26.王の手③
然るべき人間へ必要な連絡を終えた俺は、伝声術の光球を指で弾いて消しながら議場の戸口に戻った。
そこには当然の如くすまし顔のマリーが立っている。いかにも番兵らしく扉の前に控えているのだが、喩えるならそう――金庫のダイヤルに華美な銀細工が使われているような強烈な違和感がある。だからといって今更それを鼻で笑ったりはしないし辞めさせようだとかいうつもりも全くないが、こうして改めて客観的に見るとやはり奇妙だ。
ぼーっと眺めていると、マリーは怪訝顔になった。
「どうしたのだ?」
「……いや、何でもない。二人はどうだった?」
「姉上は驚いていたよ。カタリナは何も。ただ、ベーカリーの皆を呼んであるとタカナシ殿へ伝言を頼まれた」
「へえ、そうか。姿が見えないが」
「身を隠しているのではないか。その、なんだ。目立つから」
「いやまあ、そうだけども」
目立つという意味ならマリーも大差ない。
という余計な一言は飲み込んでマリーの隣に立つ。
議場には既に皇族達が揃っている。後は再開を待つばかりだ。
「三兄殿とは何を話していたのだ」
「色々と。ああ、君のことを頼まれたよ。見ててくれってさ」
「……からかわないでくれ。あの三兄殿がそんなことを言う訳がなかろう」
「かもな」
「まったく……」
幾分か顔の赤いマリーは再開しようとしている会合に傾注するかに思えたが、
「……だとして、あなたはなんと答えるのだ」
独り言のようなその囁きは確かに聞こえているのだが、俺は何も言わなかった。
真実を伝えるという行為はやはり難しい。
俺にもさほど度胸はないんだよ、レオナール。
「さて」
意識的に思考を切り替え、俺は議場に目を向ける。
ちょうどマクシミリアンによって話し合いが再開される頃合いだった。
「皆、そろそろ考えもまとまったろ。だが決を採る……という人数でもないからな。別にこれは議会でもない。異議のある者だけ手を上げて適当に発言してくれ」
髭を整えながらのぞんざいな呼びかけだったが、手を上げる者は居なかった。
都合よく担ぎ上げられているレオナールも黙っている。先程は驚いていたアーネストも薄い笑みを浮かべて座っているだけだ。
長い沈黙の後、第一皇子は拍手を一つした。
「結構。ではこの先はミラベルにお返ししようか」
「……ありがとうございます、お兄様。では今後のお話をさせてください。継承戦に関する戦闘行為の停止と禁止。それと……中央への対応について」
「中央? はっきり言ったらぁ?」
イヴェットから茶々が飛ぶ。
ミラベルが言葉に詰まり、議場に重苦しい空気が漂った。
「陛下への対応だね」
沈黙を裂いたのはアーネストだった。
ミラベルとカタリナはそれぞれ険しい目を向けている。が、それを知ってか知らずか彼は素知らぬ顔で言葉を続けた。
「すぐに退位していただく他ないと私は考える。皆にその……危機感があるかどうかは分からないが、東の問題はこれ以上放置できないからね」
「東方同盟か。和平交渉でもするか?」
マクシミリアンは空笑いする。
誰も真に受けてはいない。あれは第一皇子の冗談だろう。
俺の勝手な想像だが、講和の見込みもなくはない。戦争を主導している皇帝を除いたとすれば可能性が出てくる。
だがタイミングは悪い。東方三国が反転攻勢に出た今、対話を受け入れるかは微妙なラインだ。自ら進んで国家総力戦に繋がる恐れがある戦いをやりたがる国などないだろうが、復讐心というものは厄介だ。捨てるのは難しく伝染もする。
しかし、アーネストは――いまや限りなく黒に近いその皇子は、やはり穏やかに言うのだ。
「同盟自体は問題にはならないよ。重要なのは敵の使役生物の方だ。私の月天騎士団、そして土星天騎士団を壊滅させたと見られるあの使役生物さえ居なければドーリアはどうとでもなる」
たしかに、そうなれば目はあるだろう。
そもそも同盟はドーリアが反攻に出たおかげで成立したと考えられる。この前提が失われれば体制を維持できない。
彼ほどのポジションにいる軍人なら当たり前なのだろうが、さすがに要点を押さえている。今となっては脅威でもあるし不気味でもあるのだが。
アーネストの言動には最大限警戒しなければならない。しなければならないが――
「……そこで私からひとつ提案をさせて頂きたい。陛下の問題、東方の問題、二つの問題を一挙に解決する方法だ。ああいや、三つの問題かな」
彼には未だ底知れない面がある。
俺には――そんな魔法の一手など思い浮かばない。だからこそ自分がロスペールに行くつもりだったし、皇帝とも自分が決着を付けるつもりだった。だが無論、それは確実な解決手段ではない。俺自身に解決する自信がない。いつだってそうだが。
とにかく、銀の弾丸があると言うのなら是非知りたい。
たとえそれが敵に成り得る人間の言葉でもだ。
「是非ともお聞きしたいところですが……三つ目の問題とは?」
「信憑性の問題だよ、ミラベル。火葬のことも異界のことも、皆はまだ半信半疑のはずだ。私も証明は必要だと感じている」
「つまり……?」
「使役生物に使えばいいのさ。火葬をね」
「……えっ?」
隣でマリーが息を呑む音がした。
皇族達もめいめいに驚いている。誰も火葬を――そこまで東方の問題と直接的に関連付けて考えられなかった。理由はそれぞれだ。この世界の人間は火葬、核爆発の威力を想像できない。説明を聞いた今でもそうだろう。実を言えば俺だってそうだ。記録の上でしか知らない領域の話になる。
だが俺が――俺達が想像だにしなかった理由はそれだけじゃない。その理由を共有しているだろうカタリナが一歩、前に出た。
「アーネスト殿下、火葬は使えません」
「何故だい?」
「まず第一に火葬は未完成です。それにこの魔法で発生する被害は……」
「私は敵に使うと言ってるんだよ、ルース卿。使役生物にね」
「で、ですがその使役生物はロスペールに居るんですよ……!?」
「知っているとも」
アーネストの返答にカタリナは一瞬、絶句する。
だが怯まない。
「どれだけの人が犠牲になると思っているんですか……!」
「分かっていると思うが、使役生物の襲撃を受けた時、私はロスペールに居た。城塞は壊滅的な損害を受けた。街もだ。仮に生き残りが居たとしても数は多くない」
「ゼロとは限りません! 同盟側の兵だって……!」
「ルース卿。まず希望的観測で語るのはやめよう。それで切り捨てるには事態が重過ぎる。次に、敵の心配をする余裕も必要も我々にはない。もしかすると君は違うのかもしれないが」
身を硬くする一同の前で、アーネストは堂々と言い放った。
人道的、などという言葉は無意味だ。
この国の軍人達は現実に戦争をやっているのだ。人道だの善悪だのといった概念を持ち込むこと自体が彼らからすればナンセンスだ。そんなものの為に拾える勝ちを逃し、あまつさえ戦って死ねなどと、部下に命じられるかどうかだ。
溜息があった。
マクシミリアンだ。彼は髭を撫でながら苦渋の顔で言った。
「……口が過ぎるぞアーネスト。そもそもロスペールを失った責任はお前にある」
「否定はできないね。しかし、だからこそ私が提案しているんだ」
「得体の知れない魔法で、お伽噺の化物ごと我が国の城塞を吹き飛ばせと?」
「そう。最も重要なのは……これが陛下に対する示威行為にもなるということだよ。ミラベルがその気になれば火葬で皇都を攻撃できるのだとね。陛下は……いや、陛下はおろか誰もミラベルには手を出せなくなる。さしずめ、現代に蘇る新たな竜殺しだ」
誰もがミラベルを見た。
彼女の卓上に置かれたままの赤い立方体もだ。彼女が誰かに移譲する意思を見せていない以上、未だ火葬は彼女の所有物だ。
目立って反対の動きを見せる皇族は居ない。
俺とマクシミリアン、イヴェットとの両名の間で交わされた取引は、継承戦を止めるというただ一点に終始している。そこに火葬をどうするかなどといった話は含まれてはいないし、そもそも――この提案は彼らにとってなにも問題がない。
ウッドランドの人間からすれば敵国の兵が何人吹き飛ぼうが知ったことではないはずだ。もしかすると多少の同情心はあるかも知れないが、それだけだろう。居るかも分からないウッドランド側の生き残りも問題と呼べるほどのリスクではない。
アーネストの狙いは、分からない。
このタイミングでこんな提案をして、彼に何の得があるのか見当もつかない。
当の本人、ミラベルがどう考えるかも俺に確信は無い。
彼女は、皇帝への対応も比較的穏便な手段を採るつもりでいたはずだ。
じっくりと根回しをした上で、あくまで政治的に独裁体制を切り崩してから退位を迫るつもりだったと予想できる。まともに争えば勝ち目が薄いからだ。
だが、火葬を使う手も採り得る。いくら疑わしい相手の提案だからといっても、現時点で彼女にデメリットは無いのだ。不確実な手段である俺に任せるよりも、ロスペールを火葬で攻撃する方が現実的であると言えるだろう。すべてが丸く収まるようにすら思えているかもしれない。
つまり。
アーネストの提案はこの上ない解決策のように見えるはずだった。
少なくとも皇国の人間にとっては。
しかしミラベルは、皆の視線を浴びながら固まっていた。ただでさえ白い顔を蒼白にさせて、卓上の赤い立方体を見ていた。
その瞳が揺れているのだと見止めた時、俺は――そう。
有り体に言えば、とても腹が立った。
ムカついてしょうがなかった。
ひどく気分が悪かった。火葬が核攻撃を可能とする魔法なのだと知った時よりも、何倍も強く吐き気がした。
よってたかって、あんな年端もいかない女の子にいったい何を強いているのだろうか。この世界は。
戦争だなんだと動いているこの国も。皇帝も。報復を叫ぶ同盟。蘇ったらしいクソ竜種も。議場に居る全員。未だ突っ立って拳を握るくらいしかしていない俺自身だって例外じゃなかった。
理不尽だ。
俺の大嫌いな不条理そのものの姿だ。
そう考えたら何もかもが馬鹿馬鹿しく思えてしまった。
下準備をして臨んだこの会合も、ミラベルをこの場に立たせてしまった先程までの俺も、その浅はかな考え全ても。
クレバーなやり方で落としどころを探れば乗り切れると考えていた。その場に自分が立たなくても大丈夫だと。それは迂闊で短慮な手段だと思い込んでいた。裏で動き回るだけで十分だろうと。とんでもない思い違いだ。
いつまでも日陰には居られない。
そんな、ジャンの言葉が思い出される。まったく、そのとおりだった。
強烈な衝動に動かされて歩き出そうとする俺の腕を、誰かが引いた。
隣でずっと黙っていたマリーが俺を見上げていた。
「よいのか?」
静かに問い掛ける精巧な洋人形のような少女は、碧い瞳で俺の目を真っ直ぐ見ていた。その様子で、短い言葉であっても意図は伝わる。
ここから先は取り返しがつかないのだと、マリーも悟っているのだろう。非公式だろうと何だろうと、この会合には皇族が集まっている。この場での発言は容易に取り消せるものではないし、ある程度の人々の間に広まるのも避けられない。
迂闊かもしれない。短慮なのかもしれない。
だが、知ったことじゃない。
どうせもう知ってる奴は知っている。そんな覚悟はアズルが燃えた日に済ませていた。だったらせいぜい、好きにやればいいのだ。思うままに、後悔がないように。
「いいさ。約束しただろ。俺が君達を助けるって」
俺の返答に、マリーは――とても複雑な表情を浮かべた。
喜ぶような悲しむような、羨むような。
色々なものがないまぜになった微笑だった。
「……ありがとう、タカナシ殿」
囁くような声と共に、マリーの指が俺の袖からゆっくり離れていく。
俺は彼女の視線を背に歩き出す。
議場に居る全ての人々の視線を集めながら、決意と共に大きく、勢いをつけて両の手のひらを打ち合わせた。




