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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
四章 竜殺し
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22.くすんだ銀①

 教皇、マルト・ヴィリ・カリエールという人物について、ミラベルは物心付いた頃から複雑な想いを抱いている。親類というものが父と兄弟姉妹しか居ない彼女にとって、マルトは最も祖母という概念に近しい人間ではあった。感情的にも、立場としても。

 

 父である皇帝バフィラス・アルバ・ウッドランドの母、一代前の継承戦を勝ち残った皇女は既にこの世を去っている。その本当の祖母の忠実なる騎士として継承戦を戦い抜いたのが、当時の水星天騎士団の長を務めていたマルトであった。

 祖母とマルトは実の姉妹のように仲睦まじかったと伝わっている。やがて祖母がバフィラスを生み――彼が父親を持たず、生後数年で祖母と同様の年頃にまで成長したという怪異の子であったとしても、変わらず親愛を持って接するほど祖母とマルトの絆は強かった。

 皇帝に即位したバフィラスに対しても恐れるどころか自身の息子のように扱い、彼の方もそれを許したという。そのバフィラスが次代の皇子を作り出す(・・・・)段になっても親交は変わらず保たれていた。

 皇子らにとってのマルトは先代から皇家を見守り続けている守護者のような存在であり、謎の多い皇家についての生き字引でもあった。

 

 しかし、彼女が皇家に向けているものが愛情なのかそうでないのか。

 幼い頃からミラベルには分からない。

 

 上層(アッパーフロア)の緑地を駆け回る皇子たちに彼女が向ける優しい目は慈愛に満ちているように見えた。しかし一方で、彼女は苛烈と言わざるを得ないような態度もとっていた。男子には手ずから剣技を、女子には不自然なまでに高等な戦闘用魔術を。それぞれに一つずつ伝授したのだ。

 幼い皇子たちに高位騎士の技と術は重過ぎる。ただ一つだけだとしても修練は過酷を極め、アデリーヌのように体を壊す者も出るほどだった。

 正気の沙汰では無い。宮中の誰もがそう口にする中でも、マルトは常に微笑んでいた。マルト・ヴィリ・カリエールという老婆はそういうものだった。

 

 他ならぬ彼女の口から継承戦の仔細について早期に知らされたミラベルは、連綿と続けられてきたそのしきたりの過酷さと冷酷さに大きく打ちひしがれた。やがて帝位を巡って兄弟姉妹たちが殺し合いをしなければならないのだという現実は、末の辺りに位置するこの皇女にはまだ厳し過ぎた。

 しかし、そのミラベルを叱咤し「戦わなければただ死するのみ」と教えたのもまた、マルトだった。何の力も持たなかったミラベルが上の皇子たちや国教会の重鎮たちを脅かすほどの能力を身に付けたのもマルトの教えがあったからだ。血反吐を吐くような辛苦を伴いながらも、それは真実だった。

 

 結局、ミラベルが最終的にマルトに対して抱いた感情も親愛と感謝だった。僅かな恨みや怒りも無くはなかったものの、マルトが自分を鍛え上げなければ継承戦で早々に屠られていただろうとは容易に想像がつく。その事実の前では、過酷だった修練への恨み節よりも感謝が勝る。ミラベルが十分な準備のもとで継承戦に臨むことができたのも彼女のおかげと言えた。

 

 それでも、ただ一点。

 ただひとつの点において、ミラベルとマルトは折り合わない。

 

 ミラベルは父バフィラス――その身に宿る始祖の皇帝カレルの存在を認められない。愛すべき兄弟姉妹たちを死に追いやってまで自身の保存を望む人でなし(・・・・)を、どうしても容認できない。絶対に許せなかった。

 自分達は彼の妄執の為の道具などではない。人格を有した一個の人間なのだという、反骨の精神。人間としてありたい、人として当たり前に生きたいという願望がミラベルという少女の核であった。

 

 だからこそ、継承戦が始まってからはマルトとは距離を置いていた。

 彼女が継承戦を望んでいる、全面的に肯定している側の人間だと理解していたからだ。どういう形であっても継承戦という忌まわしき慣例を壊そうとしているミラベルにとって、マルトは確実に大きな障害になる。動きを悟られれば戦いになるだろうとミラベルは予期していたのだ。

 

 しかし自ら姿を現したマルトは、彼女が親しんだ祖母の顔のままだった。

 

「あなたの彼と話しましたよ、ミラベル。武芸者としてはくたびれているし細過ぎるけれど、あれはなかなか見所のある殿方だわ。口惜しいことね……おばあちゃんがもう七十ほど若ければ絶対に放っては置かないのだけれど……」

「何言ってるの……?」

 

 悪戯っぽい響きを多分に含んだマルトの声を聞き、ミラベルは書類に落としていた視線を上げる。老女はいつの間にか執務室の暖炉の前に立っていた。

 現れた気配は無かった。しかし、何も不思議ではないとミラベルは思う。剣聖とまで謳われた彼女の力は衰えていない。背は曲がらず、目を盲いることもなく、枯れ木のような四肢にも未だ芯が通っている。

 

「特にあの目が素敵だわ。日頃から相手を観察する癖があるのでしょうね」

 

 何処か楽しそうに呟くマルト。ミラベルは彼女を苦い表情で見た。

 マルトの言う彼――門番の少年の黒に近いブラウンの瞳は、普段は概ね死んだ魚のように濁っている。生き返ることは殆どない。

 彼は自分の思考や感情を言葉にこそしないものの、隠そうともしない。行動や表情に直接現れるタイプの人物だ。だからこそ見る者が見れば分かる。長い生の果てに、彼の精神は疲れ果てている。死んだ目はその象徴でもあった。

 

 あくまで私的に行動しているというマルトは、セントレアの教会に客人として逗留している。その言葉を額面どおりに受け取っている人間はいない。彼女には何か目的があるとミラベルは踏んでいる。

 しかし、分からない。門番の少年や彼の守る往還門を欲した皇帝が差し向けたのかと考えはしたものの、マルトがそういった動きを見せる様子はなかった。では奪取された火葬(クレメイト)を奪還しに来たのかというと、それもない。今日行われようとしている話し合いの妨害をする気配すらもない。

 この数日でマルトが見せた行動と言えば、のんびりとした様子で街を散歩しながら、逃げ回っているらしい弟子を追っている程度であった。

 

「彼に手を出さなかったのが不思議、という顔をしているわね」

「実際不思議だもの。タカナシ様が誰かに後れを取るとは微塵も思わないけど、宮中でも彼と渡り合える目があるのは……おばあちゃんくらいなものでしょ」

「うふふ、そうね。確かに、今の皇国に彼に敵う騎士は居ない。わたくしでも……ちょっと、どうかしら。剣を合わせてみなければ何とも言えないわ」

 

 老女はやはり楽しそうにコロコロと笑った。

 言葉とは裏腹なその態度に、ミラベルは強い自負を感じ取る。

 

「安心なさい。あなたにちょっかいを出そうとは思わないわ。必要もないし」

「……必要ない?」

「ええ、必要ない」

 

 言い切るマルトにミラベルは改めて警戒心を強くする。

 必要があれば手を出す、と言っているようなものだ。加えて、今その必要がないとは――現時点で自分達は皇帝を脅かすような存在ではないと判断されているに等しい。

 皇帝は未来予知の力を持っているのだと門番の少年が言っていた。皇帝の力の一端は皇族であれば皆、一度は目の当たりにしたことがある。しかし、予知についてはミラベルも初耳だった。それがどの程度の範囲を持つ力なのか、ミラベルには分からない。

 

 もし、今の自分達の動きでさえ皇帝の予知の範囲内なのだとしたら。そう考えると身の竦むような思いがする。アーネストの助力があってようやく会合が実現したというのに、この先に希望はないのかもしれない。そんな疑念を拭い去ることができない。

 

「今はただ、あなた達の手並みを見させてもらいますよ、ミラベル。これでもあなた達には期待しているの。ああ、とっても楽しみだわ」

 

 音も無く歩き去っていくマルトを見送り、ミラベルは暖炉の炎に視線を移した。

 老女の真意は変わらず見えない。が、彼女と明確に敵対する気はミラベルにはない。感情的にも、立場としても不可能だ。

 ミラベルの実働戦力は全て指揮下の水星天騎士団に依存している。水星天騎士団は元々国教会に連なる組織であり、国教会に対する帰属意識が強い人員もそれなりに在籍している。ミラベルが実権を得てからまだ染まって(・・・・)いない騎士を積極的に集めてはいたものの、割合としては半分程度に留まる。国教会の長であるマルトと事を構えるとなると組織として割れる可能性があった。

 その上で自分個人について来てくれる騎士が果たして何人居るか――ミラベルには分からない。最悪、皆無ということも有り得ると彼女は自嘲する。自身に人徳が無いのは今に始まったことではない。碌な戦力も持たない妹の命を狙った時から分かり切ったことだ。こんな人間に誰が本心から味方をするだろう。下手をすれば背中を刺されかねない。

 

 門番の少年はどうするだろうか。彼は――いや、彼を危険に晒すわけにはいかない。万が一にもそれは避けたい。やはりマルトと敵対するのはリスクが大き過ぎる。気乗りもしない。ミラベルは溜息を吐いた。

 

「あーあ……こんなに運に恵まれても綱渡りは終わらない、か……前世の行いがよほど悪かったのかな。今世も悪いけど……」

 

 真綿で首を絞められているような、気付かないうちに死地に誘導されているような、漠然とした嫌な予感があった。目の前に希望がぶら下がっている分、気味が悪い。

 しかし、今は進むより他に道がない。つまり、いつもどおりである。存分に策を弄した後は出たとこ勝負。くよくよと悩むことはあっても、足踏みをし続けるのは彼女の性分ではない。

 バシバシと数度自分の顔を叩いて席を立ったミラベルは、愛用の長杖を携えて歩き出す。会談の準備は既に整っている。残るは、最善を尽くすのみだ。

 執務室を出ると完全武装の騎士が三名立っていた。信用できる、少なくとも裏切る理由の見当たらない数少ない騎士達。老騎士トビアス・ガルーザと若き騎士モイラとヘッケルである。

 

「トビアス、留守を頼みます。全員を出動可能な状態で待機させて。モイラとヘッケルは私と一緒に行動を」

「承知いたしました、姫様」

 

 老騎士は敬礼する。

 が、ヘッケルは不思議そうに首を捻った。

 何故自分達が呼ばれたのか分からない、といった顔で口を開く。

 

「自分らがスか? こう言っちゃなんスけど、もっと腕の立つの連れてった方が……」

「タカナシ様相手に五分も打ち合えれば上出来でしょう。頼りにしています」

「あ、あれは稽古ですよ……!」

 

 謙遜するモイラの言葉を聞かず、ミラベルは足早に廊下を行く。

 有無を言わせない態度に騎士二人は顔を見合わせながらも後に続く。

 

「なにも手練れと戦えという話ではありません。あなた達には警備をお願いします」

「警備、ですか?」

「この街の中央にある古い議場……今日、これからその建物で会議を行います。これは皇族全員が参加する重要な会議であり、敵対勢力からの妨害が想定されます」

「なるほど……」

 

 皇女が歩きながら説明すると、モイラが表情を硬くした。敵対勢力、などとぼかした言い回しをしている辺りに懸念を感じ取っている様子であった。

 一方のヘッケルは眉間に皴を寄せる。

 

「なんでまたそんなとこで重要な会議なんかやるんスか。この街の施設ってことは木造っスよね。だったらまだ野営地の方がなんぼかましッスよ。火魔法ドコドコぶち込まれたら警備もクソもねッス」

 

 意外に戦術的なヘッケルの意見にミラベルが感心していると、モイラが反応した。

 武門の出である彼女がより正鵠を射る。

 

「ミラベル様は伏兵を警戒されてるんだと思いますよ。身内に内通者が居ないとも限りませんし、罠を張られる方が厄介ですから」

「ええ。つい先程、使われていない街の施設から無作為に選んだので、少なくとも罠の危険はありません。魔術攻撃なら大した脅威ではありませんし、この際、建物の防御力はどうでもいいです」

「ど、どうでも……? 普通どうでもよくねえッスけど……まあ、でも言われてみりゃ確かにッス。ミラベル様の魔法障壁(アエギス)破れる魔術師なんて居ねえッスね」

 

 予想以上に心得がある様子の二人に人選を再確認する。門番の少年や九天(ナインズ)、マルトのような理外の怪物達とは比べるべくもないが、常識の範疇で頼りになる騎士であるに違いない。他の九大騎士団と比較して技量に劣る水星天騎士団の団員にしては貴重だ。

 

「カタリナも来るので九天(ナインズ)も出張ってくるでしょうし、他の皇族の騎士も警護に出てくると思います。なので深刻に構える必要はありませんが……彼らが味方とは限らないことは念頭に置いておいてください。有事の際の判断は一任します。二人で状況に対応を」

「……了解しました」

「ういッス。そのあたりは骨身に染みてるッス」

 

 緊張した面持ちのモイラと、軽い調子で返事をしながらも眼差しだけが真剣な光を帯びるヘッケル。そういえば木蓮(マグノリア)との一件で負傷したのは彼だったか、とミラベルは今更に思い出して納得する。モイラも信用に足ると門番の少年からお墨付きが出ていた。両名とも、盤石とは言えずともやはり適当な人選だろう。

 

 教会を出ると既に日は傾きつつあった。夕暮れの橙に照らされた牧歌的風景の端に、見慣れた門番の少年の姿がある。傍らには夕日の中であってなお存在感の強い金の髪の少女が立っていた。

 

「タカナシ様……マリアージュ?」

 

 妹を会議に出すつもりは無かったミラベルは二人の姿に戸惑う。妹が無力であるとは思わなかったが、今回の件で何かできるとも思わない。むしろ危険に巻き込むのではないか、という懸念の方が強かった。

 しかし、堅い顔で会釈する妹の傍に立つ黒髪の少年はさして困ったふうでもなく、意味ありげな目配せをミラベルに行うだけだった。妹が無理を言って現れた雰囲気ではない。だとすれば、この皇女には許可以外の選択肢が無かった。

 

 昨日今日と、門番の少年が何か裏で仕込みをしていたのも薄々勘付いてはいる。

 街の住人に紛れ込ませている間者からは彼が飛行艦に乗り込んだと報告を受けていた。意図は不明であったが、あの少年は普段から突飛な行動が多い。思考も余人には計りかねる。

 

 何にせよ、彼らの存在は心強い。頼みもしないのにやってきた門番の少年と妹に、ミラベルは微笑みかけた。内心の漠然とした不安を、笑顔の仮面の下に隠したまま。

 様々な火種を内包してしまったこの街で、もうすぐ何かが起きようとしている。その中で頼りにできるものは、存外に少ない。

 それでも、ミラベルは足を踏み出す。「戦わなければただ死するのみ」だ。今は敵でも味方でもない老女の言葉は、強く胸に刻み込まれている。抗い、戦い続けることだけが今の自分に許される、ただひとつのこと。

 

 傍らのモイラが、先程のまでの緊張した様子と打って変わって無邪気に門番の少年へと手を振った。その素直さが少しだけ羨ましい、若き女騎士の様子を横目で捉えて苦笑しつつ、すぐに感情を振り切った銀髪の皇女は、ただ前を向いた。

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