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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
五章 シンギュラリティ
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48.シンギュラリティ②

 意識を失った瑠衣(るい)を全速で最寄(もよ)りの病院に運んだ後、自分が仮面をせずに魔力を使ったことに気付いたが、それはもはやどうでも良かった。

 ただ待合室の椅子に腰掛け、瑠衣が無事でありますようにと祈り、こんな自分が何に祈っているのかと我に返って自嘲などをする時間を過ごした。そうしていると、以前俺が病院に担ぎ込まれた際に来瀬川教諭やミラベルがどんな気持ちだったかを改めて思い知らされるような気もした。

 来瀬川(くるせがわ)教諭は三十分ほど。先の負傷がまだ()えない、腕を()った永山管理官は小一時間ほどでやってきた。俺は医師には伏せたありのままを彼女たちに伝えたが、何がどれだけ伝わったかは知れない。「とにかく落ち着いて」などと言われたような気がするが、いまひとつ記憶が定かではない。ただ、瑠衣の両親がついぞ顔を見せなかったのは確かだ。

 

 しばらくして医師に呼び出された永山管理官が戻ったとき、

 彼の表情はごく穏やかなものだった。

 

「色々診てもらったようですが、軽い貧血でしょうとのことです。大きな異常はなしですよ。意識も戻ったそうです」

「…………そうですか」

 

 どっと押し寄せた様々な感情が俺の薄弱な精神内部でせめぎ合ったが、結果として大きく息を吐くに(とど)まった。本当は小躍りでもしたいような気分だったが、精神的な疲れと良識からそこまではしなかった。来瀬川(くるせがわ)教諭も大いに喜び、共にやって来た瑠衣の担任教師を車で送るべく元気に去っていった。

 残された永山管理官は、長椅子に腰掛けて俺を向く。そうすると、彼とはしばらくぶりの対面だったことを思い出した。

 

「電話で話してばかりでしたね。お久しぶりです、永山さん」

「ええ。君も元気そうで良かった。こんな形でなければもっと良かったですが、まあ、何事もなかったのですから良しとしましょう」

「……すみません。俺がついていながら」

「いけないな。君はまだ学生なのだから、何かに責任を感じる必要なんてないんですよ。むしろ(わたし)は君に大きな借りがある。不明災害のことも含めて。折を見てお礼を言わなければと思ってました。本当にありがとう」

 

 翼竜を指して不明災害と言い切るのは、彼の職業意識なのだろう。そしてアルバイトのことを指して借りと言っているのだろうが、むしろ俺の方は足を借りているくらいの気持ちでいるのでお互い様といえる。

 俺は少しだけ笑い、頭を振った。

 

「線を引いておけって先生にも言われたんですけどね。もし俺が自分で線を引けるなら、誰よりも前に引きます。だから気にしないでください」

「……なぜです?」

「そうしたいからです。そういう性分なんですよ」

 

 言い切って苦笑すると、永山管理官は眼鏡(めがね)の奥で複雑な笑みを浮かべた。

 

「なら、きちんと報酬は受け取りなさい。責任と報酬はセットだ。(わたし)も君をボランティアにするつもりはありません」

「……覚えておきます」

 

 公安から送られてきたバイト代に関する書類を無視しているのが、管理官の耳にまで入ったようだ。悪いことはできないものだなあ、などと頭を()いていると、ふと思い出したことがあった。

 

「そういえば、いつから瑠衣は俺のこと話してたんですか?」

「いつ……どうだったかな。あの子がまだ小学生……低学年くらいの頃でしょうか。あの子の両親からも高梨さんとは仲良くさせてもらっている、と聞いていました。最近はあまり聞きませんでしたが」

「……道理で」

 

 合点がいった。ホテルで遭遇した永山管理官が、俺に瑠衣を預けていったのはそういう感覚だったわけだ。昔から家族ぐるみで仲良くしている幼馴染(おさななじみ)なら信頼度も高いはずだ。それでもいくらか迂闊(うかつ)なのは否めないが、彼にはそういうところがある。

 永山管理官はいまひとつ()に落ちないといった面持ちで、別の事柄に触れた。

 

「高梨君。先ほど君が言っていた……瑠衣を襲った(ゆが)み、というのはなんのことです。なにか危険なものなんですか」

「……ああ、そうですね」

 

 俺もよく分かっていないそれに関して、前提知識のない永山管理官にどう説明したものかとやや思案する。それから、俺は分かっていることだけを口にした。

 

「不特定多数の人間を別の場所に送っている何か、です。正体が何なのかは分からないし、俺も一度しか見たことはなかった。現れる条件も分かりません。正直かなり昔のことなので、あまり記憶も定かじゃない」

「遠回しな言い方をしますね。別の場所……というのは?」

「管理官も不確かな話は耳に入れたくないでしょう。できれば氷室に聞いてください。一応は科学的な仮説をくれると思います」

「不明災害絡み、ということですね。今の彼はあまり協力的ではないのですが……まあ、いいでしょう。彼はつつけばまだ色々と出そうだ」

「……つつけば出るのは永山さんもじゃ……」

「なにか言いましたか?」

「いえいえ」

 

 永山管理官は初対面の際の神経質そうな印象に近い表情を浮かべて眼鏡(めがね)を押し上げるが、ふっと淡い笑みを浮かべて長椅子から立った。

 予感したので思わず声を掛けてしまう。

 

「瑠衣に会っていかないんですか?」

「仕事中なのでね。大事なければいいんです。高梨君も居てくれることですし、安心です。本当に」

「……土曜ですよ」

 

 永山管理官は答えず、()った腕のギプスを(わず)かに持ち上げて挨拶代わりにしながら去っていった。彼の方がまだ病院に居るべきだろうに熱量が高い。頭が下がる思いだ。

 

「プロだなあ」

 

 端的な感想を述べつつ、俺は長椅子の背にもたれる。

 余裕が出てきたおかげか、ひとつの想像が浮かんだ。往還門以外で唯一明らかになっている、世界を行き来する可能性。俺たちを現界に送ったあの無貌の神が翼竜を異界に送ってきていたのではないか、と。

 その想像が妥当なのかどうか、判断はまったくつかない。あれの正体どころか、そもそもあれが異界の人間を現界に送った理由が分からないからだ。九人の往還者と瑠衣の共通項を洗い直せば多少見えてくるのかもしれないが――いずれにせよ、翼竜が異界に送られていたという事実は、あの無貌の神とどこか印象が合わない気がする。

 なにか見落としがある。

 

「……ああ、そうか」

 

 改良されたLIBRAが起動することで翼竜の出現は抑止されたし、往還門も動かなくなってしまった。しかし、その現状であれが瑠衣に何かをしようと出来たということは、無貌の神の影響力はそれらとは別種か、それらより上位のものだと考えられる。

 単純に出力が強いか、なにか、周波数のようなものが違うのかもしれない。断定には至らないものの、別口である可能性は高いだろう。

 

「うーむ……なんにせよ氷室案件だな、こりゃ」

 

 焼肉とビールとかで釣れないだろうか、などと准教授殿の顔を思い浮かべながらぼやいたところで、俺は看護師さんに呼ばれて瑠衣の居る病室へと足を踏み入れた。

 

 

 

 あの(ゆが)みが現れた際の様子からして、ある程度は事態を理解していたと思われる瑠衣に話を聞きたいという考えもあるにはあったのだが、どうやら俺は、そんな事よりも何よりも、よく知りもしない幼馴染(おさななじみ)であるところの彼女を深く案じていたらしい。

 何事もなかったかのようにベッドで上半身を起こしている瑠衣を見た途端、脱力して壁に肩をぶつける程度には、そうだ。

 

「……」

 

 ベッドの上の瑠衣は、そんな挙動不審の俺を怪訝(けげん)そうに見ていた。

 まるで初めて目にするものを見るかのような、気色ばんだ顔。常の曖昧な笑みは、当たり前のようにそこにはない。どこか強さを感じさせる顔つきに、深い思慮を(たた)えた瞳。それはまるで、まったくの――

 

「瑠衣?」

 

 曖昧で不穏な洞察を打ち消すかのように名を呼ぶと、瑠衣はふと我に返ったように俺に目線を合わせた。

 

「あ……あー……うん、高梨明人(たかなしあきと)くん。高梨くんだね。おはよう」

 

 返答があった。意識もはっきりしている。俺はやや安堵(あんど)する。

 しかし――なぜいまフルネームで俺を呼んだのだろう。(いぶか)る俺に、どこか様子のおかしい瑠衣は、彼女にしては爽やかな笑みを浮かべて手招きした。

 

「ねえねえ、いつまで戸口に居る気なの。こっちにおいでよ」

「あ、ああ。そうだな」

 

 歓迎されているのも瑠衣が元気なのもとても良いことなのだが、少々元気が良過ぎるような気がする。

 俺は彼女に近寄りつつも、肘関節あたりから伸びている点滴のチューブを凝視した。いったいどういう輸液を点滴されているのだろう。なにか違法な成分でも入っているのでは――

 

「……ふうん」

 

 その俺が歩く様を、まるで観察するように見ていた瑠衣が意味深な面差しで語を発した。なにか可笑(おか)しいところがあっただろうか、とその顔を見つめると、やはり瑠衣は彼女らしからぬ爽やかな笑顔になった。

 

「ごめん! 心配かけちゃったよね! ごめんね、高梨くん」

「そこは謝らなくていいが……本当に何ともないのか? ちょっと変だぞ」

「あっ、あー……平気だよ。全然平気。ちょっと気分が悪いくらいかな」

「それは平気とは言わないだろ。なにか欲しいものとかないか。持ってくるぞ」

「大丈夫だってば。心配性だなあ」

 

 ははは、と明るく笑う瑠衣に、俺はやはり違和感を拭えないでいる。

 悩みが減って明るくなった――という解釈で良いのだろうか。これは。それにしても、この変わりぶりは本当にそれだけなのだろうか。

 いや、俺はその判断を下せるほどこの幼馴染(おさななじみ)のことを(おぼ)えていない。

 本来の彼女がこうだったということなのだろう。それならそれで喜ばしいことに違いないのだろうが。

 

「ところで高梨くん。わたし、どうして倒れたんだっけ?」

「……覚えてないのか?」

「直前まできみと話してたのは覚えてるんだけど……いったい何が起きたんだろう。高梨くん、何か知ってる?」

 

 また(かす)かに違和感がある。その正体を探るより、俺は返答を優先した。

 

「知ってるような知らないような、ってところか。俺にも確証がなかったから瑠衣に聞きたいことがあったんだが……覚えてないんじゃ、な」

「ふうん?」

 

 瑠衣は唇に指の背を当てて、どことなく思案するような仕草をした。「これは困ったね」と(かす)かな動きをする唇から読み取れるものの、あくまで素直に言うつもりはないらしい。

 手近に用意されていたパイプ椅子を()()って座り、俺は瑠衣と向き合った。

 

「何か困ってるのか?」

「えっ? ああ、ううん。何があったのか気になっただけ。ねえ、これ取っちゃっていいのかな。鬱陶しいんだけど」

 

 などと、瑠衣は点滴を指さして言う。

 

「駄目に決まってるだろ……それが終わるまでは待機だ。安静にしてろ」

「えー……」

「倒れた原因ではないにしても、医者が貧血気味って言ってるならその気もあるじゃないか。いつもちゃんと飯食ってるのか?」

「食べ……てるはず。うわ、食べてるけど……えぇー?」

 

 歯切れが悪い。というか、また様子がおかしい。

 瑠衣は突如として顔をしかめると、明後日(あさって)の方向を向いてうんうんと(うな)り始めた。なにか思い当たる節でもあるのかもしれない。小比賀(おびか)家の様子を見た限りも、瑠衣の普段の食糧事情は危ぶまれるところである。

 

「やっぱりお前、うちに来い。飯を食っていけ」

「……きみの家? 高梨くん、料理とかできる人なの?」

「できる人だよ。どうぞご安心してくれ」

 

 それに、できれば四六時中見守りたい。あの無貌の神には昼夜など関係ないだろう。また瑠衣に何かを仕掛けてくるという可能性は高いし、あれを阻止できるのはおそらく俺だけだ。

 言葉にはせず、そのまま考えを巡らせる。

 この子をどうにかして我が家に泊まり込みさせる口実を探さなくてはならない。倫理的にも常識的にも多大な問題が発生するが、瑠衣を往還者に――俺のようにするわけにはいかない。それに、俺が小比賀(おびか)家に入り浸って瑠衣と二人(ふたり)で過ごすよりは、きっと、現実的かつまともな発想であるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 ちょっと飲み物を買ってくる、と言い残して退室した少年を見送り、

 何らかの仕掛けで自動的に閉まるように作られているらしい扉が完全に閉まるのを見届けた後、ベッドの上の少女はようやく気を緩め、大きな深呼吸をした。

 

「はあ……ちょっと言葉が乱暴だけど、強そうだし良い人だなあ。(だま)すのは心苦しいよ……ほんとごめんね」

 

 謝り、すぐに切り替えて思案する。

 状況を完全に把握するまでは、誰も信用すべきでない。今はその局面だ。

 

 (いま)だ混乱の渦中にあるこの少女は、まず頭の中に在る二人分(・・・)の記憶の精査をした。まるで実感の伴わない、小比賀瑠衣という見知らぬ少女の一生の記憶。未知の世で生まれ、遠い人生を生きてきた他人の記憶だ。少なくとも、今ここにいるこの少女はそう認識している。

 

 そして、本来の自分の記憶。つい先ほどまで風呂に()かっていたはずが、訳の分からないビジョンを見せられた挙句(あげく)、医療施設だという奇妙な部屋(へや)の白い清潔な寝床で目を覚ました。

 こちらの記憶は連続していて、他人のものだとは思えない。

 

 だというのに、精巧に磨かれた硝子窓(がらすまど)に映る自分の顔は、明らかに記憶の中の自分とは異なっている。人種からして明らかに違う。そもそもの造りからして幼く見える、(たと)えるなら小動物のような愛らしい顔立ち。瑠衣という名の少女の記憶にあるそれだ。

 体そのものも、本来の体とは大きく乖離(かいり)している。動きは鈍く、四肢は細く、これでは水汲(みずく)みも困難だろうと(いぶか)る。そのくせ凹凸だけははっきりしていて、腹立たしくアンバランスだ。顔をしかめる。

 

 ついでに再度ぺたぺたと柔い顔を()でて確かめてから、

 少女は深い溜息(ためいき)を吐いた。

 やはり現実だった。

 

「これは良くない……とても良くないよ」

 

 部屋(へや)の様相を観察する限りでも今まで生きていた場所との隔絶は明らかだったが、何よりも衝撃を受けたのは窓の外の風景だ。綺麗(きれい)な箱型の(とりで)と漆黒の街路が整然と並ぶ、幻想的な風景が広がっていたのだ。

 この差異は、もはや異国という次元にはない。もっと根本で異なっている。

 優れた見地によりそう結論付けたこの少女は、高度に発展した別大陸の存在を疑った。何らかの呪いによって外海の果てに意識だけを飛ばされたのだとしたら、こういうことも起き得るのかもしれないと。

 

「……何が起きてるのか分からないけど、とにかく早く戻らないと……!」

 

 最も憂慮すべき事項は、自分の体が風呂に放置されているということだった。運が良ければ最も信頼できる相手に見つかるだろう。でなければ、そろそろ湯に沈んで窒息している頃合いだ。

 

 そんなことがあってはならない。

 あの身の肩には多くのものが乗っているのだ――

 

 少女は危機感を募らせるが、自身の記憶と徐々に入り混じりつつある瑠衣の記憶を(あさ)っても、帰還の術らしき記憶はやはりどこにもない。今のところ彼女の記憶から得られた収穫といえば、未知の母国語が一つ増えたことくらいである。

 それから、魔素(マナ)の無い大気と魔術詠唱に全く反応しない自身の霊体とを見比べ、少女はようやく打つ手を失くして途方に暮れる。

 

 

「……どうしよう」

 

 

 ドーリア国王、賢王ルカは見知らぬ少女の愛らしい顔で呆然(ぼうぜん)(つぶや)いた。

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[一言] 場面転換のタイミング的にそうなるかも、とは思ったが、本当にそうなったか…しかし、なぜ彼女の体に宿ることになったのか…
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