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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
五章 シンギュラリティ
217/321

20.ラフ・デイ①

 抜けるような青空の下、あちこちから大人数の悲鳴がこだましている。

 歓喜の悲鳴と恐怖の悲鳴が混ざり合っている。

 割合としては後者が多いだろうか。

 

 そして、ゴオーだのガアーだのというアトラクションのけたたましい機械音が続く。こんなものは遊園地という字面から想像するような環境音ではあるまい。

 そう思うのだが、全高八十メートルだ六十メートルだのを謳うアトラクションが並んでいるとなれば自然こうなるものなのかもしれないとも思う。

 

 起床後なごやかな朝食を済ませ、ホテル併設のアミューズメントパーク、高地ランドへと足を踏み入れた俺たちは、多少その異様な雰囲気に呑まれてゲート付近の広場で足を止めていた。

 開園からほどなく、入場直後からこれなのだから、ずいぶんと癖の強いアミューズメント施設と言えるだろう。それでも人の入りは上々で、むしろ絶叫マシーン目当ての客が多いくらいなのかもしれないと感じるほどだった。

 オフシーズンの客足とは思えない。

 

 ふっ、命知らずどもめ。

 分かっているじゃないか。

 

「まずは……どこに行こうか……っ!?」

 

 ごくり、と。

 見ているこちらが思わず固唾を飲んでしまうような深刻な面持ちで、ひーちゃん先生が全員を見回した。

 とはいえ、ミラベルは興味深そうにアトラクションの鉄塔を眺め、瑠衣は愛想笑いのようなものを浮かべて佇んでいるだけだった。温度差が凄まじい。

 皇女様は当然ながら遊園地に関する知識が皆無で、ホルン演奏家のほうは仕事で来ているだけで二日目でもある。パッと遊ぼうという思考には至らないらしい。

 つまり雰囲気に浸っているのは俺とひーちゃん先生だけだ。

 

「そうですね……」

 

 入場ゲートで貰ったパンフレットを紐解いた俺は、ひと通りのアトラクションの概要に目を通してから言った。

 

「……さしあたってこの、バカにデカいコースターにしましょう。それから、乗客を縦回転させるという常軌を逸したマシーンにも乗ってみたい」

「おおっ……やる気だね、高梨くん……!?」

「折角の機会なんで。絶叫マシンは網羅したいっすね。ひーちゃん先生は絶叫系……駄目そうですね」

「う、うーん……ダメっていうか、普通に怖いよね……がーってなってる時にベルトからすっぽ抜けたらどうしようって思うと……」

「大丈夫ですよ。たぶん」

「今たぶんって言った!?」

 

 女児そのものといった感のある来瀬川教諭だが、さすがにコースターの身長制限くらいはクリアしているはずだ。

 赤いリュック状のホルンケースを背負った瑠衣を見るが、彼女は曖昧な愛想笑いに不安を織り交ぜながら言った。

 

「あ、あの……演奏があるから……途中で何回か抜けちゃうけど、私も一緒に回って……いいかな」

「ああ。当たり前じゃないか」

「よかった……」

「でも、無理に付き合って激しいやつに乗らなくてもいいからな。行きたいところがあったら言ってくれてもいいし、休みたい時も遠慮なく声かけてくれ」

「……うん。ありがとう……」

 

 控えめながら、彼女は嬉しそうに微笑んだ。

 徐々にではあるが、目線もこちらを向くようになってきている。いい兆候だ。

 瑠衣とは体感的に知り合ったばかりではある。が、過去の俺が彼女のどこをどう嫌っていたのかはやはり想像もつかない。

 折を見て話そうと思っていたが、今日のどこかで機会があるだろうか。言葉を選んでいると、ミラベルが割って入ってきた。

 

「私、瑠衣さんの演奏が気になります。皆でお邪魔させて頂きませんか」

「えっ!?」

「ご迷惑でしょうか?」

 

 俺が仲良くするよう焚きつけたから、というわけではなく純粋に瑠衣の演奏に興味がある様子だった。

 彼女の腕前の一端を知る身からすれば堂々としていればいいと思うのだが、瑠衣は蚊の鳴くような声で「お耳汚しでよければ……」などと英語で言った。結構英語に堪能なのかもしれない。

 距離が近いのでつい忘れがちになるが、皇女であるミラベルは耳が肥えているはずだ。芸術の芸の字にも縁がない俺より正確な評価できるのではなかろうか。という、情けないことを考えつつ、瑠衣の承諾を得て上機嫌のミラベルを窺う。

 目が合うと、皇女様はフッと不敵な笑みを浮かべた。

 

「おやおや? もしかして私、心配されてますか?」

「そりゃそうだ。ああいうものに乗ったことないだろ」

「……ないですけど、所詮はお遊びでしょう」

 

 電車にすら乗ったことのないミラベルは恐怖しているのではと思ったのだが、意外と余裕たっぷりだった。

 さすが、血風渦巻く皇国でも音に聞こえた吸血姫である。

 

「私だってアキトさんと並走するくらいはできるんですよ。娯楽目的の遊具くらいで尻込みはしていられません」

 

 言われてみれば、ミラベルも近接戦闘を生業にする武芸者ほどではないにせよ、それなりに動けるのだ。魔力による身体強化は人間を爆発的に加速させることも容易く、同様の理由で俺も高速移動に慣れているのである。

 自信に満ち溢れた横顔が眩しい。昨夜は人付き合いが苦手だと言っていた彼女だが、裏を返せば苦手なことがその程度しかないということだ。

 なんとも頼もしい限りである。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 チェーンがギアと噛み合う連続的な金属音が響く中、コースターがレールを上へと登っていく。最高部は地上から八十メートルほどであるらしい。眼前には一面の青空と、薄らとかかった靄の向こうに立派な富士の稜線も見えた。

 

 実に素晴らしい景観だ。

 まったく素晴らしいじゃないか。

 

 握り拳に変な汗をかきつつ、俺は努めて呑気な思考を保とうとする。なにせホテル向こうに見える道路を行き交う車でさえ豆粒ほどの大きさでしかなく、パーク内を行き交う人々など米粒以下のサイズにしか見えなくなっているのだ。

 改めて考えてみれば、八十メートルという高度は尋常ではない。最も大きな竜種(ドラゴン)でさえここまでの高さはあっただろうか。

 ご丁寧に、レールには高度表示まで備えられている。現在四十メートル。実に恐怖感を煽る演出だ。

 このコースターの設計者はどうかしている。いったいどれほど人類を憎めば、ここまで悪意に満ちたアトラクションを生み出せるのだろうか。

 

「ひっ……! いま変な軋みが……変な音がしましたっ! や、やはりどこか壊れているのでは!?」

 

 隣席に座るミラベルは腰の安全バーをしきりに確認している。

 やや引き攣った横顔が悲しい。

 俺も確認したのだが、どうも安全バーのロック機構に数ミリほど遊び(・・)があるらしい。彼女にはその頼りなさが致命的に思えてしまうのか、青い顔をして早口でまくしたてている。

 

「まあ……たしかに俺たちの場合、速さがどうとか落差がどうとかってより、この安全バーがいきなりぶっ壊れて空中に投げ出されるかも……って考えるのが一番怖いよな。助かる高さじゃないし……」

「恐ろしいことを言わないで下さいよ!」

「いや……言っとかないと、うっかり身体強化しちゃってバー壊すかもしれんから。なのでバーから手を放しなさい。マジで危ない」

 

 ミラベル本人の腕は細いものだが、魔力を使えば鉄柱を曲げるくらいのことは素手でできる。彼女の魔力量を考慮すると、或いは折れるかもしれない。

 地上うん十メートルから放り出されて無事に着地するビジョンは見えない。剣があればやりようもあるが、残念ながら今の俺に剣の持ち合わせはないので普通に死ぬ。

 

「えっ……では私はどうすれば……何を掴んでいればいいのです!?」

「……それは考えてなかったな」

「そんなあ……!」

 

 などといっそう顔を青くしたミラベルと語らっている間にも、キリキリとコースターは高度を上げていく。「きっ、きやがれ! 望むところだ!」という、ひーちゃん先生のやけに雄々しい声が前方の席から漏れ聞こえてくる。どうやら落下が近いらしい。彼女の隣にいるだろう瑠衣の声は聞こえない。

 あまり猶予がないので、俺はミラベルに左手を差し出した。

 

「お手をどうぞ、皇女殿下」

「……!」

 

 ミラベルは大きく目を瞠った。

 恐怖とは別の理由で心拍数が上がる。が、安全バーを壊されるよりはいくらかマシである。

 いくら彼女の魔力が強くても、さすがに男として腕力で負けるということはない。そう思いたい。他に掴めそうなものもない。

 おそるおそる、といった調子でミラベルは俺の掌を掴んだ。しっかり握り返して俺は前を向いた。

 じっと見ていたらおかしな気分になりそうだった。

 

「はは。しかし、今日は本当に天気がいいな……空が青い」

 

 照れ隠しにそんなことを口走ったのが、俺の最期の言葉だった。

 ガクンとコースターの角度が変わる。仰角から水平へ。レールの頂点部へと達したのだ。そこから僅かな右旋回を挟んで下り坂に至ることは、下からレールを散々眺めたので俺もミラベルも理解していた。

 握られた手に、ぎゅっと力がこもる。

 色々な意味で平静とは程遠い心地になる。

 

 水平区間は数秒で終わった。コースターは俯角へと向きを変える。

 臓腑が持ち上げられるような浮遊感が、一瞬。それからすぐに猛烈な風と加速感が襲い掛かってきた。

 

「おおっ」

 

 眼前を埋め尽くす急角度のレールと地面、そしてマイナスG。

 正直に言って舐めていた。隣のミラベルが聞いたことのないような悲鳴を上げているのも頷ける。速度はあまり問題ではないのだ。自らの意志と無関係に体を振り回される感覚とは、これほどまでにスリリングなものだったのか――結構な速度で流れていく景色を見やりつつ、俺は重力加速度の中で唸っていた。

 

 しかし、一度目の下降が終了した段階で俺は些か冷静さを取り戻していた。

 論理的に考えて、生命の危機を感じるほどの状況ではない。安全装置はしっかりと固定されているし、事故が起きるようなマシーンが毎日の稼働に耐えられるはずもなく、必然、慌てるようなことではないのだ。

 そんな醒めた思考を刹那の間に済ませた俺は、

 

 しかし、左手に生まれた異様な手応えに瞠目する。

 

 みしり、と。莫大なる握力に俺の左の掌は圧壊させられそうになっていた。

 余裕綽々だった皇女様の見る影もなく取り乱す様、強風になびく髪は新鮮ではあったのだが、何よりもまず、俺は彼女の握力を侮っていた――左手になけなしの魔素をかき集めようとしたが、一歩遅かった。

 

 ごきん。

 鈍い音と共に、手の甲が折れ曲がる。

 

「ぐわあああーっ!?」

 

 アトラクションとはまったく別種の恐怖、そして激痛に悲鳴が迸る。

 だがしかし、似たような悲鳴が入り混じるコースターの上でそれは際立つような叫びでもなかった。

 そして半泣きのミラベルは両目を完全に閉じていた。つまり彼女が事態に気付くのはアトラクションの終了後であり、その頃には俺の左手は千切れているかもしれない。

 俺は絶望した。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

「……」

 

 左手を閉じたり開いたりして調子を確認する。

 俺は辛うじて恐怖の絶叫コースターから生還し、地面に降り立つことができていた。幸い完全な骨折はしていなかったらしく、自前の簡単な治癒術で治るレベルの怪我で済んだので誰にも気付かれずにやり過ごすことができた。

 しかし、申し訳なさそうな、恥ずかしそうな顔をして俯いているミラベルを見る目が変わってしまったのは、もうどうしようもない。

 

 彼女が絶叫マシンに弱い、という話では勿論ない。

 そんなのは可愛いものだ。

 

 皇族の魔力とは、かくも恐ろしいものなのか。

 見た目は細いのにまるでゴリラだ。魔力込みで腕相撲をしたら、肘から先を軽く持っていかれるかもしれない。ついでに、俺のなけなしのプライドもだ。

 

 震える左手の指を押さえ、俺はきつく目を閉じる。

 忘れよう。

 あまりにも辛い記憶だ。

 

「いやー、意外と面白かったね、高梨くん! やっぱり食わず嫌いはよくないよね! 次は縦回転するやつ乗るんだっけ!?」

 

 どん、とぶつかってきた子供先生の底抜けに明るい問いかけに、俺は、その場で泣き崩れた。

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