24.王の手①
議場に集った皇族とその付き人達の顔色を片端から列挙したところで明るい気分にはならない。彼ないし彼女らは一様に剣呑な表情で互いをけん制するかのような視線を交えているだけであり、和やかな話し合いなどが行われる様子は微塵もない。当然ながら。
表面上は呼びかけに応えた形の皇族達だが、真意は別にある。そこのところを全く隠そうともしなかった彼らに潔さを感じはするが、こうして顔を揃えてしまえばやはり粘ついた状況、泥沼と言って良い状態であるには違いない。
ある程度、或いは俺の想像以上に希望を持ってこの会合に挑んだだろう少女の顔も、その空気を読み取ってか表情が固い。古い議席のひとつに大人しく座っている彼女、ミラベルは議場の入り口の脇に控えている俺の視線に気付くや、何の意図か力なく微笑んで見せた。
いや、何となく分からないでもない。
話し合いでの解決を望んでいるミラベルにとってこの会合は千載一遇と言って良い機会だろうが、同時にそれはもう後が無い状況であることも意味する。ここで決裂してしまえば、話し合いなど二度と成立しないだろう。覚悟は決まっていると、ミラベルは伝えたいのかもしれない。彼女なりに。
ただ、俺は彼女がそこまでの覚悟を決めている理由――背景を知らない。家族の情などというものが皇族達にあるのかどうかも分からない。それが理由なのかどうかも。ひとつだけ俺に何か言えるとすれば、少なくともミラベルとマリーの間にはそれがある。そう見える。恐らく、それが答えなのだろう。
合理に寄った思考を持つはずの賢いミラベルは、その性質と真逆の目的を持ってしまっている。
だとして。
果たして、彼女の願いは現実の人々に届くだろうか。
無い。
それはやはり、夢想のような願いなのだ。
人は、本質的に醜い。
己に利するものを正とし、己の欲するものを是とする。俯瞰した視点で見た最善がはっきりと形を見せていても、そこへ向かって無条件に手を取り合えるほど賢くも善良でもない。
俺は、それを悪性だとも思わないが。
「揃ったね。そろそろはじめようか」
第七皇女――イヴェットがやや遅れて議場に現れた頃合いで、穏やかな声がミラベルを促した。今まで静かに座っていたその皇子、アーネストは側近の女性騎士、エニエス氏以外は傍に付けていない。荒事にはならないだろうと踏んでいるのか、それとも自分とエニエス氏の腕に相当の自信があるのか。どちらかまではやはり読み取れない。
「はい」
珍しく緊張の色を見せながら、ミラベルが席を立つ。
彼女の傍らには見知った人物、カタリナが居た。但し、日頃とは纏っている空気が違う。凛然と立つこの騎士の少女は、抑揚のない語調で言葉を並べ始めた。
「僭越ではございますが、わたくしからまず皆様にご説明させて頂く事項がございます。皆様も既に……ご承知でありましょうが、かの皇帝陛下が創られたと言われている新たな魔法についての大まかな解析結果です」
「君は?」
「カタリナ・ルースと申します。父より九天の一を継ぎました」
「九天の長? 君のような若い子が?」
怪訝な顔で訊ねた髭の皇子、マクシミリアンは驚いたような顔をしてみせた。
芝居だろう、とは思う。なぜなら、
「そんな話は初耳だが……へえ、そうか。なら信用が置けるな」
と安易に一人相槌を打つマクシミリアンのおかげで他の皇族連中もカタリナに対して一定の発言力を認めなくてはならなくなった。すなわち、穏やかな表情で着席したアーネスト、鋭い視線をカタリナに向けているレオナール、我関せずと言わんばかりにそっぽを向いているイヴェットの三名だ。
「ありがとうございます」
感謝の意を口にするカタリナは、しかし、続けざまに言った。
「ですが、先にお断りさせて頂きたいことがございます。私から皆様に魔法……火葬を再現可能な状態で共有させて頂くことはありません。それは、この場におられる全ての方々に例外なくご承諾頂きたい」
「馬鹿な! そのような取り決めなど……それでは何のための会合か!」
イヴェットの付き人が間髪入れずに反応した。
腰を浮かせ、憤怒の表情でカタリナを見ている。その様子にカタリナは冷ややかな目を――そして、主であるはずのイヴェットも魔術師を白けたような顔で見ていた。
主の視線に気付いた術師は、我に返って後退る。
お話にならない。その反応では自白しているようなものだ。
火葬がどういった種類の魔法であるか既に知っているのだと。
この場で行われてようとしているのは和解ではなく、交渉であるのだと。
音もたてずに失笑していたアーネストが口を開く。
「まあ、取り繕うのはなしにしよう。聴衆が居るわけでもなし、記録を残すつもりもない。皆、最初から腹を割って話すべきだ」
「どうやら……そのようですね」
頷くミラベルは失望を隠さなかった。
イヴェットやマクシミリアンが何を求めてこの場に来たのかを悟ったのだ。
「……続けても?」
問うカタリナは、もはや嫌悪の色を隠そうともしていなかった。
ミラベル以外の皇族達を侮蔑の表情で見据えながら訊ねる彼女に、マクシミリアンがジェスチャーで先を話すよう促す。
「ではご説明させていただきます」
カタリナは事前に用意した数頁の資料を皇族達に配って回った。
書面に目を落としたマクシミリアンが顔をしかめ、レオナールは自身で資料を一瞥した後つまらなさそうに配下の騎士へ手渡し、イヴェットは笑みを浮かべながら黙々と文面を読み進める様子だった。
アーネストは読みもしない。静かに腕組をしてカタリナを観察している。
「火葬は絶大な威力を持った……ある種の破壊魔法です。親術式となる物質転換術を中核に、無数の子術式が付随する構成になっています。子術式の数が数ですので、当然ながら詠唱には付呪が必須となります」
「七万、八千工程……? これは……確かな話かね?」
「勿論」
思わず、といった顔で疑義を口にしたマクシミリアンがきっぱりと答えたカタリナの言葉に閉口した。議場内にはどよめきが生まれる。
当たり前だ。
通常、魔術の工程数は多くても十かそこらで、百を超えれば高位――ほんのひと握りの天才しか生み出せず、個人で操ることは叶わない秘蹟である。一般的に大魔法と呼ばれる転移門や城塞級の魔法障壁だって単位としては千に留まるだろう。スケールが違う。
マクシミリアンを含め、この場の皇族達は火葬のことを革新的な威力を持った新魔法――などと理解していたかもしれない。本当にそれだけだったら話は簡単だったろうが、
「つまり……術式を知っている人間ですら付呪器具なしには使用できないってことねぇ」
にやけた顔で確認するイヴェットの声音にも苦い感情が見え隠れしている。
七万八千にも及ぶ複雑な工程を詠唱文に起こしたところで、それを暗唱できる人間など存在しないだろう。いや、居るかもしれないが一般論で言えば不可能だ。
この時点で皇族達は火葬の複製を断念しなければならない。仮に術式をカタリナが公開したとしても、この場でその全てを記憶、あるいは記録して持ち帰るのは不可能だ。そもそもカタリナは完全な術式を公開するつもりがない。
手に入れる方法があるとすれば――
「付呪器具の実物はここにあります」
言いながらカタリナがミラベルの議席の上に置いた赤い立方体、火葬の術式が織り込まれた石を強奪することくらいだろう。俺達が魔導院からそうしたように、だ。
それも現状では困難だろう。ミラベルが用意したこの場で戦いを挑むのはシンプルに戦術的不利である以前に、他の皇族に協定違反の大義名分を与えることになる。それこそ他の全員で示し合わせでもしなければ自死に等しい。
「火葬を渡すつもりはない、と。大前提としてそう言ってるわけだ」
「わたくしはそうです」
「ほう?」
どこか含みのあるカタリナの返答をミラベルが引き取る。
幾分か迷った様子は見られるものの、彼女は言う。
「私個人としては……場合によっては誰かに委ねてもいいと考えています。それが争いを終わらせるのに必要なことであれば……やむを得ないと」
「なるほど。まあ、そうだろうな。でなければ君たちの話が本当かどうかも検証しようがない」
「ええ」
ミラベルとマクシミリアンとの間で交わされるやり取りは到底承服できない内容ではあるのだが、俺が口を挟む時でもない。まだ。
「いくら工程数が多いとはいえ、たかが物質転換術で……街ひとつを焼くような絶大な威力を発揮すると? そんな魔法……にわかに信じ難い話です。そもそも三法則にも反している」
今度はレオナールの連れた若い男の騎士が疑念を露わにする。
三法則という言葉は魔術に疎い俺にはよく分からない。だが、魔素を物質に変換する術式、例えば石や水といったものを生み出す魔術で大きな破壊力が生まれるという話を、現界の人間が直感的に理解できないのは当然と言える。
彼は、石や水を生み出して何千回こねくり回したとしても、既存の破壊魔法を上回ることは決してない――と言いたいのだろう。
ミラベルは大きく頷いた。
「まさにその点が重要なのです。この魔法の根底にあるのは私達の常識とは根本から異なる……科学と呼ばれる異界の知識です。これを現皇帝バフィラスは保持している。火葬はこの事実の証左となります」
皇帝が神代に異界から来た異邦人、現代で言うところの神そのものであるという一見荒唐無稽な事実を、かねてからミラベルは他の皇族達に説明し続けてきた。その荒唐無稽を現実に引きずり下ろす第一歩がこれだ。同じくらい荒唐無稽な魔法の存在を実際に証明してみせることで、皇帝の正体を明らかにする――
「うん。陛下の優れた知啓の賜物……とするにはいささか度が過ぎているからね。火葬は。まさか都市を焼けるとは。まさしく神の火だ」
さした驚いた風でもないアーネストが同調する。
彼はあくまでミラベル、継承戦をここで終了させる側に立って話を運ぶつもりのようだ。明確に味方であると言って良いだろう。
となると、問題はやはり――第三皇子、レオナールである。彼は煩わそうにミラベルへと口を開いた。
「だからお前の言うように……継承戦の勝者に帝位は与えられない。そのよく分からない神のような者に操られるか何かをされて、体良く使われるだけだと?」
「はい」
「飛躍だな、その理屈は」
「ですが事実です、レオナール兄様。あなた達は先代より以前の皇家を知らない」
なるほど、と俺は一人納得する。
少なくともマリーとミラベルは先代以前の皇家――つまり継承戦が古来から繰り返されてきた事実に気付いているが、皇子達全員がそれを知っていたらそもそも継承戦は成立しないだろう。知らされていないと考えるのが妥当だ。そのレベルで秘されているのなら、競争相手から言われてもすんなりと信じはすまい。何か証拠が無ければ。
「現皇帝は前回の継承戦を勝ち残った皇女の子にあたります」
きっぱりと言い切るあたり、ミラベルには確信があるのだろう。その点については証拠になる記録があるのかもしれない。
「……つまり、勝者の子がそれになる、と。我々の知らない力によって」
「はい」
「はは、いや。ひどい茶番だね」
変わらずつまらなさそうに確認するレオナールと、端的な感想を穏やかに述べるアーネスト。肯定する言葉を会話に差し挟むことで仮定を事実に見せかける手法だろう。
議場に集っている五人の皇族のうち、ミラベルとアーネストはこの流れを既定路線として進めていくつもりだろう。マクシミリアンは思案に耽り、イヴェットもニヤついているだけで発言を控えている。この現状では、レオナールがどう反応しようと覆すのは難しい。つまり、今のところ会合の内容に問題はない。順調だ。皇族達の目的が実利的な面にあったことは、ミラベルにとって不本意だろうが。
「で、タカナシ殿は長兄殿とイヴェットに何を吹き込んだのだ。多弁な彼らにしてはやけに大人しいようだが」
変わらず議場の入り口の脇に控えていた俺に、傍らで黙って立っていたマリーが声を掛けてきた。議場に居る六人目の皇族でありながらも、彼女はあくまで番兵団の一員としてここに居る。自他共に認める勘定から除外された唯一の皇族だ。
「ああ、あまり特別なことじゃないが……そうだな。無駄な議論が起きないように条件を飲んでもらってる」
「条件?」
「あのふたりには……それぞれの真の目的に関わらない部分に関しては互いに口を挟まないようお願いしてあるんだ。その代わり俺はふたりの目的に協力する。あのふたりは別に皇帝になりたいわけじゃないらしいから、継承戦を終了すること自体に異論はないはずだった。だから成立した条件だな。大雑把に言うとそんな感じ」
「ふむ……懐柔済だ、と」
「取引だよ。対等な」
「物は言いようということか」
俺は苦笑する。
言葉選びが何にせよ、マクシミリアンとイヴェットは問題ない。
後はレオナールがどう出るのか、だ。
「……タカナシ殿は次兄殿と三兄殿のどちらを疑っているのだ」
「五分五分だ。今のところ」
アーネストには不義理だと思いつつも、俺は正直な気持ちを口にしていた。彼に怪しい点があり、レオナールについては殆ど情報がない。今のままでは敵を断定するには至らない。今のままでは。
「ふむ? 今のところ?」
「大丈夫だ。じきに終わる」
王手は済んでいる。
この先は読めない。だが、読む必要もない。
どちらに転んだとしても次は詰みだ。
「わたしには早い、というあなたの言い分はもっともかもしれん。わたしには感心できないやり方のように思える。なにか、こう……」
「卑怯な気がする、か」
「……かもしれない」
固い顔で頷くマリーに、俺は少し笑ってみせる。
「かもしれない、じゃない。卑怯なんだ。汚い手だ」
マリーも、カタリナも。ミラベルにさえ伝えずに俺が下準備をした理由。
これは非道の行いではないだろう。しかし、決して王道の行いでもない。そして目的は手段を正当化しない。俺自身、自分を正当化するつもりはない。その責任や代償は俺だけのものであって、彼女達には関係ないことだ。
「君はそれでいい」
それだけ告げて、俺は意識を会合へと戻した。
隣のマリーがどんな顔をしているかは見なかった。
議論は継承戦が欺瞞である、という仮定が事実として扱われそうな頃合いだった。だがこの議場には最低でもひとり、それでは困る人物が居る。そこだけははっきりしている。ただ一人、表立って帝位を欲している者、レオナールだ。
「俺はそれでも構わん。勝ち抜いて奴を殺せばいいだけのことだ」
奴、が指しているのが皇帝であるということはこれまでの流れからも明らかなのだが、獅子のような彼は、まるで何でもないことのようにそう言った。
続けざまに付け加える。
「お前達が継承戦を止めても関係無い。やることは変わらない。障害は戦って潰す。奴だろうと、お前達だろうと」
予想以上に好戦的な輩である。
獅子、というよりもはや飢えた狼のような目をしている。
だがその言葉は――姿勢は少なからずブラフだ。でなければこの場にレオナールの姿があること自体が矛盾している。彼は彼なりの目的を持ってここに居るはずなのだ。究極的には自称しているとおり帝位に就くことなのだろうが、そこに繋がるような短期的な目的があるはず――
なら、くれてやればいい。
俺の意思に呼応するかのようなタイミングで、マクシミリアンが破願した。
「はは、レオは変わらないな。ちょうどいい。なら俺は、継承戦を降りてお前を次期皇帝に推すよ」
「……なに?」
さすがに第一皇子のこの言葉にはレオナールだけでなく、ミラベルやアーネストも含む全員が顔色を変えた。
驚きからいち早く脱却したのはイヴェットだった。既に俺がマクシミリアンを抱き込んでいることに気付いたのだろうか。一瞬、視線だけを俺に向けて引き攣ったような笑みを浮かべる。言いたいことは分からなかったので、とりあえずウインクしておく。
マクシミリアンはその僅かなやり取りを見逃さなかったらしい。
「聞こえなかったか? お前が帝位に就け、レオ。俺は応援する。これなら俺達が争う理由はないだろ。なあ、イヴェット」
「……えぇ。そうねぇ。私もそれでいいわぁ。元首の仕事なんて煩わしいだけよぉ」
マクシミリアンがイヴェットを巻き込む形で結論を出す。
予定通りの流れだ。マクシミリアンとイヴェットは継承権争いを放棄し、各々の目的に沿った対価を俺から得ることを確約している。
この流れを逃すミラベルではなかった。
「わ、私も帝位など望んでいません。これ以上無意味な争いを続けるくらいなら……アーネストお兄様もそうでしょう?」
「……ああ、勿論だとも。君達がそこまですんなりと引き下がるとは思っていなかったが……うん、良い意味で裏切られたな。驚いたよ」
ミラベルに引き摺られる形でアーネストも同意する。
これでレオナール以外の全員が継承権を放棄した格好だ。これも、予定通り。
レオナール自身は露骨に警戒している様子だった。
完全に予想外の流れだったのだろう。最初から争いを止めようとしている立場のミラベルとアーネストはともかく、第一皇子であるマクシミリアンと欲が深そうなイヴェットまでもが大人しく従うとは思っていなかったのだ。
当惑。疑心。気勢を削がれつつ、様々な思考に囚われているのだろう。レオナールは黙考する。
「何が狙いだ、マクシミリアン。この状況は何だ」
思考の末、隻腕の獅子は兄に真正面から問うた。
あまり上手い手ではないが、他にやりようもなかったのだろう。
当然、マクシミリアンが馬鹿正直に答える筈もない。
「言ったままさ。こんな茶番はそろそろ終わるべきだ。その代償にお前が皇帝になるって話なら収支は悪くない。むしろお釣りがくる。お前は見るからに危ういが、愚か者じゃあない」
「……」
この兄弟の間にも何か軋轢があるのかもしれないが、会合を離れた位置から聴いているだけの俺には窺い知れないことだ。
これでレオナールは戦う理由も名分も失った。疑念こそあっても、全員の推挙を甘んじて受けるしかない。彼に二心がない限りは。
再び無言で思案するレオナールだったが、しばらくの後に中座を告げて議場を後にした。それからアーネスト、マクシミリアンが続いて退席。会合は一時中断となった。




