28.英雄でなく
突然の柏手によって皇族とその従者たちの視線を集めることに成功した俺だったが、当然その行為はあまり褒められた類のものではなかっただろう。ほぼ乱入に近い形で割って入った部外者の姿を、歓迎の色で出迎えた人間は二人しかいない。
赤い眼鏡の奥、どこか安堵したかのような顔で俺を見るカタリナ。そして、いまや不敵とさえ取れる柔和な笑みを浮かべたアーネストだ。
いや、まさしくそうなのだろう。彼は、俺の強引な闖入に面食らっているその他の皇族とは明らかに異なる空気を纏っている。
継承戦の終了を仕掛けたのが俺であるのなら、この火葬の使用に関する提案は彼が仕掛けた「攻撃」と言える。その狙いに俺を引きずり出すことが含まれていたかは不明だが、予想の範疇ではあったに違いない。
ミラベルは――輝く霜柱のような銀の髪の向こう、破れんばかりに目を瞠っていた。その表情が、胸の前で固く握られた手が、彼女が直前まで喉に詰まらせていた言葉を如実に物語っている。
再び首をもたげた怒りを鎮める為、俺はゆっくり肩を回した。
そうして深く息を吸って、吐く。
やや冷えた頭で言葉を僅かに捏ねてから、声を発した。
「発言の許可を」
どうにも冷静になりきれないらしく、自分で意図したほどの声量は出なかった。
応じたのはマクシミリアンだった。既に顔見知りであることを隠そうとするかとも思ったが、彼は意外にも堂々としていた。
「はあ……わざわざ出てきたということは止めても無駄なんだろう。好きに喋りたまえ。とはいえお手柔らかにお願いしたいところだが……」
「無理だ」
端的に答えると、マクシミリアンは肩を竦めながら背もたれに倒れた。本人が言うように口を挟む気はないらしい。引き攣った笑いで硬直しているイヴェットは放置で良いだろう。あとはレオナールだが、俺の視線に鷹揚に頷くだけで彼にも非難の意思は見られない。
これを以て全員の同意を得たものとして、俺は口火を切る。
「では、まず私からこの場の全員に質問をさせて頂く。今の段階で異界の実在を少しでも疑問視している者は挙手をお願いしたい」
そもそもお前は誰だ、といった類の野次に近い声は完全に無視し、まばらに挙がった手の数をざっと数える。主に皇族の従者連中のもので、肝心の皇族達で手を上げているのはイヴェットだけだった。俺は芝居がかったオーバーな動きで大きく頷く。
「承知した。では、代表としてイヴェット殿下」
「……?」
「疑念を払拭させて頂くため、後日あなたを異界にお連れする」
――その瞬間のどよめき、混乱は俺の想像を遥かに超えていた。
イヴェットは弄んでいた頭蓋を取り落とした。未だ平静を崩していなかったレオナールが驚愕に目を見開き、マクシミリアンが腰を浮かせる。
先程から余裕を見せていたアーネストでさえ、薄い笑みを浮かべたまま忘我しているように見えた。それも一瞬ではあったが、俺は畳み掛けるように話を続ける。衝撃から持ち直す隙など一切与えない。
「これで信憑性の問題とやらは解決とさせて頂きたい。が、もしかするとこの中には我こそはと思う者も居るかもしれない。しかし私に交渉を持ちかけるより先に、まず代表たるイヴェット殿下と話し合って頂きたい。また、お連れできるのはお一方まで。こちらとしては折り合いが付けば誰でも構わないことも先にお伝えしておく」
などと俺が喋っている最中も議場は大混乱だった。
信心深そうな魔術師が何やら悲壮な面持ちで祈りを捧げていたり、他方では俺を指して唾でも飛びそうな勢いで何事かを喚いている騎士、頭を掻きむしりながら大声で部下に何事かを指示する従僕などが居る。まるでこの世の終わりかのような有様だ。
無論、彼ないし彼女らが有している異界の知識は限られている。伝承上の存在でしかないのだから当たり前だ。しかし、火葬という強力無比な新魔法を実現したのが異界の技術である、という前提だけは今までの話の中で共有できている。
重要なのは、それによって何が齎されたかだ。
異界は単なる天国や地獄のような曖昧な概念ではなく、現実に価値がある世界なのだという認識。少なくとも未知の異文明、未知の新技術がそこにあるのだと全員が理解したのだ。それが自らの世界を脅かす異邦か、はたまた見果てぬ希望の新天地に見えているかは個々によるのだろう。議場を満たしている混乱はその証左だった。
そう、ある種の――嗅覚の鋭い者はこうも考えるのだ。異界には、火葬のように様々なバランスを一変させかねない技術がまだまだ他にあるのではないか、と。当然、イヴェットがこの権利の価値に気付かないわけがない。
もともと彼女に対しては近しい条件で取引を持ち掛けていたのだが、更に掛け金を上乗せした格好になる。こうなれば彼女は絶対に他の人間には譲らないだろうし、彼女相手なら後でいくらでもチョロまかせる。今は一旦、思考の片隅に追いやった。
続きを話そうにも喧噪にかき消されてしまうので騒ぎが収まるのを少し待つことにした。そんな俺に、議席から身を乗り出したマクシミリアンが問いを放った。
「ちょっ、ちょっと待ってくれ……タカナシ。その、門は……今もあるのか?」
「ある」
「何処にだ!?」
「さあ。知りたければ古文書でも漁ってくれ。開示する気はないよ」
マクシミリアンは天地でもひっくり返ったかのような形相であった。恐らく、仮に門が存在したとしてもとっくの昔、神代に失われたとでも思っていたのだろう。
無理もない。現代の異界だって急に街中に天国の扉や地獄の扉が顕現したら、それこそ世界の終末もかくやという騒ぎになるに違いない。そういった意味では魔法や奇蹟が実在する現界の方がまだ衝撃は軽いのかも知れないが。
「……くそ、やってくれたな。君は……世界を変えるつもりなのか」
「いいや?」
この程度では何も変わらない。俺は世界間の自由な行き来などをさせるつもりはないし、そもそもイヴェットを往還者にするつもりもない。あくまで俺の狙いは、火葬の使用に傾いていたこの場の流れを奪うことにある。
元々、皇帝やアリエッタはもとより、転移街アズルの事件でアーネストにすら往還門の存在は知れている。在り処はともかくとしても、存在自体は既に秘密でも何でもない。
「変えたいのは、たぶん俺じゃない」
混乱の中、俺の視線に気付いた第二皇子は、穏やかな笑みのまま手振りで先を促した。あくまでこちらの出方を窺う構えらしいが――その余裕は命取りだ。
俺は再度、手のひらを大きく打ち鳴らす。
一度目よりも大きく、雑多な喧噪を吹き散らすように鋭い音が響き渡ると、議場は水を打ったような静けさに包まれた。
懐疑、畏怖、興奮。正負を問わない様々な視線を浴びながら、俺は再び口を開く。
「いまさら自己紹介の必要も無いと思うが、私は古き門の番人だ。あなたがたの言うところの剣の福音。その言い伝えの基になった異界の人間だと思ってもらえればいい。あなたがたの遠い祖先と交わした約定に則り、神代よりこの地を守り続けてきた者だ」
俺が多分に誇張した芝居がかった台詞を吐くと、感嘆とも驚嘆ともとれない嘆詞が議場のそこかしこから漏れた。
実際にはそんな大仰な約定など存在しない。俺とセントレアの首長――かつてこの地方に在った古い王国の一族との間にいくつか取り決めはあったが、その実態は個人間の約束事の域を出ないささやかなものである。が、そんなことはこの場の誰もが知り得ないことだ。今はハッタリが効けばいい。
「さて。今日にまで続くあなたがた皇国の繁栄は、私と同じくして異界より来訪したある男の尽力によるものだ。この偉業と皇国の勃興には少なからず異界の技術が関与しているのもまた、言うまでもなく自明かと思う。でなければ皇国に繁栄を齎した優れた鉄、独創的な魔術の説明が付かない。この点だけを見ても異界の実在を疑う余地はないと思うが如何だろうか」
さすがにここで「神聖なる皇国には神の祝福があるからだ!」などと訳の分からないことを叫ぶ者は居なかった。
いや、もしかすると粛々と話を進める自称伝説に対して萎縮ないしは恐怖しているだけなのかも知れないが、そこまで国教に染まり切っている人間はどうしようもないので考慮から外す。信仰が深いと逆に信じやすいということもありそうなので、実際には分からない。
とにもかくにも異議や質問が来ないので、俺は更に言葉を重ねる。
「では次。現皇帝陛下のご乱心に対し、彼の同胞である私には対話の用意がある。だが万が一、彼が対話に応じない姿勢をとった場合、この私が武力をもって対処させて頂く。最低でもこの場にお集まりの皇族の皆さまがたの安全は私がお約束しよう。これをもってふたつ目の問題も解決とさせて頂く」
どよめきが強まる。
俺が口にしたあまりの大言、皇帝への叛意だけが理由ではないだろう。
突如として会合に乱入し、世界をひっくり返すような事を次々と述べてまで俺が言おうとしている言葉に、皆そろそろ気が付き始めたのだ。
頃合いだろうか。
俺はわざと語気を強め、オーバーな身振りも交えて語る。
「ここまで話をさせて頂いたからにはもうお分かりだろう! 最後の問題だ! あなたがたの敵国ドーリアが擁する使役生物の正体も! それは、まさしく古の荒ぶる悪神! 天と地を統べる最も強大な支配者、竜種だ!」
推測や想像といった類の言葉でなく、曖昧な表現も使わず、俺は敢えて断言をした。お伽噺の怪物は、いまや差し迫った脅威なのだと突き付ける。そうすることで幻想は現実に落ち、議場内にどこか漂っていた他人事のような空気は完全に一掃される。
そして、僅かに――恐怖が伝播し始めた。
ここだ。
「――だが、恐れることはない!」
俺は剣帯から愛剣を鞘ごと外し、その先端を地に突けて打ち鳴らす。
強く、議場に響き渡るように。
そして叫ぶ。
「悪しき神が、この天と地とに栄えることは有り得ない! 決して! 是なるは、神より賜いし剣の福音なれば! 異界の炎など不要ず! 我が一刀こそが、いま、再び悪しき神を葬り去るだろう! 永久に!」
演出だ。
何から何まで、ただの虚仮だ。
ちょっとでも冷静な判断力があれば分かることだ。
だが、誰も冷静ではなかった。この場の大多数の人間が思考力を奪われていた。
門の存在の暴露から始まった混乱。矢継ぎ早に襲い来る価値観の揺らぎにだ。
俺の一声が齎した静寂の後、
小さく、拍手があった。
イヴェットだ。まさか感銘を受けたわけでもないだろうと思った通り、瞳に打算的な色を浮かべてスローな拍手をしている。彼女は利害が一致している俺に、ただ乗っただけだった。借しを作るために。
だが、おあつらえ向きだった。彼女の拍手が呼び水になり、まばらな拍手の音がいくつか重なる。すると、あとは雪崩のように拍手と喝采が連鎖した。
大半の人間が流されただけ、自分で判断することを放棄しただけだろう。だがそれこそが俺の狙いで、大げさな芝居を打った理由だ。
伝承の英雄が再び現れたのだと。剣の福音が全部なんとかしてくれるのだという空気を強引に作り出す。絵に描いたような、誰にとっても都合の良い展開を。そこに皇族の誰かが察して乗っかってさえくれれば、後は勢いで何とかなると踏んでいた。実際そのとおりになった。
しかし。
それでは困る者達もまた、居る。
ぞんざいな拍手を送りつつも、その男――第二皇子アーネストはゆっくりと席を立つ。傍らのエニエス女史が感極まった様子で拍手し続けるのを――ほんの一瞬、忌々しそうに見ながら――喧噪の中で声を掛けてくる。
「……いや、はは。なかなか愉快なものを見させてもらったよ、タカナシ君。扇動者の才能があるのかな。或いは、役者か詐欺師かも知れないが……それとも、君はまた未来を見てきたのかな?」
俺は答えない。
もうアーネストが何を言おうと形勢は覆らない。彼には覆すだけの手札がない。故に、化けの皮が剥がれかった彼を相手にする必要もない。
結局彼が何を目的としていたのかは分からなかったが、それが何だったにせよ、今の彼は敵にも値しない。問題は彼ではない。
「認めません」
澄んだ、よく通る声が議場に響いた。
拍手も喝采も、この強くも大きくもないたった一声の前に瞬時に散らされた。
彼女には本来、そういう素質があった。
もし彼女がその生まれによって心に翳りを負ってさえいなければ、いったいどれだけの人間が付き従っていたのだろう。美貌ではなく、手腕でもなく、ただそこにあるだけで人を従わせるような天性が、かつての、幼い彼女にはあった。
ミラベル・ウィリデ・スルーブレイス。
いつかの夏の日に出会った少女は今、まるで、なにか途方もなく哀れなものでも見つけてしまったかのような顔で滂沱の涙を流していた。そうでありながら、真っ直ぐに俺を向いていた。
そうでありながら、彼女は、俺の張った薄っぺらな英雄を壊す。
「剣の福音、今のあなたに……その力はないのでしょう?」
そうだ。
俺は言葉もなく肯定し、諦め、目を閉じる。
ミラベルならその弱点を突いてくる。突けるのだと、俺には分かっていた。強がりでも自惚れでも何でもなく分かっていた。彼女は、きっと俺の為にそう言うのだろうと。何故それほどまでに俺にこだわり続けるのかも。
とっくに分かっていたし、それでもやはり、素直に認めるのは怖かった。
誰よりも誰かの助けを求めているはずのあの子が、あの子自身よりも俺を優先し始めているという異常。その矛盾の理由が。色々なものを失ってばかりいた俺には、ただ怖かった。何処からともなく、お前は誰とも歩むことなどできはしないのだと。強く、永く、苛む声がしていた。
でも、今は少し違う。違うのだと信じている。
ここではない何処か遠い場所で。灰色の世界で。
きっと違うのだと言ってくれた人が居た。
何も知らないその人は、何者にもなれない少年にそう言ってくれた。
剣の福音でもない、伝承の英雄でもない、古き門番でもない、
ただの高梨明人にそう言ってくれたのだ。
たとえこの手に剣がなくても。
もう他に誰も居なくても。
だから。
「ああ、そうだよ」
大きく声に出して肯定し、俺は笑った。
ミラベルは彼方で唖然としていた。
「やっぱそうだよなあ」
笑って愛剣を肩に担ぎ、俺は立ったまま相好を崩した。いつものように襟足の辺りを掻きながら、ゆっくりと首を回す。背筋を伸ばしっぱなしなのも窮屈だったので、適当に姿勢も直した。
それから怪訝そうに俺を見る一同に、計算も何もない、無造作な言葉を投げた。
「皇帝も竜種も、俺の手には負えないかもしれない。そりゃそうだ。千年前はこっち九人居たんだぞ。皇帝なんかアイツ三人は道連れにしたんだぜ。そいつらを今度は俺ひとりで相手にするって? それで何で勝てるってんだ。無茶言うなって」
誰も彼も呆然としていた。
今までの話は何だったのか、と。そんな疑問を顔に張り付けていた。
決して無駄ではないのだが、いちいち説明するのも億劫だった。あと、いよいよ突っ立っているのが面倒になってきたので、俺は手近にあった空いた議席の机にもたれかかった。
いかに門番といえど常に突っ立っているわけではないのだ。などと俺が内心でふんぞり返っているのをよそに、存在を忘れかけていた第二皇子が何かを言った。
「……自分には解決できないと認めるのか? 異界の炎は……やはり火葬は必要だと?」
「馬鹿馬鹿しい」
失笑しつつ適当に一蹴すると、さすがに彼も気分を害したのだと思われる。僅かな変化だったが、頬の辺りが多少動いた。俺は少し考え、
「人が死ぬのは嫌だろ」
考えようとはしたのだが時間の無駄だと思ったので、ごく当たり前のことを大勢の前で言うことにした。
「誰だってそうじゃないのか。あんた達は違うのか」
一人一人、議場に居る全ての人間の目を確かめていく。
ただ困惑する者、目を逸らす者、一笑に付す者。反応は様々だったが、別にもう彼らに聞いてもらえなくたって一向に構わないので一方的に話し続ける。
「火葬を使えば人が死ぬ。人が考え得る限りで最も無惨にだ。いいや、それだけじゃない。およそ人には想像すらつかないようなことも起きる。空は陰るし大地は荒れる。見えない毒も撒き散らされる。汚染は消えない。何千年も続く」
それはもう、大雑把に四捨五入すれば永遠みたいなものだ。現界の技術では除染も難しい。使えば使うほどに世界は削り取られていくことだろう。
どうあっても使うべきじゃない。これはもしかすると、皇帝と俺の意見が唯一の一致を見る事柄なのかも知れなかった。もし彼が火葬を秘蔵していた理由がそれなら、の話だが。
「……まあ、嫌だよな。少なくとも、俺は嫌だ」
しん、と静まり返った中を俺は繰り返す。
「何度だって言おう。俺は嫌だ。俺が嫌なんだ。君の為じゃない。まして正義だの、道徳だの、使命だの、どこかの誰かが持ち出した曖昧な言葉の為でもない。どこの誰でもが持ってる、ごくごく当たり前の気持ちの為にそうするんだ。どれだけ難しくても。平坦な道じゃなくても。それは大して重要じゃない」
俺はもう、離れた議席に立つ一人の少女だけを見て言葉を放っていた。
「だからミラベル。君も君の為に選べばいい」
彼女はどこも見てはいなかった。
割れた仮面を両手で隠して、細い体を折って、震えながらただ泣いていた。
或いは最初から、ずっと。
「俺の為じゃない、君自身の為に選べばいい。選んだっていいんだ。どっちだって構いやしない。何回間違ったっていい。全然正しくなくてもいい。俺は君を支えるし、俺は君を止める。何度だってそうする。いつまでだってそうしてみせるから」
剣の福音でもない。伝承の英雄でもない。古き門番でもない。
彼女と歩きたい。共に歩んでいきたいだけのただの人間として、俺は願う。
「いずれにせよ、俺は君を捕まえるから」
ぱきん、と。
甲高い硬質の音が議場に響いた。
何かの赤い粒があちこちに飛び、壁や床に弾けて散らばって消えていった。
俺や、他の大勢の人間達はその様を呆然と見ていただけだった。
唐突で、意外で、予想だにしなかったことだった。
それでも、俺はどこかで納得して頬を緩ませる。
赤い立方体。火葬を粉々に粉砕したミラベルは、
真鍮の長杖を思い切り振り抜いた姿勢のまま、
翡翠の瞳と眦とに涙を貯めながらも、綺麗な、晴れた顔で笑ってくれていた。




