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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
五章 シンギュラリティ
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11.休日①

 本来、高梨家には四人が暮らしていた。寝室のベッド以外の寝床として、子供部屋たる部屋、俺と妹の部屋に二段ベッドがあったと記憶している。が、経緯は思い出せないものの今は撤去されて存在しない。というか、俺の部屋には殆ど何も残っていない。処分したものも多く、現界に持って行った物も多い。いずれも俺の体感上は遥かな昔の話であり、何がどこに行ったのかはあまり覚えていない。とにかく、我が家に家具が不足している事実だけが明らかだ。

 そして現在の話である。女性ふたりがベッドを使うということは、俺の寝床は必然的にベッド以外ということになる。要するにリビングのソファーか床のラグで寝るしかない。俺は比較的どこでも寝られる性質だが、二択が許されるなら誰でも前者を選ぶだろう。俺もそうだ。

 

 ソファーでの睡眠は床よりはマシではあるものの、土曜の朝という素晴らしいタイミングにあっても、清々しい目覚めとはいかない程度には快適性が低い。

 振動するスマートフォンがたてる音で浅い眠りから覚めた俺は、ローテーブルの上から端末を手で探り当てて通知画面に寝ぼけ眼を走らせる。

 

 長命寺と橋本から数件のメッセージを受信していた。グループチャットでないことを訝しみながら順にタップすると、それぞれ世間話のような体を装いつつも、回りくどく俺の日曜日の予定を訊ねるような内容だった。

 ぼーっと、覚醒し切らない脳で考えを巡らせる。三人でどこかに行かないか、という直接的な誘いでない理由はいくつか推測できる。第三者である俺が居ないと気まずいような状況か、単にふたりで出掛けるのが照れ臭いか。そんなところだろうか。

 

「なにやってんだこいつら……?」

 

 どちらであっても俺の存在はプラスにはならないだろう。話を聞く程度に留めるべきだ。そう判断し、回らない頭で長命寺にメッセージを返信する。

 

『明日は全日本おでん学会に発表する論文を仕上げるから駄目だ』

『は? ウザ。殺すぞ』

 

 秒で殺害予告されたので彼女との対話は不可能だと判断し、会話を切り上げる。橋本にも同じメッセージを送信したところ、返ってきたのは意外な文言だった。

 

『実はさ、桜に告りそうになったんだわ』

 

 橋本にはどことなく長命寺の好意に気付いているような気配があった。とはいえ急展開である。俺は口笛を吹いた。やるなあ、などというどこ目線だか分からない感想を抱きつつ、するすると指を走らせる。

 

『そいつは驚いた。未遂なのか?』

『なんか断られそうだったんだよ。ショックだ。慰めてくれ』

 

 泣き顔の絵文字が張り付けられたメッセージに、俺は苦笑した。

 それなりに長命寺から殺意と相談を受けている身から言わせてもらうなら、彼女が断る可能性など皆無だと断言できる。

 長命寺流の下手な駆け引きでもなければ、十中八九、橋本の勘違いだろう。少なくとも、何らかの行き違いがあったのは間違いない。

 

『おお、よーちよちよち。絶対大丈夫だからさっさと突撃しろ』

 

 赤ん坊の絵文字を乱打して適当に返信したのち、俺は端末をテーブルに置いた。経緯はよく分からなかったが、ふたりの関係は色々と秒読み段階であるらしい。そろそろ祝いの言葉を考えておく必要がある。

 やあやあ、おめでとうございます。おふたりの結婚式はいつでしょうか。

 

「これじゃ冷やかしだな……小中学生レベルの」

 

 俺の精神年齢がそれに近しいとはいえ、ここは素直に祝福すべきだ。

 寝起きからピンクな空気にあてられたせいで、今一つやる気が沸いてこない。こちらは気が遠くなるほどの長い人生で未だに恋人が居たこともない人類だというのに、なぜ朝っぱらから他人の恋愛話を聞かねばならないのだろうか。まるで朝食にジャンボチョコレートパフェをぶち込まれたかのような気分だ――いや、意外と悪くないのでは。

 画期的な朝食プランにひとり驚いていると、大気中のピンク粒子を丸ごと払うような、底抜けに明るい声が寝室方向から飛んできた。

 

「おはよー、高梨くん!」

 

 身を起こして見れば、チェック柄のツイードワンピースを着た来瀬川教諭が満面の笑顔で立っていた。

 そろそろ慣れてきたとはいえ、休日スタイルの彼女はやはりどう見てもローティーンにしか見えない。まったく俺が言えたことではないのだが、やはり不可思議としか言いようがない人だ。もしかするとこの人のゲノム構造を解析したら不老不死の薬が開発できるのかもしれない。

 

「……おはようございます」

「あれ、なんか怠そうだね」

「橋本のバチュラーパーティーをどうしてやろうかと考えてました」

「あ、そうなの? あの子たち付き合うんだ?」

 

 ひーちゃん先生が担任の教師として橋本を把握しているのは当たり前なのだが、長命寺とのあれこれまで知っているとは思わなかった。

 

「ギリギリまだです。なんか踏ん切りがつかないみたいっすね。三人で明日どっか遊びに行こうって流れになりかけました」

「ふうん、なるほどね。こじれてるなあ」

 

 来瀬川教諭は苦笑いでキッチンに入る。

 平日の食事当番が俺であるなら、土曜の担当は彼女である。

 昨夜の衝撃からは持ち直してくれたらしい。ミニマムボディでテキパキと朝食の支度をする様子は、既にいつもの来瀬川教諭だった。

 

「こじれてるって程じゃないと思いますよ。下手したら今日明日でカタが付くんじゃないかと俺は予想してますけどね」

「どうかなあ……長命寺さん、断るかもしれないし」

 

 ウインナーの袋を片手に腕組みをする子供先生。

 俺はやや驚きをもって問い返した。

 

「あれ……俺、橋本から仕掛けたって言いましたっけ?」

「え、聞かなくても分かるよ」

「エスパーでは?」

 

 俺が口を滑らせたのでなければ、もう読心能力者としか思えない。

 

「長命寺さんの片思い期間って長いでしょ。そのパターンって切っ掛けがないとなかなか踏み出さないものだから」

「勝算が高くなってもですか?」

「だからこそ逆に冷静になるってこともあると思うよ。いま仲良くなれてるなら、別に今じゃなくてもいいのかな、って考えちゃったりね」

「うへえ。そりゃ橋本が不憫だ」

「駆け引きだよねー。ほら、女の子って結構打算的だから」

「いや知りませんよ……そうなんですか?」

「うん」

 

 ばつん、とウインナーの袋の先っちょをハサミで切り落としつつ、ひーちゃん先生はにこにこしている。

 恐怖だ。いや、ウインナーの袋も手で開けられないらしいあたり、腕力的な意味ではまったく脅威ではないのだが。

 

「付き合えるなら付き合っちゃえばいいと思いますが」

「高梨くん、お付き合いはゴールじゃないんだよ。あくまでもスタートラインなの。そこから先が重要なわけで、うまくお付き合いしていけるかどうかとか……そういう先々のことも考えちゃうものなんだよ」

「……なるほど?」

 

 そういうものなのだろうか。

 どうやら若き健全な男子諸君とは思考回路が大きく異なるらしい。

 理解できなくもない。女性が打算的というより、慎重とでも評すべきだ。何事にもそれくらいの慎重さは欲しい。

 なんとなく照れ臭いような気分になったので、ソファーに沈み込んでテレビの電源を入れる。画面に注目して別のことを考えようとしたとき、ウインナーを焼き始めたらしい音と共に来瀬川教諭の呆れたような声が聞こえてきた。

 

「まー、高梨くんの恋愛観はヘビー過ぎるけどね」

 

 これには反論せざるを得ない。

 

「馬鹿な。男たるもの、一生の責任をとるくらいの覚悟は持つべきでしょう」

「これ本気で言ってるんだもんなあ……」

「俺はいつだって真剣です」

 

 他人様の恋愛に口を出す気はないが、俺の中ではそうなのだ。それくらいの覚悟がないと指一本触れるべきではない――などと考えるとマリーの顔が頭に浮かんでしまい、首を振った。魅了(ファシネーション)を自覚して以降、そうやって目を背けている。どうにもならないこともある。

 

「ひーちゃん先生こそどうなんです。やっぱり付き合うだの付き合わないだのの前には色々と考えたんですか」

「あはは、考えたこともないよ。先生こんなだからねー」

 

 こんな、が指す事柄は分かるのだが、有り得るのだろうか。そんなことが。

 気になってしまったので問いを口にした。

 

「……彼氏とか居たんじゃないんですか?」

 

 口にしてから直接的過ぎたと反省したのだが、後悔は先に立たない。カッと硬質の音がして振り返ると、カウンターキッチンの向こう、無表情のひーちゃん先生が手にしたフォークにウインナーが刺さっていた。

 

「高梨くんのウインナーは一本没収です」

 

 焼かれている最中だったはずのウインナー君だが、あわれ来瀬川教諭の口の中に消えた。一袋五、六本しか入っていないことを踏まえると、もはや俺の取り分は一本ないしはゼロということになる。ひでえ。

 いや、違うだろう。真実を知る対価が朝食のウインナーなら安いものだ。

 

「くっ……好きなだけ食べてください。しかし、質問には答えて頂きたい!」

「お、おお……!? 食い下がるね!?」

「重要なことなんです……! お答えください……!」

「いやいやいや、さっきまでめちゃめちゃ軽いノリで聞いてたよね!?」

「たったいま認識を改めたんですよ……! 居て当たり前だと思ってたので……! なんだったら今から買ってきますよウインナー! 六百円くらいするのを!」

「ちょっとお高いやつだね!? でも交換条件にしては安いよ!?」

 

 混乱と羞恥を露わにする来瀬川教諭だが、こっちももう退けない。いま退いてしまえば真相は闇の中だ。この先、判明する機会があるかも分からない。そんな、あるのかないのかすら分からない機会まで悶々と眠れぬ夜を過ごすことになる。

 しばしうんうんと唸っていた来瀬川教諭だったが、

 

「……居ないし居たこともないです」

 

 フライパンに視線を落としながら、赤い顔でそう言った。

 

「……そうですか」

 

 俺も辛うじて、そう返事をするのがやっとだった。

 これは、良くない。良くないと分かっているのだが、その、彼女にはしては縮まった態度に、何とも言い難い背徳感を覚えてしまう。

 

 いや、喜ぶべきことなのだ。やはりひーちゃん先生は皆のひーちゃん先生だったのだ。そんな訳の分からない戯言で脳を埋めておく。

 リビングに微妙な空気が漂う。ウインナーの焼ける音だけが響いていた。

 長命寺と橋本のあれこれはすっかり頭から飛んでしまっていた。

 

 休日の朝、一日の始まり。

 結局、その後に提供された朝食に俺のウインナーはなかった。

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