23.暗躍③
例の話し合いにセントレアの議場が使用されると聞いた時から、自身を何とか話し合いの場に差し込めないかと苦慮していた俺は、番兵団としての警備を町長経由で申し出ることでそれを実現することにした。
皇族連中は自前の騎士を連れて来ているらしいので、貧弱な番兵団が警備なんぞをする必要は何処にもないのだろうが、口実さえ用意できればこっちのものである。渋るアーネストとマクシミリアンにゴネにゴネて議場の警備の任を勝ち取ったのだった。
議場といってもこの片田舎に城郭都市ばりの立派な庁舎があるわけもなく、築百年だか百五十年だかの単なる木造二階建ての館である。教会の倍くらいの床面積があるが取り柄は広さだけで、肝心の議場にも同心円状に並んだ古い議席があるだけだ。過疎化が進んで議会という制度が事実上消滅したこの街には完全に無用の長物であり、まともに人が足を踏み入れるのも半世紀ぶりといった有様だ。
そんな気の抜けるような場所だったが、参集した顔ぶれはどうにも異様である。開け放たれた議場の扉をくぐっていく皇族達の姿を、俺は玄関ホールの少し離れた柱の傍で見ていた。
ミラベルやアーネスト、マクシミリアンは既に見知っている。少々雰囲気に飲まれたのは、彼女らに続いて大柄な美丈夫が現れた時だった。燃えるような赤髪と整いながらも精悍な顔つきの印象も強かったが、それよりも彼には、ひと目で分かる違和感があった。
丈の長い厚手の外衣の上から右腕だけに甲冑を身に付けている。それはいいのだが、問題は左腕である。肩からひらひらと下がった外衣の袖には、明らかに中身が存在しない。それでいて背に帯びているのは大ぶりな戦斧。斧頭が通常の倍はあろうかというサイズで、柄まで鋼と見て取れる。
片腕であれを扱うのか、と感心半分に呆気に取られていると、彼と目が合った。猛禽類か何かのような鋭い眼差しだったが、敵意や害意のある空気ではない。たまたま目が合っただけ、といった感触である。
現に彼は特にリアクションもなく議場に入って行った。続いて甲冑を着込んだ騎士が二名ほど議場入って行くのを見送りつつ、俺は素直な感想を漏らす。
「……あれに護衛が必要かねえ?」
「やはりタカナシ殿には分かるものなのか」
「まあ、何となく。だいぶ人斬ってるな、ありゃ。二桁じゃきかんだろ」
「火星天騎士団は前線で戦っているからな。三兄殿もわたしくらいの歳から戦場に出ていると聞いたことがある」
「悲惨だな」
傍に立っているマリーの補足説明を受けて、はっきりと確認する。
先程の隻腕の男が第三皇子のレオナールだ。過去に皇帝に挑み、無事では済まなかったと聞いてはいたが、あれと戦って代償が腕一本なら安い方だろう。
「それにしても……何だかな」
「どうしたのだ?」
「さっきのライオン君、見てみた感じ小細工とかは嫌いそうだなと。いや印象なんてアテにはならんが……裏でコソコソやる奴には見えなかった」
「ふむ。三兄殿にそういった印象が無いのはわたしもだが……軽々に言い切れるものでもあるまい」
「いやいや、ああいう手合いなら敵は正面から自分でぶっ殺しに行くんじゃないかな。その方が話が速いっつって」
「そ、そういうものか」
「経験則ではな」
マリーは何とも言えない、渋い顔をする。
無論、俺の意見は何の足しにもならない過去の例からの推測でしかないが、レオナールが怪しいかというと首を縦に振れないのも確かだった。
彼は、雰囲気で言えばミラベルよりもマリーに近い。王道を往く者特有の気配がある。陽光の差す場所だけを選んで堂々と歩く者だ。彼の評判を聞く限り、覇道と言った方が妥当なのかもしれないが。
「まあ、ライオン君は良いか……問題はあれだな」
「む?」
首を傾げるマリーに、俺は顎で自身の視線の先を示した。
その人物は、ちょうど館に入って来たばかりだった。遠目で見れば百合のようなシルエットの紫のドレスを身に纏った、派手なうら若き乙女だ。まあ、それだけならまだしもなのだが、どう考えてもおかしな物を両手で携えている。
髑髏だ。剥き出しの頭蓋骨である。常識的に考えれば有り得ない所持品だろう。というか意味が分からない。もしかすると死霊術の使い手なのだろうか。にしたって経歴書を付けて歩いているようなもので、戦術的に見て大いに自爆している。
白い毛皮に巻かれた首の上に乗っかる、少々性格がキツそうな美貌は妙に顔色が悪い。陰気な死霊術師だから、というわけではなさそうで、普通に体調が悪いのだろう。遠目にも顔が赤く、瞼が半分降りているし足元もやや覚束ない。
ああ、あれが皇族だったら嫌だなあ――という俺の願いも虚しく、マリーが澄ました顔で言った。
「イヴェット……か? 様子が変だな」
だよなあ、という言葉は飲み込み、俺は意味不明の風体をしている第七皇女――イヴェットさんの元へと歩き出す。彼女の異変は俺が原因だろうからだ。
付き人なのか護衛なのか知らないが、術師らしき女性二名を引き連れたイヴェットは近寄ってみればそれなりに青い顔をしていた。術師たちが不躾に近寄る俺に向き直って警戒の姿勢をとっても、反応までに二拍ほどの間を要したことからも体調不良は明らかだ。
しんどそうな顔を持ち上げたイヴェットは、鼻声で言葉を発した。
「……なぁに? アンタ」
俺は即答する。
「お風呂を壊した男です」
そして滑らかな動作で土下座を敢行した。
それは、考え得る限り最悪の出会いだったに違いない。
何せこの一言で通じるのだから、彼女の怒りは相当のものだったことだろう。体調が万全だったら即座に激昂していたのではないだろうか。それでも、見る見るうちに鬼の形相と化したイヴェットは手の中の髑髏を振り上げる。
「おま……おまえかあっ! この野郎っ……!」
振り上げるが、空元気はそこまでだった。眩暈によってか、ふらふらと後ろのめりに後退った新たなる皇女様は、お付きの術師達に支えられて辛うじて踏み止まった。
昨夜、俺はスキンファクシの内部で部品を盛大にぶっ壊している。恐らくあれは給湯機能を担っていた付呪器具だったのだが、専門家ではないので確信はなかった。が、あの時に皇族らしき魔力反応が浴場にあったのは間違いなく、女性の声だったので消去法でいってもあれはイヴェットだったのだろう。
つまり彼女は風邪か何かをひいてしまったのだ。風呂が急激に冷えたか、もしくは冷水シャワーか何かで。この寒い季節にそれは洒落にならない。
「本当に申し訳ない。事故みたいなもんですが、大変申し訳ない。このとおり」
「じっ、事故で済むと思ってんのぉ……!? 土下座しろ土下座ぁ……!」
「この男はもう土下座をしています、姫様! 出会い頭に!」
「美しい土下座だわ……! この男、プライドは無いの……!?」
口々に驚愕の言葉を発する術師さん達の視線が痛いが、生憎と俺にはプライドなんてものは無い。額を床に擦り付けんばかりに土下座を続行する。
そんな俺を大層気持ちの悪いものを見るかのような顔で見下していたイヴェットだったが、すぐに馬鹿馬鹿しくなったのか、頭を振って言った。
「……いいでしょう……その安い土下座に免じて特別に許すわぁ……頭も痛いし……」
「寛大な処分、痛み入ります」
「もういいって言ったでしょお……早く失せなさぁい……」
妙に間延びしたした変な喋り方だが、チョロいなこの人。
などという大変ゲスな感想はやはり口にせず、許しを得た俺は即座に立ち上がって皇女様の顔を見下ろした。年の頃はミラベルやカタリナより少し上に見えたが、背丈は彼女達よりも若干低い。うねった金の髪は質だけがマリーにそっくりだった。
華美に着飾った美女ではあるが、切れ長の目が印象的である。平素はもっと刺々しいのだろうが、体調不良のせいか見目ほどには迫力がない。
数秒だけ考えた後、俺は自然とイヴェットの額に掌を当てていた。
「……んなっ!?」
くわ、と切れ長の目が見開かれる。これが大胆な行動なのは前日の行いで思い知ってはいるのだが、熱を測るのに他の最適な所作があれば教えて欲しいくらいだ。
熱い。掌には結構な熱が感じられた。
真っ赤になってわなわなと震えるイヴェットと、真っ青になっている術師さん達には構わず、俺は努めて冷静に告げる。
「やっぱり風邪だ。ちょっと時間をくれないか。処置させてほしい」
「……はあぁ? おまえ、何言って……」
ほぼ初対面、かつ怪しい男であるところの俺に対してチョロ――寛大なイヴェット様もさすがに承服しかねる話だろうことは俺も承知している。しているので、剣帯の鞄から素早く取り出した白い湿布状のシートのセロファンを剥がし、呆気に取られているイヴェット様の白いおでこにペチンと貼りつけた。
「つめたあっ!?」
「姫様!? 貴様、いったい何を!?」
流石に術師さん達の反応も剣呑なものに変わり、身構えられてしまう。
が、他ならぬイヴェット自身が彼女らの動きを右手で素早く制した。それから、恐る恐るといった体で額のシートに触れる。
「何これ……湿布薬、ではないわよねぇ? 湿ったような感触だけど濡れてはいない……熱を奪っている……?」
ブツブツと呟くイヴェットだが、彼女にそれが何なのかは分かる筈もない。
何せ、異界製の冷却ジェルシートである。この瞬間に彼女が数世紀分の技術的飛躍を遂げでもしない限り、理解不能の代物だ。
シートの冷感によって多少楽になったらしいイヴェットは、熱っぽい潤んだ瞳を俺に向ける。
「おまえ、薬師なのぉ?」
「違うがよく効く薬は持ってる。商人としては気になるところだろ。試してみないか」
挑発的な俺の物言いに、術師の方々が再び殺気立つ。
しかし、それもやはりイヴェットが手で合図するとすぐに大人しくなる。彼女は懐から金時計を取り出して時間を確認するや、ニヤと口角を上げた。
「面白いわねぇ、おまえ。会議が始まるまで……三十分だけ付き合ってあげましょうかねぇ。ありがたく思いなさぁい」
と、妖しい笑みを浮かべるイヴェット。
まあ、不敵に言われても彼女のおでこに貼られているシートのせいで全然迫力が無いわ鼻声だわで、むしろちょっと残念な感じであったのだが。
■■■
シッシッとばかりに追い払われてしまった可哀想なお付きの術師さん達は渋々議場の中へと入って行き、ホールの端にある朽ちかけたベンチで俺とイヴェット、そしてマリーが顔を合わせることとなった。
といってもデコに冷却シートを貼り付けたイヴェットはぐったりとベンチに横になっており、例の妖しい髑髏君もベンチの手すりにちょこんと乗っかっている。その傍らに立つマリーはどこから取り出したのかベコベコの鉄のカップに生活魔法で水を注いでいた。全く格好の付かない邂逅である。
「イヴェット・サング・ウッドランドよぉ……おまえも名乗りなさぁい」
「ああ、はいはい。タカナシです、どうぞ宜しく」
もうなんかすっかり毒気を抜かれてしまったので適当に応じつつ、風邪薬の小瓶から錠剤を三錠ほど掌に出す。アンブロキソール塩酸塩、十五ミリグラム。無論、これも異界製の医薬品である。シートも薬も体調が心配なカタリナの為に持って来ていたものだった。
用量は二錠なのだが、二錠をイヴェットに渡しつつ、一錠は俺が飲んで見せた。毒でないというアピールをしておかないと彼女も安心して試せまいとの配慮だったのだが、抜け道は色々あるので大した意味は無かったかもしれない。
フ、と鼻で笑ったイヴェットは躊躇いなく錠剤を口に含んだ。マリーから受け取った水で流し込むや、大きく息を吐いてまた横になる。
俺に付き合うとか以前に、本人がしんどいので休みたかっただけなのでは、と心配になるが、幸いにもイヴェットは寝息を立てたりすることもなく俺に視線を戻した。
「……で、おまえはなに? マリアージュの手下?」
「手下て」
「違うのぉ? まさか男?」
「いやいやそんなわけないだろ……大丈夫か? いや駄目か。風邪だった」
横になったままくつくつと笑うイヴェットだが、二十歳そこそこに見える小娘如きにからかわれるほど俺も落ちぶれてはいない。
それに、こんな風にからかいたがる子に限って自身にそういった経験がなかったりするものだ。たぶん。だから俺は負けてはいない。引き分けだ。
俺がそんな風に自分と格闘していると、マリーが自信たっぷりに言い切った。
「タカナシ殿は男だ」
「……そういう意味じゃないんだよ、マリー」
詳しく説明するのも憚られるので否定だけしておくと、イヴェットはそれで俺とマリーの関係をおおよそ察したらしく、睫毛の長い目をパチパチと瞬かせてから妖しく笑う。
「なら姉の方かしらぁ? 愉快なことねぇ」
「それも違うんだが、結構面倒臭いな君も! この国の皇女様は皆こうなのか!?」
憤慨しつつ自分の外套を脱いでイヴェットに掛ける。彼女は僅かに驚いた様子だったが、特に抵抗もせずに大人しく外套の下に収まった。
具合が悪いので気が弱っている、という面はあるのだろうが、やはり素直だ。マリーの話から想像した強い女性像とはほど遠い――本質的に、弱い。マリーには年上の華やかな女性に見えるのかもしれないが、俺の目にはまだ子供に見える。
「気勢を削がれたって様子ねぇ?」
「否定はしない。まあ、なんだ……もっと凄まじいのを想像してた。古い知り合いの娘ってのもあるし、どうしてもな」
「……そお。東洋人の剣士……へえ、おまえがそうなのねぇ」
納得した様子のイヴェットだったが、すぐに怪しい笑みを浮かべる。
「おまえが私に何の用なのか知らないけど、お正義のお味方様なら余所を当たって頂戴ねぇ。こっちはお伽噺に用事なんてないのよぉ」
「何処にそんな上等な生き物が居るんだ? 俺はただの門番だよ」
「ふうん? でも私もう何人か殺しちゃってるからぁ……今更後戻りできないのよねぇ。ごめんなさいねぇ」
イヴェットは軽い調子でそう言った。
傍らのマリーが息を呑む。
俺は――イヴェットの額の冷却シートを指で弾いた。デコピンである。
「あいたぁっ!? ……くはないけどぉ!」
「はいはい……似てるよ、さすが血の繋がった姉妹だ。君らはそんなんばっかだ」
呆然とするマリーと驚いた様子の小娘に、静かに語りかける。
この小娘が悪ぶりたいならそれでいい。が、俺には彼女の流儀に合わせる義理も時間の猶予も持ち合わせがない。
「じゃあ、商談をしようイヴェット。俺と君で、大きく儲けようじゃないか」




