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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
五章 シンギュラリティ
234/321

37.一人②

 飛行艦あるいは航空艦と呼ばれるフリームファクシは小型の昇降盤(リフト)で地上との行き来ができるような設計になっている。後部開閉扉(ハッチ)内部に格納された小部屋(こべや)ほどの昇降盤がスライドして外部にせり出すような構造になっており、そのまま分離して地上に降着。滞空中の艦から地上までの移動を実現している。

 マフラーとインバネスコートを着込んだカタリナを乗せた昇降盤(リフト)がふわりと降りたのは、雪化粧を(まと)ったセントレア中央区商店街の真中であった。カタリナがおっかなびっくり地面に降りると、昇降盤は緩やかに上空のフリームファクシへと戻っていく。よくこんな複雑な機構を、などと感心半分に昇降盤を見送ったカタリナだったが、群青色の航空艦の後部扉が閉まるまで眺めてから、雪道をゆっくり歩き出した。足取りは重い。

 

 動乱の降誕節から二週間。急に第一皇子に呼び出されてみれば、気の進まない話と大きな収穫とを等分に渡されてしまった。その狙いは読めない。

 彼に子ども扱いをされている、という雰囲気もあった。だとしても、まさか善意だけの提案ということはないだろう。マクシミリアンが執政としてアズル領の立て直しを望んでいるのは確かだ。

 

(わたし)が領主……」

 

 皇国北西部の穀倉地帯、その大半を占めるアズル領は辺境とはいえ大きな所領を有している。夜逃げをしたという領主、アズル辺境伯の行政組織である領主館も多大な組織であるはずで、それと同等の能力を有する組織も組み立てるとなると大仕事になる。それは避けて領主館をそのまま引き継ぐとしても、そもそもアズルに行かなくてはならないし、ぽっと出の小娘であるカタリナがスムーズに引き継げるとも思えない。数カ月はかかるだろう。

 

 重責もある。

 誠心誠意責任を果たそうとするなら、おそらく一生がかりの仕事になる。軽々に引き受けられることではない。もちろん、糊口(ここう)(しの)ぐために始めたベーカリーの店主とも比較にならない。しかし、フリームファクシを借用できるという条件はカタリナにとってあまりにも魅力的過ぎた。

 

 マリアージュが行おうとしているロスペール住民の救援には、まずひとつ大きな問題がある。それは時間――機動力の問題だ。

 第二皇子アーネストの逃走から二週間。九天経由で情報を収集しているカタリナの耳にもロスペールで大きな変化があったという報はない。アーネスト一派が体勢を立て直し、(スルト)によってロスペールを攻撃するまでにどれほどの猶予があるのかは予想をするしかない。

 しかし、かの一派がスキンファクシを運用している以上、陸路を使ってロスペールに向かってしまうと確実に間に合わない。転移門を使おうにも肝心肝要な転移街があの有様では、中間地点である皇都までですら数か月かかってしまう。

 

 その旨を魔法の福音(マギカエヴァンジェル)、リコリスに相談したところ、いくつか案を(もら)った。まずひとつめの案として、ひとりまでなら他者の転移が可能であるという彼女に、ロスペール近郊まで転移魔術による往復を繰り返してもらうという、ピストン輸送案。もうひとつは――布を張って巨大な(たこ)を作り、リコリスの魔術で風を吹かせて大陸の三分の一近くを飛んで横断するという、常軌を逸した案。みっつめの最後の案は検討する気にもなれないものだったので、ピストン輸送案が有望かと思われた。

 

 しかし、転移門を使わない長距離の転移魔術には大きな欠点があるのだと彼女は語る。つまり、星の自公転による誤差だ。

 現界(セフィロト)の大地は回転しながら移動している巨大な球体であり、よって出発時に設定した目的地の相対座標が正しくとも、到着時には微妙なズレが発生することになるという。移動速度が無視できるレベルの短距離転移では問題にならない誤差だが、数千マイルという長距離となると命の保証はしない、などとリコリスは言った。

 カタリナは閉口した。自らの持つ叡智の福音ウィズダムエヴァンジェル知恵(ソフィア)にも確認したが、きわめて高確率で転移者が墜死するか地中で窒息死するという。それでは意味がない。長距離転移に転移門という設備がなぜ必要なのか、その理由の一端を知ることはできたといえる。不本意ながら。

 

 ゼロベースで航空艦と同等の性能を有する乗り物の建造。発想を転換し、逃走したアーネスト一派を撃滅する作戦の模索。カタリナは様々な検討を行ったものの、やはり最も現実的かつ確実な計画は、セントレア上空で待機しているフリームファクシを借用することだった。

 

 そこに、まさに渡りに船のようなマクシミリアンの提案。

 思わず飛びついてしまったものの、あまりに出来過ぎている。

 

「足元を見られただけなのか、それとも本当に善意なのか……分かりませんね。どういうことなのでしょう、本当に……」

 

 カタリナとしてもマクシミリアンを警戒すべき相手だとは思っていない。彼を含め、第二皇子以外の皇族は継承戦を放棄した。それだけで彼らのすべてが全肯定されるわけではないものの、少なくとも敵ではないと判断するには十分な材料といえる。たとえそれが、今はもう居ない彼の策略の結果であってもだ。

 

「はぁ……」

 

 考えが彼にまで及ぶと、白く(かす)むため息が勝手に出た。

 彼の意見が欲しい。この二週間でそう思った回数は両手の指では足りない。難事の対応では相談するのが当たり前になっていた。そんな日々が遠い昔のように思えてしまう。

 タフで実務向き。そんな風に言われるとは思わなかった。マクシミリアンは褒めていたつもりなのだろうが、カタリナはいくらか落ち込んでいる。本当は、弱音や愚痴の種に困らない有様だというのに。

 

 白雪が舞う午後の街。

 ざふざふと雪を踏み慣らしてようやくベーカリーに辿(たど)()くと、復帰したばかりの九天の騎士、クリストファが白い調理服のままで店のカウンターに立っていた。普段は目元まで髪で隠れた男だったが、調理帽を被っている時だけは髪をまとめているようで、好男子といってよい顔を(あら)わにしている。

 

「お帰りなさいませ、お嬢様」

「ただいま戻りました。変わりはありませんか」

「……」

 

 クリストファはしっかりと(うなず)き、カウンターで中空を見詰める仕事に戻った。

 滅多に口を開くことがないクリストファだったが、挨拶など必要な言葉まで口にしないわけではない。そして、そこに終始してしまうのが彼の欠点といえる。主体性も皆無で、彼がはっきりとした自発的な行動を見せたのはただ一度だけだ。頼まれていないことはほぼしない。そんな男だった。

 そして、声を掛けないと永遠(とこしなえ)に店番をやってしまう。

 

「えっと……戻りましたので、もう休憩していいですよ」

 

 クリストファはしっかりと(うなず)き、

 その場で直立不動の体勢から、背の後ろで手を組む体勢へと姿勢を変えた。

 休めである。カタリナは首を縮めた。

 

「……自室に下がってよろしい」

 

 ため息混じりにそう命じると、しっかりと(うなず)いたクリストファはようやく店の奥に引っ込んだ。上階の自室に戻るに違いない。あれで別にこちらを嫌っているわけではないというのだから、カタリナは人心の機微というものがいまひとつ理解できないのだった。

 

 いっそ愛想を尽かされた方が気が楽かもしれない、などと気弱なことさえ思ってしまう。一騎当千の九天の騎士を事実上の私兵にしてしまっているのも、決して褒められたことではない。

 セントレアに集った勢力の方向性が定まっていた二週間前ならいざ知らず、道標(みちしるべ)を失った現状で九天を率いるような度量など自分にはない。カタリナはそう考えている。

 

 この店を辞するというなら、引き留めない。

 彼らを雇い入れたときからそのつもりではあった。

 問題は、誰ひとりとしてそうは言わないことなのだ――

 

 思わずこぼれるため息を、教会から響く鐘の音が()()した。

 しんしんと降る雪を、店のガラスウインドウ越しにぼうっと眺める。この天気では客足もない。静かな中でそうしていると、今にも店のドアを開けて、門番の少年がやって来るのではないか。そんな気になってしまう。

 第一声はぶっきらぼうな挨拶か、もしくは、よく分からない戯言(ざれごと)と相場が決まっている。そして、だいたいの場合は目も合わせず、明後日(あさって)の方を向きながら(しゃべ)るのだ。失礼な東洋人。それが彼の第一印象だった。

 

 ずっと後になって、彼に慣れ親しんだあたりにカタリナは気付いた。あれは彼なりの照れ隠しだったらしい。彼女は福音で心拍を読み取ってそれを知った。

 なんでもないような顔をしていながら、彼は目を合わせるのにも苦心していたのだ。そう思うと、なんだか可笑(おか)しいような気がして少しだけ笑えた。それに、今になってそんなことばかりを考える自分も、やはり滑稽(こっけい)だった。

 

 

 カタリナは門番の少年が死んだとは思わない。

 何らかの理由で往還門が消えてしまったことで、異界(クリフォト)に取り残されてしまったのだと解釈している。

 そして、そうだとするともう戻っては来れないと推測していた。

 叡智の福音ウィズダムエヴァンジェルは往還門を解析できない。それは事実だったが、その事実が指し示す意味はゼロではない。

 人智(じんち)の及ぶ範囲で知識を得るという福音で知識が得られないということは、それは人智(じんち)の及ぶことのないもの――人の手による復元、あるいは修復が(かな)うものではないということに(ほか)ならない。

 福音の力の源泉であるという光輝の樹セフィロティック・ツリー、そして大径(セフィラ)が何であるかはいまひとつ理解できないものの、現状までの情報で論理的に考えればそう結論付けられる。

 

 何度目の考察、何度目の結論かは記憶していない。

 

 

 ふと顔を上げると夕暮れになっていたので、カタリナはぼうっとしたまま店を閉めて、早々に自室のベッドで横になった。

 着替えもしていないことを自覚したのは、目を開けたまま寝返りを打ってマフラーに気付いたあたりだった。身を起こすのも億劫(おっくう)だったので、眼鏡(めがね)だけ外して――握りしめて目を閉じた。

 それはただのプラスチックだ。合成樹脂でしかない。叡智(えいち)の福音はそう(ささや)く。でも、それでも初めて目にしたとき、それは輝かんばかりに(まぶ)しく見えた。そんな記憶だけをよすがにして、はたして自分は永遠を生きていけるだろうか。カタリナは自問して、やはり、弱い自分を自覚した。そして、気付く。

 

 

 

 

 これを、千年。

 

 

 

 

 唐突に、気付いてしまう。

 あの門番の少年は、こんな気持ちで千年を過ごしたのだと。カタリナがたった二週間で千々に乱れてしまった、この永劫(えいごう)の辛苦を。

 忘却に逃げるでもなく、代替に逃避するでもなく、たったひとりで千年。それはやはり、異常なことなのだと少女は知る。約束などと呪いをかけて、異邦の地に彼を一人(ひとり)置き去りにした人間がいる。

 そんなことが許されるわけがない。あっていいはずがない。いったいどうしてそんなことが許されようか。

 

 たとえ彼が去ろうとも、そんなことを誰も望まなかろうとも。彼は(ほか)の誰にも語らず、今となっては知る者はカタリナだけだ。(ほか)の誰も、代わりに怒ってあげられない。もう、誰も。

 憤りのままに、眼鏡(めがね)を置いて部屋(へや)を後にする。そうして、仕舞っていた器械弓(コンポジットボウ)と矢だけを(つか)んで店を出た。

 

 あの仮面。あの仮面だ。(たわ)けたことばかりを言う、あの仮面なのだ。そうでなければ、顔を伏せる理由など最初からどこにもなかったはずなのだから。

 

 雪のちらつく街路を足早に、カタリナは迷いなく歩を進める。

 

 

 許せようはずがない。

 

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― 新着の感想 ―
[一言] 怪しいといえば怪しいけど…本当にリコリスが、かつてのタカナシの想い人だったかというと、ちと違う気もしないでもない。…まぁ、根拠はなくただの勘なのだけど。
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