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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
一章 門番と皇女
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19.雨後

「剣一本で金貨三枚ィ!?」

 

 俺の悲痛な叫びが、民家に併設された簡素な鍛冶屋にこだました。

 給料三か月分を上回るという長剣を手に、俺はプルプルと震えながら老鍛冶師の顔を見る。彼は蹄鉄を打つのが大好きな、馬をこよなく愛する温和な老人だ。長く蓄えた髭もチャーミング。物欲とは無縁の御仁である。

 

「んむ。金貨三枚」

 

 だというのに、彼は柔和な表情のままで資本主義の呪詛を口にした。

 その呪詛は、俺を殺し得る。財布的な意味で。

 

「ちょっと待ってくれ、何でそんなに高いんだ。前まで五本で銀貨二枚の剣があっただろう。ああいうのでいいんだよ。ああいうので」

「……タカ坊には向上心というものがないのかのう」

「向上心だと?」

「いつまであんな(なまく)らを使い続けるんじゃ。剣士たる者、己の技量に合った得物を佩くべきだと思わんのか」

(なまく)らも何も、あんたの打った剣じゃねえか!」

 

 セントレア番兵団で使用されている長剣は、定期的にこの老鍛冶師から共同購入している。理由は単純明快。必要十分で、値が安いからだ。趣味で剣を打つらしいこの老人としても、増え続ける在庫を処分するには丁度良いので、ほぼ原価で卸している。

 先日折られてしまった、俺が愛用していた長剣も彼の作品だ。

 

「剣なんてもんは、ちゃんと真っ直ぐで、そこそこに切れればいい」

 

 所詮、剣は道具(ツール)に過ぎない、というのが俺の持論である。

 どれだけ高価な素材を用いた剣であっても、殺傷能力自体には大した差は生まれない。同じ造りの鋼剣と鉄剣で大きく違う点があるとすれば、それは威力ではなく耐久力だ。

 なので、わざわざ値の張る業物を選ぶ理由は皆無である。セントレアの門番の仕事においては、剣の耐久性なんてものは全く必要がないからだ。

 

「それもひとつの見方ではあるのう。じゃがタカ坊よ、それで剣を折られていては、あまりに世話のない話ではないかな?」

「……耳の痛い事実ではある」

 

 ジャン・ルースに真っ二つにされた俺の長剣は、老鍛冶師の見立てでは修復は割に合わないとのことだった。直すより鋳溶かして新しく打ったほうが早いらしい。真っ二つなのでそれも当然と言える。

 鍛冶師は折れた長剣を手にして、俺に問う。

 

「この折れ方を、まさか壁にぶつけたなどとは言わんだろう。相手は騎士だな。得物は何だ。槌か? 斧か?」

「幅広の剣だ。見事に斬られたよ」

「なに!? 剣で剣を斬りおったのか! ははは、なんとも剛毅なことだ!」

 

 なぜか嬉しそうに、老人は笑う。

 

「それで、負けたのか? ん?」

「控え目に言って、引き分けってとこだろうな」

「はっはっは! そうか、そうか!」

 

 いよいよ可笑しくなったのか、鍛治師は手を叩きながら歩み寄ってくる。

 

「タカ坊、わしがなぜ粗末な鉄の剣を打つのか、教えてやろう。わしは若いころ、皇都に出て剣を打つのが夢じゃった。この街には武器など欲しがる者はおらんからの。皇都に出て、名剣と呼ばれるような剣を打ちたかった。名だたる騎士の手に収まるような剣にも負けぬ、至宝の剣をだ」

「セントレアじゃ、農具の方がよほど重要だからな」

「そうだ。この街はそれでよい。じゃがの、タカ坊よ。いつお迎えが来るとも知らんこの老いぼれの胸にも、一度は諦めた夢は、まだ密かに生きておる」

 

 老人は、俺の手にあった給料三ヶ月分の長剣をぐいと押し付ける。

 

「安い鉄で作った数知れぬ習作を番兵団に買い取ってもらいながら、わしはひたすらに業を磨いた。何年、何十年とな。その全てを注ぎ込み、選りすぐった鋼で打った剣がそれだ。わしの最後の夢だ。この辺境の街の片隅で、ついぞ報われぬまま終わる夢だ」

 

 俺は知っている。

 この街で数百年生きている俺は、この老人を子供の頃から知っている。

 彼が打った剣には、出番こそ滅多になくとも長く世話になっている。彼が初めて剣を打った日も、所帯を持って夢を諦めた日も、俺は知っている。

 彼自身にその記憶はないが、ずっと見てきた。

 

「タカ坊よ。どうか、わしの夢を連れて行ってくれ。お前が持って行ってくれるなら、この剣が騎士の剣と打ち合うこともあるだろう。この剣は負けぬ。決して折れぬし、曲がらぬ。その時こそ、わしの夢は叶う」

 

 俺は飾り気のないその長剣を、鞘から抜いた。

 刀身は以前の長剣よりもやや長く、細い。材質の強度が増しているので、より洗練された形状に変更されているのだろう。十字をモチーフとした簡素な鍔と、黒革で仕立てられた柄に変化はない。実用性に欠く過度な装飾がないのは好ましい点だ。

 正直、剣の質にこだわらない俺にはこの剣がどれほどの物か判断しかねる。しかし、被造物に込められた情熱というものは、美術品などの例に漏れず、完全な素人の目にも理解できる何かがある。

 細部まで入念に造り込まれたこの長剣は、まさにそういった類の代物だ。

 

「……仕方ない」

 

 鞘に戻した長剣を、腰の剣帯に差す。

 愛着の沸きそうな道具を帯びるのは主義に反するのだが、今回は別にしておく。

 

「んむ。金貨三枚じゃ」

「やっぱ金は取んのかよ!」

 

 老鍛冶師は、万感を含んだ笑みで首肯した。

 

 

 

 

 最近、やけに出費が多い気がする。

 渋い顔で鍛冶屋を出た俺は、街路で待っていたエプロンドレスの少女に向かって軽く手を上げた。

 少女――カタリナ・ルースは、見上げていた空から視線を戻して口を開く。

 

「随分と話し込んでいたんですね」

「ちょっと色々あってな。待たせて悪かった」

「いえ、それは構いませんが、肝心の剣の方は修理できそうですか?」

「さすがに真っ二つにされてちゃ難しいらしくてさ。この際だから新調したよ」

「そんな……代金、わたくしが払いますわ」

「なんで俺の剣の代金をお前が払うんだ。いらねえよ」

 

 気まずそうに上目遣いで言うカタリナの肩を軽く叩き、俺は歩き出した。

 秋の頃合だというのに、燦々と降り注ぐ日差しに嫌気が差す。普段から夜番として徹夜ばかりしている俺には、昼間の活動は少々堪えるものがある。

 一方のカタリナは涼しい顔で歩みを進めている。むしろ、往還門を通る前と比べると随分健康的な顔色をしていると言っていい。

 

 あれから一週間経ったが、彼女の体調に変化はない。多少持ち直しただけで生まれ持った体質が改善したわけではないが、魔法さえ使わなければ当分は問題ない。とはドネットの弁だが、また悪化する前に定期的に現世に連れて行けば大丈夫だろう。

 往還門の使い方として正当なのかどうかは疑問だが、俺にはもうカタリナを放っておく選択肢はない。一度助けたのであれば、最後まで通すのが筋だ。

 

()の父がしたことですから」

 

 当のご本人様はまだ気にしているようで、目を伏せながらそんな事を言う。

 

「剣を折ったのは俺の未熟だよ。親父さんは自分の仕事をしただけだ」

「あなたほどの腕の剣士が、未熟ですか?」

「いや、俺は剣士じゃないけど……ちょっと熱くなり過ぎたんだよ。俺のミスだ」

「珍しいですわね」

「そうかな。自分では結構短気な方だと思ってるよ」

 

 ジャン・ルースとの殴り合いの後、彼は駆け付けたドネットに運ばれていった。今は彼女が運営している、セントレア唯一の医院に入院している。いつ死んでも不思議ではない負傷だったので当然の措置だ。

 それからカタリナは毎日見舞いをしているらしい。親子の間にどんな会話が交わされているのかは知らない。ただ、カタリナにはもう彼をどうこうする気はないらしく、甲斐甲斐しく父親の世話をしているようだ。

 あのルース氏が自分の信念を曲げるとは思わないが、カタリナが彼の所業に加担するのはもっとあり得ない話だ。

 ルース氏の容態は俺が思っていたよりもずっと酷いものなのだろう。彼の目的を、断念せざるを得ないほどに。

 

「父は炉を損傷しています」

 

 カタリナは俺の問いにそう答えた。

 炉とは、体内に存在する魔素(マナ)を生成する器官だ。霊体(アストラル)における心臓とでも呼ぶべきだろうか。

 当然、炉が機能不全に陥ってしまえば自由に魔力を操ることも出来なくなる。魔力を使って戦うこの世界の騎士にとって、それは廃業を意味する。

 

()天弓(シェキナー)を受けた時点で、父は炉にかなりのダメージを負っていたようです。そんな状態で無理に傷を塞いだので、無理が祟ったのでしょう。自然治癒で元通りになるかは五分だと聞きました」

「よくもそんな体で戦ったもんだ」

「父は昔からそういう人です。そういうところが特に大っ嫌いでした」

 

 俺は器用な方じゃない。カタリナがどんな心境でその事実を口にしたのかを窺い知ることはできない。

 だが、赤い眼鏡の向こうに見える彼女の表情は穏やかだ。

 

「やっぱり親父さんに思うところがあったんじゃないか」

「……そうですね。あんな父親に育てられたものですから、()も剣と魔法しか教えられずに育ちました。なのに()は騎士にもなれなくて。だから、もしかすると恨んでいたのかもしれません」

「カタリナは騎士になりたかったのか」

「ええ」

 

 カタリナは微笑み、晴れ上がった空を見た。

 

 それは憧れだったのだろうと、俺は思う。

 憧れていたからこそ、許せないものもある。

 カタリナが父を撃つ時に見せた顔はきっと、そういうことなのだろう。

 かつて同じものに憧れた俺としては、そう思うのだ。

 

 

 

 

 民家もまばらなセントレア中央の街路を歩いていくと、やがて人気の微妙な商店街に差し掛かった。

 カタリナはパン屋へ。俺は南門に用事があるので、ここで別れることになる。

 

「アキト」

「ん?」

 

 相変わらずいつ教えたか思い出せない下の名前で呼ばれ、俺はカタリナを振り返る。

 彼女は真っ直ぐに俺の目を見つめ、それから少しして、目を閉じた。

 

「今回のことは……いえ、今回のことも、ですね。なんだか、あなたには助けられてばかりいる気がします」

「いやあ、俺だって助けられたからな。お互い様なんじゃないか」

「釣り合いが取れていません」

「どうかな。仮にそうだとしても、そういうのは黙っておいた方が得するぜ」

「……もう」

 

 呆れたように苦笑する赤毛の少女にひらひらと手を振り、俺は南門へ歩き出す。

 ふと、何だかんだで言い忘れていたことを思い出し、もう一度振り返った。

 

「そういや、その眼鏡、似合ってるぞ」

 

 

 

 その後、俺は唐突に激怒したカタリナに小一時間ほど追い回された。

 「遅い」だとか「そういえばって何だ」とかなんとか言っていたが、結局、最後には何とか振り切ったので彼女が何に怒り出したのかは定かではない。

 やはり俺には、彼女のことはよく分からないらしい。

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