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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
五章 シンギュラリティ
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08.事件

 結局、来瀬川教諭はざっくり七時過ぎまで働いていた。それでも職員室の明かりが落ちることはなかったので過酷な労働を強いられている教職員がまだ居るのだろうと思われたが、俺の待つ校門前に早足でやってきた来瀬川教諭はその点に触れることはなかった。

 学校から芥峰の駅までの間、住宅街と商業区が僅かに挟まる。距離にして徒歩十五分といったところで、俺と来瀬川教諭は帰途をゆるゆる歩いていた。

 

「ちょっと遅くなっちゃったけど、ミラベルさん大丈夫かなあ」

「さっき軽く話しましたけど平気そうでしたよ」

「えっ? あの子、携帯持ってたっけ?」

「パソコンですよ。うちのデスクトップ、ライン入ってるんで」

「……そっちのほうが驚きだよ。実質、三百年前くらいから来たみたいなものだよね? 先生いまだにパソコン苦手なんだけど」

「はは。ミラベルは育ちがちょっと特殊ですから。言語切り替えしてるんで直感的に使える部分もありますしね」

「うーん、お姫様かー。やっぱりお城とかで教育係の人とかに勉強見て貰ったりしてたから頭いいのかな。魔法もぽこぽこ使えるくらいだし……もしかすると何でもできちゃうとか」

「地頭がいいのはそうでしょうけど、さすがに何でもはできないんじゃないですかね。苦手そうなことは……ちょっと思い付かないですけど」

 

 歩きながら想像してみる。

 文武両道というか、戦った経験から見ると身のこなしが悪い印象もなかった。少なくとも前線で魔術師として立ち回る分には申し分ない身体能力を持っているし、運動が苦手ということもないだろう。学力は言わずもがな。水星天騎士団と共に行軍していたあたり、野営なんかの経験もざらにあるに違いない。実にハイスペックなお姫様である。

 十分な期間が与えられれば異界(クリフォト)にも問題なく適応するような気がした。というか、もう適応しつつある。彼女に苦手なことなどあるのだろうか。

 そんなことをぼんやり考えていると、横を歩く来瀬川教諭が丸い目を上げた。

 

「あ、そういえば高梨くんも魔法とか使えるんだっけ」

「ええ。簡単な応急手当と……微妙な古い魔法をいくつか」

「古い魔法?」

「簡単なやつだと触った人を眠らせたり、種火を作ったりする魔法とかですね。少し大変なものだと人を一カ所に留めたりする魔法とか、気休めですけど無意識に注意を逸らすシンボルを描く魔法なんてのも一応できます」

「う、うーん。なんていうか、十分凄いんだけど……全体的に地味だね」

「俺はどうも適性がないらしくて。頭の出来がアレで、あれこれ覚えられないってのもあります。工程の多い……難易度の高い魔術だとだいたい失敗しますね」

「へええ。記憶力に関係するんだね」

「長ったらしい詠唱文を読み上げたり、緻密な図を描いたりしないといけないですから。その辺りも頭の中で完璧にやれると省略できますけど」

「内言語でも良いんだ? あー、ミラベルさんが呪文唱えないのはそれかー。長い呪文を唱えるのもいいけど、ばしーっと無言で魔法使えちゃうのもかっこいいよねー」

 

 内言語という言葉の意味は曖昧にしか分からなかったが、おそらく合っている。来瀬川教諭にとっては純粋な雑談であったらしく、にこにこと頷くだけだ。

 ふと、疑問に思ったことを口にした。

 

「怖くないんですか?」

「……うん?」

「いやほら、俺もしょぼいですけど魔法使えるわけですし。気持ち悪いとか、怖いとか思ったりしないものなのかなと」

 

 正直、このあたりの感覚は俺も若干は麻痺している。

 現界の感覚で言えば、魔法は社会における前提技術だ。自分では行使できない人間が圧倒的多数を占めるが、付呪(エンチャント)として魔力灯や保冷庫などの日常器具にも必ず用いられている身近なものでもある。怖い、という発想にはなかなか至らないものだ。

 だが異界では当然違う。こちらでも概念として無くはないが、それは幻想の域を出ないものだ。急に存在を受け入れるのは難しいのではないかと思われた。

 しかし、来瀬川教諭はさっぱりしたものだった。

 

「あはは。そんなこと言っちゃうと外も歩けないよ」

「え?」

「だって道路走ってるの一トンくらいの鉄の塊だよ。しかも全然知らない人がハンドル握ってる」

 

 と話している間にも俺達の脇を車が通過していった。住宅街近くの道路ということもあって、歩道と車道は二メートルも離れていない。

 

「交通ルールで縛られてても、破ろうと思えば破れちゃうでしょ。先生はそっちのほうがよっぽど怖いと思うけどなあ」

「……なるほど」

 

 頷きつつも、分かったような分からないような、奇妙な納得感だった。

 端的に言えば、それだけ俺やミラベルを信頼しているということなのだろうが、今の言葉は来瀬川教諭の無邪気なイメージからは少し離れた――人の悪意を肌で知っている人間からしか出ない言葉だ。

 体感上としてはともかく、異界での人生だけを切り出せば俺よりずっと年上の人なのだ。人生経験もそれだけ長い。過去に何かあったのだとしても不思議はない。ないのだが、複雑な気持ちにさせられる。

 

 平たく言えば、気になる。とても。

 

 しかし、俺がその小宇宙を覗く言葉を探すより早く。さしかかった芥峰の駅前に軽い人だかりと赤色灯を見て取った俺と来瀬川教諭は、揃って顔を見合わせた。


「あれ……」 

「騒ぎみたいですね。パトカーまで来てる」

 

 来瀬川教諭の顔は固い。何かを見詰めているように見えた。

 その視線を読み解くべく、俺も騒ぎの中心らしき駅前のロータリーの一角に目を向ける。しかし、青いビニルのシートが立てられていて何も分からない。

 

「ああやって警察が四方をブルーシートで囲うのはね、まだ被害者がいるとき。現場の検分も必要だからああやって隠すの」

「……事故ですかね」

「ううん。事故だったらすぐ搬送するから」

 

 鋭い洞察を見せた来瀬川教諭は俺の手を取り、足早に人だかりへと向かっていく。こんな状況でもなければ面食らって勘違いのひとつでもしようものだが、今は思うところがあるらしい先生に黙ってついていくことにした。

 人だかりを縫ってブルーシートの前まで来たものの、来瀬川教諭は足を止めた。ドラマか何かのように黄色い規制線が張られているということはなかったものの、当然ながら制服警官が立っていて先には進めない。

 

「困ります。さがって」

「すみません、近くの学校の職員です。何かあったんですか」

「学校の先生……あなたが?」

 

 警官は怪訝そうに来瀬川教諭を見るが、彼女のほうも慣れたものらしい。定期入れのようなケースをトートバッグから既に取り出していた。一瞥した警官は驚いたような顔で来瀬川教諭に向き直る。

 

「失礼。被害に遭われた方々は工大の学生さんと聞いてます。おたくの生徒さんは大丈夫ですよ」

「……そうですか。ありがとうございます」

 

 本当に最低限の情報だけを述べると、警官はブルーシート前の位置に戻っていった。あれはあれで大変な仕事なんだよな、と共感に近い感想を抱きつつひーちゃん先生に視線を戻すと、彼女は初めて見る仕草を――僅かに目を細め、親指の爪を噛んでいた。

 俺は無意識に呼び掛けていた。

 

「先生」

 

 異常な様子を見せていた来瀬川教諭が、はっと顔を上げる。

 

「あっ……ごめんね、高梨くん。ちょっと何があったか気になっちゃって」

「……構いませんが、これ以上の詮索は無理だと思います。帰りましょう」

 

 努めて真剣に言ったつもりだった。

 嫌な予感、という曖昧な理由からではない。物理的に臭う(・・)。排気ガスや近隣の飲食店から漏れる匂いに混じって、覚えのある臭いがするのだ。

 鉄臭いような、それでいて有機的な独特の臭い。

 血の臭い。

 しかし、来瀬川教諭は首を振った。

 

「ごめん。もう少しだけ」

「さっきの警官の口ぶりだと粘っても無駄だと思いますが」

「うん……でも、所轄の車だけじゃないから、たぶん居ると思うんだけど」

 

 よく分からないことを言いながら、来瀬川教諭はよく分からないことをした。

 ぴょんぴょんとその場で跳ね始めたのだ。

 いや、人混みの中での低身長からくる視界制限をジャンプで克服しようとしているのだろう、とは分かるのだが。

 仕方がないので俺はひーちゃん先生の両脇を持ち、ぐいっと高く持ち上げた。

 

「わあっ……やるね、高梨くん」

「色々恥ずかしいので早く済ませてください」

 

 先生の視界は俺の遥か上になる。必然的に俺の視界は大半が先生の下半身になるのだが、本人はいっさい気にする様子はなく、辺りをきょろきょろと見回してなにかを探している。

 俺は両掌の柔らかい感触をどうすればいいのか分からず、それどころではない。すまないミラベル。これは不可抗力なのだ――

 やがて目当てのものを見つけたらしく、来瀬川教諭はある一点を見詰めて両手を振り上げた。

 

「おおーい、永山(ながやま)警視ー! おおーい!」

 

 その凄まじい声量に、俺はぎょっとして身を竦ませる。

 目立ち過ぎである。案の定、たちまち衆人環視の状態に陥った。

 これは堪らないだろう。誰だか知らないが、その永山さんは凄まじい勢いでこちらへやって来たらしい。慌ただしい靴音が寄ってきた。

 目的は達したと判断して来瀬川教諭を下ろすと、彼女の頭越しに仕立ての良い背広を着込んだ眼鏡の男性が見えた。二十代後半くらいだろうか。神経質そうな顔立ちに、凄まじい形相を張り付けている。

 

「や、やめてください来瀬川さん……っ! なんでここに……!?」

「職場の近所だからです。永山さんこそ、なんで居るんですか? やっぱり管理官が現場に出てくるような事件なんですか?」

「言えるわきゃないでしょう……ああいえ、なにもお答えできません。発表をお待ちください」

 

 俺の姿を見止めた永山氏は丁寧に言い直す。

 そんなことをされても手遅れだ。何とも言えない微妙な作り笑顔をするしかない俺に、永山氏は苦い顔で眼鏡を押し上げる。

 

「彼は?」

「うちの学校の生徒です。高梨くん、紹介するね。この人は永山喜嗣(よしつぐ)さん。警視庁の警視さんです。あと、先生のアパートの大家さんの旦那さん。別居中だけど」

 

 くるっと振り返った来瀬川教諭は永山氏を指してそう言った。

 最後らへんの情報をどう受け止めたら良いのやらだ。

 付け足す必要はあったのだろうか。

 

「はじめまして、高梨明人です」

「ふうん、芥峰の生徒ですか。私もあそこのOBですよ。宜しく、高梨君」

 

 なにをどう宜しくすればいいのか分からないが、いまさら官僚的な態度を取り繕う永山氏にとりあえず頭を下げておく。

 なにやら感じ入るものがあったらしい永山警視はしみじみと頷いた。

 

「……あの来瀬川さんがいまや学校の先生とはね。時間の流れは速いものだ」

「や、そんなのは後でいいので中に入れさせてもらえませんか。昔のよしみで」

 

 一方の来瀬川教諭は真顔で感慨を一刀両断した。

 俺も大概な自覚があるが、ひーちゃん先生も目上に相当遠慮がない人らしい。入れてもらえるのが当たり前のような口ぶりなのも引っ掛かる。

 捜査関係者と知り合いだからといって、さすがにそれは無茶だろう。そう思ったのだが、永山警視の返答は少々意外なものだった。

 

「最近は規則が厳しくてね。もう昔とは違うんです。それに、こういう事件はあなたの専門分野じゃない」

「……ってことは、やっぱり事件なんですね。何があったんですか?」

「ぐっ」

 

 永山警視は苦虫を噛み潰したような顔で押し黙る。

 よく分からないが、彼は切れ者そうな見た目をしている割に少し抜けているらしい。問答しているだけでどんどん情報をくれそうだ。

 しかし、それなら尚更このまま静観しているわけにはいかなかった。

 単純に、ブルーシートの向こう側を先生に見せたくない。

 

「先生。永山さんもお仕事でしょうし無理を言ったら悪いですよ」

「高梨くん?」

 

 ひーちゃん先生の抗議の視線が俺に刺さる。

 胸が痛むところではあった。

 

「聞きましたか来瀬川さん。彼の方が常識的ですよ。先生が生徒に諭されてどうするんですか。あなたも先生になったのなら少しは落ち着きを身に付けてはいかがです」

「……ひーちゃん先生、帰りましょう。ここに居るのはよくない」

 

 永山警視の言い草には大いに異論があるところだが、ぐっと堪えて来瀬川教諭の手を引く。永山警視との会話のせいでブルーシートが近過ぎる。これでは――

 そう危惧した、まさにそのとき、シートをかき分けて中から警官が姿を現してしまった。その僅かな数秒、俺と来瀬川教諭はシートに覆い隠されていた現場の様子を垣間見てしまう。

 

「……っ」

 

 

 それは現実味を伴わない、酸鼻をきわめる光景だった。

 

 足だ。

 靴を履いた人間の足だけが、歩道に転がっていた。

 ちょうど膝から下、片足だけ。小さな血だまりを作っていた。

 

 

 言葉を失った俺と来瀬川教諭の様子から察したか、永山警視は背後のブルーシートを振り返り、切れ目を改めて閉じ直す。

 

「……言わんこっちゃない」

「な、永山さん、いまの……」

「言ったでしょう。あなたの専門分野ではないと。報道規制もかかっています。いま見たものは忘れてください。もっとも、言われなくても早く忘れたいでしょうが」

 

 さすがにショックが強すぎる。戦場に慣れている俺だって、異界で、しかも市街地のど真ん中であんな光景を見るとは思わなかった。

 来瀬川教諭は無言のまま、血の気の引いた顔で俺を見上げる。確認の意味が濃い視線だった。俺は何も答えることなく、永山警視に軽く頭を下げて来瀬川教諭の手を強く引いた。

 彼女が決して興味本位で知ろうとしていたわけではないのは俺にも分かる。

 ここは学校から近過ぎる。

 だが、ここで俺達にできることはなにもなかった。最初から。

 

「……帰りましょう、先生」

「うん……」

 

 来瀬川教諭は力無く頷いた。

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