びたパイプが見えている。タンカーがタンカーたる所以。その必然性。石油タンクが船内にある。

 

「五十万トン級……でしたっけ。このタンカー」

「そう言ってたね」

「なにが五十万トンなんですか、この場合」

「載貨重量トンのことだと思う。積める原油の量を示す数字」

 

 船の重量じゃないのか。

 嫌な感じがする。

 

 

 いま積んでるのは本当に油か?

 

 

 同じ疑問に到達しただろう来瀬川教諭と視線が交錯する。

 さして言葉は要らなかった。

 

「安全確保の後、中を確かめます」

「うん」

 

 まずは船橋を押さえる。本当に危険なものが詰まっていたら、来瀬川教諭と落合操縦士を抱えたままでは対処が難しい。二人をハニー・ヴァイキングから離脱させるのが優先だ。

 もう来瀬川教諭と組んでそれなりの場数を踏んだ。これくらいの段取りは互いに共有できる。問題は――無線機を片手に険しい顔をしている落合操縦士だろうか。その様子では通信の首尾を聞くまでもない。俺は口を開こうとした。

 

 

 

「させんぞ、(つるぎ)の者」

 

 

 

 覚えのない、第三者の声がした。

 ぎょっとした来瀬川教諭と落合操縦士が俺の背後に視線を送っている。

 

 実に嫌なタイミングで出てくる。

 聞き耳を立ててこちらの出方を窺っていたらしい。舌打ちした俺は、その場で踵を返して向き直る。いっそ掛かって来てくれた方が本当に楽だった。

 

 異様な女がいた。一枚布の上衣。異界(クリフォト)ではまずお目にかかれない現界(セフィロト)様式、しかも古代の司祭服に身を包んだ女だ。

 かつてのあの世界には土着信仰とでも言うべきか、竜種を対象とした独自の信仰があった。その色を強く感じさせる意匠が女の服にはある。久しく見なかったものだ。

 女の顔は美しいのだろうが、浮かんでいる焦りの色が強すぎて造形がよく分からない。人種も定かではない。ただ容姿端麗であるというだけで、類似する人種が無い。そういう特徴に合致する存在には心当たりがあるが、残念ながら俺の記憶にある個体ではなかった。

 

「どこかで会ったか?」

「……貴様」

 

 女がまなじりを裂く。俺の問いは逆鱗に触れたらしい。

 どこも何も現界(セフィロト)以外にないのは分かっているのだが、憶えていないものは憶えていない。この女のご機嫌を伺う理由も俺にはない。

 

 魔力探知の感覚はとうに狂っている。眼前のその女は、本来は数十メートルはあろう魔獣が宿す力が人間大に凝縮された代物だ。仮に俺の魔力量を一とするなら、この女のそれはおそらく五桁か六桁に達する。間近にいきなり太陽が現れたかのような気分だ。

 これほどまでとなると、もはや魔力使いでない人間にも明確な影響がある。来瀬川教諭と落合操縦士は顔面を蒼白にして硬直している。

 あまりにも魔力量が多いものを目にすると、明確に感じ取れずとも人間は本能的な恐怖を覚えるらしい。理由はよく分からないが、かつての現界(セフィロト)ではよく見られた光景だ。

 

「そのなり(・・)はなんだ、蜥蜴。どういう冗談だ」

「なぜ貴様が基底大地(パルテンレイオン)に居る」

 

 挑発と問いを投げ合うが、互いに返答を期待してのことではない。

 牽制にすぎない。

 

 どうもこの女は俺を知っているらしい。来瀬川教諭と落合操縦士が無力なのも把握している。やりようによって弱点になり得るとも。

 だが急襲はしなかった。彼女たちと俺の距離を見て、攻めきれないどころか反撃を食うと理解しているからだ。でなければ、悠長に声を掛けてくることはなかっただろう。焦りから、そうする他なかったのだ。よくよく俺を知っている。この手にある剣の福音を。

 

 

 女は人化した竜種(ドラゴン)だ。

 

 

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― 新着の感想 ―
[気になる点] なんで他のヤバそうなセカイ系福音を差し置いて剣の福音が戦闘能力を警戒されているのだろうか?客観的な脅威度がよくわからない。いっつもタカナシ君苦戦しているなぁ、とさえ感じてしまう。 [一…
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