18.巨茴香の種火③
曖昧な表情を浮かべた美男が居る。
引き締まっているようでいて、柔らかいようでもある。真顔のようでいて笑顔のようにも見える。厳しく見えるような気もするし、優しくも見える。
第二皇子、アーネスト・バッティ・ウッドランドという男は、ふた月ほど前の印象と変わらない、そういう印象の男だった。
軍服などを着ていなければ軍人には見えないし、軍刀なんかを下げていなければ争い事とは無縁のようにも思える。若くも見えるし貫禄があるようにも見える。短く整ったアッシュブラウンの髪は艶やかだが、どこかくすんだようにも見える。二十代にも見えるし三十代にも見える。つまり、よく分からない。謎めいた男だ。
セントレアの教会にあるミラベルの執務室内で、俺とミラベルはふた月ぶりにアーネストと顔を合わせていた。相変わらず飛行艦に乗ってやって来た変わり者の皇子は、挨拶もそこそこに開口一番こう切り出した。
「おめでとう、ふたりとも。君たちの努力が結実する時が来たよ」
俺もミラベルも、何のことか分からずただ顔を見合わせるばかりだ。
心当たりがないのである。
「……というと?」
「ああ。君が停戦を求めて打診していた皇族……敢えてこう言わせてもらうが、兄妹たちを説き伏せることに成功してね。現在、スキンファクシの中に全員集まっている。もっとも、彼らも自分たちの手勢を連れてきてはいるんだが……」
「本当ですか!?」
突然の出来事に目を瞬かせるばかりのミラベルよりも先に、俺が驚いて思わず声を上げてしまった。第二皇子は柔らかい笑みで頷く。
「勿論だとも。そして少なくとも、みな争いに来たわけではない」
このセントレアに居る三人とアーネスト以外の皇族と言えば、皇都周辺に留まってまともに継承戦をしていた連中ということだ。今に至るまでミラベルの呼び掛けを無視し続けたという印象も相まって、人格に幾らかの問題があると俺は考えていた。
そんな奴らをまとめて説得して連れて来るとは、にわかには信じ難い話である。信じ難いが、この二カ月の間アーネストが消息を絶っていた理由がそこにあるのであれば、ある意味では合点の行く話でもあった。
またとない好機だ。同じ考えであろうミラベルが間髪入れずに提案した。
「すぐに会合の席を設けさせてください。上手く流れを作れば全員を説得できるかもしれません。今回は物証の用意もあります」
「……火葬だね。その様子だと、ある程度の解析もできたようだ」
「はい」
「なら会合の内容は君に任せよう、ミラベル。皆に説明できるよう計らってくれ。中には少々頭の鈍い……理解力に欠いている男もいるから、丁寧に説明してやって欲しい。可能かな」
「お任せください。急いで用意します」
「結構。では準備ができ次第、伝声術で連絡をくれたまえ。それまで彼らは船の外には出さないようにしておくから、なるべく早く連絡を貰えると助かるかな」
一応アーネストの説得に応えて参集したとはいえ、手勢を連れて来ている好戦的な皇族ということにも間違いはない。大人しくスキンファクシの中に居てもらえるなら門番として気を揉む必要も無いので願ったりである。
内心で快哉を叫ぶ俺と、丁寧な角度で一礼するミラベルに見送られてアーネストは退室していった。
扉が閉じた瞬間、ミラベルは頭を下げたままポツリと呟いた。
「…………やった」
そしてゆっくり上体を起こした彼女は、
ぱあっと弾けるような笑顔を浮かべるや、聞いたことのない声量で歓声を上げた。
「やったぁ! やりましたよ、タカナシ様っ! あとは馬鹿兄妹どもを上手く言いくるめるだけで、このクソッタレな馬鹿騒ぎはおしまいです!」
「言葉遣い! 言葉遣い崩れてる!」
「あははっ、良いじゃないですか! ざまぁ見ろ、クソ親父ッ! なんでもかんでもテメェの思い通りになんかさせてやるもんですかっ!」
歓喜のあまり素を曝け出しているミラベルは、手のひらを目線の高さで俺に向けた。意味するところは分かる。俺も少なからず浮かれていたので、苦笑しつつも白い掌に軽く右手を合わせる。
気丈にも顔に出さなかっただけで、ミラベルが継承戦に対してどれだけ心を痛めていたか、度々話を聞かされた俺はよく知っている。今くらいは浮かれてもいいはずだ。
根本的な解決ではないとはいえ、継承戦が停止すれば見通しも多少明るい。皇帝だって皇族が集まって力を合わせれば、あまり無茶な対応はできない筈だ。彼自身に対する対応は別に必要だとしても、周囲が敵だらけな現状より遥かに状況が良くなるのは間違いないのだ。
しかし――
「ということは……アデリーヌ姉様も来てるのかな? お会いするのは久しぶりだから話したいことが沢山あります……!」
弾む声でミラベルがそう言うのを、俺は急速に冷めた心地で聞いた。
どこで情報が止められたのかは定かでない。
ヴォルフガングが自分のところで差し止めたのだとしたら、アデリーヌという皇女と親しかった様子のミラベルを慮ってのことだろうか。
ヴォルフガングには頼みを断った手前、多少の負い目もある。もう先送りにできる話でもない。
「来てない……と思う」
「……はい?」
「恐らく……アデリーヌさんは来てない。土星天騎士団と一緒にロスペールで消息を絶ったそうだ。人づてにそう聞いた」
俺が粛々と言葉を絞り出すと、皇女は明るい顔のまま色を失った。
執務机に合わせた革の椅子に腰を掛け、表情を変えないまま、彼女は自分の頬に指先で触れた。その仕草にどんな意味があるのかは分からない。
ただ、ミラベルは平坦な声で一言を言った。
「そうでしたか」
居た堪れない。
この子の場合、言ってる事や顔が本心と全く一致しない。
「……まだ亡くなったと決まったわけじゃない。捕虜になってる可能性だってある」
「可能性はありますね」
何の救いにもならない俺の言葉を軽く受け流し、皇女は机上の書類を纏め始める。
可能性。
どんな可能性も皆無ではない。こんな言葉を使ったところで意味はない。
ロスペール周辺に展開しているらしい皇国軍も火星天騎士団も、そんな有るのか無いのかも分からない可能性のために軍を進めるなんてことはしないだろう。そして、俺達が動くにしてもセントレアは北西の端、ロスペールは東の国境だ。遠過ぎる。
いや。
「そうだ! アーネストにスキンファクシを動かしてもらえば……!」
「タカナシ様」
温度の伴わない声音だった。
ミラベルが俺に向ける声としては、あまりにも。
「お気持ちだけで十分です。ですが今は、今やるべき事をやりましょう。ドーリアへの対応はそれからでも遅くはありません」
「……ああ」
「申し訳ありませんが、カタリナにこの件を知らせてくれませんか。遅くとも今夜中には火葬に関する資料を仕上げたいので」
「分かった。任せてくれ」
ミラベルがそう言う以上、俺に異論などあろう筈もない。
往還門による時間遡行が任意では行えない以上、起きてしまった出来事を変えることはできない。ミラベルが言うように、今はできることをやるしかないのだろう。
それに、懸念がもう一つある。
「君のことだから俺が言うまでもないと思うが、木星天騎士団の後ろに居た皇子のことも警戒しておかないといけない。皇子というくらいだから男だとは思うが……」
「……来ているでしょうね」
「調べが付いたのか?」
「いえ、単なる推測ですが……私ならそうします。でなければ疑って下さいと言っているようなものですから」
最後にそう言い切ると、氷の吸血姫は書類に視線を落とした。
裏をかいて来ていない――という線もないわけではないだろうが、ミラベルの手勢に周辺を嗅ぎ回られる羽目になると考えると収支が合わないだろう。彼女が敵対者に容赦しないのは明白で、相手もそれを理解しているに違いない。
件の『皇子』が簡単にボロを出すとは考え難い。
それは木蓮から聞いた話からも明らかで、ミラベルによる捜査の手から二カ月もの間逃れていることを考えても一筋縄ではいかないだろう。今回の会合の席だけで捉え切るのは困難に思える。
もし会合の結果として継承戦が停止したとしても、裏で悪巧みをされてはたまったものではない。敵の姿が分からないのでは手の打ちようもない。
大人しく執務室から辞しながらも、俺は自身の次の行動を模索し始めていた。
明日の降臨節一日目はある程度潰れるだろうが、仕方がない。『皇子』とやらには借りがある。狙われたカタリナの分。木蓮とハリエットの分。
まとめて返してやる必要がある。
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「……はあ、それでお嬢より先に私のところへ? 自分で言うのもおかしな話ですが、もう少しマトモな情報源を確保しておいた方が良いかと思いますよ」
その男、九天の騎士のバルトーは麺棒でパイ生地を伸ばしながらそんなことをほざいた。
ルースベーカリーの厨房である。アパルトマンの一階部分が全て店になっている為、裏手側にある厨房もそれなりに広い。バルトーだけでなく従業員がもう一人――同じく九天、アウロラという名の女性騎士が無表情でオーブン皿にアップルパイを並べている。
「ジャンの野郎が普段何処に居るのか分かってたら俺もあんたには頼らない。信頼度はどっこいどっこいだが、あんたの場合は見返りがデカ過ぎる」
「見返りですか。はて、金銭を要求するつもりはありませんが」
「金銭以上のものを要求するだろうが」
とぼけた顔で宣うバルトーであるが、この二カ月の間何度か彼の世話になって分かったことがふたつある。
一つ目は、彼から得られる情報は確度の高い情報だということ。範囲の広さで言えばジャンのそれとは比較にならないほどローカルな情報ばかりだが、正確さは勝るとも劣らない。
二つ目は、必ず対価を要求してくるということだ。
どうやら先行投資期間は終了したらしい。
「君だって私に渡す情報くらいきちんと選別するでしょう。なら何も困ったことはないはずだ。で、今回は異界の何を教えてくれるんですか?」
「はあ……異界の話じゃなきゃ駄目なのか? つまらない昔話なら飽きるほどしてやるんだが……」
「神代の話なんて聞いて喜ぶのは神学者か考古学者くらいなものです。そして、そのどちらもが貧しい。つまりどういうことか分かりますか?」
「金にならないって言いたいんだろ……!?」
「仰る通りです。お分かりならいいんですよ、タカナシ君」
ろくろを回すかのようなポーズで滑らかに喋るバルトー。
彼は生粋のこういう人間なので俺も半分諦めている。金の匂いがして、それでいてバルトーに話しても問題のない話題を考えてみる。
「ボールペンの話はしたっけ?」
「聞きましたよ。たしかペン先が極小の玉になっている筆、でしたね。なかなかに興味深かった」
「……圧力鍋は?」
「それも聞きました。加圧することで水の沸点を高め、調理時間を短縮する鍋のことでしたね。これもなかなかに素晴らしい発明だ」
バルトーはすらすらと答える。現界の人間からすれば絵空事のような話である筈だが、しっかり空覚えしているあたり侮れない。
しかし、パッと思い付く無害な発明が他にはない。物だけなら色々と思い付くが、動作原理を俺自身が理解していない物品が多い。説明が出来なければバルトーも納得しないので、それでは意味がないのだ。
仕方なく、俺は剣帯に付けた小型の鞄から、ビニールの小分け袋に入った白い粉末を取り出す。商人根性を兼ね備えた騎士の眼光が鋭く煌めいた。
「それは?」
「製菓用の膨張剤だ。要するに重曹みたいなもんだな」
「……どうして君がそのようなものを?」
「そこは気にしないでくれ。で、見て分かる通り、こいつは異界製だ」
「ほう。しかし重曹程度であれば現界でも珍しい物でもない。私はむしろその透明な包装紙の正体が知りたいですけどね」
「そっちは別料金だな。まあ、一袋やるから騙されたと思って試してみてくれ」
「ふむ……まあ、いいでしょう。今回はこれでお代ということにさせて頂きます」
バルトーはベーキングパウダーの小袋を懐に仕舞い込み、再び麺棒でパイ生地を伸ばしにかかる。作業を進めながらも、彼は滔々と語り始めた。
「木星天騎士団を買い取った男のことは覚えていますね?」
「エリオットだな。ハリエットの兄貴で、ランセリア公爵家の跡取り息子」
「そうです。ふた月前の一件以降、第二皇子と同じく彼も消息を絶っています。もっとも、第二皇子はこうして姿を現したわけですが……」
「……何が言いたい?」
「いえね、エリオットの経歴を調べた時にたまたま……第二皇子の名前を目にしまして。ふたりは皇都の幼年学校で級友だったようです。とはいえ、接点はそれくらいなもので親交があったふうでもない。ふたりとも高貴な身分だ。通える学び舎も限られる。だとすると単なる偶然……そう考えるのが妥当かもしれません」
伸ばし終えた生地をカッターで切り分けるバルトーは、特に何の感情も見せることなく言葉を続ける。
「ですが、君に騙されて慌てたエリオット氏の向かった先が……アズルに有った転移街ランセリア方面の転移門だったのは間違いありません。例のドーリア襲撃の件で工作をしている最中、ついでに転移門の使用記録を確認しておきましたから。しかし不思議ですね? あのとき、ランセリア領にはたまたま第二皇子が居たらしいではないですか」
俺は僅かに考える。
ランセリアにアーネストが居たのは間違いない。
バルトーの言っていることが真実だとすると、アーネストが疑わしいのは確かだ。
「……アーネストが?」
だが根拠としては薄い。
転移街ランセリアはエリオットの実家である。一度家へ戻っただけという線もあり得るし、ランセリアを経由して他の街へ行ったという可能性も否定はできない。断定できるほどの情報ではない。
それに、個人的には彼を信じたいという思いがある。
魔導院では共に死線を潜ったし、未来からやって来たなどという俺の話を彼は信用してくれた。現に、アニエスは無事に生き残っている。そのことで俺やサリッサが救われたのは確かだ。
「ランセリアの転移門の記録は調べられるか?」
「現状では無理ですね。連絡を取って取り寄せるにしても数カ月はかかります」
「分かった。アーネストについて調べられるだけ調べてくれ。手段は任せる」
「見返りは何です?」
「今度、腕に巻く時計について話してやるよ」
現界の文明水準では想像もつかない品だろう。目を見開いて驚くバルトーに背中を向け、俺は歩き出す。
浮かれていた気分はすっかりどこかへ消えてしまった。様々な暗雲が立ち込めつつある中、悪い予感を打ち消すように、俺は階上に居るだろうカタリナに会うべくアパルトマンの階段を上った。




