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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
一章 門番と皇女
23/321

23.騎士とパン屋④

 正直に言えば、負けても良いという気持ちがあったのは否めない。

 

 礼を失するだとか、敵が増えるかも知れないだとか、そういう細かい話はさて置き、九天の騎士たちをこれ以上この街に拘束しておくのは、いくつも問題がある。

 彼らには何らかの形で退場してもらう必要があると、以前から考えてはいた。

 具体的な方法が思い浮かばなかったので先送りにしてしまっていたが、その意味で、ウィルフレッドとの遭遇は非常に都合の良い展開と言える。

 彼が全員を連れていずこかへ去ってくれるなら、その先は俺の知ったことではない。彼らが他国で一旗上げようが、ミラベルに一矢報いようが、好きにすれば良い。

 面倒がなくて助かる話だ。

 

 と、そう考えていたはずなのだが、気が付けば、俺は一切の加減なくウィルフレッドの大剣を弾き飛ばし、身を捻って回し蹴りを放っていた。

 蹴りを左の肘で受けた金髪の青年は、まるで怯むことなく大剣の刃を返して横薙ぎに一閃させる。立て直しの早さに舌打ちしつつ、俺はその一撃を長剣の刃で受けた。

 重い金属音を響かせながら、刀身が激突する。

 

 ウィルフレッドの剣技は、サリッサやジャンほど洗練されたものではない。

 にも拘わらず彼が俺と打ち合えているのは、単純に彼の一挙動が俺より速いからだ。超重量の大剣を自在に操る膂力もあるが、それよりも、内面的な要素が彼の判断力を上げている。

 

 気持ちが戦いを左右することは、ほぼない。俺は経験からそれを知っている。モチベーションが戦いに寄与するものも確かにありはするだろうが、とても限定される。

 剣での戦いに限って言えば、怒りは視野を狭めるし、逆は足枷にしかならない。最善の心理状態とは、ひたすら他の何物にも囚われず、相手の剣尖にのみ集中できるような状態だ。それ以上でもそれ以下でも、対応に粗が出る。

 

 だが、ウィルフレッドがそんな境地でいるのか、と問われれば、それは否だ。

 彼は、剣を繰るには人間臭過ぎる。情動を消しきれていない。ジャンのような機械の如き合理主義者から見れば、無駄が多いと評されることだろう。

 冷徹に相手を屠ることもなければ、余裕を取って加減するわけでもない。相手を倒したいと同時に、倒したくもない。そんな剣だ。

 

 それでも彼は俺に食らいつく。

 技量でもなく、心でもなく。

 単に彼が、何にも迷っていないからだ。

 

 刀身の長さは二メートル弱といったところだろうか。長大な銀の大剣を真っ直ぐに振りかぶった格好で、ウィルフレッド・ツヴァイヘンデルは両の眼を見開いて言った。

 

「どうだ、門番!」

「なるほど、確かに。大言壮語じゃなかったらしい」

 

 西門で彼は、俺を超えたと言っていたが、あながち間違いでもない。

 たかが一週間で剣の腕が大きく変わるわけもないが、心の持ちようは別だ。しっかりとやるべきことを見定めれば、そりゃ、迷いもしないだろう。

 

 それに比べて俺は、ずっと彷徨っている。

 この青年のように、正しいものを正しいとは信じていない。

 世界をシンプルに捉えきれないでいる。

 

「まだまだ、鍛錬の成果はこれからだ!」

「そうかよ!」

 

 上段の構えのまま、ウィルフレッドは突っ込んで来る。

 俺は長剣を汗ばむ両手で握り直し、切っ先を水平に構える。

 避けるか、受けるか。

 その逡巡の最中――ウィルフレッドの手にした大剣が掻き消えた。

 

「転移魔術!?」

 

 固唾を呑んで見守っていたサリッサが、声を上げた。ウィルフレッドの手から消えた大剣は、上でなく、下。俺の前の地面に突き立っている。

 突進してきたウィルフレッドはそれを逆手で取り、掬い上げるような一撃を繰り出した。上段にばかり気を取られていた俺は、長剣を下げるが、間に合わない。

 鈍化する時間の中、俺は権能を発動させた。剣技(グラディオ・アルテ)で既知の技を再生する。そこに反応速度などという生易しいタイムラグは存在しない。

 俺の体勢は瞬時に書き換えられ、ウィルフレッドの銀の大剣を長剣で受け止める。

 

「まだだッ!」

 

 ウィルフレッドの大剣が再び消え失せる。

 俺の長剣は空を斬り、その場で跳び上がった金髪の青年の手には、空中に再転移した大剣が握られている。

 

 転移魔術を剣技に織り交ぜる――その発想の大胆さに、俺は舌を巻く。

 思い付いたって、そうそう実現できるものではない。目まぐるしく立ち位置が変わる剣戟の最中に、高度な集中を要する転移魔術を連発するなどという芸当が、ただの人間に果たして可能なのか。

 

 その答えは、俺の眼前で結実しようとしている。

 再び剣技(グラディオ・アルテ)で体勢を変え、上からの攻撃に備えた俺の目に、何もない空が映った。

 このタイミングで、自身の肉体を含めた転移。

 

 

 死が、迫っている。

 

 

 怖気と共に瞬時に背後で生まれた気配に目掛け、俺は三度、剣技(グラディオ・アルテ)を発動させる。

 権能による事象の書き換え「上書き(オーバーライド)」はノーリスクではない。ただ他人の剣技を再生(リプレイ)するだけの通常発動とは異なり、瞬時に自身の状態を書き換えるこの発動形態をとった場合、俺の肉体には相応の反動が掛かる。

 これだけの連続発動は、反動だけで結構なダメージになる。

 

 だが、それでも。

 剣で受けなければ、両断される。その確信が俺にはあった。

 

「破軍――改ッ!」

 

 刹那の間に自分の前後を書き換えた俺が見たのは、渾身の気合と共に繰り出される、銀の大剣の刃だった。

 三連の薙ぎ払いを手から手への転移魔術で繋げた、連続攻撃。

 二段までを長剣で捌き切った俺は、三度目の払いを剣と左腕で受け、その衝撃で宙を舞った。

 視界が上下を失い、暗転していく。

 

 不意に、誰かの声を聞いた気がした。

 

 

 ■

 

 

 どうっ、と麦畑の中に背中から落下した俺は、咽せながら肺の空気を吐き出した。

 手にした木剣は、もうどっかに転がってしまっている。

 立ち上がることもできず、俺はただ呼吸を繰り返して空を見上げるばかりだ。

 

「どうもアキトは、剣が好きじゃないみたいですね」

 

 見事に俺を打ちのめした金髪の少女は、口元を緩めながらそんなことを言う。

 

 違う。俺は小さい頃から剣が大好きで大好きで堪らなかった。

 異世界に落とされる時も、まず真っ先に剣を欲したほどだ。

 そして、その希望は叶えられた。

 かの「不定形の神」は俺に「剣の福音」を与えた。

 

 全てを斬り裂く白い剣。

 あらゆる剣技を再生する権能。

 

 こんな力を与えられるような剣狂い人間が、剣を嫌っているわけがない。

 ただ、ちょっと、調子が悪いだけだ。

 あの白い剣でなければ、俺は力を使えない。木剣では本気が出せないだけなのだ。

 

「あの剣で斬ったら、相手は死にますよ」

 

 当たり前のことを少女は言った。

 だけど、それは悪いことではない筈だ。俺たちが戦っているのは邪悪な人食い竜共であって、人間じゃない。殺しても何の問題もない。正しい行いだ。

 この少女だって俺と同じ立場で、目的を同じくして一緒に戦っている仲間なのだから、異論なんてないはずだ。

 

「大体、魔法使いのくせに、剣の腕も立つってのがおかしいんだよ」

 

 無様な俺は、麦畑の上で転がったまま、ぼやくくらいしかできない。

 少女は木剣を肩に乗せ、青い瞳をすっと細める。

 

「そうですか? アキトが怠け者なんですよ」

「……俺には剣の鍛錬なんて、意味がないから良いんだよ」

 

 俺は、普通に剣を学ぼうとしても殆ど成果が上がらない。何を学んでも、頭の中にある何かが真っ黒に塗り潰してしまう。

 福音の代償だ。つまり俺は、権能を用いて再生した他人の技でしか戦えない。

 恐らくは、この先も、永遠に。

 

「無意味ではありませんよ。確かに福音は、わたしたちの成長を抑制してはいますけど、力の使いようを変えることはできますからね」

「使いよう?」

「例えば、私の魔法の福音……奇跡の模倣者プラエスティギアトレスはあらゆる魔法を、詠唱も動作も魔力消費もなしで即座に使用できるっていう優れものですけど」

 

 知ってはいたが、改めて説明されると、とんでもない力だ。

 魔法が不得意な身には羨ましい限りである。

 俺は首肯しながら羨望の眼差しを送った。

 

「それってつまり、同時に複数の魔法を使えるってことでもあるんです。だって、詠唱が必要ないんですから」

「言われてみれば、確かに」

 

 要するに、何の制限もなく魔法が使えるということなのだから、できるだろう。

 俺たちの権能は、頭で考えるだけで行使することができる。だとすれば、相応の思考さえ出来るのであれば十でも百でも、千の魔法だって同時に発動できるかも知れない。

 

「アキトの力だって同じです。ええと……」

「何でも斬れる丸のことか?」

「……そう、それです」

 

 少女は微妙な顔で頷く。

 何かおかしなことを言っただろうか。

 

「その力だって、色んな応用ができるはずです。いずれ、あの白い剣を使わなくても力が使えるようにもなりますよ。わたしも最初は魔道書がないと使えなかったんですけど、今では普通に素手でも使えていますからね」

「そうだったのか。初耳だ。意外と制限が緩いものなんだな」

 

 麦穂の向こうで少女は頷き、くるりと身を翻す。

 

遺物(アーティファクト)は所詮、鍵に過ぎません。あなたにならできますよ。そういう予定ですから」

「……予定?」

 

 問いには答えず、少女は去っていく。

 体を起こし、俺は麦畑を見回すが、彼女の姿はどこにもない。

 風に揺れる麦穂だけが視界を埋め尽くしていく中、俺は少女の名を呼んだ。

 

 

 記憶から欠けてしまった、その名を。

 

 

 ■

 

 

「タカナシ!」

 

 俺を呼ぶサリッサの声が、意識を現実に引き戻した。

 凄まじい勢いで吹っ飛ぶ体を捻り、背中から倒れそうな体勢を何とか立て直す。

 それから、たたらを踏みながら着地した。

 どうやら一瞬、意識を失っていたらしい。

 

「痛ってえ」

 

 忸怩たる思いを噛み締めながら、銀の大剣を振り切った体勢のまま残心するウィルフレッドへ向けて、長剣を構え直す。

 新調した長剣は、騎士の全力の一閃を受けても刃こぼれどころか歪みひとつなく、鈍く輝いている。この剣でなければ、また折られていたかもしれない。

 そんな俺の内心を知る由もない金髪の青年は、驚愕の表情で俺を見た。

 

「仕留め、切れない!?」

「サリッサの技の改良版だな。意趣返しのつもりかも知れないが、一度知った技は俺には通じない。律儀に軌道まで同じなんだから、受け切れる」

「それでもッ!」

 

 ウィルフレッドは再び俺の背後へ転移する。

 完全に決まらなくとも手数で押し切る、というつもりなのだろうが、それを甘受する理由は俺にはない。

 

 剣技(グラディオ・アルテ)

 俺の持つこの権能には、いくつかの「先」がある。

 剣以外の武器の戦技を引き出す「過負荷(オーバーロード)」。

 無理な体勢からでも即座に任意の剣技に移行する「上書き(オーバーライド)」。

 そして、「早送り(ファストフォワード)」。

 

 上書きを凌駕する反動と共に、俺は身体強化の何倍も速く加速する。

 たった三秒しか維持できない発動形態だが、背後に現れたウィルフレッドの大剣を弾き返し、彼の胴を薙ぎ払うには十分だった。

 

「がっ……は」

 

 瞬時に転移させた金属鎧を盾にしたウィルフレッドは、大剣を手から取り落として地に膝をついた。

 あの一瞬で防御を行うとは、驚くべき反応速度だ。

 剣の腹を使って打ったのもある。もう立てないまでも、深手にはなるまい。

 

「ウィルフレッド。お前、やっぱり強いな」

「それは謙遜……いや、嫌味かい?」

「馬鹿言え。本当に強いやつってのは、お前みたいなやつなんだよ」

「……そうかな」

「そうさ。自信を持て」

 

 俺が差し出した手を取り、ウィルフレッドは覚束ない足取りで立ち上がる。

 彼が見せた芸当は、この世界の人間が、いずれ神の作り出したインチキを超えてくれるかもしれないのだと、はっきりと教えてくれる。

 その可能性に、俺は深い安堵を覚えるのだ。

 

「ウィルフレッド! お前、いつのまにあれほどの実力を身に付けた!?」

「え、いや……はは、でも負けちゃいましたよ」

「傍目には互角であった。胸を張るが良い、若造」

 

 当の本人は、駆け寄ってきた九天の騎士たちの賛辞に、戸惑いながら笑っている。

 俺はその場から離れ、長剣を鞘に収める。

 

「タカナシ」

 

 弱々しい声をかけられて振り返ると、目を伏せて佇むサリッサの姿があった。

 俺はその畑道に座り込み、取っておいたじゃがバターを掴んで口に運ぶ。

 そんな行動にも反応せず、サリッサはどこか悲痛な表情を浮かべて俺を見つめる。

 

「おいおい、なんでお前がしょぼくれた顔してるんだ。お前もウィルフレッドを労ってやれ。あいつ、すげえやつだよ。大した幼馴染じゃないか」

 

 むしゃむしゃと芋を咀嚼しながら、俺は努めて明るく言った。

 しかし、サリッサは金髪の青年を一瞥することもなく、俺の傍に座り込む。

 どうも調子が狂う。

 

「……腕、大丈夫なの?」

「腕? ああ、剣を盾にしたからな。ま、大丈夫だろ」

 

 骨はいかれてるかもしれないが、と内心で付け加え、俺は芋をもうひと齧りする。

 黒髪の少女は何かに耐えるように、瞼をきつく閉じる。

 その心中に何が過ぎったのか、俺には分からない。

 しかし、明るいニュースを伝えることくらいはできるはずだ。

 

 ウィルフレッドなら、きっと間違いはしない。

 解放した連中が何かを企てたとしても、抑えるだけの力も持っている。

 だから、俺はその言葉を口にする。


虜囚術式(コンプレヘンシオー)は解く。後は好きにするといい」

 

 きっと、サリッサは喜ぶだろうと思っていた。

 

 

 なのに現実には、サリッサはそれを聞いても――或いは、聞いたからこそか。

 赤い瞳を潤ませて、耐え切れなくなったかのように、どこかへ走り去っていく。

 

 

「……なんで泣くんだ」

 

 

 その華奢な背中を見送りながら、訳も分からず、俺は芋を齧った。

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