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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
四章 竜殺し
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21.暗躍②

「要するに、マッ……マクシミリアン達は皇帝(カレル)の正体がどうとかよりミラベルが持ってる火葬(クレメイト)が怖いんだろうな。だから一旦は継承戦を差し置いてでもミラベルと話を付けようとしてるわけだ」

「……なら、とっくに火葬(クレメイト)の存在は知っていたと」

「多分な。少なくともマクシミリアンは自分が皇都ごと吹っ飛ばされるんじゃないかって心配してるっぽかった。なんか色々ストレス溜まってそうだったなー……」

「長兄殿は昔から心配性なのだ。姉上がそんなことをするわけがないというに」

「ミラベルから何か恨みでも買ってるんじゃないか?」

「どうだろう。わたしには思い当たる節がない…………というか」

 

 マリーはそこで言葉を切り、非常に含蓄のある表情をした。生来の生真面目さと羞恥が果てしないバトルを行っているかのような面持ちである。そういう顔をされるとこちらも昨日の出来事を思い出してしまうのだが、

 

「いくらわたしでもさすがに寝起きの姿を見せるのは……その、なんだ。少し恥ずかしいというか……だな」

 

 そっちではなかったらしい。

 くすんだ窓ガラスから朝日の差す寝室。ベッドの上でシーツに包まっているマリーも普段の凛然とした姿ではなく、寝ぼけまなこで寝ぐせが特に酷い。反物か何かのようにストンと真っ直ぐなストレートである筈が、一体いかなる寝相を発揮したらそうなるのかという、まるで竹箒が如き有様である。

 だからといってどうということはない。寝起きなんて誰だってそんなものだし、子供の時分であれば尚更だろう。俺に至ってはこの歳で寝ぐせのまま過ごしていることもなくはない。

 

「悪いとは思うんだが……居間でこんな話はできない」

「まったく、厄介な同居人殿だ」

 

 扉の向こう、キッチンからは朝食の用意の音が聞こえてきている。三人目の門番、料理上手のリコリス女史である。妙な仮面を被った奇人である以外は欠点の無い素敵な彼女だが、さすがに継承戦に巻き込むわけにはいかない。

 

「それで、タカナシ殿は朝まで長兄殿と何を話していたのだ?」

「色々と下拵えを。酒飲んでて気付いたら朝だった」

「それはそれは。夜番を押し付けられたリコリス殿もさぞご立腹だったろう」

「あいつ普通に門で寝てたぞ」

「……すごいな」

「すごいよな。あの見た目で野宿のプロだ」

 

 隠形で近寄ったのにすぐ起きたのも驚いた。門番歴千年の俺もびっくりだ。

 ベッドの上でのっそりと上半身を起こしたマリーは、噴火状態にある髪に手櫛をかけながら言った。

 

「他にはどんな下拵えをするつもりなのだ?」

「さしあたって第三皇子、それから……あー……ついでに第七皇女について教えてくれないか。ざっくりでいい」

 

 手が止まる。

 彼女の考えは姉と違い、顔に出る。

 

「……なぜその二人なのか、聞いてもよいか」

「マクシミリアンから聞いた。今来てるのは彼とアーネスト、後はその二人だそうだ。残念ながら昨夜は会えなかったが」

「他は?」

「居ない」

 

 言い切る。

 それくらいしか今の俺に出来ることはない。

 

「わかった」

 

 マリーは頷き、それ以上は問わなかった。その態度だけは姉によく似ている。

 仔細を聞かれれば答えるつもりでいた。用意もある。しかし彼女は既に事実を飲み込み、消化したようだった。代わりに俺の問いに答える。

 

「三兄殿……第三皇子レオナールは火星天騎士団の団長だ。他に肩書はない。武人とでも言うべきか。喩えるなら獅子のような男だ」

 

 獅子(レオ)だけに。

 そんな冗談をついでに口にしながらも、マリーは少しも笑ってはいなかった。

 

「帝位に興味は?」

「ある。というより野心の塊だ。父上に何度か戦いを挑んでいる」

「……現界(セフィロト)の人間が? よくまだ生きてるな」

「さすがに無事ではないよ。だが、めげてもいない。そういう人なのだ」

 

 それで片付けるのは些か以上に無理がある。皇帝(カレル)の時の福音は往還者以外の人間にどうこうできる代物ではない。塵にされるか消されるしか末路はないはずだ。にもかかわらず生きているとなると、第三皇子はある種の超人だろう。

 まったく想像がつかない。

 

「第七皇女については、わたしから語れることが殆どない。名はイヴェットというのだが、皇都の下層(ロウアーフロア)を中心に活動している商会の主だ。遠目から見たことしかないが、何と言えばいいのかな……ああいう人は」

「印象が薄いってことか?」

「逆だよ。着飾っていて華やかで……見ていると呑まれそうな圧力があった。傑物であるのは間違いないのだろう。財界にも顔が利くと聞いたことがある」

 

 強かな女性が想像できる。魔力使いの素質が全てである騎士や魔術師の世界を除けば男尊女卑がまだ根強い――とまでは言わないが、この世界の文明水準ではそれに近い世相であるのも否定はできない。特に財界などはその最たる例ではないだろうか。と、分かりもしないのに考えを巡らせる。何にせよ一筋縄ではいかない人物だろう。

 

 ――にしても。

 

「政治屋に武人、商人か」

「……どうしたのだ?」

「立場がバラバラで利害を一致させるのが難しい。少し面倒だ」

「利害?」

 

 頭頂部から未だ数束の髪を跳ねさせているマリーは、腕を組んで首を傾げる。

 

「みな帝位が欲しいのではないか? 利害と言えばそれしか……」

「いや、そうとは限らない。マリー、君だってミラベルと戦おうとしただろ。でも君は別に皇帝になりたいわけじゃない」

「無論だ。興味も……む、そうか」

 

 そこでマリーは難しい顔をして首を反対側に傾けた。

 

「そう。継承戦の厄介なところは皇族を一人に絞らせる……つまりバトルロイヤルって部分なんだよ。否が応でも全員が巻き込まれる。野心があろうがなかろうが。だから参戦しているからといって必ずしも帝位が欲しいとは限らない。自衛の為に止むなく戦っているという線も普通にあり得る」

「だが……それなら他の参戦者を殺す必要がない。過剰防衛だ」

 

 憤慨したように言う。

 真っ当な倫理観を備えていれば――論理的に考えればそうなる。

 

「そうだな。だから逆にこうも言える。積極的に他の皇族を殺そうとするのは帝位が欲しい奴だけだ、ってね。言動から特定するのは難しいが……ここまで皇族の人数が減っている以上、そのつもりで動いている奴が一人以上居るのは間違いない」

「少なくとも我々を狙っていた皇子とやらは帝位を欲している……ということになるな。そやつは木蓮(マグノリア)とやらにそのように命じていたのだろう?」

「ああ。むしろ……」

 

 言葉の先は口にせず、俺はマリーを横目で見た。

 額に指を添えて思案する様子を見るに、とても落ち着いている。少なくとも、無暗に感情に踊らされている様子はなかった。度々驚かされてはいるが、やはり十と少々の歳とはとても思えない。覚悟が決まり過ぎている。

 視線に気付いた少女は俺を見返し、またも首を反対側に向けた。

 

「むしろ?」

「……いや。それより利害の話だったな」

 

 彼女に聞かせるには酷な話だ。やや強引に話題を戻す。

 

「今回の話し合いでのミラベル……というか俺達の勝利条件は継承戦の終了だ。それが皇帝(カレル)の転生手順の妨害でもあるし、君達の安全確保にも繋がる。要は、これを全員の利益にしてしまえばいいのさ」

「……? つまり」

「全員の望みを叶えてやればいいんだよ。ただ継承戦を生き残りたいだけって奴は勝手に味方してくれるだろうし、何か欲しがってる奴には俺達がくれてやればいい。そうすれば敵対する理由がなくなる。これが成り立たないのは……」

「……帝位が欲しい者同士だけ、か。なるほど」

 

 言葉の先を引き取ったマリーは何事かを考えるように虚空へ目を向ける。

 

 例の『皇子』が誰にせよ、残った皇子は第一から第三までの三人。

 第一、マクシミリアンは除外できる。彼に野心はない。

 第二と第三。『皇子』はこの二人のどちらかだ。

 

「そして、最低でもそのうちの一人は抱き込める」

「なぜだ?」

「そいつを皇帝にする(・・・・・)からだ」

 

 雑に言葉を放ると、流石にマリーの口があんぐりと大きく開いた。

 幸いにしてセントレアにいる皇女様たちに野心など無い。こちらとしては誰がウッドランドの王になっても構わないのだ。勿論、様々な限度はあるだろうが――例の皇子でなければいい。俺はそう考えている。

 

「……感心を通り越してもはや呆れたぞ。つまりそれは、例の皇子とやら以外の全員で結託しようということか」

「ああ。名案だろ」

「まったく、大胆というか図々しいというか……合点がいったよ。長兄殿と長話をしたのはそのせいか」

「そんなところだ」

 

 自分達にとって最悪の展開というものは、だいたい相手にとっても最悪の展開だ。

 ――目に物を見せてやる。

 

「あなたは奸計も得意と見えるが……随分と悪い顔をしているぞ、タカナシ殿」

「生まれつきだよ」

「なら、いつもより悪い顔ということになる」

 

 言われて自分の顔を捏ねてみる。変わらず微妙な弾力のある顔だった。

 

 悪いも何も俺が善人だったことはない。

 少なくとも、この千年は一度も。

 

「まったく、そんな顔をしてまでとなると姉上も喜ぶまいに。あなたはいつも誰かの為に怒ってばかりだな」

 

 別にミラベルの為だけという訳でもないのだが、マリーもそれは百も承知だろう。やはり年頃に合わない複雑な苦笑いを浮かべたマリーは、シーツを跳ね除けると寝巻のまま飛び起きる。

 

「わたしも一枚噛ませてくれ。なにか手伝えることもあろう」

「……困った子だな」

「お互い様だよ」

 

 半ば呟くような囁きを残し、金の髪がするりと宙を滑った。軽やかにベッドから離れた少女はくるりと身を翻してタンスへと向かう。やる気があって非常に結構だが、今のところマリーに頼めるような用事は他に――

 

「あ」

 

 

 

 

 ■■■

 

 

 

 

 嬉しいとか楽しいとか、そういった言葉を口にする機会は最近までそうはなかった気がする。ネガティブな性格をしているつもりは全く無いというか、ポジティブな感情を言葉として表現する機会が無かったというのが正直なところで、そもそも俺は永い間他人との関わりが極端に浅い日々を過ごしていた。

 

 実は、今も苦手と言えば苦手なのかもしれない。自分にとって価値のあるものであればあるほど、失くした時に辛くなる。人との関わりも感情を共有した時間も、久遠の住人である俺にはやがて失われることが予定された有限でしかなかった。数多あった筈のそれらはいつしか微細な古傷のような小さな疼痛に変わっていた。その痛みを俺は恐れ――強く疎んじていたのだ。

 

 だが。

 得ることと失うことが同じなら、それらの喪失が俺に何かを教えてくれているのも間違いがない。空白が落とす透き影が大きければ大きいほど、尊ぶべきものの大きさを物語っているのだ。如実に。

 だから――言うべき時は言うべきなのだと、俺は考えを改めつつあった。

 

「楽しいな」

 

 泡立て器(ホイッパー)を片手に鼻の頭に生クリームを乗っけた皇女が居る。

 なかなかお目にかかれる代物ではないだろう。いかに現界(セフィロト)広しと言えども彼女くらいしか居まい――と考えてはみたものの、色々あってパン屋をやっている皇女も居るくらいなので可能性は捨てきれない。未来は無限に広がっているのだ。

 

「な……何が楽しいものか! わたしはてっきり根回しとか交渉とかそういう役割を貰えるものと思ったのだが!?」

 

 当の本人は不服であるらしく、綺麗な髪を振り回しながらも体全体を使った凄まじい勢いでボウルの生クリームを泡立てんとしている。飛び散る。

 飛び散った結果が鼻のクリームであった。

 

「いやあ、君がそういうのに向いてるとは思えないしまだ早いって……ああ、そんなに激しく動かなくても手首だけ使って動かせば十分だ」

「早いとはなんだ! わたしは十分……こうか?」

「お、そうそう、そんな感じ。角がある程度立つくらいになったらふたつに分けて、片方は更にしっかり泡立てるんだ。結構重要な任務だぞ」

「ことのほか了解。気を引き締めてかかる」

 

 マリーは器用さに欠ける面があるが、何故か飲み込みが異常に早いのでレクチャーも最低限で済む。要領を得たらしい彼女の手つきは、早々に手慣れたものへと変わった。

 そうこうしているうちに俺はリコリスとの対決を経て更なる完成度を得たスポンジケーキの冷却を終えている。スポンジをパン切包丁でカットしていると、クリームを処理し終えたマリーがぼやくように問うた。

 

「しかしどうして今ケーキを作るのだ? こんなことをしている場合ではあるまい」

「いやいや、それどころじゃなくなってるからこそだ。誰も予想してないだろ?」

「まあ……それはそうだ。不意打ちということか」

「せめてサプライズと言ってくれ」

 

 妙に剣呑な表現を使う皇女様に訂正を入れつつ、俺はイチゴをカットする。

 

「話し合いが上手くいったら色々解決するわけだし、仕込んどいて損はないさ。その時は気持ち良く驚いてもらおうと思ってね。小一時間くらいしか掛からないしな」

「可愛い悪企みだ。まあ、わたしはこうして手伝っているのだから騙されてやることはできんが……」

「はは……頑張って他の部分で埋め合わせるよ」

「……そ、そうか? なら楽しみにしておくし、楽しみにしておくがいい」

 

 どうやら何か貰えるらしい。

 殆ど口に出しているようなものだが、皇女様は素知らぬ顔でカットされたイチゴの破片をつまみ食いしている。砂糖細工の準備を進めながら親愛なる皇女殿下のとぼけた顔を眺めてみても、何を貰えるのかはさっぱり予想が付かない。

 

「ああ。楽しみにしておく」

 

 本当に楽しみだったので、そう伝えた。

 そっぽを向いてしまったマリーがどんな表情を浮かべたのかは分からなかったものの、きっと自分と似たようなものだろうと勝手に想像しておく。と同時に、全く別の方向性を持った想像が勝手に走った。それは子供相手に――ましてやマリーを相手に想像するような内容では決してなかったはずなのだが、更に想起された昨日の出来事から俺は既に言い訳を失っていた。

 

 答えは出ない。しかし、彼女が明確にしてくれた好意に対し、逃げるのも避けるのもあまりに不実だ。そう考える程度には、こんな俺にも誠意というものがある。

 

 皇族の件が片付いたらちゃんと話をしよう。

 

 その一助になるだろう念願のショートケーキを仕上げながら、俺はそう決めた。その時にはきっと色んなことを笑いながら話せる。そうに違いないと願いながら、俺はパレットナイフで生クリームを掬った。

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