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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
五章 シンギュラリティ
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41.宵を越えて①

 前代の継承戦を知るその老騎士は、かつてその戦いを生き抜き、生き抜いた末に主を失って敗北した。その大いなる喪失と無念は一時、騎士の心を恩讐(おんしゅう)の炎で満たした。確かに満たしはしたが、それはほんの一時、刹那に燃え上がった炎だった。いにしえより連綿と続く皇家の忌まわしき歴史に、ただの騎士ひとりが異を唱え、戦いを挑むことなどできはしない。

 皇国は変わらず壮健であり、騎士も気付けば国教会などで長いものに巻かれていた。煌々(こうこう)と燃えていたはずの篝火(かがりび)は時と共に熾火(おきび)となり、いつしか(うず)()となり、しまいには炭屑になっていた。(しわ)の寄った手は滅多に剣を握らず、時折襲い来る後悔だけが髪を白く染め上げていた。

 その果てが、お飾り騎士団の副長などという肩書だった。諦念と傍観の対価がそれだった。この騎士の一生の成果は、その肩書ひとつだったのだ。燃えるかつての同志たちはとうに墓石の下。騎士は空の城でかつての(あるじ)の肖像を見上げるばかりだった。

 

 そうして、老いた騎士は城の新たな(あるじ)と出会い、

 ただ、不憫(ふびん)な娘たちだと(あわ)れんだ。

 今思えば、どちらが真に憐れであったかは知れない。

 

 しかしトビアス・ガルーザが初めてスルーブレイスを目にしたとき、ただただ(あわ)れみの感情だけがあったのは間違いない。もし、飛行艦で敵を殲滅(せんめつ)せんと作られたその生命が人の姿をしていなかったのなら、そんな感傷に流されることもなかったのかもしれないと騎士は思い返す。しかし、皇女達はただの子供だった。市井の子らと何ら変わらず、何も知らず、邪悪でもなかった。生来の魔力量が多いだけの人間の子だった。それらを疎んじることなど何故(なぜ)できようか。子らに罪はなく、未来があるべきだ。

 

 罪は己にこそある。皇子達に今代の継承戦が宣せられた夜、老騎士は未来をひとつ選ばなければならなかった。過去そうであったように。誰を王と仰ぐかではなく、誰を死なせぬかだけを選ばなければならなかった。そして彼だけでなく、皇都の数多(あまた)の騎士達がそれを迫られた。その夜だけで騎士が両手の指の数を超えるほど死に、末の皇女は(かろ)うじて皇都を逃げ延びた。老騎士はスルーブレイスを死なせぬと決めていたが、それらは姉妹であり、そして老騎士の身はひとつだった。炭屑にもはや火は(とも)らず、芯から湿気てしまっていた。

 

 

 

 そして現在。(あるじ)を失った教会の執務室で、ただじっと己の手を見つめたトビアスは、末の皇女の剣力を思い起こして穏やかに口の端を上げた。

 かつて(あわ)れみなどをかけたあの(むすめ)が。苦悩の末にやむを得ぬと選ばなんだあの()が、ああも成った。それ故に悟る。この身こそ、とうに終わっていたのだと。(かげ)りながらも大器と見た姉の姫が失われるより(はる)かに前。剣を執らずして生き永らえることを選んだその日から、トビアス・ガルーザという騎士は死んでいたのだ。末の皇女の激昂(げきこう)と剣力こそがそれを示した。真にただ死するだけのものとなっていたのは、この老爺(ろうや)の方であったと。

 

「あの方はもはや奇矯な番兵に(とど)まるまい。自身がどう振る舞おうと。その足取りは新たな道を敷き、道を同じくする者は(しるべ)としてその背を追うだろう。そうして多くの人々を率いていく。あの方はそういうものだ」

「あの子に器を見たのか?」

「皇国に器を見い出された王はいない。王は常に古き者であったがゆえに。ただ、(わたし)は思うのだ。あの末の皇女は……あの新しき者は、きっとどこまでも己の道を征く。我らの罪が、ただ無垢(むく)であったはずのものをそう変えてしまった」

「……なんとも業の深い話さな。あれに仕えないのかね、お前は」

「化生め。(わたし)はそこまで恥知らずではない。今の(わたし)は道に落ちた炭屑。(ごみ)にすぎん。もうどかねば、きっと新しき者たちの邪魔になる」

 

 (ある)いは、お(いさ)めできなかったことを悔いる時も来るのだろうか。老騎士は暖炉の火を眺めながら遠い日に思いを()せる。

 そうはならない。二度ならず、三度とは。どこか確信もある。たとえこの窮境、無明の夜であろうと、進む者たちがある限りは。老騎士はそう信じる。

 しかし、暖炉から遠く。宵の闇の中にわだかまる化生は、女の声で笑うのだ。

 

「はっは。炭屑、炭屑ときたか」

「何がおかしい、極光(アウローラ)

 

 白衣を(まと)う女の姿で笑うのだ。

 

「知らないのか、トビアス。炭は地に(かえ)らない。一度燃えた薪は木とは違う。決して土には戻らない。もしもお前が自分を炭屑と呼ぶなら、きっとお前もまだまだこれからなのさ」

「……屁理屈(へりくつ)()ねおるわ」

「ふん。ジャンですらあの体でまだ戦おうというのに、五体満足のお前に廃業は早過ぎるというもんさ。それにだ。お前の意思がどうでも、ただ己の道を征くというあの子が捨て置くと本当に思うのか。あの、人の手によって編まれた優しい子竜が。あれはきっと、今にもすべてを巻き込むぞ」

 

 なにを言うかと思えば。老騎士は失笑する。含み笑う女は一歩下がって闇に消えた。相変わらず面妖な術を使う長命者に顔をしかめる老騎士だったが、それが移動術などではなく己を不可視とする隠匿術の一種であると見抜いている。いったい何を戯れているのか――

 

 

 

 その意図を察したのは、遠くからドスドスという荒い足音が寄ってきたときだった。老騎士はぎょっとして扉を見るが、鍵の有無はもはや関係がなかった。

 直後、扉は蝶番(ちょうつがい)ごと吹き飛んだからだ。

 そしてまっすぐ一本。白い脚が戸口から伸びている。蹴破ったのだ。

 

 ノックもせずしてか―― 老騎士は驚愕(きょうがく)する。

 

「トビアス・ガルーザ! きさま、どこまでわたしを愚弄する気だ! ゆるさんぞ!」

 

 脚の(あるじ)は、怒れる末の皇女マリアージュだった。美しく精緻な人形のごとき容貌であるはずが、まるで激した(いのしし)のような荒れぶりであった。

 見れば、泡を食ったような顔をしている騎士モイラ・ラングレンを伴っている。老騎士は皇女が怒る理由に見当をつけるが、それにしては様子がおかしい。モイラが後継として不適当だという話ではないのか。

 

「で、殿下……何事でございますか……!」

「とぼけるな! 聞けば水星天騎士団はロスペールに向かう気満々というではないか! きさま、それを分かっていて身を退く気だな!?」

「……!」

「どうせ憎まれ役の自分さえおらねば、わたしが騎士団を伴うとでも思ったのだろうが! そんな見え透いた手に乗ると思ったか、ばかめ! ふぬけ(じい)め! すでに耄碌(もうろく)がはじまったと見えるわ!」

 

 老騎士は内心で戦慄する。皇女の頭の巡りに、ではない。

 口の悪さだ。口汚さで言えば姉に引けを取らない。幼少のみぎりはもっとこう、それこそ人形のように静かな娘ではなかったか。いったいどうしてこうなってしまったのだろうか。

 いや――分かっていたことだ。人は人形ではない。決して。そのように育つことはあっても、そこに終わることはない。

 

「分かって頂けたなら話が速い。どうか騎士達の剣をお取りください。彼らに(あるじ)が必要なように、あなたにも彼らが必要なはず」

「ばかを言うな! おまえたちは姉上の騎士であろう!」

「姫様はもう居ない。そう言ったのは、あなただ」

「それは……そうだが……!」

 

 マリアージュは閉口する。

 これでなお抗弁するようであれば、それはそれで器でない。老騎士はそう判断する。ロスペールを救援するという目的を、その正しきを何より重んじるのなら、綺麗(きれい)なだけの矜持(きょうじ)は捨てねばならない時が遠からず来る。

 

「マリアージュ殿下。テレス城を含め、姫様の財産はすべてあなたに移譲いたします。万一にはそのようにせよと、姫様から言付かっておりましたゆえ」

「姉上が……わたしにだと?」

「ほかに誰が居るのです。誰も居はしないでしょう」

 

 執務机に仕舞われていた封筒を引き出しから探り当てた老騎士は、使わねばいいとだけ願っていたそれを、呆然(ぼうぜん)とする末の皇女に握らせた。

 そうして最後の仕事を終え、老騎士はただのトビアス・ガルーザとなった。あとはただ、死するだけの(かばね)に。

 

「……こんなものを渡されても、わたしには扱えない」

「それはもう、あなたがお決めになることだ。すべて。申し上げることはなにもありません」

「責任が重すぎる。わたしには……」

「……軽かったことなど、あるのですか。ただの一度でも」

 

 ない。

 この末の皇女が直面したあらゆる困難において、たとえ彼女がその身一つにまで立場を落としていたとしても。何かを見定め、剣を執ったときから何らかの責任は生じている。戦って敵を下し、己が意を通すという行為は、軽くない。常に。その数だけ(つい)えた望みがある。(つい)えた願いがある。

 

「……そうだな。そうだった」

 

 それでもなお、進めるのか。否か。

 答えは既に出ている。

 

「おまえの言うとおりだ、トビアス」

 

 そうして、マリアージュは決然とした面持ちで封筒を懐に仕舞い込んだ。

 老爺(ろうや)は薄く微笑(ほほえ)む。

 それでいい。そうやって、どこまでも進んでいくがいいとだけ願う。

 不意の感慨に(とら)われる老爺(ろうや)だったが、末の皇女は途端に怜悧(れいり)眼差(まなざ)しでもって鋭く命じる。

 

「では、おまえもわたしの騎士とする。速やかに支度をせよ」

「……なんと(おっしゃ)った?」

「水星天を辞めたのであろうが。なら、おまえは在野の騎士ということになる。いまの皇国に騎士を遊ばせておく余裕があるわけなかろう。これより、おまえはわたしの補佐とする」

「補佐とは……」

 

 いったい何の?

 という問いは、肩書を一切持たない皇女の耳には都合よく入らなかったらしい。顎に指を当てるマリアージュは一瞬だけ悩む素振りを見せてから、成り行きをただ見守っていた騎士モイラを向いた。

 

「モイラ・ラングレン」

「は、はい?」

水星天騎士団(メルクリウス)の主として正式に命ずる。少々酷だが、おまえはそのまま副団長とする。釣り合わぬというなら、己が武功をもって速やかに家名を上げよ」

「ええっ!? そんな……どうしてですか!?」

 

 この世の終わりのごとき顔をするモイラに、マリアージュは容赦のない言葉を美しい音で浴びせた。

 

「理由はいくつかあるのだが、最大の理由は編成上の都合……団長として置く者との相性である。よって異議は却下する」

「いきなりそんな一方的な……って、団長?」

「この折では、長には最優の者を置くのが妥当だ。空位や飾りでは意味がない。が、団員との軋轢(あつれき)もあろう。自然、おまえの仲立ちと働きに期待するところは大となる。頼むぞ」

 

 そう言って、ぱっと咲く大輪の花のような笑顔。その言葉と在り様に心を奪われたモイラは、首をぎこちなく首を何度か縦に振るのみだった。

 トビアスも、急に人が変わったかのようなマリアージュに唖然(あぜん)とするほかない。無論、老騎士が後継にモイラを指名したのは相応の理由が存在するのだが、それを聞かぬまま騎士団の編成まで決めつつあるこの皇女の果断ぶりは、どこか尋常ではない。

 

「殿下、もしや……用兵や戦術を学ばれたことが?」

「なにを当たり前のことを。わたしはスルーブレイスなのだ。そう作られたに決まっている。そも、軍人をやるとおまえの前で言ったことがあるではないか。忘れたか」

 

 老騎士もその夏の日を覚えている。

 奇妙な因果によって門番の少年と出会った日のことだ。しかし、本気であるかどうかと実現するかどうかはまったく別だ。幼子の頭に軍学が収まると老騎士には思えない。それに、この皇女は継承戦においても逃げてばかりいた――

 

 まさか。

 

 この娘の真価は、逃げていたから発揮されなかっただけだとでもいうのか。

 この上なき守護者である門番の少年たちの陰に隠されていただけで、この(よわい)で既に人の上に立って戦う者として準備を終えていたとでも――憶測を重ねる老騎士は、しかし、無言を貫いた。

 いずれにせよ(さい)は投げられているのだ。

 

 (ある)いは、この娘は本当に。

 

「おまえたちの剣、使えというなら無駄にはせん! ただの一本もだ! その意気も、わたしは(うれ)しく思ってよいのだな!?」

「御意にございます。我らに道をお示しください、殿下」

 

 そうして、老騎士は己が最後の主に(ひざまず)いた。

 若き騎士モイラ、そして闇の中の化生でさえも姿を現して床に膝を付いた。騎士たちの様子に、あるいはその異様と素性に面食らった末の皇女だったが、三者を順繰りに眺めてから、やがて意を決したように胸を張ってふんぞり返った。その様はやはり、奇妙に尊大な童女でしかなかった。

 

 しかし、老騎士は夜闇に光明を確かに見た。

 ああ、見よ。古き者の憎悪より生まれ()でた娘が、これより険しき王道を征く。その行き着く先が何であろうと、それはやがて、人々の福音となりえるはずなのだ。

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