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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
五章 シンギュラリティ
226/321

29.甦る剣

 来歴不明のその西洋剣は、明治の時代に華族の好事家が美術品として蒐集(しゅうしゅう)していた洋剣のうちのひとつだ。末裔(まつえい)によって昭和初期に刀剣登録を受けたのちに公営の民俗資料館へと寄贈されたものの、鑑定で判明した学術的価値の低さから死蔵されていたひと振りである。それを、管轄自治体の方針転換によって閉館した資料館の倉庫から来瀬川教諭が持ち出したのだという。

 

 のちに彼女が語ったところによれば、「なんか鍵開いてたよー。あはは、田舎(いなか)は不用心だよねー」とのことだが、どこまで本当かは不明だ。なんにせよ確実に窃盗行為だったはずだが、永山警視あたりが()()したのかもしれない。

 

 ともあれ、永の眠りから(たた)()こされたその名もなき剣は、異界(クリフォト)の剣にしては細身で長尺の両刃を備えている。

 儀礼剣のような様式の装飾が()された長い(つば)と、これもまた長い柄。それらの特徴からして鎧通し(エストック)の一種なのだろうと思われるが、詳しいことはわからない。

 長尺でありながら軽い部類なのは身幅と材質も絡んでいるかと推測できる。本来であれば振って使う剣ではなさそうだったが、振り回してみた限り強度設計に不備はないらしく、魔力を通していることもあってか振っただけで折れるということはなさそうだった。

 

 

 愛剣とまったく異なる性質を持つ剣の手応(てごた)えにやや面食らいつつも、様子見程度に突いてみて遠当ての戦技、衝角を繰り出す俺だったが、

 生じた颶風(ぐふう)は想定の数十倍の規模だった。技を放った俺が後ろにつんのめり、傍らの瑠衣が小さな悲鳴を上げ、潰れた来瀬川(くるせがわ)教諭の車が大きく揺れた。

 

 極大と言って()(つか)えない魔力塊が剣先から撃ち出され、羽ばたきながらこちらを警戒していた翼竜の一体に激突する。

 

 途端。

 中央から絞られるように()じれた翼竜の巨体が、()ぜるような音と共にひとかたまりの血煙と()して四散した。

 

 俺は剣を突き出したまま、降り落ちる血肉の雨を呆然(ぼうぜん)と見る。

 

「……どうなってんだ……?」

 

 細かい戦技でさえ威力が狂っている。

 悪いことではないのだが、手放しで歓迎はできない。加減が効かないということは、ひとつ間違えば悲惨な結果を生むということと同義だ。間違っても人に剣を向けられないだろう。剣技を迂闊(うかつ)に使えない。

 

 そして、困惑ばかりもしていられない。技のあまり(・・・)(おぼ)しき黒い魔素(マナ)の粒子が舞うなか、五体にまで数を減じた翼竜たちが空で散開した。

 逃走を選択したわけではないようで、それぞれ大きく旋回しながらも、こちらを狙う気配が消えていない。空を行く彼等(かれら)に追い付く手段はないながら、剣がある今ならばやりようはある。

 

「永山警視をさがせ!」

 

 ちょうど潰れた車から来瀬川教諭を引っ張り出した瑠衣に短い指示を飛ばし、俺は大きく跳躍した。

 風を切り、中空で魔素(マナ)の足場を蹴って更に跳ぶ。何段かの跳躍で高度を得るや、一歩ずつ足場の生成を繰り返して空を走る。

 

 剣技の再現とは異なる歩法の再現は、意識喪失などの重篤な罰則(ペナルティ)を伴う剣技(グラディオアルテ)の変則発動、過負荷(オーバーロード)に依存している。つまり乱発はできず、長時間にわたって空を走るなどという芸当はいままでの俺にはできなかった。

 だというのに、飛行する翼竜へと一直線に駆ける俺には頭痛も眩暈(めまい)も生じていない。

 

「なんのおかげなんだか知らないが……!」

 

 滑空する翼竜に追い付き、僅かに思案してから剣を振るう。翼を攻撃して()とすのでは危険が残る。落下した先に人が居ないとも限らない。できうる限り即死させなければならない――

 声もなく剣を一閃(いっせん)させる。古びた剣を振り抜いたのち、頭部を縦に断ち割られた翼竜が無人の広場に落下していくのを見届けて再度走り出す。

 

「……ああくそ! やっぱ高いな畜生!」

 

 できるだけ下を見ないようにしていたのだが、およそ高度五十メートルから百メートルのあいだを疾走するとなると、やはり肝が冷えるどころの騒ぎではない。踏み外して落ちでもすれば死は免れない。

 

 さらに、怒れる亜竜が翼を広げて上から迫り来た。

 空へ追えるといっても地の機動力が違い過ぎるのだ。追うだけならともかく、敵の攻撃を(かわ)すのは難しい。自在に飛行する翼竜とは異なり、俺は曲芸をしているにすぎない。人が空を飛ぶことはできない。

 ままよ。

 口内で(つぶや)いて足場を蹴る。急制動からのバックステップ。

 真上から急襲してくる翼竜が眼前(がんぜん)を過ぎる瞬間、古びた剣の刃を突き込んだ。慣性のままに胴を裂かれた竜が苦悶(くもん)を叫び、勢いのままに落ちていく。

 

「五体目!」

 

 形勢は決している。こちらが不利な空中戦とはいえ、残り三体にまで群れの数を減じた翼竜たちに勝機はない。

 しかし、群れは最後まで戦う意思を見せた。二体がまっすぐに突っ込んでくる。一体たりとも逃がす気はなかったものの、ここまで戦意を維持すると思わなかった俺はやや面食らって足を止め、

 

 

 直後、爆炎と銃火が青空を焦がした。

 

 

 振り返って見れば、新手のヘリが米粒ほど遠くに見えた。陸上自衛隊のアパッチが二機、(すさ)まじいまでの射程を発揮して翼竜に攻撃を加えたのだ。

 まるで落とされた僚機の仇討(あだう)ちと言わんばかりに、機関砲とミサイルが次々と着弾して翼竜の一体が煙に飲まれる。殺傷まで至らずとも、その衝撃は飛行する翼竜の運動エネルギーを完全に殺した。

 

 思わぬ援護の手は地上からも伸びる。

 もはや見慣れた銀の光が数十条。いったいいつの間に仕込んだのか、ミラベルの銀弓(アルギュロトクソス)の魔弾だ。まったくの同時に生まれた数十の流星が地上から伸びる様は、いっそ壮観ですらある。その銀色の対空砲火はもう一体の翼竜に絡みつき、数多(あまた)の小爆発を起こして制圧する。

 

 

 ――()釘付(くぎづ)けにしてくれているなら。

 

 

 異界と現界、それぞれに由来する光と爆風を裂いて、俺は剣を(はし)らせた。動きを止めた翼竜二体に目掛けて戦技、衝角を繰り出す。やはり異様な手応(てごた)えが生まれ、ただの一撃で二体の翼竜が、あたかも空間ごと()じれるかのように爆散した。

 余波の風が頬を(たた)き、俺は眉を寄せる。

 

 やはり強力すぎる。

 ここまでくると逆に危険だ。

 

 舌打ちしつつ、最後の一体の姿を空に探す。

 そして、俺は二体の翼竜がまっすぐ向かってきた本当の意味を知った。

 

「……そういうことか」

 

 羽ばたく最後の翼竜の小さな影が、(はる)か遠く、雲間に姿を消そうとしていた。

 ごくシンプルな陽動。

 だが、単純であるがゆえに対応が困難だ。

 

 逃げる翼竜までの、正確な距離は分からない。

 二キロか、三キロ。あまりにも遠いことだけは分かる。もはや走って追撃するのは不可能であるように思えた。強化された衝角の間合いでも捉えるのは難しいかもしれない。俺にはできない――

 

 

 その瞬間、

 なにか、不思議な感覚に襲われた。

 対処可能なのだという、まったく根拠なき確信だけがあった。

 

 この手に剣のすべてがあるというのに、なぜできないことがあるのか。

 そんな、聞き覚えのない声でさえ聞こえてくるほどに。

 

 

 名もない剣を逆手に持ち替え、振りかぶって投擲(とうてき)の構えをとる。

 過剰に充填された魔力が紫電のような光を(ほとばし)らせ、空気が震えた。もはや放ち手たる俺が危機感すら覚えるほどに高まった魔力が、形だけ、剣技の体裁だけを保って解き放たれんとしている。

 

 是非もない。

 やるべきことと、やれることが一致している。

 

 

「届け――!」

 

 

 全力で腕を振り切る。

 指先から、雷光の(ごと)き光を(まと)った古剣が離れる。何度となく放った投擲(とうてき)の技であるはずが、強く、かつてないほどの衝撃波を伴った。

 一瞬で彼方(かなた)へと向かった古剣の刃が、陽光を受けて二度瞬いた。光は、もはや狙いを付けようがない距離であるにもかかわらず、翼竜を目掛けてまっすぐに向かっていく。

 

 

 

 音もなく、彼方(かなた)の影が上下に分かたれた。

 次いで、稲妻のような音が(とどろ)いて雲が吹き散らされる。

 

 雲間に開いた大穴の下、翼竜の影が()ちていく。

 

 

 

 俺は、戦いの決着を仮面越しに見上げるしかなかった。自分で()しておきながら、その結果がまったく理解できなかった。

 理解できないまま、いまだに自分が空中に立っていることにも気付いて首を(ひね)る。剣を投げて手放したいま、剣技(グラディオアルテ)の行使は(かな)わないはずで、歩法再現も解除されてしまうはずなのだ。

 しかし、魔素(マナ)の足場が消える様子はない。というか、まったく不思議なことに、手放した古ぼけた剣の柄の感触が、まだ右手に残っているような気がした。

 

 (みょう)な予感がする。

 引き寄せるように右の(てのひら)を動かす。

 

 すると少々の間を置いて、それは起きた。

 はたしてどういった原理なのか。遠く空へと消えていったはずの古びた鎧通し(エストック)が、往路とは打って変わった、常識的な速度で飛んで戻ってくるのが見えた。見えてしまった。

 

「……」

 

 飛来した古びた剣は、ひとりでにストンと右手に収まった。

 剣自体にはやや焦げている以外に変化がなく、この異変はやはり俺の――剣の福音に起因しているのだろうと推測が立つ。剣の福音が新しい現象攻撃(フェノメノンアタック)を得たとでも解釈すべきなのだろうか。そんな経験は千年越しなので、困惑以外の反応がとれない。

 

 手放した剣を手元に引き寄せる力、だろうか。よく分からなかったものの、剣の類を雑に投げがちな俺にとっては地味に役立つ、などと考えながら左手を引くと、いつの間にか広場で投げ捨てたはずの(さや)を持っていた。

 

「……ちょっとしたホラーだ」

 

 ぼやきながら剣を(さや)に収める。

 翼竜の群れが消えたことで、自衛隊のヘリが接近の動きを見せ始めていた。そうでなくとも、じきに警察も到着する。いつまでも宙に立ってはいられない。明日(あした)の新聞に載りたくはない。

 

 魔素(マナ)の足場を消して重力と風に身を任せながら、俺は最後にパークの全景を見た。おそらくはもう、二度と訪れることのない思い出の場所。()(のが)したアトラクションに僅かな未練を感じながらも、目に焼付けるだけに留める。

 それができるほどには(とし)を重ねたはずなのだと、なけなしの自制心と自尊心で(つぶや)いてから、俺は地面へと向かって跳んだ。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 富士重力波観測研究所にはいくつかのマシンルームがある。施設の主目的たる重力波望遠鏡、LIBRAに関する制御とモニタリングを行う地下六階の特別電算室もそのひとつで、設置されているコンピュータはすべて外部ネットワークから遮断されている。そのため、モニタを(のぞ)()んでデータと(にら)めっこをするのが仕事である新田(にった)椎子(しいこ)が暇をつぶす手段といえば、もっぱらスマホアプリなのだった。

 最近はRPGを中心に遊んでいる。椎子(しいこ)がもっと若かったころと比べれば格段に進化したグラフィックスと、広大なスケールのフィールドが魅力的だった。あと、かっこいい男性キャラが多いのもいい。ついつい時間を忘れて遊んでしまう。

 

「……あれ」

 

 狭くて暗い電算室の一角。

 デスクでぽちぽちとスマホの画面を押していた椎子(しいこ)だったが、気が付けばパソコンのモニタに表示されているLIBRAの観測データが沈黙していた。先ほどまで異常値を表す光点だらけだった近隣の地図にも目立った動きがなくなっている。

 

「うーん。消えた。あんなに活発な変動源群は初めてだったんだけど」

 

 眼鏡(めがね)をかけてマウスを操作する。

 河口湖の(そば)にあるアミューズメントパーク付近に多数あった反応も、やはり綺麗(きれい)に消えてしまっていた。

 しかし、観測データは常に記録として残っている。再度操作して過去のログを確認する。いつもの重力波変動源と(おぼ)しき光点が八つ。やはり異例の数が集中していた。一カ所にここまでの変動源が集うのは初めてだった。新しい発見でもあれば、という気持ちで観測データを順送りにして確認していく。

 そのさなか、

 

「……えっ?」

 

 唐突に、画面を埋め尽くすほどの光点が生じた。

 もう一度順送りのボタンを押すと消えてしまう、ほんの一瞬の異常値。

 

「なにかのノイズ? でもこれは……」

 

 かちかちとマウスをクリックしてさらに進めると、あの一瞬の異常値ほどではないにしても、新手の大きな光点が現れた。それは変動源が消失し始めるのとほぼ同時だった。

 まるで、新手の光点が(ほか)の変動源を食い潰していくような動きだった。

 椎子(しいこ)は爪を()み、僅かな考察の後にタブレットサイズのノートパソコンを(かばん)から取り出す。起動と同時に仮想の専用線に接続し、通信用のアプリケーションを起動してキーを(たた)いていく。

 

 画面いっぱいに並べたのは、アミューズメントパーク内のすべての監視カメラ映像だった。ざっと眺めてから、新手の光点が生じた位置と時間に絞りこむべく映像をあらためていく。

 その最中、至るところに映り込んでいる巨大な怪生物――白亜紀後期の翼竜が奇妙な変容を遂げたがごとき生き物は無視する。新たな発見ではないからだ。

 しかし、

 

「……なによこれ!? (うそ)でしょ……殺してる……!? 」

 

 ぐにゃぐにゃに(ゆが)んで判別できなくなった人影らしき何かが、怪生物を次々と殺傷していく映像が映るに至り、彼女は驚愕(きょうがく)と共に手を止めた。しかし、映像は加工の余地がないルートで入手している。椎子(しいこ)は激しく爪を()む。

 

「人間サイズの光学迷彩オプティカルカモフラージュ……異星(バテンカイトス)の技術をもう実用化したってこと……? いったいどこの誰が……!」

 

 メールで画像解析に回すものの、期待はできない。偵察衛星も都合の良い時に都合の良い場所を写しているわけではない。

 椎子(しいこ)は大きく溜息(ためいき)をつき、何度かクリックを繰り返してやけばちに映像を送る。相手の正体は不明ながら、完全な隠蔽技術を持っている。この調子では役に立つ発見はなさそうだ――

 

 そう思った矢先、ほんの一瞬の異常値を観測したちょうどその時刻の映像が()ぎった。第二入園口の映像の片隅に、奇妙な少女が立っている。

 

 椎子(しいこ)は椅子から腰を浮かせた。

 少女を中心として僅かに、映像が(ゆが)んでいる。光を()()げているのだ。

 

「……見つけた。この子だ」

 

 スクリーンショットと映像データのリンクをメールに添付しながら、椎子(しいこ)は興奮気味にキーを(たた)いた。最後に画面越しに映る少女の端正な顔を眺め、乾いた唇を()める。

 どこの誰かはすぐ知れることだ。担当部署が穏当な手段で確保できればいいのだが、しかし、そうでなければ少し可哀想(かわいそう)なことになるかもしれない。子供を巻き込むのは気が引ける。

 ごめんなさいね。

 心の中で謝罪をして、送信ボタンを押下した。それは自分へのただの言い訳だったが、なによりも職務が優先される。椎子(しいこ)は気持ちを切り替え、ノートパソコンを畳んで(かばん)へ仕舞った。

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