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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
五章 シンギュラリティ
218/321

21.ラフ・デイ②

 コースターに挑んだのは開園直後だったおかげか待機時間も数分で済んだのだが、次に向かった座席が縦回転する奇天烈なライドアトラクションは十分程度の待機列が形成されてしまっていた。

 しかしそれでもマシな方で、列に並びながら確認したところ、開園から三十分かそこらしか経っていないというのに、アトラクションはどれも長蛇の列ができつつある。

 ネットで調べる限り、二時間程度の列にまでなることもザラだという。それではもう並びに来ているのかアトラクションに乗りに来ているのか分からない。

 

「オフシーズンで良かったな」

「……そ、そうだね」

 

 傍らの瑠衣がぎこちない笑顔を浮かべる。

 列に並んでいるのは俺と瑠衣だけだった。ミラベルとひーちゃん先生は諸事情からこのアトラクションの搭乗を見合わせてしまった。

 縦回転するという特殊な挙動をするこのアトラクションの性質上、座席が椅子の形をしていない。肩上と股部分から安全ベルトを装着するような構造になっているため、スカートの女性には色々と厳しいのだ。

 三人の中で唯一、パンツルックで固めていた瑠衣だけが俺と同行する流れになり、ミラベルと来瀬川教諭は高所から池にダイブするという別ベクトルのエキサイティングなアトラクションに並んでいる。

 

 それにしても、小比賀瑠衣は先程のコースターから降りた直後も少々おどおどした態度、つまり彼女にしては平常運転のままであった。待機列から見上げるスリリングなアトラクションの様に怯えたりする素振りも特に見られない。

 さすがに人間が上下を失って高速移動する様子を目の当たりにすると、俺でも多少なり覚悟を要するのだが――

 

「瑠衣って、もしかして絶叫マシン的なやつに強いのか?」

「……ちょっと、面白いかなって思う」

「意外だ」

「高梨くんは……こういうの苦手?」

「いいや。初っ端は面食らったが、興味深い感覚だ。もし空が飛べたらこんな感じなんだろうな」

 

 率直な感想を述べると、瑠衣は可笑しそうに目を細めた。

 

「……可愛いことを小難しく言うんだね」

「か、可愛い?」

「飛べないよ……人は」

 

 それはそうだ。

 しかし、魔法だの何だのという神秘を知る身としては頑張ればどうにかなるのではという気もしないでもない。

 飛行を可能とする魔術は俺の知る限りでは存在しないのだが、スキンファクシ――飛行艦を浮かせる技術があるのならできなくはないのではと思ってしまう。

 

「頑張ればなんとかならんかな。足裏から火を噴いたりして飛べないだろうか」

「……ふふっ」

 

 冗談だと受け取ったらしい瑠衣は小さく吹き出して笑った。

 少しは打ち解けただろうか。

 希望的な自己評価を下して瑠衣に視線を送る。視線に気付いた彼女も見返してくるが、数秒で目を逸らされてしまう。

 最初よりはマシだったが、前途多難と言えよう。

 

「あー、その……なんだ。なりゆきとはいえ変な感じだな。学校の外でこうやってるの。瑠衣はこういうところによく来るんだっけか」

「……うん。遊んだりすることは殆どないけど……テーマパークとか、ショッピングモールとか……レストランとか」

「音楽はよく分からんが、吹奏楽部ってそういうことするもんなのか?」

「ぶ、部活動じゃなくて……個人的な活動かな。パフォーマーというか、大道芸人? そ、そういう感じで……」

「大道芸人て」

 

 おかしな表現をする。

 もにょもにょと言葉を捏ねる瑠衣はそれ以上の説明をしなかった。相互理解を進めたいところではあるのだが、本題の前のワンクッションとして始めた会話に許された時間は、もう僅かだった。

 俺たちは待機列の先頭付近にさしかかっていた。

 

「ちょっと話しておきたいことがある」

「……?」

「もしかすると俺は……君に失礼な態度をとってたのかもしれない。もしそうなら本当に申し訳なかった。瑠衣に含むところはないし、誤解をしてほしくない」

 

 俺は素直な気持ちを口にして頭を下げた。

 相変わらずどういう経緯で知り合った相手なのかも分からないままではあったが、やはり過去の俺が彼女を嫌っていたという話は信じがたいものがある。来瀬川教諭の認識が間違っているとも思えない。だとすると、間違っているのは俺だったはずだ。

 

 瑠衣は不思議そうな顔をしていた。

 心当たりがないのかもしれない。だとすると、勘違いや自意識過剰の類ということになってしまうので恥ずかしいのだが、それはそれでいい。俺が誰かを蔑ろにしていたという話よりは遥かにマシである。

 しかし、瑠衣は不思議そうな顔のままで、言った。

 

「……誤解じゃないよね。高梨くん、私のこと嫌いだから」

 

 ぎょっとする。

 はっきりとそう認識されているとは思いもよらなかった。

 瑠衣のような控えめなタイプの少女が自分を嫌っている相手と関わろうとするかというと、大いに疑問だ。むしろ避けるような気がする。そんな思い込みがあったせいか、彼女にはっきりした自覚はないかもしれないと思っていた。

 

 過去の俺はいったい何を言ったのだろうか。

 今ほど彼を恨めしく思ったことはない。

 

「い、いや……誤解だ、本当に」

 

 そもそも大して知りもしない相手を嫌うことなど、できるはずもないのだ。

 端的にそう説明できれば楽だったが、それはそれで傷付けるだろうし信じても貰えまいと思える。

 だが瑠衣は特に気に病む様子もなく、ただ疑問であるかのように言う。

 

「分からないよ……どうしてそんなこと言うの? 無理に仲良くなんてしなくていいのに……」

「無理とかじゃなくてだな……」

「……高梨くんらしくない。やっぱりちょっと変……」

「な、なに?」

 

 瑠衣は、もはや不本意ですらあるかのような口ぶりだった。

 

 疑問は山ほどある。

 まず俺と彼女の関係性が未だに全く見えてこない。いったい、何がどうこじれたらこうなるのか。俺が彼女を嫌っていて当たり前であるかのような、そうでなければ不満であるかのような態度は、明らかに健常な人間関係のそれではない。

 そして、暗い声で彼女は呟く。

 

「もしかして……来瀬川先生に頼まれたのかな……仲直りしてとか。先生、いい人だし……そういうこと言いそう。困ったなあ……どうしよう」

「いや、ひーちゃん先生もさすがにそこまでお節介じゃない……」

「そう……?」

「……ああ」

 

 頷く。頷くしかない。

 控えめでおどおどした瑠衣の態度の裏に、その、焦点の合わない目に。

 何かを。俺の知らない領域にある、異質な光を見てしまったからだ。

 視線が合うようになって、ようやくそれに気付いた。


 頷かなければ、瑠衣はどうするつもりなのか。何となく察せてしまったのだ。


 この少女はどちらかといえば、こちら側(・・・・)だ。そう直感する。

 来瀬川教諭や長命寺、橋本といった日の当たる側に立つ人間ではない。何らかの一線を踏み越えた人間特有の空気があった。それを彼女の個人的な活動の賜物とするには、ホルン奏者という技能は平穏が過ぎる。どこか危険な匂いがする。

 

 そう感じつつも、俺はなにか、形容しがたい気持ちになっていた。

 むしろ、危険は馴染みが深い。

 尊敬できる技能を持つ、同学年の女子生徒。ただそれだけの相手だとするより、どこか危険な面を持つ相手だとする方が何倍も、何十倍も身近な存在だと感じてしまうのだ。現界(セフィロト)で対峙してきた、数多の敵たちと同様に。

 きっと、俺の感性もどうかしているのだろう。

 

「俄然、君に興味が湧いてきた」

「……やっぱり変」

 

 ぎこちない笑顔を浮かべる瑠衣。

 いまはもう、その笑顔にピリピリとした感情を感じる。

 当然、そこに悪意は微塵もないだろう。むしろ好意が含まれているのは鈍い俺にも理解できる。ただ、それ以外がまったくの未知で、どうにも刺激的だ。

 嫌がっているようだが、無視して徹底的に仲良くしたらどうなるのだろうか。いったい何が引きずり出されるのだろうか。少し見てみたい。そんな底意地の悪い考えさえ首をもたげてくる。

 

 しかし残念ながら、小比賀瑠衣というイレギュラーな女の子の中身を覗き込む機会はまだ先らしい。待機列の先頭から順に、アトラクションへと乗り込んでいく様子が見えた。

 話は終わりだ。そう言わんばかりに、瑠衣は俺の袖を摘まむようにして引いて歩き出した。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 生憎と狂気の縦回転アトラクションの最中、瑠衣がどんなリアクションを見せていたのかを知るすべはなかった。

 一応は隣り合った位置で搭乗したのだが、この常軌を逸したローラーコースターは隣席を窺うことも不可能なほどの太く頑強な安全バーを肩からかけなければならなかったからだ。

 そして、それが無かったとしても瑠衣の様子を窺う余裕など俺にはなかっただろう。座席はレールの左右に突き出すような構造になっており、そのくせ座席の下に床がない。下半身は膝から下が完全に空中に投げ出される形になる。

 狂っている。

 後ろ向きに発進したコースター上で俺は何度もそう呟いた。足元が確かでない、という感覚がこれほどの恐怖をもたらすとは思いもよらなかった。

 頭より足が高い位置に来る回数が十五回程度だと聞いた通りで、確かに曲芸飛行のような体験をすることはできたのだが、プログラムが終わって地表に降り立ったあともふらつく感覚が抜けきらなかった。

 平衡感覚や加速度を感知する三半規管に一時的な異常が起きているのか――などという自己分析をそこそこに、俺と同様にやや足取りが覚束ない、共にライドから降りた瑠衣を観察する。

 

「……こ、怖くはなかったけど、少し……ふらふらする……」

 

 特に強がるふうでもなく、いつもと同じ調子で言うのだから相当肝が据わっている。俺なんぞは結構、いやかなり恐怖を覚えた。

 

「そうか……凄いな。俺は正直かなり堪えたよ。興味深い体験だったが、人間が空を飛ぶ日が来ても俺には無理だ。よく分かった」

「……あはは」

 

 瑠衣は微笑み、ふらつきながらもゆっくり歩き出す。

 俺とは違い、まだ少し余裕がある様子だ。こうなれば高地ランドが誇るという四大コースターを総なめして瑠衣と根競べをしてみたい、という欲求がなくもない。が、そんな子供じみた欲よりも優先されるべきことはある。

 

「時間は大丈夫か? 午前にも演奏あるんだろ」

「あ……そうだね……そろそろ準備しないと……」

「あとで聴きに行くよ。まあ、君は嫌かもしれんが」

 

 苦笑交じりにそう告げると、瑠衣は否定も肯定もせず、いまやプラスともマイナスともとれる不明瞭な笑顔で小さく手を振りながら去っていった。

 彼女を弄ってみるという刺激的な遊びは別としても、俺自身、演奏に興味があるのも違いない。少々楽しみだ。

 

 

「さて、と」

 

 

 思いがけず単独行動になってしまったので、俺はパンフレット片手にあてどない散策を開始した。

 

 ひとりで何をするというわけでもないが、こういった場所は新鮮であるので園内を見て回るだけでも色々と発見がある。

 それに、やはり俺は来たことがあるような気がするのだ。このパークに。

 何かしらのキャラクターの世界観をモチーフとしているらしい噴水公園の脇を歩きながら、俺は微かな記憶を辿っていく。

 道を行き交う家族連れや若者達の集団に混じり、ただ景観を眺めながらさまよい歩く。

 既視感のような、予知夢のような。脳裏にあるイメージは損傷が激しく、はっきりとした形をとることができないらしい。

 

 ただそれでも、遠い。

 遠すぎる過去の映像がようやく見えた。

 

 両親に手を引かれて歩く、幼い女の子の後ろ姿が。幼い俺も、三人の後を不貞腐れた態度で続いていた。

 ジェットコースターに乗りたい。そうせがんでいたように思う。

 そんな我儘を、両親は困ったような顔で優しく受け流すのだ。

 まだ幼い妹にはジェットコースターは早い。もっと大人しいアトラクションを選択するのは当然だ。

 だが、やがて父親が見かねたように言った。二人でジェットコースターに行くか、と。能天気な俺は快哉を叫んで、父親の背中を押すように走り出す。

 

 ごく普通の、どこにでも見られる、ありふれた家族連れの姿。

 記憶はそこで途切れてしまった。

 手繰り寄せようにも、記憶の糸の先はもう、何にも繋がってはいなかった。

 

「……なんだよ。案外、普通の家族じゃないか」

 

 頭を抱える。

 今さら人恋しいだとか、家族を取り戻したいだとかいう意識は俺にはない。

 シンプルに、意外に思った。

 不和で引き裂かれたはずの高梨家にも、たしかに幸せな頃があったのだという事実が、どうにも意外だったのだ。

 

「いや……まあ、そりゃそうか」

 

 花壇脇のベンチに腰を下ろし、俺は納得する。

 俺は、生まれたときから家族を持っていなかったような錯覚さえしていた。

 間違いだ。

 でなければ、俺に妹がいるなどということはなかったはずだからだ。その時点までは、少なからず両親の間に愛はあったはずで、俺だって、それなりに幸せな子供だったはずなのだ。論理的に考えれば、そうだ。

 サービスエリアやホテルで覚えた既視感は、おそらくその頃の記憶の残滓だったのだろう。俺はまず間違いなくこの高地ランドに来ている。

 そして、そのときの未練を――絶叫マシンにもっと乗りたかったという、実に子供らしい心残りを無意識に潰していたのだ。

 千年も経った、今になって。

 

「ふははっ」

 

 可笑しくなって、俺は吹き出すように笑った。

 自分は、高梨明人のスワンプマンにすぎないかもしれない。そんなふうに思い悩んでいたのが、実に馬鹿馬鹿しく思えた。

 こんな滑稽な俺が彼でなければ、いったい誰が彼だというのか。

 

 それでももう、俺は、家族を失って世界に絶望した少年ではない。

 そんなミクロな不幸をマクロな世界に投影し、すべてが理不尽だなどと断じる、無分別な子供ではないのだ。

 かつてあった幸福にばかり目を向けて、ここでベンチに永遠に腰掛けているような子供ではなくなっているのだ。とっくに。あと五分もすれば意識的に思考を切り替え、再び立ち上がることができるのだ。

 

 だからそう。五分くらいは良いだろう。

 許されるはずだ。

 

 幻視する、去っていく四人家族の背から目を外して、俺は円形の花壇へと視線を落とした。イエローをテーマとしたフラワーガーデン。秋風に揺れる、黄色い花が一面に広がっている。

 花には明るくなかったが、名前は自然と浮かんできた。

 

 マリーゴールド。

 

「……まったく、可笑しいよな。笑ってくれよ」

 

 苦々しく笑いながら、目頭を揉む。

 誰の返事もない。

 

 だから、もう少しだけ。

 もう少しだけ、俺は座っていることにした。

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