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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
六章 天蓋
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06.パスファインダー②

 トグルスイッチを倒す、あのパチパチとした独特の金属音が操縦席の方から聞こえることがある。何の操作かは分からないが、時折聞こえるのでなにか必要な操作なのだろう。順調にいけばこの先にも長い人生が待ち構えているだろう俺も、ヘリコプターの操縦に習熟することはないように思える。なのでその意味を理解する日は来ないのだろうが、絶妙に気になる音なのだ。あれは。

 

 深夜未明。公安保有のヘリコプター、おおとり9号(アグスタ)の機内である。俺はそんな呑気なことを考える程度には余裕があった。ヘリ移動に慣れたのだ。人間変われば変わるものなのだなあ、などと考えつつ、駆動音が響く機内で肘をつく程度には精神が安定している。

 隣の座席には来瀬川教諭の姿がある。タブレットに視線を落とし、深刻そうな面持ちで考え込んでいる様子だった。

 ミラベルは非番だ。瑠衣と留守番をしている。

 

 資料室としての業務。重力波観測による翼竜駆除は一定の成果を上げている。不明災害なる呼び名が付けられた翼竜の被害は急激に数を減らし、ここのところ深夜の出動は無かった。

 呼び出しと同時に公安のヘリポートへ直行させられたので、さぞ急を要する話なのだろうと覚悟して乗り込んだ俺と来瀬川教諭だったが、おおとりが離陸しても永山管理官からの連絡や詳しい状況説明は無かった。

 どうも奇妙だ。

 連絡がないのもそうだが、来瀬川教諭の顔色が悪い。

 いつもの予防的な翼竜駆除であれば、緊急性こそあっても危険度は低い。来瀬川教諭が気を揉むような事態にはならないはずだが、彼女の顔つきは険しいままだ。資料室の組織上では俺と彼女に権限の差はないので、伝え聞いている情報にも差はない筈なのだが。

 

「なにか懸念でも?」

「うん……外がね」

 

 タブレットの画面を注視したまま、来瀬川教諭は端的に指摘する。深夜の高空ともなれば、見えて嬉しいものがあることは少ない。見下ろせば街明かりなどがあるのだが、わざわざ覗き込むことはなくなった。これも慣れだ。

 とはいえ彼女がそう言うのであれば、と窓に寄って下を確認すると、何も見えなかった。漆黒だけがある。いや、薄い白が微かにちらつく。なにか、無数の扇のようなパターンが流れているようにも見えた。

 どこだここは。人里離れた山間部だろうか。まだ離陸から小一時間程度のはずだが――

 

「海だよ。東京湾から出発したけど……もう太平洋だね。ここまでくると」

 

 海。

 

「……ああ、これ海ですか」

 

 思わずため息が出た。

 殆ど思い出せないのだが、遥かな昔に航海をしたことがある。異界(クリフォト)のそれではなく現界(セフィロト)でだ。もしかすると前者の経験もあるのかもしれなかったが、記憶にない。

 いつしか、俺の中の「海」は概念以外の意味を失っていたようだ。

 

「海上での業務は初めてですね」

「そうだね。おおとりだけじゃ難しい活動領域なんだけど……」

 

 なるほど。

 来瀬川教諭の懸念は理解できる。おおとり9号(アグスタ)は高性能の航空機だが、海上用の装備などは積んでいない。遠洋での活動となると航続距離――燃料の懸念もある。彼女の言うとおり、こういう領域での活動なら船舶も駆り出す必要があるような気がする。

 が、当然ながら公安の非正規部門、法的にグレーな組織である資料室にそんな装備はないし、権限もないはずだ。海上保安庁だか海上自衛隊の管轄になるはずで、どちらかと言えば不災対――資料室とは指揮系統が全く異なる、防衛省主導の組織の管轄と言えるだろう。

 もっとも、不災対はこれまで何の実績も上げてはいないらしいので頼りにはならない。一応、氷室が翼竜対策の協力をしていると聞いているが、彼が魔素絡みの直接的な対応策。具体的には魔術などを供与するのは現実的と言えない。そもそも魔力使いが居ないからだ。現状、不災対が何をやっているのかは不明瞭だ。支援もないと考えていい。

 

「うーん……無いものねだりをしても、かな。ねえ、高梨くんってその気になったらどれくらいのあいだ空中戦ができるの?」

 

 人間相手とは思えない問いだが、人外の自覚はあるので素直に返答する。

 

「限界を試したことはないですが、今なら体力切れまではやれそうですね。全力なら三十分程度でしょうか。のんびり節約してやるならいくらでも」

「……実質、生身で飛行できるってことだよね。それって」

「いや、能力の応用なんですが、空中に足場を作って歩いてるだけです。以前はそれも制限付きだったんですが、なんか枷が外れたみたいで」

「制限?」

「使い過ぎると頭痛、眩暈の症状が出ました。最悪、意識喪失までいきます」

 

 来瀬川教諭は眉をひそめる。

 

「……使っちゃだめなやつだよそれは。そういう制限ってなにか……意味があってのことだと思う」

 

 俺としては死なないだけ安いものだと考えるが、度々死にかけているので言い訳としては弱いか。

 

「今は問題ないですよ。むしろ調子が良すぎて持て余し気味でして」

「それでも……やっぱり海上活動は避けた方が良さそうだよね。福音(エヴァンジェル)っていまいち不安定っていうか……分からないことの方が多いし」

「たしかに。そこは否定のしようもないすね」

 

 そも、もし外洋で遭難などしたら剣の福音など関係なく死ぬ自信がある。おおとり9号(アグスタ)とはぐれたら帰れる気もしない。それらの不安要素も全てを織り込んだうえで、ひーちゃん先生は海での業務に懸念を示しているわけだ。

 とはいえ、判断は詳細を把握してからでも遅くない。単純に翼竜が相手なら一撃で終わらせればいいだけだ。

 

「まあ、なんとかします」

「……もう。ほんとになんとかしちゃうからなー、この子は」

「お任せあれ」

 

 困り顔で微笑む来瀬川教諭に、手のかかる生徒であるところの俺はグッと親指を立てた。ご信頼いただいてありがたい限りである。

 いくらか表情を明るくした来瀬川教諭はタブレットを膝の上に置くと、平坦な声で話題を切り替えた。

 

「白瀬さんの件、さっそく行って来たんだよね。どうだった?」

 

 問われ、昼間の柊との会話を思い出す。

 どう、と言われても難しい。思うことは様々あるが、まとまらなかった。

 

「順調ですよ。ちゃんと話はできましたし。ただ……」

「うん?」

「なんか戸惑いました。俺の知ってる奴とは全然違うというか……なんかもっとこう、強かな奴だった筈なんですが」

「……」

 

 あれではまるで別人のようだった。

 俺を知らない柊は、俺の知らない誰か別の人間のようだった。弱々しい、今にも消えそうな少女。そんな印象しか抱かない。知り合ったばかりで表面しか見せていないにしても、俺の知ってる柊とは――アリエッタとは重ならない。

 来瀬川教諭は僅か、言葉を吟味する素振りを見せた。ややあってから、ひどく神妙な顔つきで口を開く。

 

「たぶん、どこかで変わっちゃったんじゃないかな。きみみたいに」

「あ……」

 

 言われてみれば当然の話だ。

 千年前の高梨明人と俺が違うように、白瀬柊もアリエッタではないのだ。俺やアリエッタは悲喜を経た成れの果てだ。同じであるはずがない。

 

「高梨くんも、私の知ってるきみとは違うよ。ぜんぜん違う」

「分かるもんですか、やっぱり」

「うん」

 

 俺の変質と忘却を見ている来瀬川教諭には、おそらく容易に想像できるのだろう。今さらながら彼女の心境を理解したような気がする。悲しい、やるせない――とは少し違う。妥当な形容が見付からない。

 一番近いのは、

 

「さみしいよね」

 

 俺の心境を代弁するかのように、来瀬川教諭は寂しそうに笑った。彼女がそんな風に自分の心境を吐露するのは初めてのことだ。

 

 ただ言われただけでは分からなかったに違いない。なにせ俺は来瀬川教諭のことを憶えていない。記憶の残り滓を集めて推測し、そうだっただろう自分を取り繕ったていただけの俺には分からない。実感などできないし、彼女の気持ちを理解することなど絶対にできなかっただろう。柊と話すことで、いま、ようやくその何十分の一かを理解したに過ぎない。

 

「まー、順調そうでよかったよ! 仲良くなれるといいね!」

 

 そんな、優しい激励の言葉も遠く聞こえる。

 堪らない。

 本当に酷い話だ。我ながら嫌になる。

 

 当の来瀬川教諭はそれ以上何も言わず、もう目線を俺から外していた。この話は終わりなのだろう。

 なぜなら、この気持ちには先がない(・・・・)。何らかの形で充足や昇華ができる感情ではなく、失われたものへの後悔や悼みのような種類のものだからだ。

 

 だから俺も、別のことを考えた。具体的には仕事のことだ。

 永山管理官はまだなのか――などと焦燥に近いものを噛み締めていると、聞き慣れない音声がヘッドセットから聞こえた。

 

『来瀬川さん、高梨さん。聞こえますか?』

 

 女性の声。おおとり9号(アグスタ)の操縦士、落合さんだ。来瀬川教諭がオペレーション担当として会話をする以外、普段は会話をすることが殆どない人である。資料室が公安の中でも微妙な立場であることもあるが、そもそも民間協力者である俺たちとは会話しないよう指示されているらしい。

 急のことだったので、思わず「へえ」とか「はあ」の中間のような応答をしてしまう俺だったが、彼女は特に気にしなかった。

 

『中止の指示が来ました。これから江東区のヘリポートに引き返します』

「え、ええーっ!?」

 

 なんだったんだ、と言わんばかりに来瀬川教諭の悲鳴が上がった。

 おおとりを飛ばすのだって費用は掛かるのだ。資料室に潤沢な資金などないので、出動には実質上の回数制限がある。その貴重な一回を無駄にしたのだ。そりゃ悲鳴も上がる。

 

「なにかあったんですか?」

『……すみません。そういうの、私らは聞かされないんです。申し訳ないですが室長に直接聞いてもらっていいですか。いま繋ぎますんで』

 

 落合操縦士の声は淡々としていながら、どこか腹立たしげでもあった。無理もない。俺だって一言ないと収まりがつかない。

 むむむ、と膨れ顔の来瀬川教諭を横目に少し待機していると、間があってからようやく永山管理官の音声が来た。

 

『お疲れ様です。おふたりとも、ご足労をかけて大変申し訳ない』

 

 声にはさして悪びれた感じがない。というか、おそらく移動中なのだろう。微かに、自動車のタイヤが道路のギャップを拾う音がする。

 俺は空笑いするしかない。

 

「なんなんですか今日は。落合さんたぶんキレてますよ」

 

 苦笑の気配がした。

 ただ、それも一瞬のことだ。

 続く永山管理官の口調は険しいものだった。

 

『順を追って説明します。来瀬川さん、内部二番を表示してください。それと、これから話す内容は他言無用でお願いします』

 

 そう言われてしまうと否が応でも緊迫した状況を想像させられるものだ。

 来瀬川教諭の操作で切り替わったタブレットの画面を覗き込むと、関東地方と太平洋の一部を切り取った地図が表示されていた。

 

『三日前、太平洋を航行中のタンカーが消息を絶ちました。米国船籍、船名はハニー・ヴァイキング。五十万トン級の大型石油タンカーです』

 

 石油タンカー、と言われてもあまりうまく想像できない。わざわざ大型と付けるくらいなのだからよほど大きな船なのだろう、くらいの感想を口の中で転がしていると、地図上にタンカーの航路が表示された。タンカーそのものを表現しているらしいカーソルも表示され、航路の途中で消失する。すぐに再表示されたが、表示された場所は陸地のすぐ近くだ。

 

『四時間前、富士の天秤(LIBRA)が千葉沖百二十キロ地点に重力変動を観測。出動決定は一時間三十分後です。この時点ではハニー・ヴァイキングが変動源だとは判明していませんでした』

 

 俺は頭の中で整理を終える。

 重力変動源――翼竜(ワイバーン)は人間を捕食する。人里で活動するのが道理だが、海の上にそんなものはない。理屈が合わないと思ったのだが、船を襲っているのか。

 

「……あ」

 

 来瀬川教諭が何かに思い当たったように声を発した。

 

「そっか……公海だ」

 

 合点のいった様子でそんな呟きを漏らすが、俺には何の事だかよく分からない。首を傾げていると、先生はふくれっ面でこちらを見上げた。

 

「もー、学校で習ったでしょ。国の領海は約二十二キロまで。そこから先が公海だよ。ちゃんと覚えてね」

「はあ」

 

 分かったような分からないような。領海と公海で何が違うのだろう。文字通りに考えれば単なる制度の話であるように思えるのだが……。

 

『公海上の船舶に関しては、船籍国家の法が適用されるんですよ』

「……げっ、そうなんですか!?」

『なので、ハニー・ヴァイキングの船上は実質的に米国と言えますね』

 

 淡々と語られた事実で俺は納得した。

 出動中止は当然だ。いくら公安の後ろ盾があってもそのタンカーには手出しが出来ない。下手をしたら国際問題になってしまう。資料室のような表向き存在しない、民間人主体の組織では以ての外だろう。

 

『この件は米国と不災対が対応にあたることになりました。ハニー・ヴァイキングがなぜ日本近海に現れたのかは未だ不明ですが、我々は一旦引き上げということになります』

「対応って……米国側は対応できるんですか?」

『すでに動いているそうで。早速、駆逐艦を派遣しているようです。米海軍艦(USS)ズムウォルト』

「お、おおう……」

 

 軍事機密か何かでは、と思ったが向こうも知られて困る情報を出さないだろう。それとも向こうも他国にやる気のほどを伝えたいのかもしれない。

 いずれにせよ、俺たちの出る幕ではないらしい。翼竜と米海軍がやり合う様は想像できないのだが、乗り出してきているのなら勝算があるのかもしれない。

 

「……ま、こりゃ撤収ですね」

『申し訳ない。落合君にも私が謝っていたと伝えてください。とはいえ、ハニー・ヴァイキングの進路など今後の状況次第では再出動もあります。念頭に置いておいてください』

「了解です」

 

 やや気が抜けた。

 俺は脱力して座席に沈む。やや浮かない顔だった来瀬川教諭も、少しほっとしたような表情でこちらを見ていた。

 深夜の行動に慣れている俺でも少々キツい時間帯だ。来瀬川教諭の体力が心配だった。

 

「先生、いまのうちに少し寝ておいたほうが――」

 

 そう声を掛けた。

 次の瞬間、いくつかの破裂音があった。

 

 俺が、もっとも先に認識したのは来瀬川教諭の膝の上。タブレット端末から発せられたものだ。

 爆発に近かったかもしれない。液晶画面が内から砕け、ガラスが散る。一瞬――ほんの一瞬、電光が視界を埋めるおおとり9号(アグスタ)の機体を流れた気がした――

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