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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
五章 シンギュラリティ
240/321

43.東方連合①

 王国歴八〇二年。永の栄華を誇り、伝統と実力を兼ね備えた精強な騎士団を有する列強の一角、ドーリア王国は未曽有の危機に直面した。大陸の過半を占める大国、ウッドランド皇国が同盟国アイオリスへの宣戦布告と共にその国境線を侵犯。騎士を主力とする皇国軍は、アイオリス西端の古都ケトスを占領。さらに防衛線を容易(たやす)く突破し、アイオリス首都へと肉薄した。翌日、同盟国アイオリス元首の要請を受けたドーリア国王セオドアは直ちにウッドランド皇国へ宣戦を布告。精鋭たる王国筆頭騎士団を率いてアイオリスへの救援、およびウッドランド皇国領ロスペールへの侵攻作戦を開始する。

 しかし、王国のこの動きは備えられていた。皇国は若き俊英、皇子アーネストが率いる月天騎士団をロスペール城塞に配備。王国軍主力の実に四割を注いだこのロスペール侵攻は、城塞を最大限活用した皇国軍に軍配が上がり、王国軍の潰走という結果に終わる。このとき、主力である王国騎士団を大きく損なったドーリア王国の命運は決したといえる。

 国王セオドアは後にこの軽挙を悔いたという。もしもロスペールに兵を向けず国境の守りに徹していれば、もう三年は長く戦えただろうと。結果だけを見れば、王国は(わな)()められた。皇国は、弱国であるアイオリスを先に攻めることで王国軍の分断と挑発をしてみせたのだ。

 以降、王国は抵抗を続けながらも敗戦を重ね、領土を次々と失っていく。そして六年。首都アドニスを目前とした防衛戦において(つい)に国王は戦死。ドーリアは主権国家として風前(ふうぜん)灯火(ともしび)となった。

 

 若干六歳で戴冠した少年王、ルカ。後に賢王と呼ばれることになる彼の経歴はここから始まる。余人の目に幼子でしかなかったこの王は、実際に凡庸な幼子でしかなかった。亡き王の遺児として、滅びかけた国に担ぎ出された生贄(いけにえ)。打倒皇国を掲げる当人の意気とは裏腹に、周囲にはそう見なされた。

 しかし、それから七年。ルカは崩壊しかけた王国騎士団を(かろ)うじて立て直し、東方諸国から傭兵(ようへい)騎士団もかき集めて混成の軍を新たに編成。実に七年ものあいだ、首都を皇国軍の攻勢から守り抜いたのである。

 その傍らに立つ白き宮廷魔術師(メイガス)と共に王国の守護者として戦い続け、千年を経て(よみがえ)った伝説の巨竜をも味方につけたルカは、電撃的な急襲作戦によって皇子アーネスト率いる月天騎士団を撃破。王国の悲願であるロスペール城塞攻略と国境回復を果たしたのだった。

 

 だが。

 この救国の王にはいくつかの偽りがある。

 まず彼の功績の九割が本人の能力以外のところ――宮廷魔術師を務める少女の手によるものであること。あと、べつにそこまで賢くもないこと。

 

 そして、彼が少年ではないということだった。

 

 

 

「ああ~……(いや)されるなぁ~」

 

 ざぶんと湯に沈んだしなやかな肢体は、今年(ことし)で十三になる女子のものである。化粧石などで縁どられるような立派な湯舟ではない、板張りの巨大な(おけ)がごとき即製の風呂に()かる彼女こそは、王国の元首にして救国の英雄、ルカ本人であった。

 ドーリア王国は男系継承――つまり女性に継承権が存在しない国だった。そのしきたりひとつで少年にされたこの少女は、夜な夜な人目を忍んで湯浴みをする日々を過ごしている。

 いい加減ごまかすのは無理じゃないかな。ルカは何度も宮廷魔術師にそう言っているのだが、彼女は常の陰気な顔で「さらしでも巻いとけば大丈夫でしょう……まだ」などと言うばかりなのだった。

 せめてもの抵抗として最近髪を伸ばし始めたが、接する機会の多い騎士たちはおろか大臣連中を含めてさえ王を疑う者はいない。民衆も希望の少年王に万雷の拍手を送るばかりだ。ルカは辟易(へきえき)していた。

 

「はぁ……ウッドランドは皇女が活躍してるって話だもんなあ。うちも変なしきたりは早く変えたい……」

 

 粗末な板張りの風呂に肘をつき、ルカはぼやく。

 怨敵たる悪の帝国ウッドランドではあったが、その国家体制には少なからず羨望がある。豊富な騎士に豊富な領土。自由な気風。為政者としてみれば治世に学ぶところも多い。

 しかも、皇国は片手間でドーリア王国の相手をしている。北の強力な魔族やイオニア、アイオリスと同時に事を構えているにすぎず、こちらがいくら東方連合だ連合の盟主だなんだと言っても、あちらは所詮三分の一か四分の一程度の力でしか相手をしていない。国力に差があり過ぎる。

 一時的な勝利ではなく本当に勝とうとするなら、もっと長い年月をかけて国力の差を縮めなければならない。ルカはそう考えている。皇国を牽制(けんせい)しつつ内政にも注力し、諸国との連携をさらに進めていくほかに王国が生き残る道はない。勢いがあるからといって調子に乗って皇国領に侵攻などをすれば、地の利が逆転して勝てなくなるに決まっている。

 それに、あの国の中枢に堆積している闇。あの深淵(しんえん)は底が見えない。可能な限り触れるべきではない――

 

「いかんー。いかんいかん。いまは休むのよ……おほほ……」

 

 ルカは険呑(けんのん)になりつつある思考を中断し、湯に口元まで()かって泡を吹きはじめた。せっかくの休息の時間なのに休息をとらなければ、普段の能率に影響が出る。国のことを考えるのは王をやっている時だけでいい。

 王国のことは心から愛していても、ルカにばかり重責を押し付ける面はやはり好きになれない。たちの悪い男に心をやられてしまった町娘のようなものだとルカは思う。ルカは耳年増だった。

 町娘。

 

「あ、いっかい町に降りてみようかな? 女装すればバレない気がするし」

 

 自身の性別を忘れた独り言をしつつ、東洋伝来のヘチマールの実から作られたタワシでかかとを削る。脚甲のせいでかかとがガサガサになりがちなのだった。元首がいつまでも先陣を切ってるのも考え物だなあ、などとルカがやはり国のことを思っていると、短めに切られた白髪が印象的な、平坦(へいたん)な体つきの少女がぺたぺたと歩いてきた。

 

「……やめておいた方がいいわね……ここの城下の人間と話しても、気苦労が増えるだけ……」

 

 ドーリア王国の宮廷魔術師、アリエッタ。見る者にどこか退廃的な印象を与えるその不思議な少女は、七年前、初めてルカの前に姿を(あら)わしてからまったく容姿が変わらない。どころか、聞けば千年同じだという話だ。

 見た目は十代の半ばといった年頃に見えるというのに、これもいったいいかなる神秘なのだろう。ルカは気になりつつも、その平坦(へいたん)さを気の毒にも思った。魔術かそれに近しい秘蹟(ひせき)によって若さを保っているのであれば、相応の年頃とすればいいものなのに。

 などということを口にするとどんな目に遭わされるか知れたものではないので、ルカは関係のないことを言った。

 

「街の人たちにも、ちゃんと良きに計らってるつもりなんだけどなあ」

「衣食住だけが(そろ)っていても、人間は満足しないものよ……強欲だから」

「……何が足りないっていうのさ?」

「自由かしらね……? 強いて言えば」

 

 かけ湯を済ませたアリエッタは(だる)そうな表情でそろりと湯船に()かる。

 そのまま、顔色はまったく変わらなかった。

 ルカはいささか恐怖した。それに、東洋風だというこの風呂をわざわざ人気のない場所に作らせた本人が、()かってもまったく(くつろ)ぐ様子を見せないのはどうなのだろうか。ちょっとは喜んでくれたっていいのに。

 などということを口にするとどんな目に遭わされるか知れたものではないので、ルカは関係のないことを言った。

 

「自由ねー。贅沢(ぜいたく)だなあー」

 

 それはルカには縁の無い言葉だ。

 六歳から戦い続けているルカは、人生の半分以上が闘争の日々だった。彼女の人生の始まりより前、負けから始まった親の戦の肩代わりを続けている。

 とはいえ、大なり小なり人とはそういうものだろうとルカは思っている。自身の生まれ――環境や生業から生じるしがらみに(はま)りつつも、うまく付き合って生きていくしかない。

 この不思議な宮廷魔術師。神の使徒だと伝わる白い少女もそうなのだろう。でなければ、そんなに長い生を生きられるとは思えない。ルカはそんなことを考えながら、(だる)そうな顔のアリエッタをしげしげと眺めた。

 

「……あれっ?」

 

 半ば育ての親とも言えそうな付き合いの少女だったが、明るい場所で裸身を見ることはいままでなかった。その彼女の起伏に乏しい胸の中央。よくよく見れば、縦にまっすぐ、長い傷の痕がある。そこにルカは強い違和感を覚えた。

 この宮廷魔術師についてルカが知っている、数少ない事実のひとつ。彼女が身に宿す、生命の福音と呼ばれる不死身の神威のこと。ある戦いの中、ルカはアリエッタが五体バラバラの状態から瞬きの間に元に戻る様を目撃したことがある――もっと(ひど)いときもあったが、思い出すのが辛い――その彼女が負傷をした。

 にわかに信じ難く、じっと傷痕を見つめるルカだったが、その視線に気付いた白い少女が気だるげに口を開いた。

 

「……なに?」

「いや、それ。その傷。どうしたの」

「ああ……言ってなかったけど、実は銀の武器に弱いのよ……(わたし)

「え、そうなの。魔族じゃん」

 

 魔族の類が銀に弱い――というのはあからさまに迷信ではあったものの、(ほか)に評しようもないのでついそんなことを言った。不死身のアリエッタでも傷を負う。それはよくない。色々といやだ。ルカは銀製品を世から無くす算段をつけようと頭を回しはじめるが、戯言(ざれごと)生真面目(きまじめ)に受け取った彼女に、アリエッタは(ほの)かに頬を緩めた。

 

「冗談よ。これは……(わたし)が不死になる前についた傷だから」

「……ってことは、千年以上前?」

「そうね」

「うわ、すごいね」

 

 想像もつかない。ルカは放心した。それにしたって、こんなに綺麗(きれい)にまっすぐ垂直な傷が付くなどと、きっとまともな理由ではないのだろうとだけ想像した。

 裸身に顔を寄せ、まじまじと観察する。様相は剣傷に近い――いや、これは――賢王とまで呼ばれる少女はある結論に達しようとしたが、ちょっと感触も確かめようと、ほのかに色づいた滑らかな肌に指を()わせ――その途端、顔を鷲掴(わしづか)みにされた。顔色を変えないまま、宮廷魔術師は低い声を発した。

 

「……おい」

「えへへ、ちょっと学術的な興味が湧いちゃって……ちょっとだけだから」

「このエロガキが……また鼻から花でも咲かせてあげましょうか……?」

「あーっ! あーっ! やめて!」

 

 実際にやられたことのある仕置きを持ち出されると弱い。鼻からタンポポを咲かせたことのある王は後にも先にも自分だけだろう。種を鼻穴にねじ込まれるのも痛い。ルカは恐怖した。

 しかしちょっと諦めきれない。防御の緩い今の隙に手を伸ばし、(つか)まれる。そのまま取っ組み合いになって湯にひっくり返った。格闘はその後三分ほど続いた。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 上着(ダブレット)とストッキングという服装に身を包んだルカは、凛々(りり)しく顔を引き締めて玉座に座す。顔を作るコツは唇を引き締めることだ。玉座以外でも、ルカはそういう要領をよく心得ていた。

 戦略拠点でしかない石積みのロスペール城塞にわざわざ玉座が置かれている理由。それはルカが「要らないでしょーそんなの」と大臣連中に突っぱねた翌日、嫌がらせに縁談を持って来られた(ため)に渋々用意したからだ。

 玉座と言えば聞こえはいいが、城塞の中の食堂にあった椅子にそこら辺の赤いソファーから引っぺがしたクッションを貼り付けただけのものだ。ルカの手製である。誰も文句は言わなかったのでそのまま使っていた。

 玉座の間自体もルカが突貫工事で用意したものだ。元々はただの礼拝堂だった。長椅子と祭壇を撤去しただけなので、間取りはそのものである。つい最近まで国家存亡の危機に(ひん)していたし、いまだに台所事情が非常に厳しいというのに、見栄にかけるお金などはない。ルカはそう考えている。

 とはいえ大臣連中の言うことも分からないでもなく、粗末な椅子に細い少年が座っているだけでは、威厳などあったものではないのだろうと自覚はしていた。

 

 アイオリスからの使節だという身なりの立派な男が薄笑いで玉座の間に現れたとき、ルカはあらためてそんなことを実感した。

 どうせ貴族か何かだろうに、作法も何もあったものではなかった。腰を折るだけで「我ら同盟の盟主、ルカ殿におかれましてはご機嫌麗しゅう」などと言い出したので、ルカは突貫の玉座から柔らかく笑った。

 

「あなた死にたいんですか?」

「……は?」

 

 使節の男は目を白黒させて――玉座の間に(ほか)に誰もいないことを確認する。帯剣もしていないルカしか居ないからといって危険がないわけでもなかったが、ルカが指摘しているのはそこではなかった。

 

「うちの魔術師がよく汚すんですよ。そこの床。礼儀がなってないって」

「床……?」

 

 ルカがぞんざいに指さす床の赤黒い染みを見やり、使節は不思議そうな顔をする。こう言って通じないあたり、アイオリスはさぞ安穏としているのだろうとルカは想像した。それとも、うちの魔術師が人間を粗雑に扱うだけなのか。

 いずれにしても、ルカは一応、使節の話を聞くことにした。

 

「まあいいや。それで、はるばる床の染みになりにやって来られたのはどうしてですか? もしたいした用事がないならお早く帰られた方がいい。ここは最前線です。歓待もできません」

「はは、ルカ殿もご冗談がお好きですな」

「ぼくにはあなたに冗談を言う理由が見当たらないんですが……」

 

 ルカは親切心で言っていたが、使節は理解しなかった。書簡らしき封書を懐から取り出して言った。

 

「我が(あるじ)よりルカ殿にと書状をお届けに参った次第。こちらで都合三度目の要請となります」

「要請……ああ、そちらの戦線にもっと人を寄越せというお話でしたっけ」

(あるじ)もあの皇国に反攻を()し、押し戻してさえみせたルカ殿を高く評価しておられます。その力をぜひ我々にお貸しいただきたい」

 

 随分と軽く言ってくれる。

 ルカは内心の怒りを顔には出さなかった。

 努めて、再び柔らかく笑った

 

「ええ、そうですね。検討します」

 

 だから四回目もぜひ、うちの魔術師が居ない時に来てくださいね。

 心の中で付け足して手で払う仕草をしてみせたが、使節は退かない。

 

「この度は期限をいただきたい!」

「……はあ。こちらもいまは手一杯なんですが……知ってます? また九大騎士団とやり合ってるんですけど」

「窮状は三国同じ! よもや盟約を違えると!?」

「同じだったら分かりそうなものでしょうに……」

 

 ルカは眉を下げる。そろそろ時間切れだった。

 賢王の弱腰を見た使節は一歩前に出て押しの一手を指そうと口を開きかける。

 とりあえず謝っておこう。

 

「本当にすみません」

 

 謝罪するルカに呆気(あっけ)にとられた使節の男は、

 直後、喉笛が吹き飛んで血飛沫(ちしぶき)()()らした。そのまま、前のめりになって倒れ伏す。

 

「はあ……失礼だからって毎度やらなくてもいいのに」

 

 玉座の間にぶちまけられた死体を前にして、突貫玉座に肘をつくルカの背後から、気配が生まれた。

 振り返るまでもない。

 着替えに時間をとっていた宮廷魔術師アリエッタである。

 しかし、(はす)(つえ)を差し向けた白い少女は首を(かし)げた。

 

「あら……あれは失礼なだけではないみたいね……?」

 

 (つぶや)きのあと、使節の死体が(うごめ)いた。

 うつ伏せたその背を裂いて、骨のような男が持ち上がる。その異様を目の当たりにしたルカが腰を浮かせる一方で、白い少女は笑みに唇を()()げた。

 

「……この趣味はカレルね……ふふ。面白いこと」

 

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