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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
四章 竜殺し
173/321

30.渦より来りて②

 火葬(クレメイト)の存在が大前提だったこの会合で、まさか当の火葬(クレメイト)が文字通りに打ち砕かれてしまうなどと誰が想像できただろう。

 複製は存在しない。製作者だという皇帝(カレル)以外で唯一、完全な術式を把握しているであろうカタリナはそれを明かすつもりなどないはずで、そもそも彼女ですら触媒になっていた赤い立方体を製造できるかといえば、それはノーだろう。織り込まれていたらしい術式の密度を考えると集積回路並の工作精度が必要だ。それほどの技術を持っているのはおそらく魔導院だけだろうし、そう易々と量産できるものでもないに違いない。

 皇帝(カレル)が他に所持している可能性はそれなりに高い気はするが、皇都の上層(アッパーフロア)に保管されている分には流出する可能性など皆無だ。

 

 つまり火葬(クレメイト)は失われた。

 少なくとも、この場からは。議論の余地すらなく完全に。

 

 参加者達、というより皇族の付き人達がそれを理解したのは、ミラベルが立方体をかっ飛ばしてからたっぷり十数秒経った頃だ。悲鳴や怒号じみた声までもが飛び交ったが、別人のように開き直ったミラベルから「うるさい木っ端」だの「黙ってろ三下」だのと鋭く罵倒されるに至って全員が撃沈した。とはいえ、彼らが沈黙したのは肝心の皇族達が一人を除いて目立った難色を示さなかったのもあるだろう。

 

 その目立った難色を示している唯一の皇族、カイゼル髭の男マクシミリアンは左のこめかみのあたりを押さえながら唸った。

 

「なんてことをしてくれるんだミラベル……まったく君ときたら昔から……!」

「はっ、そんなに欲しけりゃ自分で取ってくればいいでしょ、ヒゲ。どうせ魔導院か天の館(ノーアトゥーン)に何個かあるわよ。取りにでも行けば」

「ぐっ……ミラベル、いくらなんでもその態度はないだろ……!? 事の重大さが分かってないのか!? 火葬(クレメイト)がどれだけの――」

「はあ、実質何もしてないヒトに言われたくないんですけど」

「うぐっ」

 

 一方のミラベルはもう完全に拗ねモードというか素になってしまっている。まともに取り合う気もないらしい。まだ辛うじて議席に収まってはいるが、それも足組などをしてぞんざいに腰掛けているというだけで、もう会合に参加するつもりはないようだった。

 俺としても、もう皇族達に用事がない。言いたいことは全部言ったしやれることはやった。その上でまだ揉めたいというのなら、もう勝手にしてくれというのが正直なところだ。

 とはいえ、この期に及んで継承戦が続くということはほぼ無いと俺は踏んでいる。少なくとも、取引に応じたマクシミリアンとイヴェット、そして全員の同意を得て皇帝に推挙されるレオナールには続行する理由がない。

 あとは――

 

「アーネスト」

 

 俺が声を掛けるよりも先に、今の今まで傍観の立場を崩さなかったレオナールがその男を呼んだ。

 

「お前が何を企んでいたのかは知らんが、競り合いたいならいつでも相手になろう。無粋な魔法や姑息な策など使わず、堂々とかかってくればいい」

 

 その率直な物言いには舌を巻く。やや好戦的に過ぎるきらいはあるが度量の大きさはかなりのものだ。王の器なのかどうかは俺には分からない話だが、少なくとも将器は備えているように思えた。

 だが、対する彼もまた将の器ではある。

 

「さて、なんのことかは分からないが……」

 

 火葬(クレメイト)を粉砕された際の衝撃はどこへやら。アーネストは温容な表情を取り戻していた。

 まだ余裕がある。そう感じられる態度に俺は警戒を強める。火葬(クレメイト)がミラベルに使わせるのが彼の狙いの筈だが、それが潰えても動じた様子がないというのは些か以上に不可解だ。薄気味悪くさえある。

 だが、彼にとって今の状況は最悪の筈だった。レオナールだけではなく、ミラベルとカタリナも彼に露骨に険のある視線を向けている。マクシミリアンとイヴェットは状況を把握していないだろうが、レオナール達の様子を見れば察しもつくだろう。

 つまり、彼の立場はかなり危うい。この場でアーネストに対する弾劾にまで事が及ばないのは、単に確証が無いからだ。だがこの会合以降、何かがあれば即座に疑われるのは彼になる。それが分からないほどアーネストも鈍くないはずだった。

 

 故に。

 

「……いやはや、うまく運ぶと思ったんだがね。まあ、こんなこともあるのかな。まさか青臭い伝説の英雄にここまで引っかき回されるとは。これでは計算も何もあったものじゃない」

 

 彼は穏やかな顔のままで、観念したかのようにそう言った。

 そう。彼はどんな形であれ打って出るしかない。

 青臭い英雄であるところの俺も応じる。

 

「ミラベルに火葬(クレメイト)を撃たせて、あんたに何の得があったんだ」

「私の? いやいや、私の得などではないよ。別にミラベルでなくても良かったし、ちょうど彼女が適任だったからそう計らっただけのことだ。ほど良く賢く、ほど良く感情的で、ほど良く弱い夢見がちな女の子がね」

「……なんですって?」

 

 アーネストはミラベルの怒りの声には反応せず、緩慢な動きで席を立った。

 そして、卓を指の背で叩きながら言葉を並べる。

 

「考えてもみたまえ。火葬(クレメイト)の威力は戦術の域を超えて戦略の域に達している。一個の戦場どころか戦争そのものの趨勢さえ決めるものだ。あれがあれば兵士や騎士が槍や剣を振るって戦う野蛮な時代は終わる。そこにあるのは全ての人々が安寧を甘受する新たな時代だよ。私にとってはそういう未来こそが好ましい。それを私の得だと言うのならそうなのかも知れないが」

 

 聞こえの良い部分だけを並べている感は否めないが、内容自体は間違いではないだろう。桁違いに強大な力があれば、細かな争乱を抑え込めるという考えだ。

 だが。

 

「誰かが撃ち、誰かが世界に知らしめればいい。神の雷はあるのだと。裁きはあるのだ、とね。その一撃をミラベルに撃って欲しかった。私は彼女なら聖女になれると確信していたよ。しかし、どうやら見込み違いだったようだ」

 

 ――ここに欺瞞がある。

 もっともらしいことを言うアーネストに、俺は無造作に言葉を放る。

 

「だったらどうして自分で撃たない。だいたい、その安寧とやらを甘受するのはあんたの側に立っている人間だけじゃないのか。今の皇国(ウッドランド)と何が違う」

 

 巨大な軍事力を背景に大陸を飲み込みつつある皇国は、自国民に対しては良い国であり続けている。だが他方で、皇国以外の国から見れば悪の帝国以外の何者でもない侵略国家だ。その歪な在り方が、東方連合(イーストアライアンス)というまとまった敵を生んでしまった。

 人間という生き物は、安易に他者と迎合するようにはできていない。抵抗もするし反発もするものだ。争乱はその発露の形のひとつに過ぎない、ごく自然なことだ。それを力で押さえつけようとしても、余計な反発と軋轢が生まれるだけだろう。まるでバネのように。人は争う生き物だ。

 

 だがアーネストは、第二皇子は言う。

 

「違うとも」

 

 微笑を浮かべたままで、当然のように言い切るのだ。

 

異邦人(エイリアン)は人間ではないんだよ、タカナシ君。私にとって人間とは皇国の民のことだ。それ以外は違う。人語を喋る害獣のようなものだ」

 

 俺は――ただ、絶句するほかない。

 この男はいったい、何を言っているのか――

 

「連中は野蛮で、知能が低く、それでいて欲望には忠実で、自分達が弱者であるという事実は認めず、そのくせ都合のよい時にだけそのように振る舞い、放っておけば勝手に増えて、いつまでも主張と要求を繰り返す。さて、これをどうして人間と呼べよう。犬や豚でももう少し上等な生き物ではないかね」

 

 アーネストが吐き出す彼の理屈が、議場内の少なくない人々の表情を陰らせていく。皇国の側に立つ人達でさえ顔をしかめてしまうほどの強烈な歪みと磁力とが、彼の言葉にはあった。

 

「皇都の最下層(ゲットー)を見たまえ。皇帝陛下のやり方は少々、我が国の負担が大きい。骨を折ってまで連中を皇国に迎え入れる必要はない。利益もない。なら焼き尽くして根絶やしにした方がいいだろう。害獣は効率的に駆除しなければ」

 

 この男は放置してはならない。

 俺はそう理解した。

 だが――

 

「……ご生憎様。アンタの思い通りになんてならないわ。何一つね。火葬(クレメイト)はもうない。それとも、クソ親父のところから自分で取って来る?」

 

 そうだ。

 アーネストを指して憤激するミラベルの言う通り、火葬(クレメイト)は彼の手にない。そもそも何故、それほど重要視している火葬(クレメイト)を俺達に委ねたのか。何故わざわざ彼女に撃たせようとしたのかがまだ見えない。

 彼が言うように自国の利益の為に火葬(クレメイト)が必要であるのなら、自分の手元に置けばいいのだ。表向き協力するふりをしてミラベルの信用を得ようとしたとも考えられるが、せっかく奪取した火葬(クレメイト)を手放すリスクとは見合わないように思える。

 いったい、なぜ彼は自分で使わなかったのか。

 

「そんな必要はないよ」

 

 目の前の現実を咀嚼するのに、俺は数瞬を要した。

 最大の疑問の答えは、あまりにも呆気なく提示された。

 

 薄く笑うアーネストが懐から取り出したのは、まさしく。

 ミラベルが砕いたはずの赤い立方体。

 

 

 火葬(クレメイト)の術式媒体――だが、何故――

 

 

 アーネストが火葬(クレメイト)を手にしていたのは、魔導院で立方体を入手してから、俺達がセントレアに帰り着くまでの僅かな時間だけだ。その僅かな時間で複製を作るなんてことは絶対に不可能だと断言できる。

 ならば偽物(ブラフ)か。そう結論付けようとして、アーネストが持つ立方体を注視する。色と形状、帯びた魔力の感触。記憶にある立方体と寸分違わない。有り得ない。

 

「まさかっ!?」

 

 未だ混乱の最中にある俺の耳に、身を乗り出したカタリナの悲鳴のような声が届いた。彼女の両目は仄かな光を帯びている。叡智の福音の権能――

 

「アキト! あれは完成した術式(・・・・・・)です!」

 

 その一声の直後、

 俺が反射的に愛剣の柄に手を掛けるのと、アーネストが術式を起動(・・)させるのはほぼ同時だった。

 いかなる力によってか、第二皇子の掌に収まっている立方体は赤い光を明滅させながら形を変える。ゼンマイ仕掛けのような一定のリズムで、複雑な変形段階を経て切頂八面体に。そして表面を縦横に走る幾何学的な紋様がはっきりとした光彩を帯びるに至り、変化は終わった。

 

 議場を静寂が満たした。

 誰一人、動かない。

 

 俺も動けないでいた。

 この距離では撃てないはずだと分かっていても。

 

「……賢明だ、剣の福音。君達には動くな、と言わせてもらうところだったからね。無論、私も君達と心中は御免だから、ここ以外のどこかを焼くことになるだろう。できれば私もそれはしたくない」

 

 ただ、赤く輝き続ける光を手にした笑顔のアーネストと、動揺する素振りを見せながらも彼に追従するエニエスだけが議席から歩き出した。

 カタリナが解析した不完全な火葬(クレメイト)は不発の可能性を孕んだ試作品に過ぎなかった。射程も十分な長さとは言えないもので、実用面では改良の余地を多分に残していた。が、アーネストが手にしている火葬(クレメイト)は違う。()を使っているカタリナがあれを完成品だと言うのなら、欠点が解消されている可能性は高い。

 果たしてどこまでが射程圏内に収まるのか、そしてどれほどの威力があるものなのかが不明である以上、迂闊に手を出すのは危険だ。

 

 アーネストの余裕の正体はこれだ。

 謎の、二つの目の火葬(クレメイト)

 いったい、彼はそれをどこから入手したのか。

 

 刹那の間に考察し、あらゆる可能性を模索する。

 片方が完成品、もう片方が未完成。

 魔導院から奪取したものと、もうひとつ。

 見た目は同じ――――まさか――――

 

 

 結論を導き出し、俺は大きく息を吐いた。

 悠然と議場を歩くアーネストから視線を向けたまま、口を開く。

 

「あんたは……最初から持ってたのか、未完成の火葬(クレメイト)を」

「……ほう? さすがに察しがいいね」

 

 コツ、と木床を踏み鳴らし、アーネストは感心した様子で立ち止まった。

 やはりそうだ。俺は歯噛みする。

 

「そうとも。魔導院で我々が奪取したのがこの火葬(クレメイト)だよ。そして君達に渡したものは私が元々持っていた不完全な術式だ。実は実験をして何度か試したんだが、なかなかうまく起動しなくてね。微妙に困っていたんだよ」

 

 カタリナの解析によれば、未完成の火葬(クレメイト)は核分裂反応を引き起こす部分、つまり異界(クリフォト)の核兵器の理屈で言う爆縮の部分にも難を抱えている。使えないわけではないだろうが、確実性に欠いた試作品に過ぎない。

 

「……で、あんたは完成品を求めた。首尾よく魔導院で手に入れた後、不要になった未完成品とすり替えて俺に渡したんだ」

「そのとおり。君のおかげで(・・・・・・)完全な火葬(クレメイト)が魔導院にある確信も持てたからね。後はまあ、実験の延長でもあり……保険みたいなものかな」

 

 なおも笑いながら、アーネストは語る。

 

「君達、というよりミラベルが不完全な術式を運用してくれればデータも採れるし、何よりこちらとしても火葬(クレメイト)を使いやすくなる。何も知らない者達からすれば、全部ミラベルがやったと思うだろうからね。いくら陛下や竜種(ドラゴン)が邪魔でも、さすがに良識ある私が自国領を攻撃するわけにはいかない」

「……っ!」

 

 その口ぶりはまるで、ミラベルを隠れ蓑にして自国領を攻撃するつもりだったと言わんばかりのものだった。

 事実、そうに違いない。もしミラベルがロスペールを火葬(クレメイト)で焼いた後、皇都で同じことが起きたなら。真っ先に疑われるのはミラベルだったはずだ。二つ目の火葬(クレメイト)の存在が明るみに出なければそうなっていたに違いない。聖女だの竜殺しだのと祭り上げておいて、盾や隠れ蓑として体よく使い潰すつもりだったのだ。

 

「ただまあ、こうなっては仕方がない。君達にはもう用途がないし、じきに視準器(コリメーター)が来る。一戦交えるには少々戦力が心もとなくてね。すまないが、私はそろそろ失礼させてもらうよ。もう会うこともないだろう」

 

 視準器(コリメーター)。未知の単語だった。文脈からしてアーネストと敵対している「何か」のようだが、俺の記憶に同様の言葉は存在しない。

 何にせよ、彼はその視準器(コリメーター)を忌避しているらしい。そのまま悠々と議場を後にしようとした。その時だった。

 

「待てッ!」

 

 我ながら信じられないような声量が喉から迸った。

 怒りか、驚きか。情動の冷めやらぬままに、背を向けたアーネストに問う。

 

「俺のおかげだと言ったな!? あんたは……魔導院で何が起きるか知ってたんだろうが! なのになぜアニエスがあんたの傍に居ない! なぜスキンファクシの艦内に月天の騎士が居ないッ!?」

 

 無意識の叫びだった。

 問うまでもなく分かっていた。

 

「……ふむ? 何を言うかと思えば、おかしなことを」

 

 振り返った男は何も変わらない、呆れたような笑みを浮かべたままだ。

 そして言うのだ。本当に不思議そうに。

 

 

「君の言った未来をなぞれば完全な火葬(クレメイト)が手に入ると分かっているのに、どうしてそれをわざわざ変えなければならないのかね?」

 

 

 二月前、俺は未来を変えたつもりでいた。

 タイムパラドックスの結果として何かしらの大きな変化、或いは衝撃が訪れるだろうと構えていた俺は、しかし、決定的な行動を起こした後も何も起きないことを大いに訝しんだ。

 だが当然だ。未来は変わってなどいなかったのだ。

 魔導院での戦いは俺が知るものと同じ、或いはほぼ同じ流れを辿ったに違いない。

 忠告を受け取ったはずのアーネストがそれを止めなかった。

 それどころか、ことによると助長さえした可能性がある。

 

 いや、しないわけがない。

 この男ならば。

 

「うん……? ああ、そうか。君はそういう時、人命を優先するのだったね。しかしそれは効率が悪いだろう。よくそれで救世が務まったものだ」

 

 皇国の民以外は人でないと宣ったその舌の根が乾かぬうちに、ここまでを言う。

 この男は、アーネストは、そもそも人の命などどうとも思っていないのだ。敵も味方も、民も兵も一切関係なく。

 このまま議場を後にしたアーネストは、自分で火葬(クレメイト)をロスペールへ使うだろう。もしかすると皇都にも。抵抗する諸国に対しても使い続けるに違いない。

 

 それだけは絶対に阻止しなければならない。

 

 愛剣の柄を握る手が、怒りに打ち震えて力を増していく。

 もし、アーネストの手にある火葬(クレメイト)が起動状態でなければ、剣の福音の変則発動――早送り(ファストフォワード)で斬りかかることもできたかもしれない。しかし、彼がどのような行動に出るか分からない以上、容易にリスクは冒せない。

 加えて、俺の様子を見取った軍服の女騎士、エニエスがアーネストの前に立ちはだかった。彼女がアーネストの所業――妹であるアニエスへの仕打ちを承知の上で彼に従っているのかどうかは判断が付かない。しかし、少なくともその剣腕は、彼女を無視して即座にアーネストの手首を飛ばすといった真似を許さないに違いない。

 

 だがもし。彼女を抜き打ちざまの一撃で殺せば、もしかすると返す刀でアーネストに致命傷を与えることもできるかもしれない。

 アーネスト自身の技量がどれほどのものかは不明だが、エニエスの技量だけを考慮するなら十分に可能性はある、

 

 そうすべきなのかもしれないと、俺は本気で逡巡した。

 ここでこの二人を殺せば、少なくとも人々が火葬(クレメイト)の犠牲になることはない。ハリエットや木蓮(マグノリア)の無念を晴らすこともできる。

 だが、そこにいったい何の意味がある。

 

「やめてください、剣の福音……! あなたと戦いたくありません……!」

「……君次第だ」

 

 俺は、細剣(レイピア)を抜いて後退るエニエスに掠れ声で返すのがやっとだった。

 応答はない。俺と同等の迷いを見せながらも、エニエスはアーネストを庇う位置を外れない。彼女は正しく騎士で在り続ける。そんな俺とエニエスを、アーネストは戸口に向かって歩きながら小馬鹿にしたような目で見ていた。

 その歩みを止められるものはない。誰もがそう思っていた。

 業腹ながら、俺もそうだ。愛剣の鯉口を僅かに切った俺と、相対するエニエスとの間に不可視の緊張が高まる。

 だが、火蓋が切って落とされる直前、こちらに背を向けたアーネストが戸口の手前で足を止めた。

 

 誰もが彼女を計算の外に置いていた。

 この場に居ながらにして、終始、一切の発言を行わなかった彼女を。

 

 しかして、彼女は最初から堂々と背筋を伸ばし、閉ざされた扉の前に立っていた。

 怯えて身を隠すこともなく、何者に助けを求めることもなく。あたかもそれが当然であるかの如く、あたかも、それが正しいのだと叫ぶがごとく。

 

 上等な砂糖菓子もかくやという白い掌で、まるで似つかわしくない粗末な鉄剣を彼女は抜き放つ。この議場に存在したありとあらゆるしがらみも、目の前の男が持つ破滅の光さえも、まるで目に入っていないかのように。

 

 輝かんばかりの金の髪と、全く丈の合わない青の外套(コート)とを翻し、

 彼女は告げる。静かに、力強く。

 

 

「この街の扉が犯罪者の為に開くことはない。ここは通行止めだ、次兄殿」

 

 

 

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