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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
一章 門番と皇女
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25.パン屋の槍②

 初老の男は厳しさを備えた精悍な顔立ちを困惑に彩ったまま、まるで機械のような動作で薬茶が注がれたカップを口に運んだ。

 傷によく効くとされる、ヨモギに似た薬草を煎じた茶だ。独特の悪臭がする上、味もかなり悪い。どんな重傷を負ったとしても俺は二度と飲まないだろう。

 だが、男が戸惑っているのは薬茶の風味に対してではない。

 

「我々に、マリアージュに仕えろというのか」

 

 表情を変えずに薬茶を飲み干してから、男――ジャン・ルースはようやくそれだけを言った。

 病室の簡素なベッドに座ったまま、彼は正面に立つカタリナを真っ直ぐに見据えた。対するカタリナは、日頃の表情の豊かさを一切感じさせない無機質な薄い笑みを浮かべている。

 

「そうは申し上げておりません。ただ、利害は一致していると思いませんか。担ぎ上げる王は、別にミラベル様でなくとも構わないのでしょう?」

 

 九天の騎士、というよりジャンは継承戦の勝利者を皇帝の決めている皇位継承者から別の誰かに挿げ替えることで、戦争ばかりしている皇国の方針を是正することを目的としている。

 一方、カタリナの目的は単純にマリーを継承戦から生き延びさせることだ。

 実際、目的だけを見れば両者の間に齟齬はない。九天の騎士たちがミラベルに仕えていたという一点において、立場が分かれていただけだ。

 

「お前は、あの娘に王の器があるとでも言いたいのか」

「いえ、ありません。むしろ資質に欠くと言ってもいいでしょう」

 

 カタリナがあまりにも素早く言い切ったので、俺は少々面食らった。

 マリーを溺愛しているこの少女のことだ。無理にでも褒めちぎるくらいのことはしそうなものだと思ったが、カタリナはあくまで冷ややかだった。

 娘の意図を測りかねたのか、ジャンは訝しげな顔をしながら口を開く。

 

「……俺がミラベルを選んだのは、ただ仕えていたからではない。あの皇女の政治手腕と求心力を見込んでのことだ。有能であるが故に、国を正すだろうと信じたからだ」

 

 皇国が戦争ばかりしているのは、あくまで歴代の皇帝がそういう方針をとり続けているだけであって、決して国民の総意ではない。

 延々と版図を広げ続けた皇国は、既に大陸の過半を飲み込んでいる。今まで軍事費に国力を割いても破綻を来たさなかったのは、他国とは一線を画する技術力と豊かな資源のおかげだ。

 

 だが、限度はある。

 資源の乏しい国家などを滅ぼして支配したところで、旨みは何もない。どころか経済的には損失だけが残るだろう。支配下に置いた地域の復興や治安維持にも金はかかる。

 加えて、他国の技術力の向上もある。

 優れた技術が流出していくのは止めようのないことだ。未だ皇国の優位は揺るいでいないとはいえ、領土拡大の速度は十年単位で見ればかなり落ちている。他国が強くなればなるほど、戦争にかかる費用も増えていき、損失は増していく。

 

 皇帝が掲げる大陸統一と、皇国の利益は合致しなくなってきている。

 確かに、損得勘定が得意な人物が皇帝になれば無益な戦争はなくなるかもしれない。

 一理はある。だが、

 

「ですが、ミラベル様は利益があれば戦争ができるお方です。何せ、実の妹を手にかけようというのですから」

 

 実の父親を撃った少女は、薄い笑みを消して言った。

 

「マリアージュ殿下は違います。あの娘は、たとえ自分が殺されたとしても、他者の手を血に染めるような命令は絶対にしないでしょう」

「それは弱さだ。そんな王はいずれ国を滅ぼす」

「その弱さも、この国に必要なものだと私は考えます。ミラベル様の才覚もそうです。どちらかしか生き残れないという前提が間違っているのです」

 

 ジャンは瞠目し、娘を見た。

 カタリナはマリーを皇帝に据えるとは一言も言っていない。

 確かに向いていないだろうし、本人も望まないだろうことは俺もカタリナも十分に理解しているつもりだ。

 言葉を切り、カタリナは何かを思い返すように目を閉じた。

 

「いつか、誰かが言いましたね。お父様は戦う相手を間違えていると。私もそう思います。継承戦は間違っているんです。誰もが分かっているのに目を背けている」

 

 あの時、聞いていたのか。

 一切口を出さない約束で同席した身だが、さすがに何か言いたくなってきた。

 しかし、俺が言葉を紡ぐよりも早く、カタリナは最後の言葉を口にした。

 

「もし九天の騎士たちが共に戦ってくれるのなら、閉塞したこの状況を変えられるかもしれません。その為には、お父様の協力が不可欠です」

 

 

 

 

 

 交渉の行く末は見届けず、俺は病室を後にした。

 

 昨夜、カタリナから「九天の騎士を味方につける」という計画を聞いてから、一抹の不安を覚えていたのだが、杞憂だったようだ。

 もし彼女が、継承戦に勝利するためだけに同盟を提案するのであれば、俺は止めていたかもしれない。血で血を洗う継承戦が激化するだけで、おおよそ建設的とは言えない。


 おこがましい考えだ。


 もし九天の騎士たちがマリーとカタリナの味方になるのであれば、余程のことがない限りは俺は必要ないだろう。

 であればもう、一介の門番が口を挟むようなことではないようにも思える。

 

 取り留めのない思考を回しながら医院の廊下を歩いていると、ちらりと窓から見えた中庭の井戸の傍に、見慣れた赤黒のエプロンドレス姿の少女がぽつねんと佇んでいた。

 手近な戸を開けて近寄って見れば、どうやら花瓶を抱えているようだった。

 流れる雲でも眺めているのか、赤い瞳を宙に漂わせて、身じろぎひとつしない。

 

「サリッサ」

 

 声をかけると、黒髪の少女は驚いたように身を震わせてから振り返った。

 その顔にいつもの勝気な表情はない。伏せ目がちに、力なく俺を見るだけだ。昨日の芋掘りでの一件といい、サリッサの様子はどうにもおかしい。

 

「何をやってるんだ、こんなとこで」

「……別に。花瓶の水を替えて、それから……」

 

 サリッサはジャンとカタリナが居る病室の方へ視線を向ける。

 どうやら俺たちが来るより先にサリッサが来ていたようだ。花瓶の水を替えるために井戸に向かい、そこで俺たちと入れ違いになったのだろう。

 

「ルース、って名字(ファミリーネーム)……偶然だと思ってた。筆頭に娘がいるのは知ってたけど、まさか店長がそうだったとはね……」

「それでカタリナが帰るのを待ってるのか。別に気にしなくて良いんじゃないか」

「……ああ見えて、筆頭は子煩悩なのよ。よく話を聞かされたわ」

「嘘だろ」

 

 あの巌のような男が。

 まるで想像できず、俺は苦笑した。

 

「自分が騎士として育てられたのと同じようにしか、娘に接することができなかった。なのに娘を騎士にすらしてやれなかったんだって、管を巻かれたこともあったっけ」

 

 語られるその人物像は、カタリナの認識とは異なっているように思う。

 もしかすると、あの親子の間には、ちょっとしたボタンの掛け違いがあるだけなのかもしれない。

 

「……だから、もう帰ろうかなって思ってたところ。邪魔したくないし」

 

 どこか上の空でサリッサは呟く。

 俺にはその様子が、まるで置き去りにされた猫のように見えた。

 

 だからなのかは分からない。

 気が付けば、俺はサリッサの手を取って歩き出していた。

 

「ちょ、ちょっとタカナシ!?」

「腹減ったから飯に付き合ってくれ」

「なんで!」

 

 花瓶は医院の廊下に適当に置き、俺はサリッサの手を引いて真っ直ぐに商店街へ向かって歩いていく。

 サリッサは意外とすぐに大人しくなった。頬を赤らめ、手と俺を交互に見やる。

 俺にも恥ずかしい真似をしている自覚は当然ある。

 この少女がしょぼくれていると、どうにも調子が狂う。元気付けてやりたい。

 だが所詮、俺は剣しか能のない粗忽者だ。具体的な方法など知っているわけがない。

 とりあえず気分が上がらない時は、食べるか遊ぶか寝るかすれば元気が出るものだ、という自分なりの基準で行動するしかない。

 

 

 

 収穫祭を間近に控え、商店街には出店などが増えつつある。

 何せ、書き入れ時だ。街の外からも商人がやってきて、数日前から店を構え始めているのだ。フライング気味に商売を始めている屋台なども多い。

 ちょうど昼時で、人出もそこそこにある。

 

「うわ、朝より増えてる……!」

 

 店に対してなのか人に対してなのかは分からないが、サリッサは驚嘆している。

 普段のセントレアを知っている分、驚きも大きいはずだ。

 

「当日まで、まだまだ増えるぞ。年に一回しかない貴重な機会だ。楽しまないとな」

「……別に異論はないけど……いつまで手……」

 

 サリッサはもにょもにょと何かを口ごもっているが、気にしない。

 例によって夜番から一睡もしていないのだが、気分は逆に高揚している。どこか日本の縁日を思い出させるこの雰囲気が、たまらなく好きだった。

 

 俯くサリッサの手を引きながら、俺は人混みを掻き分けて進んでいった。

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