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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
一章 門番と皇女
24/321

24.パン屋の槍①

 ゆっくりと瞼を持ち上げる。

 目を開けると、暗がりの中、目の前に顔があった。

 数々の悪鬼羅刹と渡り合った俺だが、覚醒早々に人の顔が目に飛び込んできたら、さすがにぎょっとする。

 思わず声をあげそうになった俺は、その顔がよく見知った少女だと気が付き、すんでのところで思い止まった。

 

「お、おはよう……タカナシ殿」

 

 詰め所の寝室。

 皇女殿下は明かりも点けず、ベッドの上に座って寝ている俺の顔を覗き込んでいる。少々面食らった様子でぱちぱちと瞬きを繰り返すあたり、俺の目が覚める前からずっとそうしていたのかもしれない。

 顔が近過ぎる。月明かりしか光源のない夜の寝室で、はっきりと視認できるほどだ。

 色々と無頓着が過ぎるだろう。この皇女様は一体、何を考えているのだろうか。

 

「……おはようございます。交代の時間ですかね」

 

 言うなり、俺はマリーの頭をそっと押しやり、気だるい体を起こして眠気を払うように目頭を軽く揉む。

 芋掘りのお陰でコンディションは最悪だ。俺の習得している生活魔法レベルの治癒術では左腕の負傷は完全には治らず、かといって眠気にも勝てない。詰め所に戻って肉じゃがを作った後は、痛み止めを飲んですぐに寝てしまった。

 

「ちょうど七時を回ったところかな」

「うわ、本当ですか」

 

 普段は夕方にはもう起きていることを考えれば、かなりの寝坊だ。

 俺はそそくさとベッドから出ようと姿勢を変える。そこで違和感を覚えた。

 負傷していたはずの左腕を動かしても、何の痛みもないのだ。暗い中で目を凝らして見れば、寝る前は少し残っていた左腕の腫れが、完全に引いている。

 自然治癒したにしては早過ぎる。

 

「すまない。寝ている間、勝手に治癒術を使わせてもらった。よく寝ていたようなので、起こすのも忍びなくてな。手の具合はどうだろうか」

「なるほど……お陰様で何ともありません。ありがとうございます」

「それは何よりだ。わたしの治癒術も捨てたものではないらしい」

 

 遥かに年若い少女に、寝ている間に世話をされてしまった。

 不覚の極みである。猛省しなければならない。

 

「それにしても、どうして俺が怪我してるって分かったんです」

「……夕飯の、じゃがいもの切り方がいつもと違っていたから」

 

 やや沈んだ声で、皇女殿下は呟く。

 離れてしまったので表情までは見えない。

 

「もしやと思って確かめてみたら、本当に怪我をしていたので驚いた」

 

 確かに彼女の言う通り、調理中に左手を使うのが厳しかったので芋の切り方が少々不恰好になっていた。

 マリーの食事は俺が毎日作っている。だが、普段からそんな細かい所まで見ているとは思いもしなかった。

 

「どうしてそんな怪我を」

 

 仄かな憂いを秘めた問いに、俺は一瞬だけ瞑目する。

 皇女殿下のこの様子から察するに、カタリナはまだ九天の騎士たちの話をしていない。であれば、今、俺の口から語るべきことは何もないはずだ。

 

「いやあ、実はですね。例の外壁に居ついてたって奴が、どうも性質の悪い傭兵崩れで、退いて貰う時にひと悶着あったんですよ」

「ほう。タカナシ殿に手傷を負わせるとは、なかなかの使い手だな」

 

 俺が適当に口から吐いた出任せを、素直に信じるマリー。

 暗いのでやはり表情までは窺えないが、左手にそっと労わるように触れる指先の感触があった。

 

「念のため、明日ドネット先生にも診てもらった方がいい。それまではあまり無理はしないように」

「ええ、そうします」

 

 ボロが出る前に退散した方がいいだろう。俺は素早くベッドから離れると、寝室を後にするためリビングへのドアを開けた。

 ちょうど、ドアの向こうで鼻息を荒くしながら聞き耳を立てていた人物と目が合う。

 俺は黙って後ろ手でドアを閉じてから、鳶色のエプロンドレスに身を包んだその少女の額にチョップした。赤いセルフレームの眼鏡が僅かにずり落ちる。

 

「あだっ」

「……お前は何をやってるんだ」

「い、いえ、わたくしは一切何も聞いてはおりませんですのことよ」

 

 額を押さえながら、弁解するカタリナ。だが、語尾がおかしい。

 俺は深く溜息を吐いてから、窓の外を顎でしゃくった。

 マリーは横になったら三秒で寝る。だが、それも絶対ではない。本当に聞かれては不味い話をする時は、詰め所の外でする必要がある。その為に、俺とカタリナの間で最近取り決めたサインだ。

 額を押さえながら、カタリナも涙目で首肯した。

 

 

 

 

 詰め所の裏にはささやかながら、菜園を設けている。以前カレーに使った春撒きのタマネギなども、ここで栽培したものだ。あまり稼ぎの多くない門番稼業としては、こういった節約術も必要だ。

 冷えた夜の空気を吸い込み、寝起きの脳が覚醒していくのを感じながら、俺は切り株に座るカタリナに問いかけた。

 

「ウィルフレッドはどうしてる?」

「他の騎士たちと同じく、お店の二階に置いています。さすがにもう空き部屋がないので、ヴォルフガングさんと相部屋ですけれど」

 

 何がおかしいのか、カタリナはくすくすと笑いながら答えた。

 パン屋はパン屋で賑やかなのだろう。

 

「それにしても、本当に彼らを解放するつもりなんですか」

「ああ。連中には早く遠くに行ってもらいたい。このままだとジャンたちにかかってる追っ手までセントレアに来る。共倒れになる可能性もないとは言い切れない」

「それは……良くありませんわね」

 

 思案顔で頷くカタリナ。

 

「ただでさえ、九天の連中がまとまってると人目につきすぎる。収穫祭が始まれば、皇都からの観光客も街に来る。その中に連中を知っている人物も居るかもしれない」

 

 人の口に戸は立てられない。死んだことになっているらしい騎士たちが、実は生きているという事実が広まるのは好ましくない。無駄に追っ手が増えることになる。

 だから、収穫祭が始まる前に彼らには退場してもらう必要があるのだ。

 

「寂しくなりますね」

 

 カタリナは、やや感慨深げに呟く。

 

「おいおい。連中は味方じゃないぞ」

「分かっています。それでも、ですわ」

 

 彼女は九天の騎士とそれなりの期間を共に過ごしている。自分の素性を伏せたままとはいえ、情も移るというものだ。

 その意味では、カタリナと九天の騎士連中との関係は、俺とマリーの関係に近いのかもしれない。俺はマリーの事情を概ね知っているが、彼女は俺の事情を知らない。

 カタリナがジャンの娘だと知ったら、九天の騎士たちはどんな顔をするのだろう。少しだけ気になったが、俺がその光景を見ることは、恐らくない。

 

「人手が足りなくなるので、収穫祭の出し物も規模を小さくしなければいけませんわね。せっかくカレーをこの世界に広めようと思っていましたのに」

「広めんでいい。大体、材料はどうするつもりだったんだ。カレーに使う香辛料なんて用意できてないだろ?」

「そこはほら、往還門があるではありませんか。ちょっとあちらの世界で買って来てくださいな……あだっ」

 

 可愛らしく人差し指を立てて言うカタリナの額に、俺は黙って軽くチョップした。

 赤いセルフレームの眼鏡が、再び僅かにずり落ちる。

 

「誰が払うんだ、その代金は」

「……この国のお金ならそれなりにお渡しできますわ」

「換金が面倒だし、レートがまるで合わないからやめておいた方が良い」

 

 むむむ、と再び難しい思案顔をして腕を組むカタリナ。

 よほどカレーを布教したいのか、単に商売が好きなのかは分からない。

 或いはその両方か。

 俺は呆れ返って頭を振り、それから、ようやく本題を切り出した。

 

「分かってると思うが、早く皇女殿下を説得しないとまずいぞ」

 

 この世界における一般的な戦力の目安として、平均的な実力の騎士一人を倒すには、身体強化や魔法の素養がない一般の兵士であれば、最低でも二十人は必要だとされる。

 騎士とは、それほど強大な存在だ。

 九天の連中ほどの騎士を一人倒すには、その平均的な実力の騎士が五人は必要だろう。各個人の実力差や相性もあるので本当に参考程度の目安にしかならないが、そんな彼らを本気で殺す気なのだとすれば、ジャンたちにかかった追っ手は、質か量のどちらかが相当なものになっているはずだ。

 その追っ手は、九天を仕留めるか諦めるかした後で、今度はこちらに来るだろう。

 

 実質的な戦力が俺一人である以上、次を凌げる保障は全くない。

 終わりの時は、決して歩みを進めることなく、刻一刻と近付いて来ている。

 

 

「ええ……その件についてですが、わたくしから提案があります」

 

 

 不意に表情を硬くしたカタリナは、冷静にそう言って眼鏡のつるを押し上げた。

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