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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
四章 竜殺し
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34.戦火②

 戸外に吹き飛んでいったアーネストが再起不能の状態だったろうことは想像に難くなかった。故に、マリーひとりでも身柄を抑えるのは難しくないと踏んで俺は他の敵への対応を優先してしまった。

 彼の逃走を容認したのは俺のミスだ。つくづく詰めが甘い。

 消えた伝声球の残滓を眺めながら反省をしていると、議場内に残っていた最後の近衛師団兵がレオナールの繰り出した戦斧(バルディッシュ)の一撃によって床へと沈んだ。

 それは騎士であろうと容易に殺傷せしめる重撃に見えたが、加減をしろなどと言える筋もなければ間隙もなかった。

 次代の王に最も近いその男は、誰が何を言おうと己の敵を赦すまい。

 俺にはそう見えた。

 

「……くそっ」

 

 議場内には他にも大勢の死体がある。倒された近衛師団だけではない。彼らと交戦したレオナール、イヴェットの配下も人数を半数にまで減じさせている。残った面々にも重傷者が少なくない。

 俺達がアーネストと戦っている間にそうなった。レオナールの奮戦とカタリナの参戦がなければ全滅もあったのかもしれない。近衛の重装騎士は脅威だ。

 もはや状況は犠牲を避けられる段階にない。近衛師団を撃破しなければならない。

 同様の結論に至ったらしいレオナールが負傷者の手当をしているミラベルへ向かって告げた。

 

「俺に九天(ナインズ)と水星天騎士団の指揮権を預けろ。この戦いはお前の手に余る」

「……」

「まさかこの期に及んで継承戦を続けるとは言わんだろう。俺にもその気はない。つまり、お前が武力を持つ必要は無くなった。代わりに決着を付けてやる。ここは任せろ」

 

 確かに戦闘規模を考えるとレオナールに任せるのが妥当だろう。本人は明言しないが、ミラベルにも小規模な戦闘指揮の経験くらいはあると俺は見ている。しかし、今回は本格的な市街戦だ。集団戦闘の専門知識と実戦経験が要求される。言うまでもなくミラベルにそんなスキルはない。その点、戦場に出ているレオナールは本職であり、俺の見る限りは将器も備えている。

 この提案は理に適っているし、もしかするとレオナールなりの思いやりなのかもしれない。十代半ばの小娘にこれ以上の重責を担わせまいとしているのかもしれない。

 恐らく、この戦いで潰える敵味方の命はこの場の十や二十では済まない。レオナールにはそれが見えている。決断を下すことで何を失うのかも分かっている。もし誰かが下さなければならない決断なら、自分であれと願うのではないだろうか。

 王たらんとする者であるのなら。繋がりが薄いながらも兄であるのなら。そんなふうに、俺は何となく思う。

 だが美貌の皇女は首を縦に振らなかった。

 

「いいえ、お兄様。この場は私が責任を持って叛徒を鎮圧してみせます」

 

 怪我人の手当を済ませて立ち上がったミラベルの顔は、何の迷いも浮かべてはいない。力強く言い切り、倒れ伏した近衛の騎士に視線を送る。

 

「たとえアーネストに与していようと彼らも我が国の騎士です。こんな戦いで散らせていい命ではない。ですが、お兄様。あなたはひとり残らず逆賊として殲滅するおつもりなのでしょう」

 

 事実なのだろう。レオナールから否定の言葉はなかった。

 勝ち負け以前に、彼の中でそれは大前提だったに違いない。

 非道ともとれる姿勢だが、戦場の常として考えるのであればむしろ自然だ。敵を打ち漏らせば次は背中を刺される。

 しかし。

 

「ではこう言います。これ以上騎士を失えば、皇国の戦力低下は無視できないレベルになります。東方連合(イーストアライアンス)との戦いを控える今、この継承戦まで戦争(・・)にしてしまうわけにはいきません。違いますか?」

 

 ミラベルが咄嗟に捻り出しただろうこの理屈も正しい。

 竜種や継承戦絡みで九大騎士団はガタガタだ。月天騎士団と土星天騎士団は壊滅状態、木星天騎士団は離散して事実上消滅している。既に九大騎士団のおよそ三分の一が機能しない状況にあるのだ。

 よしんば近衛師団とアーネストをこの場で葬り去ったとしても、こちら側――水星天騎士団にも相当数の犠牲が出るのは確かだ。内紛でそれほどの騎士を失うなどと、もはや看過できる被害ではないだろう。僅かに考える素振りを見せたレオナールも無表情で頷く。

 

「一理はある。建前だとしてもな。だが一理しかない。そんな甘い夢のために俺の部下を死地に追いやれん。お前たちだけでやってもらうぞ」

「承知しています。ありがとうございます、お兄様」

 

 間髪入れずに頷くミラベルには迷いの色は一切ない。その様を見たレオナールは終始固めたままだった顔をようやく崩し、僅かに笑みを浮かべた。

 

「マリアージュもお前も吹っ切れた顔をしている。やはりお前たちは欲しいな」

「もし王になられるのなら、なってから如何様にも招聘なさればいいでしょう? 街の門番と修道女ごときは」

「では、そうしよう」

 

 負傷した配下の騎士達を連れ、レオナールは得物を片手に去っていった。恐らくは外で戦うのだろうが、こちらの希望を聞いてくれるというよりは単に自分の敵を蹴散らしに行くといった雰囲気である。

 

「放っといたらあいつらだけでも近衛を全滅させそうだな」

「それはさすがに難しいでしょうが、少なくとも心配は要らないと思います。それよりも……」

 

 俺の率直な感想に苦笑で応えたミラベルは、気まずそうな顔で自分の肩を抱く。

 

「……その、先程は失礼なことを言いました。ごめんなさい」

 

 何のことかはさっぱり分からない。

 分からないので、素直にそう言うことにした。

 

「んー、よく分からんが、俺のハチャメチャな言動に比べたら大したことないだろ。それに、火葬(クレメイト)を気持ち良く処分してくれたのは嬉しかったし感謝してる。俺だってあんな思い切りよくは壊せなかったんだ。だからまあ、礼を言うことはあっても謝られる筋合いはないよ」

 

 もう取り繕ったり格好をつけても仕方がない。ただの高梨明人にとって、ミラベルはそういう相手になった。

 

「……ありがとうございます、タカナシ様」

 

 その少女は安堵した様子で綺麗な顔を少しだけ緩ませるのだが、それだけで妙に落ち着かない気分になる。柄にもなく照れているのか、と考えてみるものの、自分がそこまで落ち着きのある人格でもなかったことを思い出す。

 

「礼を言われる筋合いもないんだけどな」

 

 いや、事実を受け入れなくてはならない。俺は照れていた。

 受け入れた上で前に進むのだ――などとそれっぽく決意を新たにして、俺は吹っ飛んだ議場の扉を――その先に広がっているだろう戦場へ目を向ける。

 近衛との戦闘、アーネストの追跡。両天秤に掛けるわけではないが、俺の身はひとつしかない。やはり、全てを選べるわけではない。

 

「俺はアーネストを追いかける。あの深手だし大丈夫だとは思うが、まだマリーに任せるのは不安もある。あの魔法は絶対に逃がせない」

「分かっています。完成した火葬(クレメイト)……マリアージュが(スルト)と呼んでいた立方体ですね」

「ああ。あれは野心のある人間の手にあっていいものじゃない。完全版なら尚更、完全に葬り去らないと」

「はい。では私も……」

 

 ついて来る、と言おうとしたのだろう。ミラベルはそこで言葉を詰める。

 誰かが水星天騎士団の指揮をとらなければならない。副団長のガルーザ卿は野営地に居るだろうが、少し距離がある。異変を察知して向かってきてはいるだろうが、今すぐに議場周辺の隊の指揮ができるとは思えない。かといって放棄もできないだろう。

 指揮能力の有無だけで言えばレオナールの離脱が惜しい。あとは――

 

「あなたが戦いながら指揮を執ればいいでしょう」

 

 カタリナか、と思ったところで当の方人がやって来て呆れ顔でそんなことを言った。俺はあんぐりと口を開けるしかないのだが、

 

「あなたに組織戦闘の経験があるのはアズルの一件での手際を見ても明らかです。片手間でだってやろうと思えばできるはずです。素人に毛が生えた程度のわたくしやミラベル殿下より適任ですわ」

「いや、しかしだな……」

「まさか議論の余地があるとでも? 今はそんな場合じゃないでしょうに」

 

 いいからやれ、と言わんばかりにカタリナは伝声術の光球を指で弾いて俺に寄越した。遺憾ながら正論ではあるので、俺もミラベルも顔を見合わせて頷くしかない。

 このタイミングで伝声術を回してくれる人間の心当たりが他になく、俺は彼女の名を呼んだ。

 

「ドネット、状況を教えてくれ」

『あー、やっと出たか、坊や。待ちかねたよ』

「すまん。色々立て込んでるんだよ」

『だろうね。いきなり街は騎士だらけだわ、空には変なものが浮いてるわ、こんな乱痴気騒ぎにあんたが関わってないわけがない』

「俺を何だと思ってるんだ……?」

『アズルに一緒に行った騎士には全員伝声術を繋げてある。必要だろうと思ってね』

 

 俺の心からの問いには答えず、通話相手のドネット女史は淡々と述べ始める。

 追及している時間もないので俺も歩きながら話を続ける。

 

「さすが。お察しの通り、指揮系統は流用する。前回と同じ要領で中継を頼む」

『了解。他に何をして欲しい?』

「マリーの居場所を。あと例の探知魔法で空に浮いてるやつの高度を測ってくれ。なるべく正確に」

『高度……アレと地面との距離ってことかい?』

「そうだ。あと、もしアレが地上に降り始めたら教えてくれ」

『わかった』

 

 現界(セフィロト)の人間にはやや難解な話かと思ったが、ドネットは明瞭に返事をした。どう考えても俺より高い頭脳を有している。彼女が味方側に居てくれるのは、もしかするととんでもない幸運なのではないだろうか。それこそ能力的にはどこかの組織に招聘されそうな水準にあると思うのだが、彼女は未だ謎多き女医のままである。

 そんな思考をカタリナの補足説明が遮った。

 

「うちの従業員……九天(ナインズ)に関しては勝手にやらせておいて問題ないと思います。あと、どう出るか分からないのは……」

「こっち見ないでくれるぅ? どう出るもなにもこうなったらアンタらと一蓮托生でしょうよぉ」

 

 精魂尽き果てたといった様子のイヴェット殿下がいつの間にか近くに寄って来ていた。お供の術師の数が大きく欠け、本人も擦り傷程度の負傷をしている。彼女が戦っている場面を見たわけではなかったのだが、被害を出しながらも近衛を撃退したようだ。

 俺の視線に気付いたイヴェットは、意外と悪感情の感じられない、むしろ好意的な柔らかい表情で視線を返してくる。

 

「アンタが指揮執るんでしょお。だったら早く指示出しなさいよぉ」

「え、ああ……といっても病人だしな」

 

 しかも俺のせいだし、と言外に付け加えるのだが、ご本人はやはり文句も言わずに言葉を待っている。

 お付きの人達の状態を考えても無茶はさせられない。

 

「カタリナ、イヴェット殿下と一緒に議場内の他の人達を守ってくれ。マック……マクシミリアン氏を失うわけにはいかない。ここでのやり取りの証人にもなる」

「ええ?」

「自称非戦闘員だしな……何とか守ってやってくれ」

 

 露骨に顔しかめるイヴェット殿下。

 見ればカタリナも表情こそ変えないものの、少し嫌そうな目をしている。彼が自分の言うとおりの無抵抗主義者であれば筋の通る話ではあるのだが、普通に考えれば彼なりの備えはしていたはずで、それをまだ見せない辺りに不信感があるのだろう。

 

「わお! ありがたいね! さすがだ剣の福音!」

 

 どこかの議席の下に隠れているだろうマクシミリアンの歓声を聞き流し、俺とミラベルは足早に議場を後にする。マクシミリアンはさて置き、カタリナとイヴェット殿下に任せれば議場は大丈夫だろう。

 壊れた扉を飛び越え、同じように飛ぼうとする淑女らしからぬミラベルに先んじて手を差し伸べつつ、伝声術の光球に声を掛ける。

 

「傾注。こちらはセントレア番兵団のタカナシ。非常事態につき代行としてミラベル殿下より指揮権を移行、臨時行使する。各位、応答されたし」

『……団長代理!』

 

 何も言わずともドネットは繋げてくれているだろうと踏んだとおり、戦闘の最中だったのだろう。剣戟の音を伴った声が返ってくる。

 覚えのある高めの声、モイラ嬢だろう。他の団員もまばらに応答が返ってくる。数えると少し足りないことにやや焦りが生まれるものの、それは表に出さずに言葉を続ける。

 

「皆すまない、また力を借りる」

『そんな……私達こそ力不足で……っ!』

 

 辛そうな声のモイラが気にかかったが、壮年の騎士の声が割り込むように混じる。

 

『そりゃ言いっこなしですぜ! 向こうさん、空から降って来ていきなり襲い掛かってきやがって……あっちこっちで乱戦になっちまってます! こいつら何なんです!?』

近衛(ロイヤルガード)。よく知らんが、中央の騎士だそうだ」

『あいつらッ、よりによって近衛師団ッスか!?』

 

 今度はヘッケル君だろう。息が荒いあたり、彼も戦闘中と見える。

 時間が惜しい。一人一人をケアする余裕はない。

 

「詳しい説明は終わってからだ。まず、それぞれバラバラに応戦せず先に合流してくれ。一対一で当たるのは原則として禁止する。交戦が避けられない場合は議場を背にする形で退き気味に戦うこと。近衛は足が遅い。撒けないことはないはずだ」

 

 市街戦なら尚のこと。

 撒くための障害物はいくらでもある。これが都市防衛の戦いなら街を守るために戦わなければならず、退くに退けない状況は往々にしてあるのだが、今回は違う。近衛の目的は水星天騎士団の排除、議場の制圧といったところだろう。もしかするとアーネストが撤退の判断を下すかもしれないが、広域にわたる集団戦闘の場合、指揮が即座に反映されるとは限らない。伝声術で指揮系統を効率化していなければ。

 

「ああ、あと、近くに話の通じる九天(ナインズ)が居たら頼っていい。敵の練度は高いが連中と比較になるほどじゃない。話が通じない奴は勝手に盾にして構わない。とにかく単独で当たるな。くどいかもしれないが、それがまず最優先だ」

 

 後で九天(ナインズ)の連中に怒られるかもしれないが、それは俺が怒られればいいだけの話である。

 敵を殺すな、とまでは言わない。そんな余裕は水星天騎士団にはないだろうし、それでこちらに被害が出ては意味がない。退き気味に戦う指示を出したのは双方に被害が出にくい唯一の方策だからだ。

 

『了解しました、団長代理。分隊の皆にも伝えます』

「助かる」

 

 苦笑の気配を滲ませつつも、幾分か落ち着いた調子の騎士の声が返ってきた。こういう時は誰でもいいから率先して肯定してくれると話が纏まりやすい。

 最低限の指示を終えて、手を引くミラベルの顔を見る。無言で頷き返してくれるのを確認する限り、少なくとも異論はないらしかった。

 小走りに議場の外へ出つつ、大きく息を吐く。目の前に広がった街路の端々で戦闘の気配がする。

 

「ドネット、マリーの位置は」

『南の街区。一直線に誰かを追ってるっぽいよ。あと、サリッサが同行してる』

「サリッサが? 運がいいな。だったらまず問題ない」

『そうとも言えない。近くにおかしなの(・・・・・)がいくつか居る。どいつもまともじゃあないね」

「まともじゃない?」

『まずマリーと同レベルの異常な魔力反応が片っ端から暴れてる。んで別口、マリーの倍はあるデカい魔力反応が異様に高速で移動してる反応と戦ってるな。あとは……ベーカリーの怪物も混じってるか。南の街区は魔窟だよ』

 

 マリーの倍。

 聞いたミラベルが眉をひそめる。当然だ。彼女らの魔力だってそこらの魔術師が数十、数百束になってようやく同等といった水準になる。その倍となると、個としての生命の限界を超えている。たしかに、どう考えてもまともではない。

 

 いずれにも心当たりがないが、消去法で考えればあるとも言える。

 問題は、誰が味方で誰が敵かだ。

 

「火中の栗を拾うぞ。南に向かう」

「お供します」

 

 頼もしく応えてくれるミラベルを連れ、愛剣を片手に走り出す。

 アーネストと戦った際に覚えた信頼感は、戦いを経てより強固になっている。彼女と共に戦えば、誰を相手にしても負ける気がしない。そう思っていた。この時は。

 

 

 誰しもに、いつか負ける時が来る。

 俺はそれを知っていた。対峙した数多の人間達が俺に示したように。最強という言葉が仮に一環境のもとで成立したとしても、別の側面から見れば最も強いとは限らない。チェスで強ければ将棋でも強いかと言われればそうではないし、歳を重ねれば衰えて敗れることもあるだろう。体調などの条件面にも左右され得る。運もある。どんな人間もいずれは敗れる。無敵の存在など、この世のどこにも居ないのだと、俺は理解していた。

 

 俺はちゃんと知っていたのだ。

 常に勝ち続けられる人間など、居ないのだと。

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