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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
五章 シンギュラリティ
202/321

05.怪異①

 復学後の数日、全員が同じ服装をした同年代の少年少女がぞろぞろと校舎に吸い込まれ、全員が同じような様子で教室に参集するという光景が異様に思えた。現界(セフィロト)の片田舎であるセントレアにはそもそも同年代の人間が数人しか居なかったし、勉学の場は少し離れた隣町のリンダースにしかなかった。あちらで門番をやっている間は、学校というものに触れること自体がほぼなかったのである。そんな俺が異界(クリフォト)の学生の様子に戸惑うのは当たり前で、違和感が消えた今となっても若干の疑問を覚える。この服装の統一、登下校の規律にはなにか意味があるのだろうか。

 

 よくよく考えてみると、異界(クリフォト)――というより、現代日本人の感覚では、社会へと巣立った大人たちは順次、企業という組織の規律に染まり、それに相応しい服装へと統一されていくものだ。もしかすると、その予行演習として制服や校則が存在しているのかもしれない。そう思えば、学生の時分からある種の職業訓練が始まっているともとれる。

 なるほど、無意味ではないのだ。立派な社会人として、そして未来の旦那としてミラベルを養っていくことにも繋がる。俺は感心しつつ――また自分が魅了(ファシネーション)の影響を受けていることを実感し、頭を抱えた。

 

 恋愛脳ともまた違う。思考の向き先がミラベルでデフォルト固定されるような、妙な感覚だった。

 たしかに彼女は魅力的だし、俺の中に少なからぬ好意があるのも間違いない。

 とはいえだ。子供の頃、と称してもいいくらい前に知り合った女の子に、しかも旧友の娘にだ。ここまで心酔しているのはどう考えても正常ではない。

 どうか健全な思考のままで留まっていて欲しいものだ。これで彼女に劣情なんかを催してしまった日には、俺はおそらく自己嫌悪で腹を切るだろう。今のところ、その兆候が毛ほどもないのだけが救いだ。

 などと懊悩していると、

 

「うーっす。高梨ぃー、なんか食いもん持ってないかー?」

 

 と、不意にかけられた間延び声で現実へと引き戻された。

 ホームルーム前、朝の教室だ。

 教室後方、廊下側二列目の良くも悪くもない席が俺のポジションである。

 人懐っこい笑みを浮かべた、健康的な印象を受ける少年が前席に座ってこちらを向いている。橋本だ。現れるなり物乞いのような台詞を吐いたのは、おそらく部活の朝練の後だからだろうと思われた。

 

「……朝くらい食ってこいよ」

「いやいや、走る前にがっつり食いたくないじゃん。吐く吐く」

「家でバナナでも食えばいいだろう」

「バナナァ? 分かってねーな。俺は食い物に人の温もりを求めてるワケ。手作りのおにぎりとか、サンドイッチとか。つまり俺は高梨くんのおにぎりが食べたいワケよ。アンダスタン?」

「素で怖いわ。お前はいったい俺に何を求めてるんだ。生憎と食い物はない」

「あっはは。高梨、地味に料理上手いからなー」

 

 無論それは橋本の冗談なのだろうが、俺もさすがに昼食は自炊しないので持ち合わせがない。前の晩に翌日のミラベルの昼食を作るくらいで、それ以上のやりくりは今のところしていないのだ。

 主食と言わず間食ならば、意外と女子の方にアテがあるものだ。ちょうど、隣席の机に鞄の金具が当たる音がした。視線を動かすと、今しがた登校してきたらしき長命寺がオレンジ色のリュックを置いているところだった。ばっちりと目が合い、俺は開口一番で要求を述べる。

 

「おう長命寺、食い物くれ」

「は? コワ。いきなりなに?」

「たしかお前、ドライフルーツ持ってるだろ」

「あ、あるけど。なんなの。追い剥ぎかなんか?」

「どっちかっつーと行き倒れだ」

 

 前席に視線を戻すと、橋本が白目を剥き、舌を垂らして背もたれでぐったりしていた。アクションが大仰過ぎる。これでは飢餓状態というより餓死状態だ。

 

「ははん、そーゆうこと。ま、橋本くんならいっかな。高梨に食べさせるものはないけど」

 

 昨日のやりとりを根に持っているのか、長命寺はリュックからドライフルーツのパッケージをいくつか取り出し、俺の机の上に並べた。オレンジにマンゴー、デーツ、パイナップル。レモンに白桃なんてものもある。よくもまあこれだけ何種類も携帯しているものだと感心するが――

 

「ん? レーズンがないな。切らしてるのか」

「あ、うちレーズン苦手なんよ」

「……なに?」

 

 こいつはいったい、何を言ってるんだ。

 俺の中で長命寺の株価が暴落した。ストップ安だ。

 

「お前……レーズンを何だと思ってるんだお前……ドライフルーツの王だぞ」

「知らんし」

 

 一蹴されてしまったので俺は押し黙った。

 駄目だ。この世界は狂っている。現界に戻りたい。

 

「お、いーじゃんいーじゃん。俺、オレンジ貰うわ」

 

 餓死から復活した橋本が爽やかスマイルでオレンジの小袋を受け取る。

 

「ごめんな、桜。あとで金払うから」

「あっ、いいっていいって。これくらい。高梨ならともかく」

「俺は駄目なのか。うーむ、格差を感じるな」

「そーよ。身の程知れっつーハナシ」

 

 笑顔で猫なで声の長命寺が怖いので、とりあえず遠回しな特別感アピールをアシストしておくに留める。

 実際、ドライフルーツは結構高い。その割に、食べ盛りの思春期男子の胃袋を満足させるには、少々物足りない量しか入っていなかったりする。

 が、そんなことは橋本も長命寺も分かっているのだろう。分かっていて橋本は長命寺の厚意に甘えることにしたのだし、長命寺はそれを無償とすることで厚意を好意として伝えようとしているわけだ。

 

 僅かに視線を交わす両者の間で、俺は頬を緩ませる。

 なんとまあ、甘酸っぱい話であることよ。

 

 そんな折、開きっぱなしだった教室前側の出入り口に、注目を集めやすい人影が現れた。ぱっと見の印象どおりの、中学生くらいの女の子、ではない。出で立ちだけは教師らしい、パンツスーツ姿の新米教師ひーちゃん先生である。

 

「はーい、ホームルームはじめるよー。みんな席についてねー」

 

 黒い名簿片手に教卓へと向かう子供先生。

 二年B組の教室に、僅かな緊張が走――らない。実に和やかな空気のままで、生徒たちはゆったりと着席していく。

 なにせ、号令をする当人に急かすような空気がない。ある意味では異様ともとれる、人を和ませるような容姿のおかげもあるだろうか。いずれにせよ、この教室内に子供先生に対する悪感情や反発は存在しないらしい。

 毎度のことながら、来瀬川教諭のあんな姿を見ると、あの人ほんとに教員なんだなあ。などという、やはり失礼な感想を抱かざるを得ないのだが――

 

「……?」

 

 机の上にイエローの小袋がひとつ、残されていることに気付いた。

 すでに隣席に撤収した長命寺が置き忘れたのか、と袋を片手に彼女を窺うが、長命寺はよく分からない、どことなくきまりが悪そうな顔で顎をしゃくるだけだ。

 くれるということ、なのだろうか。そう推測して袋のチャックを開けてみるが、既にひーちゃん先生のホームルームが開始されている。長命寺は無言で頷くだけだ。いや、指でOKサイン――というより、金のジェスチャーもした。俺はやはり有料らしい。

 まあ、いいか。中身をひとつだけ摘まんで口に放り込む。

 あまり馴染みのない類の、乾燥した柑橘の食感と、独特の爽やかな芳香。

 レモンである。いや、パッケージからして知ってはいたのだが。

 

 長命寺は気に入らない品の処分をしたかったのだろうか、それとも一応、友人としての慈悲をくださったのだろうか。前を向いておとなしく来瀬川教諭の話に聞く長命寺の意図は、いまいちよく分からない。

 しかし、なんとまあ、甘酸っぱい味であることよ。

 

 モグモグと噛み締めつつ、俺も教卓の来瀬川教諭を見る。物を食っている俺に気付いたらしいひーちゃん先生は一瞬、呆れ顔になったが、すぐに笑顔に戻ってホームルームを続行した。

 

「……というわけでなので、日没以降の外出は控えてね。強制じゃないけど、塾とか習い事がある子はなるべく友達とか保護者の人と一緒に行動すること。あと、部活動の時間も短縮されます。みんな、ぶーぶー言わないで素直に帰ってね」

 

 どうやら今朝の不穏なニュースの件らしい。

 ひーちゃん先生の口ぶりからすと、生徒への注意喚起は検討レベルだったはずだが今朝なにか動きがあったのだろうか。

 ぶーぶー言うなと言ってもそれは難しいだろう。現に運動部の連中がぶーぶー言っている。橋本もその一人だ。

 

「つーか、もし通り魔とか誘拐犯だったら、俺らよかセンセーの方が危ないんじゃないっすかー?」

 

 いや、単なるイジりだった。

 教室が沸くが、ひーちゃん先生は意味深な笑みを浮かべる。

 

「あはは! 先生のボディガードにかかれば、きっとそんなの小指でチョイだよ。四つ折りくらいにして燃えるゴミの日に出してくれるんじゃないかな」

 

 それは普通に怖いな。

 人間が四つ折りになった状態を具体的に想像し、俺は身震いした。恐ろしいことをするやつがいるものだ。同じ人間のやることじゃない。

 だが来瀬川教諭に手を出すやつは俺が先に八つ裂きにするので、そんな悲劇は起き得ない。世が乱れることはないのだ。よかった。

 「きっと彼氏だ」などという不躾な囁きも笑顔で受け流すひーちゃん先生は、騒がしい教室を二度の拍手で静めた後、明るい声でホームルームの終了を告げた。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 九月下旬ごろから各所で失踪事件が相次いで発生しているのは事実のようだった。ネットで検索するかぎり、十や二十で済まない人数の人が予兆なく姿を消しているのだという。失踪した人々の職業や年齢層はバラバラで、共通点は首都圏在住であるという点のみ。失踪したと思われる時間帯すら、夕方から未明にかけてと幅が広くまちまちであるらしい。

 

 こんな情報が一般に出回っている時点で然るべき機関が乗り出しているのだろうが、裏を返せば未だ解決の糸口すら見付かっていない――故に歯止めがかかっていない事件なのだろう。

 理外の現象を知る身としては、人が跡形もなく消えるということもまったくあり得ないとは言い難い部分もある。現界でならいくらでも有り得ることだ。強力な破壊魔法なら人間をまるごと灰にできるだろうし、転移魔術などでどこかに放り出すこともできるかもしれない。

 

 だが、ここは異界(クリフォト)だ。魔術師などいない。失踪の原因はもっと物理的なもので、事件の真相も大規模な犯罪か何かだろうと推測できる。つまり、いち学生の考えるようなことではないのだが、

 

「……きょうの朝礼で聞いたんだけどね、林商の生徒がひとり居なくなったんだって。それも放課後、学校の中で。そんなことってある?」

「いやまあ、ないでしょうね。普通は」

 

 昼休みに校舎の片隅にある給湯室に呼び出された俺は、困惑と共にひーちゃん先生の話を聞いていた。

 林商、というのは近隣にある林館商業高校の略称である。距離的には十キロも離れていない。この事件をトピック、と表現するには身近すぎる話になったと言えるだろう。それを受けての、今朝のホームルームだったわけだ。

 

「放課後ってことは……せいぜい夕方くらいだと思いますけど、学校の外ならともかく中から人が消えるってのはちょっと考えにくいでしょう。人目が多すぎる」

「だよね」

 

 普段あまり意識されることはないが、学校の敷地というものは割合、閉鎖環境としての性質が強い。塀やフェンスに囲まれ、出入りのできる場所が限られる。それらだってもちろん万全ではない。どころか穴だらけではあるのだが、日中に限って言えば殆ど鉄壁と言っていい。どこかしらに生徒や教職員、近隣住民の目があるからだ。

 それは、この芥峰高校も例外ではない。仮に、俺が授業をサボるために身体強化を駆使して学校を抜け出そうとしても、おそらく誰かに見つかることは避けられないだろう。そんな環境下で生徒が忽然と消えるというのは少々、いや、かなり不自然だ。

 

「うーん……少し前までなら事件っぽいなあって思ったんだけど。高梨くんの話を聞いたあとだと、オカルト的な案件かもって思っちゃうよね。神隠し、みたいな。オカルト専門家としてはどう思う?」

「専門家て。いや、こっちの世界じゃ考え難いと思いますが……それも可能性が皆無とまでは言えないかもしれませんね。もっと状況を詳しく知りたい」

「そっかそっか。っていっても、先生も又聞きくらいの話しか知らないから……たしか、現場は屋上だったそうだよ。数人の生徒さんが、こう、屋上でわちゃわちゃ遊んでる最中にちょっとだけ目を離したんだって。そしたら……」

「……ひとりだけ消えたんですか? いきなり?」

「らしいよ。あと……ちょっとだけ血のあとが残ってたとか、どうとか」

 

 いったい、何がどうなったらそうなるのだろうか。

 現界の魔力使いにだって難しい話である。騎士や魔術師がそれを実現しようとすると、結構なレベルで痕跡が残るだろう。俺もその気になれば異界の人間の目が追随できない速度で動けるが、その際には相当な衝撃音を発生させることになる。破壊魔法は言わずもがなだ。周囲が痕跡に気付かないということは絶対にない。

 少量の血痕が残っているのも不可解で不気味だ。

 

「お手上げですね。オカルトというか、これはもう名探偵の領分な気がします」

「ミステリってこと? 先生はホラーかなって思うよ……」

「かもっすね。素人が半端に首を突っ込まない方がよさそうだ」

 

 異界での俺も、来瀬川教諭も一般人にすぎない。できるできない以前に、一介の学生と教師以上のことをすべきではないだろう。来瀬川教諭も別に、俺に何かを期待しているわけではない。

 

 だが、一言だけ添えておくことにした。

 

「目の届く範囲は別です」

 

 特に何もしないが、何かを許すつもりもない。それだけを伝えると、来瀬川教諭は笑って頷いた。

 

「うん」

 

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[一言] >そして未来の旦那としてミラベルを養っていくことにも繋がる。 >これで彼女に劣情なんかを催してしまった日には、俺はおそらく自己嫌悪で腹を切るだろう。 恋愛?というか偏愛?があるのに性愛とい…
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