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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
一章 門番と皇女
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17.侍女と雨③

 まず最初に、手のひらに温かい感触があった。

 

 俺は、小さくて温かいそれを、唖然としたまま握っている。

 それが隣に立っているカタリナの手だと認識するのに、数秒の時間を要した。

 

「……あれ?」

 

 門をくぐった記憶の前後がおかしいと気付いたのはその後だ。

 思ったより早く復調したカタリナと、セントレアに戻る事を決めたのは覚えている。

 それから、クローゼットの前でエプロンドレスに着替えたカタリナが、やたらと大きな荷物を抱えているのを咎めたり、今回は俺が先に門をくぐる事に決めたのも、確かに覚えている。

 だが、その先の記憶がぽっかり抜け落ちている。いつ門をくぐったのかを全く思い出すことができない。

 なぜ俺はカタリナと手を繋いでいるのだろう。

 記憶と感覚がまるで一致しない。

 

「アキト? 一体、いつのまに手を……いえ、ここは」

 

 かび臭く薄暗い地下室のひやりとした空気に身を震わせながら、カタリナはそっと身を寄せてくる。

 その様子に、俺は言葉に出来ない違和感を覚える。

 俺とカタリナはこんなに近い距離感の間柄だっただろうか。彼女の仕草がとても自然なことのように思えてしまっている自分が不思議でならない。

 

「大丈夫だ。詰め所の地下だ」

「では、セントレアに戻ってきたんですね。何だか……先程までの記憶が曖昧で……」

「お前もか」

 

 振り返った鉄の扉は、ただ静かにそこに佇んでいるだけで何の変わりもなく思える。

 だが、一人で往還門をくぐった時とは違う何かが、確かにあったように思えるのだが、何だったのかを思い出すことだけが出来ないでいる。

 一体いつ、カタリナは俺を下の名前で呼ぶようになったのだろう。

 そもそも教えてすらいないというのに。

 

 

 寝室のドアを開けるなりリビングから飛んで来た皇女殿下が、見違えるように顔色が良くなったカタリナの胸に飛び込んでいく。

 俺はその光景を、どこか遠い世界の出来事のように見た。

 

「カタリナ、身体はもう大丈夫なのか!?」

「ええ、殿下。ご心配をおかけしまして申し訳ありません。もう大丈夫ですわ」

「そ、そうか。良かった」

 

 傍らに立つドネットが驚愕を露わにカタリナを見ている。俺は女医が口を開く前にその肩を叩き、二人から離れたキッチンの方へ誘導した。

 マリーには聞かれたくない。

 

「……あの娘はついさっきまで確かに死にかけていた。一体何をした?」

 

 俺の意図を汲んでくれたのか、ドネットは小声で問いを口にした。

 

「緊急手段を使った。詳しくはそのうち話す」

「それで納得しろって? そいつは随分と無茶な話だぞ、坊や」

「分かってる。借りはいずれ返すから、今日のところは勘弁してくれ」

 

 ドネットは眉間に皺を寄せながらも、これ以上の問答は無駄だと判断したのか、肩をすくめて再びマリーとカタリナの方を向いた。

 

「坊や達にどういう事情があるのかは知らんが、もうあの娘には金輪際に魔法を使わせるなよ。出来れば、あんな状態の病人はもう診たくない」

「悪かった」

「いいさ……診察料は貰うしな」

「……やっぱり金は取るのな」

 

 しかし、この街の医者役を頼んだのも急な話だというに、いきなり無理に引っ張ってきてしまったのは事実だ。結構な迷惑をかけてしまったのは間違いない。

 

「で、いくらだ」

「何なら酒に付き合ってくれるってのでもいいんだよ。聞きたい話もできたし」

「俺は飲めないから遠慮しておくよ。ドネット大先生に付き合ったら夜が明けるまで飲まされそうだ」

「何言ってんだ。昼前まではいけるだろ」

 

 いけねえよ。そう言おうとして、俺は何かの気配を察知して口を噤んだ。ほぼ同時に、ドネットも目を細め、外の気配を探るように首をかしげている。

 雨音に紛れて、近寄る気配がひとつ。

 

「少なくとも、隠す気がなさそうなのは一人だけのようですわ」

 

 マリーと微笑ましく抱擁していたカタリナも、いつの間にか真顔で視線を窓に走らせていた。状況が飲み込めていない皇女殿下だけが不思議そうに俺達の顔を見比べている。

 不意に、ドネットは獰猛な笑みを顔に刻んだ。

 

「どうかな。ちょっと診て(・・)やろう」

 

 言うなり、薄汚れた白衣の女医はヒールの踵を床板で激しく踏み鳴らした。甲高い音と共に魔素(マナ)が弾け、ドネットを中心にして一瞬で魔法陣を展開する。

 恐らく、魔道院が作成したという特殊な探知魔法だろう。

 不可視の波が周囲を伝播し、詰め所の外にまで広がっていく。ドネットは眠たげだった表情はどこへやら、どこか楽しそうに脳へフィードバックされた探知結果を口にした。

 

「あたしら含めて三百フィート内に人間は五人しか居ない。確かに一人らしい」

「生体も見えるのか。随分と便利な魔法だな。有効範囲はどれくらいだ」

「最大で二万くらいか。あまり意味がないし消費がデカくなるからやらないけど。そんで、このお客さん、なんか刃物持ってるけど誰かの知り合いかね?」

 

 舌打ちして長剣を鞘から抜き放つ。

 残りの九天の騎士三人のうち、今も戦闘可能な状態だと思われるのは二人。金髪の青年騎士とケープの少女だけだ。二人のうち少女の方は魔術師。刃物を持っているとすれば騎士の青年の方だろう。

 彼の技量を考慮すれば俺が遅れを取るとは考えにくいが、万一がないとは言い切れないのが戦いの常だ。

 

「カタリナ、殿下を連れて地下へ行け。俺が戻るまで床板は外すな」

「分かりました」

「待てカタリナ、地下とは何だ? この家に地下があるのか?」

「殿下、まずは寝室へ。説明は後ほど、ゆっくりといたしますので」

「待てと言っているのに……! 一体何がどうなっているのだ、タカナシ殿!」

 

 皇女殿下はカタリナに寝室へ引き摺られていく。

 俺は振り返らず、ドネットを横目で見た。

 

「悪いが、どっかその辺で適当に隠れていてくれ」

「おいおい、坊や。何であたしだけ指示が適当なんだ?」

「あんたがそこそこやる(・・)のは分かってるからだよ。危ないと思ったら適当に逃げてくれ」

 

 ドネットはつまらなそうに口を尖らせるが、取り合っている暇はあまりない。

 玄関の扉を開ける。

 降りしきる雨の中、薄い闇の向こうに男は立っていた。

 

 

「嘘だろ」

 

 呆然とした呟きが俺の口から零れる。

 ダメージを負った赤い皮鎧はそのままに、

 覆面を脱ぎ、薄く髭を蓄えた精悍な顔立ちを露わにした初老の騎士、ジャン・ルースは俺の姿を認めるなり、静かに右手の幅広の剣を持ち上げて構えてみせた。

 

「続きだ、門番」

「……いや、あんた、腹の傷はどうした」

「そんなもの、半刻もあれば塞ぐことは出来る。これで十分だ」

 

 鎧の胴に開いた孔の向こうには、無理な治癒術で蚯蚓腫れのようになった皮膚が見える。治癒術は万能ではない。胴が貫かれるような傷を短時間で完治させることなど到底不可能だ。治って見えるのは表面だけで、中身は塞がってなどいない。

 俺は無意識に噛み締めていた奥歯から力を抜いた。

 この化け物どもは、まったく、俺の理解の範疇を超えている。

 

「実の娘に本当に殺されるつもりか!? 馬鹿か!?」

「……カタリナが喋ったのか。珍しいこともあるものだな」

「あいつは結構よく喋る奴だよ! あんたが知らないだけだ!」

「そうか」

 

 騎士は、僅かに自嘲めいた笑みを浮かべる。

 だが、言った。

 

「舐めるなよ、小僧。アレは、可能な状況であれば眉ひとつ動かさずに俺を殺すぞ」

 

 その一言で、俺の中で何かが切れた。

 意識するまでもなく俺の身体は前進していた。長剣を振りかぶり、一直線に騎士の下まで駆ける。

 それがあまりにも単調な動きであることすら、気付きもしない。

 

「そうだ。御託に意味などない。来い、門番」

「うるせえ!」

 

 激情に任せた振り下ろしの一撃を、騎士は幅広の剣でいとも容易く受け流す。

 その段になって、俺は自らの無策を自覚した。

 

「チィ!」

 

 殆どの勢いをあらぬ方向に曲げられた俺は、致命的な隙を晒す寸前で権能を行使した。剣技(グラディオ・アルテ)で引き出した技を、今現在の自分の姿勢に強制的に上書きする。

 強引極まりない事象の書き換えは、速やかに実行された。

 俺の身体はコマ飛びした動画のようにブレながら方向を変える。

 

「面妖な!」

 

 縦斬りから横斬りに「修正」された俺の長剣を、騎士は驚異的な反応速度で弾き返す。返すなり、剣の刃をそのまま突き出してくる。眼前まで迫った刺突を、俺は首を捻ってやり過ごした。

 切っ先が僅かに前髪を掠めて過ぎる。その刃を長剣の鍔で絡めとり、再び権能を発動させる。剣の刃を折る剣技を引き出そうとして、気付く。

 騎士の持つ得物が、重量のある幅広のブロードソードであるということの意味――

 刹那、目をカッと開いた騎士の剣が、急激に重みを増す。

 悪寒が俺の背を駆け抜ける。

 

 

 ――斬鉄。

 

 

 研ぎ澄まされた一撃が、

 決して上等とは言えない俺の鉄の長剣を半ばから両断した。

 

 一度は不利と判断した筈の接近戦を選んだこの騎士の狙いは、最初から武器破壊にあった。技量で劣るなら、弱点を狙って勝ち筋を見出す。

 実に正しい、どこまでも実戦に則した思考。

 

 剣に通した魔素(マナ)が吹き飛び、腕をもがれたかのような幻肢痛が走る。

 俺は苦痛をねじ伏せるように身を捻り、折れた長剣を無理やり振るう。

 

 一杯食わされたという思いは確かにある。

 だが、そんなことは些細なことだ。どうだっていいことだ。

 どうせ俺の剣には、自分で積み上げた物なんか何一つない。

 だから、そんなことよりもずっと、どうしても許せないことが俺にはある。 リーチの殆どを失った長剣で劣勢を強いられながらも、俺の胸中には怒りだけがある。

 

 

 剣技(グラディオ・アルテ)は――使用不能。

 神から与えられた、この融通の利かない力は、折れた長剣を「剣」として認識しない。剣以外の武器を使うことが出来る過負荷(オーバーロード)も、武器として損傷を受けた状態の長剣では致命的な罰則を食らう可能性が高い。この状況で昏倒などしてしまえば敗北は必至だ。

 

 

 ここは、弱点を狙って勝ち筋を見出すしかない。

 

 

 炉を回す。

 俺は魔素(マナ)を込めた左の拳を硬く握り、騎士の胴に開いた孔に叩き込んだ。

 長剣を持つ俺の右手に集中していた騎士は、それを無防備に受けた。

 塞いだばかりの傷跡に。

 岩か何かを殴っているような感触と共に、醜く隆起した皮膚に拳がめり込んだ。

 初老の騎士は、潰れた腹から咽上がる何かを堪えるように低い唸り声を上げる。

 更に腕を捻じ込み、俺は絶叫した。

 苦悶の声を上げてくの字に折れた騎士の手から幅広の剣を叩き落し、蹴り飛ばす。折れた長剣を放り捨て、俺は怒りに任せて吼えた。

 

「この野郎! この糞野郎が!」

 

 なおも倒れない騎士の顔に肘を見舞う。

 騎士の反撃の蹴りを腹に受けるが、痛みはない。

 俺は拳を握っては叩き込み、騎士は手刀を無茶苦茶に振り回して俺の顔を打つ。

 

 もう型も何もない。

 降りしきる雨の中、俺と騎士は純粋な暴力を交していく。

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