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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
四章 竜殺し
155/321

16.巨茴香の種火①

 セントレアが移民の受け入れを本格化して数日が経った。

 街の変化に気付いた者は多い。目に見えて人間が増えたからだ。

 

 閑散としていた商店街にも結構な通行人が行き交うようになった。アズルからの移民は勿論のこと、他の街から早々に商機を嗅ぎ付けてやってきた商人や単なる物見遊山の旅行者もだ。比例して元々のセントレア住民も忙しくなり、外に出てくる機会が増えたらしい。収穫祭の時期には及ばないまでも、街がにわかに活気付いたのは間違いなかった。

 問題は特に起きていない。

 そもそもとして、セントレア東部地区にはかなり以前から水星天騎士団が丸ごと居座っているので、人が増えることに今更抵抗はなかったらしい。騎士団とミラベルがアズルから来た人々にも好意的に見られているのも大きい。治安の面で見ても騎士団が堂々と駐屯していることはプラスに働いたのだろう。

 人口減によって耕作放棄されていた農地の再生も徐々に話が動き始めている。それで移民の全てがすぐに農家に成れるわけでは勿論ないのだが、食い物だけはある街なので当面の生活は保障できる。当座さえ凌げれば来年の展望も暗くはない。

 

 そんな評判が数日で行き渡ったのか、或いはやはりミラベルと騎士団が程よい客寄せパンダになっているのか。移民の数は現時点で当初の予想を遥かに超え、東部地区の空き家はほぼ全てが使用される運びとなった。おかげで町長は事務仕事で忙殺されている。

 

 俺はといえば、リコリスが門番になったことで余裕が生まれた時間をほぼ全て移民対策――住居の準備や職の斡旋など――に費やされてしまい、他に全く何も手が付かない状態のまま数日を過ごしていた。

 

 同じく対策を請け負ったはずのミラベルは自分の代わりに騎士団の人員を寄越しては来るものの、当の本人はしきりにどこかと連絡を取り合っている様子でろくに会話ができていない。

 最近やけに口数が減ってきたマリーや、寝不足気味らしいカタリナ、どうやらお師匠様から逃げ回っているらしいサリッサも似たような状況で、俺は若干、いやかなり焦っていた。マリー以外まともに降臨節に誘えていない。

 

 だというのに、降臨節はもう明日にまで迫っていた。

 

 昼間から賑わうセントレア唯一の酒場、飲んだくれ牧場にて俺は木製の丸テーブルに突っ伏す。

 何とか午前中には空き家掃除を済ませ、壊れた家具類を応急修理したり、成長し過ぎた庭木やらを伐採したり、荒れた街路の復旧工事をしたりして、やっと今日の分の仕事を終えることができたのだが、もう疲労困憊である。そのうち迷い犬探しとか畑の手伝いまでやらされそうな勢いだ。

 

 テーブルで死んでいると、馴染みのウェイトレス――職歴イコール年齢マイナス五年のおばちゃん――が自動的にいつもの蜂蜜酒(ミード)のレモネード割りを運んでくるかと思ったのだが、運んできたのはそばかすが印象的な少女であった。

 新顔だ。しかし、どこかで見たような気がする。

 顔を凝視していると、お辞儀をして早々に離れていってしまった。が、去り際にはにかんで小さく手を振られたのでやはりどこかで会ったことがあるのだろう。恐らくアズルから来た子なのだろうが、よく思い出せない。

 

「あらあら、隅に置けないのね」

「ん……? ああ、どうも」

 

 少し考えていると、背後から声がかかったので振り向く。

 初めて会った時と変わらず、旅行者然とした装いの老女が柔和な笑みを浮かべて立っていた。マルト・ヴィリ・カリエール。肩書はともかく、彼女の逗留目的は旅行者とほぼ変わらない。似合わない長剣も、旅行鞄に添えられたままだった。

 

「合席してもよろしいかしら、門番さん」

「どうぞ。こんなところで良ければですが」

 

 別にここは俺の店でも何でもないし、いずれにせよこの街に彼女のような身分の人間を歓待できる施設は無いので断りを入れても仕方がないのだが、何となくそう言ってしまう程度に恐れ多い。

 肩書や権威がどうという話ではなく、単にカリエールさんが場末の酒場が似合わない上品な御婦人だからだ。

 何を注文するでもなく、カリエールさんは俺の真正面に座った。周囲の喧噪を見回し、やや困惑したように言う。

 

「ずいぶんと賑わっているのね。たしかお祭りの時期過ぎているはずだけれど……」

「ああ……収穫祭ですか? あれは秋ですよ。今のこれはアズルやら周辺の街から人が入って来てるんです。カリエールさんがご存じかは分かりませんが、アズルが大変なことになったんでそのせいですね」

「そういえば、大半の転移門(ポータル)を失ったと聞き及んではいたけれど……そう。この街まで影響のある話だったの」

「ここも一応アズル領なんですよ。中央の人には分かり難いでしょうけど」

「うふふ、そうね。ウッドランドは広いから」

 

 国教会の組織は皇国全土に渡っている。その長が北西の辺境に過ぎないアズル領の事情に明るくなくとも不思議はない。

 不思議はないが――

 

「……で、取るに足らない辺境の門番に何かご用ですかね」

 

 正直、疲れているのでまともな応対ができる自信はなかった。

 億劫でさえある。

 

 そんな俺の様子を見ても、カリエールさんは笑みを崩さない。

 やはり、この御婦人も印象どおりの人物ではない。

 

「ふふ。ちゃんと皮肉も言えるようで安心しました。ミラベルが見込んだ相手が気骨のない殿方だったらどうしようかと、実は少し心配だったの」

「筋違いですよ。ミラベルが俺をどう思ってようと、たとえ俺がどんな人間でも、きっとあなたには関係ない」

「あら、どうして?」

「本当にあの子が大事なら、継承戦の存在を簡単に認める筈がない。だいたい、生き残ったところで自由恋愛なんて許さないんでしょう。仕組みとしてそれは外せない筈だ」

 

 この老婦人はミラベルを応援している。嘘ではないだろう。

 だが、継承戦を容認してもいる。この事実から読み取れることは多い。

 

 彼女が戦いの中で傷付き、死ぬことも有り得ると理解した上で

 「応援」などという軽い言葉を使っているということ――

 

「カリエールさん、あんた本心ではミラベルが死のうと生き残ろうと、どちらでも構わないんじゃないですか?」

 

 どちらかと言えば後者であればいい、と。

 恐らく、その程度なのだ。この御婦人がミラベルに抱いている情は。

 

 ミラベルが好意的に接している人物だからと、前向きに捉えるよう努力してきた。だがやはり、自分を騙そうとしても抑えられない。

 彼女が悪人だとは思わない。俺は長い人生の中で真正の悪だと断じれる人間を何人か見たことがあるが、この御婦人がそうだとは全く思わない。

 

 ただ、好かないのだ。

 今もって笑みを変えないこの老婦人が、俺は嫌いだ。

 

「そう。やっぱり門番さんは継承戦に否定的なのね」

「論外です」

 

 王の座を巡って家族が殺し合う。言ってしまえば、行き過ぎたお家騒動。ありふれた継承争いに過ぎないのかもしれない。

 だがそれさえ仕組まれた茶番だ。生き残った者が王になるわけではない。転生を繰り返して自己を保存し続ける不滅の王の親となるだけなのだ。

 醜悪な欺瞞だ。

 

「でも、その論外がこの国を千年支えているのも事実だわ」

 

 老婦人は柔和な顔に怜悧な面を覗かせる。

 

「門番さん、あなたは君主制国家が自滅する一番の原因を知っていて?」

「革命や……継承権争いでしょうね」

「そう。どれほどの智謀を湛える名君でも、どれほどの巨大な権勢を誇る英雄の王でも、死は平等に免れ得ない。老いて死ぬか、倒されて死ぬか。どちらにしても治世は一度途切れてしまう。そうして凡庸な人間が王になり、国は衰える。繁栄はひと時の夢になってしまう」

 

 一つの真理ではある。

 王がいくら永遠の王国を望もうと、王が人である限り、叶わない夢物語でしかない。

 

「大陸東側……今は同盟(アライアンス)と呼ぶべきかしら。あの小さな国々の集まりは、それぞれに泡沫のような末路を辿る弱き王、脆弱な指導者しか持たない。生まれては滅び、名を変えてはまた生まれ……だから小さく、弱い。皇国(ウッドランド)とは比べものにならないほどに。それはとても不幸なことだわ」

「不幸?」

「弱いということは、己の意を通せないということと同じ意味でしょう」

 

 宗教家とは思えない言葉だ。

 いや、国教会の長だからといって――長だからこそ、信仰の嘘に気付いているのかもしれないが、俺には計り知れないことだ。

 

「強い王を戴き続けることを良しとするなら、継承戦は肯定すべき仕組み(システム)だわ。それが民の幸福にも繋がるのだから、まさに貴き血族の為すべきことだとは思わないかしら」

「化け物みたいな奴をずっと王にし続けるつもりですか」

「化け物みたいに強いなら、それでも良いとは思わない?」

 

 にっこりと言う老婦人に、俺は呆れ返る他ない。

 やはり価値観が違い過ぎる。

 

「全く思いませんね」

「それはどうして?」

不自然(・・・)だからですよ」

 

 襟足の辺りをガリガリと掻きながら、俺は告げる。

 

「百歩譲って実利だけを求めたとしても話にならない。属人的な仕組み(システム)は遅かれ早かれ崩壊します。そいつが居なくなったら終わりですからね。そいつが永遠に不滅で永久に心変わりもしないってんなら別ですが、人間ってのはそんな風にできてない。俺が知る限りは皇帝(カレル)もそうです」

「陛下が国を捨てると?」

「可能性はゼロじゃない。それに長い目で見れば……本当に長い目で見れば、単一の王に頼り切った国だって泡みたいに脆い。たまたま今まで破綻しなかっただけですよ」

 

 綻びは既に見えている。

 弱国の集まりと侮った東方諸国だって一応は同盟(アライアンス)という形でまとまった脅威になりつつあるし、皇国内も決して泰平とは言い難い部分がある。

 明確な失敗がなくても国は終わる。終わる時が来るものだ。

 

「そんな歪で不完全なやり方の為に、ミラベルみたいな普通の女の子が普通に笑えるような人生を犠牲にするなんて馬鹿げてる。聡いあの子がもし真っ当に王道を歩いていけたなら、立派な王様にだってきっとなれますよ。マリーでもアーネストでもいい。その方がよほど自然で、よほど正しい人の営みだ。それをあなたは、あの子達は皇帝(カレル)より弱いから駄目だなんて言うんですか」

 

 老婦人は動じない。

 静かな笑みで首肯する。

 

「そう言わざるを得ないわ。そのとおりだもの」

 

 この溝は埋まらない。そう直感した。

 俺とこの人は尊んでいるものが違い過ぎる。

 

 強さ。

 力と言い換えても良いかも知れない。

 皇帝(カレル)が持ち続け、かつての俺が手放したもの。

 マルト・ヴィリ・カリエール。この老婦人はそれをこそ信奉している。

 

 どう語ろうと平行線であることを悟ったか、カリエールは席を立つ。

 

「面白い物の見方ではあったわ、門番さん。あなたは老人のように理屈っぽいけれど、少年のように甘い言葉を並べるのね」

「そりゃどうも」

 

 俺の方も、もう彼女に対して無駄な言葉を並べる気力が無い。

 蜂蜜酒(ミード)のグラスを掴む。

 

「継承権争いというものは、往々にして野心を持った皇子が良く踊ってくれるものだわ。もし継承戦という仕組みがなかったとしても血は流れるのではなくて?」

「そうとは限りませんよ」

「……違うと信じたいだけでしょう。あなた自身が」

 

 喧噪の中を去っていく老婦人を俺は黙って見送る。酒場の入り口辺りに待機していたアニエスを伴い、彼女は真っ直ぐに酒場を後にした。

 

 いくつかの示唆を残していった剣聖を、俺は苦々しい思いで振り返る。

 本当に観光みたいな目的で来てくれていれば、まだ対話の余地はあったかもしれない。少なくとも、ミラベルやサリッサの昔話を聞いてみたかった。老婦人自身のことだって、俺も興味がないわけではない。

 

 だが、次に顔を合わせる時は悠長に話など出来ない気がする。

 そんな予感があった。

 

「あの方はああいうものだ。あまり話さぬ方がよい」

 

 グラスの中の氷を無心に回していると、馴染み深い金色が視界に現れた。

 マリーである。

 以前までは昼の番、夜の番という互いの職務もあり、日中にこうして詰め所以外の場所で顔を合わせることは珍しかった。リコリスが加わった今、過去形である。

 

「マリーもあの人と顔見知りなのか」

「あの方は父上の信を得ている唯一の人間(・・)なのだ。天の館(ノーアトゥーン)で何度かお会いしたことがある」

 

 淡々と述べるマリーも木のジョッキを携え、俺の隣の席に腰掛けた。

 まさか酒ではないだろうが中の液体はよく見えない。

 

「ノーアトゥーン?」

 

 聞き慣れない固有名詞だ。

 いや、以前どこかで聞いたか――

 

「皇都の上層(アッパーフロア)にある父上の城館だ。父上の私的な研究所というか……わたしには分からないが、得体の知れないものばかりがある場所であった。妙な場所に迷い込んではよく泣かされたものだ……」

「研究所……魔導院の白い塔みたいなもんか?」

「似ているが、父上の居城でもある。上層(アッパーフロア)全体が皇城のようなものではあるが、天の館(ノーアトゥーン)が真の皇城と言ってよかろう。父上も普段から入り浸っている。公邸は別にあるのだが」

「……なるほど。肩書以前に皇帝(カレル)の側近だったか」

「うむ。ゆえにタカナシ殿とは分かり合えない。わたしが保証しよう」

 

 皇女殿下は神妙な面持ちで頷く。

 しかし、個人的な好悪や価値観で関係性を決める段階でもない。

 

「ミラベルやサリッサにとって親しい人には違いない。敵対したくないもんだが」

「いくら継承戦に手を出さないといっても、剣聖殿が何の狙いもなくこの地まで赴くとはわたしには思えん。タカナシ殿とて薄々はそう思っているのだろう?」

「まあ、な」

 

 彼女の立場的に、木蓮(マグノリア)のように皇族を狙って来たとは考え難い。正面から堂々とうろついているあたりを考慮しても、無茶な目的はない筈だが――

 そんな俺の思索をよそに、こくこくと喉を鳴らしてジョッキを傾けるマリーだったが、一瞬だけ視線を宙に彷徨わせたのち、思い出したようにジョッキを置いた。

 

「そういえば……明日のことなのだが」

 

 降臨節のことだろう。

 俺自身も結構楽しみにしていたのですぐに思い当たる。

 

「どうにも色々ときな臭さは出てきたが……折角だし予定どおり祝おうぜ。張り切ってケーキもニワトリも焼くぞ」

「う、うむ……そうか? わたしにはやはり異界(クリフォト)の風習はよく分からないが……ケーキとニワトリか。うむ」

 

 マリーはしきりに頷くや、あらぬ方向を見やりながら呟く。

 

「それで……結局、タカナシ殿は誰を誘ったのだ?」

 

 嗚呼――なかなか痛いところを突いてくる。

 妙に忙しくしているせいで実は誰も誘えていない――などとは言い難い。

 とはいえ、見栄を張っても仕方がない。

 

「今のところ君だけだな」

「…………んんっ!?」

 

 皇女殿下が素っ頓狂な声を上げた。

 思い切り目を見開いて仰け反っている。

 

 不甲斐ないとは自分でも思うのだ。

 しかし、ふたりぼっちになるということは絶対に無い筈だ。それは寂し過ぎる。

 というか絵面が普段の食事風景と変わらない。

 

「はは、いや大丈夫大丈夫。楽しみにして待っててくれ」

 

 ポンポンと頭を軽く叩くが、マリーは忘我の彼方から戻って来ない。

 いつまで経っても俺の顔を凝視したまま、ずっと戻っては来なかった。

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