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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
六章 天蓋
254/321

04.改変④ ※

 折り紙が好きだった。

 

 物覚えの悪い、不器用な子供だった(ひいらぎ)はなかなか鶴を折ることができなかったが、色とりどりの色紙は触るだけ、ただ見るだけでも楽しかった。陽に透かすと光の色が変わるのだ。幼い頃はそんなことにすら心が動いていた。祖母がくれた千代紙などには感動すらした。模様が綺麗だった。それだけで心が満ちた。

 ただ、創造への端緒として如何だったかは判断がつかない。柊は未だに鶴を折ることができないので取っ掛かりとしては今一つだったか。色のついた紙を見ることも久しく無い。祖母はもう居ない。

 

 ふと顔を上げると、四方を壁に囲まれたリノリウムの上に座っていた。つるつるとした冷たい床に手を落とすと、くぐもった音が聞こえた。声かも知れなかった。見上げると、薄緑色の色紙でできた看護師がぱくぱくと口を動かしていた。

 

 柊が何かを思うより先に、看護師はつま先から順にばらばらと崩れて落ちた。結局のところ、なにが言いたかったのかは分からない。体温でも測りたかったのだろうか。それに何の意味があるだろう。

 

 崩れた看護師を一枚拾い上げると、折り目のない色紙になった。なんとなく端から折って、うろ覚えながら花の形へ変える。そのとき、ああ、これは夢なのだと柊は思った。でなければ自分が器用に花を折れるはずがない。

 

 それでも紙を折っていく。紙の花で床を満たしていく。梅、桃、ダリア、カーネーション――どれも実物を見たことが無いような気がする。思えば鶴もそうだ。柊の生き死には囲いと箱の中。そう定まっている。

 

 試しに薄青色の看護師を拾い、鳥を折ってみた。水色の鳥は形を得ると、すーっと真横に滑っていって壁に当たり、不意に黒い花になった。なるほど、そうなるんだと納得して、柊は紙の花を折る。紙の花畑で花を折る。

 

 何処へも行けない。それを嘆いたことなかったように思う。あまり知らないからだ。知らないことを惜しむことはない。悲しむこともない。囲いの外がどんなに美しく素晴らしいとしても、もし箱の中が世界の全てなのだとしたら、悲しいと思うことはなにひとつない。

 

 ああ、でも。

 花瓶の花が枯れたのは、いつだっただろう。

 

 そう考えた時、柊は積み上がった花の上でゆっくり立ち上がった。

 目覚める予感がする。

 無為な代償行為を自覚したからかもしれなかった。

 

 色とりどりの紙の花が浮かび上がって腐っていく。色彩の合間に白い花が見える。蓮の花。純白の蓮だ。あれはなんだろう――?

 天井が割れる。霞んだ空の向こう、空を埋めるたわんだ水面が見える。誰かが呼ぶ声がする。穏やかな声。幸福の音。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 白瀬柊(しらせひいらぎ)が瞼を上げると、まどろみは跡形もなく消えていた。

 奇妙な夢を見た気がするが、内容は思い出せない。腐って崩れてしまった。

 そこは屋外。大学病院の屋上庭園だ。備え付けられたベンチで読書に耽るうちに、いつの間にか眠りこけてしまっていたらしい。十月も末、冷たさを感じる風が頬を撫でている。

 柊は安堵した。職員に見咎められなかったのは幸運と言えるだろう。あやうく面倒なことになるところだった。ただでさえ病院外に出ることは許されていないのに、さらに行動を制限されては堪らない。もっとも、外を出歩く体力などは柊にはないのだが――

 

「……?」

 

 座る柊は目を擦ろうとして気付いた。誰のものとも知れない、サイズの大きいコートが体に掛けられている。グレーのダッフルコート。自分のものではない。

 首を傾げていると、すぐ横から声がした。

 

「出過ぎた真似かとは思ったんですが」

 

 声の主は、学生服姿の見知らぬ少年だった。

 同じベンチに三人分程度の間隔を空けて腰掛け、こちらを向いている。目立つ特徴がないながらも整った面差しに優しげな瞳。洒落っ気はないのにどこか垢抜けた印象は、きちんと整えられている髪や眉のせいだろうか。多少なり好感を抱くような容貌の少年だが、柊はいまひとつ言葉が見つけられない。怪訝に思う他ない。

 

「あの……?」

「よくお休みだったので、つい。この気温ですから、万が一、風邪でもひくといけないなと」

「あ、ああ……そうでしたか。すみません、お見苦しいところを」

 

 まだ寝ぼけ気味の頭で理解した。

 どうも少年は頭抜けたお人好しであるらしい。柊としては放っておいてくれてよかったが、親切を無下にするのも望ましくない。

 しかし普通、見ず知らずの相手にこんなことをするだろうか。疑うというよりは純粋な疑問が持ち上がってきたので、微妙な気恥ずかしさを我慢して少年の顔を再度眺める。見覚えはない。僅かな期間通っていた小学校。あまり面識の広くない親戚。その誰の面影も見て取れない。

 

 でも。

 

「もしかして……どこかでお会いしたことがありますか?」

 

 思わず訊ねると、少年は僅かに表情を硬くしたように見えた。

 しかし、すぐにふっと緊張を和らげて微笑む。

 

「いえ、ありません。人違いでした」

「……? どういう……」

「ああ、俺は高梨明人と言います。友達の付き添いでこちらの病院に通ってまして。今日もそれで」

 

 すらすらと喋る少年に、柊は曖昧な相槌を打つ。

 高梨という名に覚えはなかった。まさか、こんな病人に軟派な声掛けということもないだろう。話が見えない。

 疑問を捏ねていると、高梨少年が頭を下げた。

 

「すみません。実は先日、間違えてあなたの病室に立ち入ってしまいました。そのお詫びをと思い、担当医の方にお声がけさせて頂いたところ、こちらにいらっしゃると伺ったので」

「……私の部屋に?」

「はい。白瀬柊さん……ですよね。古い友人と同じお名前でしたので、つい……早とちりしました。すぐに気付いて退出しましたが、ご迷惑をおかけしてしまいました。申し訳ありません」

 

 それで人違い、か。

 柊は納得と同時に苦笑をした。


挿絵(By みてみん)

 

「……そうだったんですか」

 

 もう自分を訪ねてくる者など居ない。ちゃんと理解してはいても少し寂しいものだ。迷惑だとかよりも先に、そんなことを思ってしまう。

 

「律儀なんですね、高梨さん。言われなきゃ誰も気付かなかったのに」

 

 幾分か子供じみた、微かな毒を含んだ茶化しだったが、言われた高梨明人はばつが悪そうに、しかし優しく笑うだけだった。

 話し方といい態度といい、少年というより青年に近い人だなと柊は思う。見た目の年頃は同世代。高校生くらいだろうか。医師や看護師以外の人間と会話をしたのが久し振りで、こういう少年が一般的なのかどうかは分からない。

 ただ、社会経験が小学生どまり、以降はタブレット――電子媒体の世界で生きている自分よりは大人なのだろうと納得した。

 

 まあ、一期一会のやりとりというものだ。こんなところで終わりだろう。そう思ってダッフルコートに指をかける柊だったが、高梨少年はちょうどそのタイミングでペットボトルを差し出した。封の切られていないウーロン茶。

 

「こいつはお詫びの品その一ってとこです」

「……」

 

 どう反応して良いものか、柊には分からない。ひねた性根から出てくるのはネガティブな突っ込みばかりだ。

 その一とは? その二があるのか? 気遣いは有難いが、ぬるくなっているのでは? 等々。そんな言葉を口にしたところで、人には嫌われるだけだろうと分かってはいる。でも、朽ちかけたこの胸からはもう毒か皮肉しか湧かないのだ。

 ふう、と息を吐いてから、柊はとりあえず笑ってみた。多少当たりが柔らかくなるだろうと期待してのことだったが、ギギ、と錆びた表情筋が音を立てた気がしたし眉根は寄ってしまう。たいそう引き攣った笑顔だったことだろう。

 

「安いお詫びですね」

 

 出た言葉もこれだ。

 酷い態度だと柊自身も思ったが、高梨少年は「はは、すみません。学生なんで」などと言って笑うだけだ。何を言っても受け流されそうな気さえする。どこまで許されるのだろう――そんなことを考えながら受け取ったペットボトルは、少しもぬるくなどなかった。

 

「買ったばかりなんですか?」

「懐で温めておきました、って言ったら信じます?」

「え……普通に気持ち悪いなって思います」

「……そりゃそうだ」

 

 自分でもどうかと思ったらしい。高梨少年は口をへの字に曲げて顔をしかめる。ホット飲料の販売温度は五十度前後。体温では維持できない。ありえない話、冗談だ。

 つまらない返ししかできないな、と反省する柊は封を開けてウーロン茶に口を付ける。温かさが心地よかったし、香ばしくすっきりした風味が好ましい。ウーロン茶とはこんなに美味しい飲み物だっただろうか。

 

「いや実は俺、少しだけ魔法が使えましてね」

「は、はあ」

「なので飲み物の温度を温めるくらいならできるんですよ」

 

 またおかしなことを言いだした。

 付き合うべきかそうでないのか分からず、困る。でも、不快ではない。

 

「……他にはどんなことができるんです?」

「あー、コインを消したりとかですかね」

「……。手品じゃないですか」

「お望みなら鳩も出せますよ」

 

 高梨少年はくつくつと笑った。

 これも冗談なのだろうが、彼は帽子の類を被っていない。何処から出すのだろう? ポケット? などと頓珍漢なことを考え、柊も可笑しくなってしまう。この得体の知れない少年なら耳や口から万国旗を出すくらいはやりそうな気がする。

 ひとしきり笑っても、高梨少年はまだ席を立つ様子がない。無言になるよりはいいかと考え、柊は遠慮せず探りを入れてみることにした。

 

「……白瀬って名前のお友達がいらっしゃったんですか?」

 

 自分の氏名はポピュラーではない。人違いをするには少し無理がある。嘘――とまではいかずとも、口実を作ったのではと柊は考える。もちろん、本当に自分のほかに白瀬柊が居る可能性だってある。虚実は白いカラスのような話なので栓はないにしても、少し気になった。

 

「ええ。居ました」

 

 間髪入れずに頷いた高梨の顔色は、柊には読み取れなかった。少し笑っているようにも見えたし、なのに目は悲しそうにも見えた。嘘と憐憫には慣れ親しんでいる柊だったが、この色は見たことがない。

 

「昔の話ですが……喧嘩別れみたいな形になっちゃいまして。だから……なんだろうな。けっこう悔やんでるのかもしれない」

 

 ああ、それ(・・)は後悔なのか。

 柊は理解して腹に納める。この少年が人と喧嘩をする想像ができなかったが、子供の頃の話だろう。そういうこともあるのかもしれないと思った。

 少なくとも、嘘ではないのだろうとも。

 

「……どんな方だったんですか?」

「ヒネた奴でしたよ。可愛げがなかった」

 

 間髪入れずにこう返ってくる。程度はともかく、その白瀬柊はこの少年を憎からず思っていたのでは、とだけ想像した。柊自身、ひねくれている自覚があるのでそれは何となく理解できた。

 

「あなたには似てない。あまり」

 

 だから腰を浮かせた高梨がそう呟いたのを、柊はどう受けとめたものか苦慮する羽目になった。柊は素直で可愛げがある、と言いたいのだろうか。社交辞令? それとも別の意味があるのか。茶の温度とは関係なく、顔が火照った。

 世辞に慣れないとしても弱すぎる。まさか口説かれているわけでもなし――などと慌てていると、立ち上がった高梨が言った。

 

「さて、これで失礼します。長々とお邪魔して身体に障ると良くない。まあまあ寒いですからね。やっぱり」

 

 詮索が不快にさせたのだろうか。

 心配して顔色を窺うが、もう高梨に昏い色は見えなかった。単純な気遣い、配慮。そんな風に見えた。

 

「早くお部屋に戻られた方がいいですよ。では」

「あ……」

 

 言葉を選んでいるうちに去ってしまった。その迷いない足取りに、背に掛けるべき言葉がますます失われていってしまう。

 これきりの関係が自然だなと理解していても、なにか惜しいような気がした。別れが終末期患者の内では珍しいことではなくとも、後ろ髪を引かれるようななにかが、あの高梨という少年にはあった気がする。

 

 かといって、やはり知り合いではない。

 屋上から彼の姿が消えたあと、僅かな期間通っていた小学校やそれ以前の記憶を探ってみても、高梨らしき顔は見付からなかった。

 

 もしかすると自分が忘れているだけなのかもしれない。

 向こうだけが覚えていて、訪ねて来てくれたのかもしれない。

 そして、落胆して帰っていった。そうなのだとしたら、

 

「……悪いことしたかしら」

 

 やや落ち込んでみてから、柊は自分が高梨のコートを羽織りっぱなしであったことに気付いた。忘れていった、ということはないように思う。そうと気付かせないような所作で置いていったように見えた。だとすると、また引き取りにやってくることもあるかもしれない。

 その不自然なまでの親切はやはり訝しかったし戸惑うが、厭わしくはない。どちらにせよ、走って追いかけることも自分にはできない。

 

 柊は手元のタブレット端末を操作した。眠りに落ちるまで読んでいた恋愛小説は閉じて、近隣の高等学校を検索してヒットした数件に目を通す。二番目、県立芥峰の制服が高梨の服装と一致するように見えた。すぐ近くだった。

 普通の学生に対する羨望はとっくにない。高梨の住まいも遠くはないだろうとだけ推量して、画面を消す。再訪の気配が遠くないならそれでいい。

 

 読書の気分ではなくなり、高梨からの勧めもあったので柊は屋上を後にした。

 遅々として進まない己の歩みに眉を寄せるが、これでも今日は歩けるだけ調子がいい。気まぐれに外で過ごそうとしてよかった。

 

 いや――いったい何を期待しているのだろうか。

 

 柊は我に返って視線を落とす。

 表面上おどけていても、高梨に浮ついた気配はなかった。あれは、なにか重いものを抱えている種類の人間に見える。病院という空間に長く縛られている柊には、それが分かる。仮に再訪があったとしても、なにか事情があってのことだと受け止めるべきだろう。

 未練だ。

 己を総括してそう結論した。この期に及んで誰かと繋がりを持とうとしている。そう期待している。人恋しさを素直に認められないくせに、ちょっと言葉を交わしただけの異性に特別な物語を期待してしまう。

 子供っぽい未練なのだ。人並みに憧れていることが、まだあった。

 

 くだらない。

 

 ふふっと自嘲して笑い、自室のスライド扉を開ける。

 慣れた個室。いつものベッド。そんな代り映えのない風景の中に、異物がある。窓際に鮮やかな色彩がある。今朝までは無かったものだ。

 寄って確認するまでもなく、何なのかは分かった。イエローなどの暖色を基調とした小さな花束。思わず口が開いてしまう。やや考えて、誰の仕業なのかに思い当たった。

 

「……その二ってこと? 気障ね」

 

 可笑しくなって吹き出して笑った。

 それから、仕舞い込んでいた花瓶を引っ張り出すべく足を動かすことにした。暖に乏しいと感じていた部屋が暖かく、重かったはずの体は少しだけ軽く動くような気がした。

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[一言] >「……その二ってこと? 気障ね」 剣の福音は口説くの『は』お上手ですね。好感度の管理能力皆無ですけど。いまでもひとつ愛のおまじない()抱えて困ってるのに追加を貰いに行ってる。
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