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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
四章 竜殺し
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25.王の手②

 会合が中断した隙に消沈した様子のミラベルや仏頂面のカタリナのフォローをする手もなくはなかった。そうすべきだと思う気持ちも相当に大きかったのだが、俺の足は義務感に近い何かによって議場の外へと向かった。

 

 当然のように後をついてくるマリーを咎めることもしなかった。

 

 殺風景な広間を抜け、玄関を抜け、砂利の街路に出ると彼が遠くを見つめて立っていた。隻腕の皇子、レオナールだ。お付きの騎士の姿は見えない。

 彼は俺とマリーの方を一瞥すると、すぐに視線を彼方に見える丘陵へ戻した。何を思っているのかは知れないが、敵意の類は感じられないのでそのまま歩み寄る。

 

「おめでとうございます、とでも言いましょうか殿下」

「それは皮肉か? 剣の福音」

「ただの祝辞です。それ以外の意味はありませんよ。本当に」

 

 知られているとは思っていたが、どうも知れ渡り過ぎではなかろうか俺。

 そんな内心の苦い思いはさて置き、間近に見た隻腕の皇子は野性味と品性が均等に備わった端正な容貌をしていた。議場で見せていた苛烈なまでの闘争心も今はない。

 どこか気が抜けたような顔をしていた。

 レオナールはそんな俺の視線に気付くと、やや溜息の混じった言葉を発した。

 

「ここへは……戦いに来たつもりだった。会合は誰かの罠だろうと踏んでいた。ミラベルが九天(ナインズ)や剣の福音を飼っているという情報も得ていたが、俺は寡兵でも勝ちを拾えると思っていた。備えもあった。俺自身、誰にも引けを取らない自信があった。相手が伝説(・・)でもだ」

 

 実際のところは分からない。

 レオナールが騎士としてどの程度の実力を持っているのか、見て分かる範囲では何とも言えない。身のこなしや空気からして強いだろう、くらいなものだ。

 それ以上は剣を合わせなければ判然としない。

 

「だが、これだ。この有様だ。ミラベルは……お前達は戦おうともしない。まるで帝位など無価値であると言わんばかりに簡単に捨てようとしている。俺には理解できん」

「価値観は人それぞれでしょう。戦いって言葉の意味も。何が大事なのかも」

「なら、最初からお前達は敵じゃなかったということかもな」

「殿下次第ですが……まあ、ある意味、勝ちでしょう。それも」

 

 率直な感想を述べると、レオナールは少し驚いたような顔をした。

 

「柔軟な男だ。東洋人というのはみなそうなのか?」

「さあ。でも、いい加減な性格だって自覚はありますね」

「多様性は必要だろう。お前達のような腕利きであれば特に。愚妹と共に俺の元へ来ないか。重用すると約束する」

「俺は転職するつもりなんてないですよ。中央にも興味がないんで」

「そうか。お前はどうする、マリアージュ」

 

 愚妹、はミラベルを指しているのかと思ったが違ったらしい。

 レオナールに呼ばれたマリーは一瞬だけ意外そうな顔をしたものの、すぐに平坦な声色で返事をした。

 

「わたしの居場所は彼の傍だ、兄上。すまない」

「……揃って酔狂なことだな。それで、心にもない祝いの言葉を言いに来たわけではないだろう。俺に何の用だ」

 

 気を悪くした風でもなく、レオナールは俺達に向き直った。

 翻る中身のない左の袖が印象的だった。

 僅かなやり取りでも分かることはある。この皇子には直球で勝負した方が良い。

 

「殿下には敵が居るかもしれない。それを確かめに来ました」

「ほう? 俺の敵、ときたか。この状況で」

 

 議場では終始つまらなさそうにしていたレオナールだが、俺の言葉を聞くなり目の色が変わった。

 

「以前、ミラベルやマリーが他の皇族に狙われました。それがもしレオナール殿下の指示でないのなら少なくとも一人、帝位を狙っている皇子が他に居ることになる」

 

 会合は帝位をレオナールに渡す意見で一致している。

 『皇子』がレオナールである場合、レオナールはこのまま順調に皇帝になれるかもしれない。それも皇帝(カレル)を何とかすればの話、ではあるが今は良い。

 だが『皇子』がレオナールでない場合、現状で帝位に最も近くなったレオナールは腹に一物を抱えた『皇子』に狙われる可能性が高い。いや、ほぼ確実に狙われるだろう。レオナールは対処を迫られることになる。

 

「なるほど。どっちに転んでも俺をうまく使う(・・)つもりか」

「まさか。協力ですよ」

「この局面を作ったのもお前だな。愚妹達には無理だ。マクシミリアンにここまでの度胸はない」

 

 好戦的な武人然としていながら頭の回転も早いらしい。

 そう。どちらにしても変わらない。

 俺達とレオナールの利害は一致する。戦う相手が変わるだけだ。

 

「ますますお前達が欲しくなった。気が変わったらいつでも言え」

「どうも。で、俺達は手を組めると思いますが。敵は誰だと思います?」

「アーネストだ」

 

 即答。そして断言である。

 俺は少々考える仕草をした。本当はもう考察の必要は無い。

 

「なぜ次兄殿になるのだ?」

「お前達を狙ったのが俺ではないからだ。と言ったところで信じるか?」

「信じますよ。嘘を言う理由がありませんから。少なくとも今は」

 

 正確に言えば俺が無くしたのだが。

 首を傾げるマリーを横目に、俺はレオナールに手を差し出す。

 しかし彼は皮肉気な笑みを浮かべて言った。

 

「俺がアーネストを排除する為にお前達を利用しようとしているとは思わないのか」

「仮にそうだとしても、殿下にとってアーネスト殿下は邪魔だってことになる。何故? 簡単だ。アーネスト殿下が帝位を欲しているからだ。そして、あなたはそれを知っていることになる」

 

 レオナールは俺の並べる仮定を黙って聞いている。

 だが、恐らく真実はこうだ。

 

「でなければ、あなたは単純に自身の潔白を知っているからアーネストを警戒しているんだ。消去法でね」

「どちらにしても、か」

「ええ。もう結論は出てます。確証はなくても。それだって時間の問題かもしれない」

「……どういうことなのだ?」

 

 理解が追い付いていないらしいマリーが、またも首を傾げながら俺を見上げる。

 

「もしアーネストが黒なら、この会合を今のまま終わらせるわけにはいかない。非公式の話し合いったって表面上は満場一致だ。レオナール殿下が推挙される流れはもう覆せなくなる。でも彼は表向き継承戦を止める立場でここに居る。今更継承戦の終了に異論は挟めないし、何をどう言っても不自然だ」

「手詰まりということだな。アーネストは厄介な相手を敵にしたらしい」

 

 レオナールの賞賛のようなそうでないような感想は聞き流しつつ、俺は簡単な推測を続ける。

 

「あとはもう、強硬手段を採るしかない。実力行使か搦め手か。何にせよ動きがあるはずで、そこを押さえる。何も起きなければそれでもいい。一旦は諦めたってことだからな。どっちにしろ継承戦は今日で終わりだ」

 

 見落としはあるかも知れない。想定外も。アーネストがこの会合の場を用意した目的もまだ見えない。あるいはレオナールが『皇子』である可能性も、まだ皆無とは言えない。

 だが継承戦は終わりだ。どういう形であっても。

 

「……終わりか。そうか……そうなのだな」

 

 万感の思いが篭ったつぶやきを漏らし、マリーは瞑目した。

 この子が皇都からの数ヶ月、継承戦絡みでどんな目に遭ったのかは想像するしかない。それですらまだ彼女達の苦難のほんの一部だが、いくらかは楽になればいい。本心からそう思う。

 

「ミラベルとカタリナに声を掛けてくれ。アーネストに注意するように。俺も用事を済ませたらすぐに戻る」

「了解だ」

 

 短く返事をして議場に戻っていくマリーを見送った後、俺は改めてレオナールに向き直った。

 レオナールもマリーの背中を見ていたらしい。ちょうど視線が俺の方に戻ったところだった。問い掛けるより早く、彼は言った。

 

「末の弟が居た。あの末妹と大して変わらない歳の頃から俺を慕って剣の腕を磨いていた。非才だったが……根性だけはあった。将来は俺の片腕になるんだと息巻いていたよ。よく稽古をつけてやった」

 

 今、ここで聞く話でなければ微笑ましかったろう。

 俺に兄や弟は居ない。

 近いのは妹だろうが、俺に妹の記憶は殆ど残っていない。

 

「弟は継承戦の初日に死んだ」

「……それは」

「俺が斬った。その場にはマリアージュも居た」

 

 遮るように言ったレオナールの表情は、どこまでも平坦だった。

 俺は静かに息を吐く。霞のような白が視界にちらついた。

 根掘り葉掘り聞く話じゃない。ただ、マリーが気の毒だった。

 

「先程からここで考えていた。果たして弟の死は何だったのか。お前は終わりだと簡単に言うが、誰もがすぐにそうと割り切れるものでもない。手を汚さずとも。或いは、あれは己も手を汚したと感じているかもしれない」

「……」

「俺は王になる。絶対にだ。それ以外を掬い上げる資格はもうない。お前がマリアージュを見ててやってくれ、剣の福音」

 

 話は終わりらしい。言うだけ言い、レオナールは再び丘陵へと視線を戻す。

 中身のない左の袖が、ただ寒風に揺れていた。

 

 少し、応答の言葉を選んではみた。

 俺がもし、千年前の高梨明人だったなら何も難しいことではなかったのだろう。

 明日が今日よりも良い日だと信じていた俺なら。

 己の手で運命を拓けると無邪気に信じていた俺なら。

 いつかは自分も大人になり、未だ知り得ない明るい未来があるのだと信じていた俺なら。ただ頷いて、自分が彼女の傍に居るのだと安易に言えたかもしれない。

 だが今の俺は――

 

 

 いや。

 そうじゃない。

 

 

「必ず」

 

 俺は一言を絞り出して早々にその場を後にした。

 吐いた言葉が嘘でも真実でも、隻腕の皇子は俺を責めはしないだろう。

 しかし、真実にしようと俺は決めた。

 或いはとっくに、もっと前から決めていたのだ。

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