36.戦火④
海老という生き物を食べたことがある。
海寄りの片田舎ならともかく、大陸中央では滅多に見かける食材ではない。高級店の客席か貴族の食卓かでしか見れないし、まず口にできない。
それでも主の晩餐に呼ばれた時、食べる機会があった。見たことも聞いたこともない生き物で食欲をそそる造形でもなかった。特に殻を剥くのが面倒で、もう二度と食べたいとは思わない。必要も無いが、とにかく面倒だったので悪印象しかなく見たくもない。
目の前の敵にはその海老と似た面倒臭さがある。
「めんどくせぇ」
回顧らしい回顧でもない思案を打ち切り、アニエスは近衛の騎士を板金鎧ごと大楯で雑に殴殺した。
力任せの縦の殴打で、騎士が構えていた盾と兜がひしゃげて潰れる。隙間から溢れた中身と液体が飛び散り、アニエスの短く切り揃えた髪と頬にへばり付いた。
これで何匹目だったか。
思い出そうとして断念する。近衛の人数は多くても数十である筈だが、アニエス自身の目的も上から受けた命令も、離反した近衛師団の撃滅ではない。これはあくまで邪魔を排除しているだけであり、関心は限りなく薄い。数を数える意味がない。
見えている範囲で五人、甲冑の騎士が潰れている。
石畳の上で潰れている様は、幼い頃に誤って踏み殺した甲虫を彷彿とさせた。当時のアニエスは気が弱く、虫を殺めたことをひと月は気に病んだものだった。以来、木の実ばかりを食べていた時期がある。木の実であれば食事も殺生にならない。
「は――」
軍服の少女は嗤う。
可笑しくて堪らない。
外骨格も甲冑も大差ない。蛋白質で構成されているか金属で構成されているかの違いでしかない。海老の茹で汁と人の血液ではもっと近い。ほぼ同じものだ。
だから海老と人間も似たようなものだ。喋って動くか喋らずに動くか、生きているのか死んでいるのか、違いはそんな程度だとアニエスは考える。
蛋白質の塊に上等も下等も無いだろう。滑稽でならない。
とりあえず、片端から潰して道を綺麗にする。
そうして見通しを良くしていけば、求める相手を楽に見つけられるかもしれない。
区切りをつけて死骸から大楯を引き抜くと、また別の人影が街路に現れた。
さて、この辺境に数多ある勢力のうち、いずれの者だろうか。
アニエスは面倒臭がりながらも目線を上げる。
近衛の海老ならば潰そう。単純にそう考える。
しかし、その他であっても概ねは潰す。少数の例外はあっても。
街路に現れた一組の男女はその例外には当たらなかった。
「いささか暴力的に過ぎますね、お嬢さん。皇国軍はいつからそんな酸鼻極まる処刑法を編み出したので?」
男女の片割れ、平民らしい簡素な衣服を纏った地味な男がぼやくように問うた。
顔見知りではない。傍らの細い女も同様だ。
アニエスはうんざりした。
確かに彼女は未だ軍装をしている。が、それは他に服の持ち合わせがなかっただけだ。階級章はとうの昔に剥ぎ取られているし、忠誠や所属意識は欠片も残っていない。いちいち軍人扱いされるのは神経を逆撫でされる。
大体、
「パン屋如きが軍を語るんじゃねえよ、双犬」
「いやはや手厳しい。しかしそうもいかんのですよ。こちらにも雇い主の意向というものがありまして。まあ、とはいえ、こんな戦は一銭にもならないんですけどねぇ」
肩を竦めて空笑いする印象の薄い男こそは、音に聞こえた九天の騎士がひとり。
双犬、バルトー。
南方の自治領を巡る紛争をたった二騎で鎮圧するという偉業を成し遂げたかつての英雄。しかし、この辺境の地セントレアで末の皇女一派に敗れ、降って庶民に身を窶したという。英雄は、武装をしていなければ実直で素朴そうな男だった。
語る言葉も品性を欠いてはいたが。態度も、慇懃無礼とでもいうべきか。
ふざけている。
「さて、お嬢さん。どこかでお会いしたことがありますか?」
バルトーは自身の素性を看破したアニエスに問う。
愚問であった。
彼らを知らぬ騎士など皇国には居ない。
「ねえよ。あんたを遠くから見たことがあるだけだ。そっちの女も」
バルトーの隣の女を顎で指す。
女は、辺りに散らばる海老の残骸をしかめっ面で見回した。
「……粗末に散らかしてまあ。こんだけやれる子なら知らないってわけはないんだけど、あたしも知らないな……どこのどちらさんだ」
「知ってどうするんだ」
「知らなきゃ何もしてやれないだろ」
真顔で返す女。
この女も同じく九天の騎士。名はアウロラ。風の噂ではバルトーと組んで戦うと聞いていた。こうして共に行動しているあたり、噂は真実だったのだろう。アニエスは真顔のその女に心底辟易した。何故だかひどく不快だった。
「あんたらに望むことは一つだけだ。回れ右して消えろ」
九天の騎士の処分は上から命じられていない。
だが禁止されてもいない。
邪魔なら潰す。潰さなくてはならない。
面倒だ。面倒だが仕方ない。
「そうもいかないと言ったでしょう。お嬢さん。あなた、どちら側の人間ですか?」
「どちら?」
「近衛の側についているのか、それとも我々の味方か。どちらです?」
空笑いは変わらずだが、バルトーの目には真剣な色が混じっている。
見て分からないのか、とアニエスは海老の残骸を大楯で指して見せた。
当然、アニエスはバルトー達の味方などではない。そんな義理も筋合いもない。ただ、たまたま同一の敵を追っているだけだ。その過程で海老をすり潰した。面倒だったが、海老をすり潰すことは結果として彼らにも利するだろう。そう思って海老を指した。
だが、
「……あなたには、あれらが何に見えているんです」
バルトーは笑みを消し、分からないことを言った。
そんなことを言われても海老は海老だ。
見分けはつかないし、そもそも大差がないのでつける意味もない。
「混じっていますよ。水星天の人間が」
指摘されるや、アニエスは僅かに思案した。
海老の種類など気にも留めていなかった。そもそも、水星天騎士団は減らしていい。そう聞いている。いずれにせよ甲冑を着ていたら有象無象の区別はつかない。もとはといえば、この戦闘そのものの経緯も聞かされていた予定とは異なっている。九天の騎士は二つに割れた水星天騎士団と交戦する予定だった。
面倒くさい。どうでもいい。
「ああ……そうだったのか。ごちゃごちゃうるせえな」
異形の大楯を乱暴に持ち上げ、鈍角の先端をバルトーへ向ける。
二人の騎士は鼻白む。
アニエスは苛立っていた。彼らの反応が不快で仕方がない。
憐れみだ。
ただひたすらに海老を叩き潰すアニエスを、彼らの目は憐れんでいる。
彼らに比べれば遥かに若い少女の所業を憐れんでいるのだ。彼らは、戦場で子供を見れば自然そうなるのだろう。どんな状況であれ。良識のある先達であろうとする。
立派で、正しい人間。
それがまったくの見当違いだと気付きもしない。気付こうともしない善良な人間。
素晴らしい騎士たち。
反吐が出る。
「なんか勘違いしてるよな、あんたら。ひょっとして……回れ右して消える以外に、自分達に何かできると思ってるのかよ?」
「まあ……これでも騎士の端くれですので。お嬢さんのおいたをどうにかすることをくらいはできるでしょうね。気は進みませんが」
男は武器も持たずに身構える。
それは――その態度は、少女だったものの逆鱗に触れた。
予備動作はほぼ無い。僅かに身を屈めたのみ。
それでも、アニエスの身長に比して異様に巨大な大楯は、その装着者の動きとはかけ離れた挙動を見せる。紫電めいた光を迸らせながら、真っ直ぐに撃ち出されたのだ。
大扉ほどもある鉄塊がそのように動くとは、予想だにしなかったのだろう。双犬はそれぞれ虚を突かれたような顔で硬直した。
射出された大楯は両名を薙ぎ払うかに見えた。しかし甲高い激突音の直後、凄まじい勢いで左右へと弾かれたバルトーとアウロラは姿を変えている。
粗末な衣服から銀の甲冑姿へと。楕円盾と長大な突撃槍を手に、土埃を上げながら身を捻って衝撃を緩和し、姿勢を立て直す。
丸腰であった筈の騎士たちは、宗教画の聖騎士もかくやという出で立ちで得物を構える。果たして如何なる絡繰りがあるのか。放った大楯を不可視の力で手元に引き戻すアニエスは訝る。
が、何にせよ手応えはあった。
バルトーは左腕を、アウロラは肋骨をやった。
息を呑む双犬達を前に、大楯使いは再び得物を敵へと向ける。
「分かれ。あんたらには何もできやしない」
「ッ、言ってくれるじゃないか……!」
アウロラが兜の中で凄むが、彼女の右の腕は僅かに下がっている。脇腹の損傷が響いているのだ。それ自体は致命の傷ではないが、十全に動くのは不可能だろう。バルトーも左右の違いこそあれ似た有様である。
不意の一撃で仕留められるとはアニエスも考えてはいなかった。だが、それにしたって風前の灯火だ。左手の指を一本ずつ親指で押さえつけて鳴らしながら、少女は嗤う。
「お望みなら名乗ってやろうか、騎士様。だが、何にせよ潰すぜ。殻を剥くのは面倒だから一息に頭を潰してやる。あいつらと同じように」
大楯を虚空に振るう。
小気味よい重みと衝撃が腕を伝わる。
そうやって敵を潰す瞬間だけが、忘我の心地にさせてくれる。
「まともじゃないとは思ったがここまでかい……! バルトー、全力でやれ! この子は叩きのめさないと抑えられないぞ!」
「チッ……本当に気が進まないですね!」
手負いの犬達が吠え、長大な突撃槍を構える。
技量で遥かに上回る相手と二対一。
だが、アニエスはひとりではない。
無駄だ。無為だ。無意味だ。
敵の抵抗に脳裏で合唱が響き渡る。
「間抜けがッ! そんな程度であたし達が止められるかッ!」
膨大な魔力によって爆発的な推進力を得たアニエスは疾駆する。
血の通わない腕を振り上げて大楯を操り、己の内側に巣食う数多の怨念を開放した。
ぞわり、と。
臓腑を撫でられるような怖気を伴い、背から青白く透けた腕が二対伸びる。失われたものを渇望するかの如く、生者へと伸ばされる怨嗟の腕。
「外典福音――ッ!?」
男女どちらの叫びだったかは判然としない。
驚愕と共に上がった声よりも速く、殺到した霊体の腕の束が濁流となって双犬の片割れを吹き飛ばした。
どちらでもいい。殻の中身など気にしない。瞬間的な一対一を成立させたアニエスは残されたもう片方の銀の騎士と正対する。
今や白銀と化した大楯。亜遺物、天穹の支持者に魔力を乱雑に装填。
瞬間、恐ろしい精密さを以て繰り出された突撃槍が頬を掠める。
手負いの双犬の牙。
大楯を振るう少女は嗤う。
立派で、正しい人間。素晴らしい騎士。
だから躊躇う。人の姿をしていれば、人外の怪物にだって情けをかけてしまう。
それはまったくの見当違いだ。
生者には分からない。
高度な体術と魔術を織り交ぜたアニエス固有の戦技、盾の紋章。その最大威力の技、垂直落としが真上に振り上げた大楯を介して発動する。
「死ね」
宣告と共に大楯を振り落とす。
そして藤色の爆炎が重なり、自爆が如き一方的な攻撃がここに完成した。
振り下ろされた大楯の重量と爆発とを咄嗟に盾で受けた双犬の片割れが、炎の中で歪んで縦にひしゃげていた。
既に少女は人でなく、真に怪物であり、這いずる地獄そのものだった。ぐしゃぐしゃになった銀色の残骸を蹴散らし、踏み付けて嘲笑する。
炎に、痛みも熱さもない。
辛うじて残された触覚を足蹴にした命に感じる他ない。他に何もない。
いや。
まだ敵が居る。
皆が求める仇が居る。内に巣食う声が叫んでいる。
絶え間なく響いている。無念の内に死した騎士達の声が、少女を呼んでいる。
報復を。復讐を。永遠に叫んでいる。
だからもう一匹の海老もすり潰さなくてはならない。いつか誤って踏んでしまった甲虫のように。もぞもぞと手足を動かす哀れな虫を。一匹、一匹。靴で踏みつけて、踵で捩じって、確実に。
「は――」
軍服の少女は嗤う。
可笑しくて堪らない。
外骨格も甲冑も大差ない。蛋白質で構成されているか金属で構成されているかの違いでしかない。海老の茹で汁と人の血液ではもっと近い。ほぼ同じものだ。
だから海老と人間も似たようなものだ。喋って動くか喋らずに動くか、生きているのか死んでいるのか、違いはそんな程度だとアニエスは考える。
蛋白質の塊に上等も下等も無い。滑稽でならない。
残った方の海老が突撃槍を構える。
滑稽でならない。




