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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
四章 竜殺し
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11.乱戦①

 正直に言えば、俺は異性に免疫が全く無い。

 最近は度々物理的な接触を行ってしまっているものの、その度に心不全で死ぬんじゃないだろうかと己の身が心配になる程度には無い。他者に触れたいといった類の欲求が全く無いわけではないのだが、気恥ずかしさの方が先に来る上に圧倒的に優勢だ。ここ数世紀ほどそうだったので戦局は今更変わるまい。

 

 そう思うし、事実、今も俺は羞恥の中に居る。

 

 年端も行かない子供にパワフルな抱擁を喰らって遠心力に振り回されている現状、俺は自分の顔面がどれだけ紅潮しているのかを確認する術を持たない。

 ちょうど一回転した頃合いで、勢いで広がった赤いエプロンドレスの裾が視界の何割かを占めた。はしたない――とは思うのだが、舌が回らない。

 柔らかいながら起伏の少ない体が数センチほど離れ、俺は至近距離で少女の顔と向き合う。濡羽色の髪の隙間から覗く深紅の瞳に、弾けるような満面の笑顔に、はっきりと喜びが彩られていた。

 

「やったね、タカナシ!」

「……あ、ああ、そうだな」

 

 あまりにも無邪気なスマイルを目の当たりにして、俺はなんかもう、細かいことがどうでも良くなった。身長差によって首にぶら下がっているその娘に対して、己がどのような感情を持っているのかは定かでない部分もあるのだが、今は良い。

 

「サリッサ! お店で何をやってるんですか! 早く離れなさい、はしたない!」

 

 怒声が飛んで来たので見やれば、カウンターの奥に激怒して立っているカタリナの姿があった。まったく彼女の言うとおりなので、ばつが悪そうにしているサリッサの胴体を持って床に下ろした。

 そういえばパン屋の店内なのだった。

 他の客の迷惑――というか、ちょうど買い物に来ていたらしきご婦人がたが談笑しながら好奇の目でこちらを見ていた。この田舎町では住民の顔などおおよそ知れ渡っているのであらぬ誤解を受ける心配はないのだが、単純に面白がっているのだろう。

 

 あれやこれやと忙しかった日の翌朝、俺はサリッサに会いにルースベーカリーに顔を出したのだが、彼女にアニエスの生存と来訪を報告した途端こんなことになった。

 余程嬉しかったのだろう。この二カ月、あまり表には出していなかったが、ずっと彼女の安否が気がかりだったに違いない。

 興奮が収まったらしいサリッサはご婦人方の好奇の視線を気にしつつも、俺を見上げて口を開いた。

 

「えっと、じゃあ、今はアニエスもセントレアに居るのよね。どこに泊まってるとか聞いてる? 一応、顔を見ておきたいんだけど」

「そういや何処に滞在するのかは聞いてないな。まあ、カリエールさんと一緒にミラベルのところに居るんだろうと思うが」

「……カリエール?」

 

 俺の推測を聞いたサリッサの片眉が跳ねた。

 次第に、徐々に顔色が青くなっていく。

 ちょっと面白い。間近から顔を観察していると、遂には小刻みに震え始めたサリッサが恐る恐る尋ねてきた。

 

「カ……カカカ、カリエールってまさか……マルト・ヴィリ・カリエールのこと……? こ、国教会の……?」

「ああ」

 

 マルトおばあちゃんの顔を思い浮かべながら頷く。

 すると、サリッサのバイブレーションは彼女の輪郭がブレて見えるレベルにまで達した。涙目にすらなっている。大丈夫なのだろうか。

 訳が分からないので、俺はカウンターに立っているカタリナに首を向けた。彼女も彼女で何故か俺に対して汚物を見るような目をしていたのだが、まあ、今は良い。

 

「なあ、サリッサはどうしてこんな面白い感じになってるんだ?」

「それはたぶん、サリッサがマルト様から剣の教えを受けていたからでしょう」

「つまり弟子ってことか」

「ですね。たしか、マルト様の最後の弟子のはずです」

「へえ、そうだったのか……あのお婆さんが剣聖だって話だから、てっきりその弟子も剣士かと思ったんだが」

 

 どうやら剣聖の弟子だったらしいサリッサに視線を戻すと、彼女は頭を抱えて酷く苦悩していた。

 

「ああああのババアのところで……あたっ、あたしがどんな目に遭ったと思ってんの……!? 二カ月よ二カ月!? たった二カ月でみっちり剣術だの槍術だの仕込まれて……いったい何回死にかけたか……!」

「二カ月でお前を鍛えたのか? そりゃ相当なもんだ」

 

 剣聖おばあちゃんの弟子――サリッサの腕前は、皇国の騎士達の実力を大体把握した今の俺の認識で測っても、未だ規格外と言っていい次元のものだ。

 俺の知る九大騎士団の平騎士は言わずもがな、他の九天(ナインズ)をも大きく引き離している。総合力はともかくとして、近接戦闘だけに限って比較すれば、筆頭だったジャンや次席のクリストファすら凌駕しているだろう。

 

 もはや実現しないだろうが、俺とサリッサが現象攻撃抜きで十本勝負をしたとすると、恐らく三本か四本は取られる。彼女はそれほど傑出した騎士だ。

 彼女自身の才覚も勿論あるのだろうが、そのサリッサを僅か二カ月で鍛え上げたのだとすると、カリエールさんの実力は――少なくとも指導者としての能力は剣聖と呼ばれるに値する。

 

 彼女が継承戦に参戦していないのは幸運だったかもしれない。まあ、話を聞いてもカリエールさんが剣を握っている様すら俺には想像できないのだが。

 

「確か……立場上、特定の誰かに肩入れできないって言ってたか」

「マルト様は何十年も前に騎士号を返上されていますから、資格がないのでしょう。継承戦で皇族が使える戦力は騎士だけ、と厳密に規定されているようですから」

「騎士号を……なるほどな」

 

 カタリナの補足してくれた説明に納得する。

 一口に騎士といっても、単に魔力使いの戦士を指す場合と騎士号――公的な称号を持つ身分としての騎士を指す場合。この二種類の意味がある。

 俺やリコリスのような騎士学校を出たわけでもなく、誰かに叙任されたわけでもない魔力使いは騎士号など持っていないので前者に分類される。

 カリエールさんも称号を返上して騎士でなくなったから関与できない、ということなのだろう。そうでなくとも皇国に多大な影響力を持つ国教会のトップが全面的に誰かをバックアップするとなると、その人物が有利になり過ぎて戦いにならない。

 ただ、建前上はそうでもカリエールさん自身はミラベルを推している様子だった。現段階でミラベルが優位に立っているのは間違いない。

 

「あわわわ……ど、どうしよう……敵に収穫者(ハーベスター)を折られたなんてババアに知れたら……めちゃめちゃ怒られる……!」

「はは。別に怒られるくらいならいいじゃないか。お師匠さんに挨拶して来いよ」

「……くっ、元はと言えばアンタが叩き折ってくれたんじゃないのッ!」

「そうだっけか?」

 

 ちょっと珍しいくらい狼狽しているサリッサの頭をくしゃくしゃに撫でつつ、俺は自分が折ったサリッサのかつての得物、収穫者(ハーベスター)を想起した。

 草刈りに使うような大鎌――武器というよりは農具と言うべきだろう形状をしていた異形の長柄武器。そして、恐らくは亜遺物(デミアーティファクト)と呼ばれる類の特殊な武器だった筈だ。木蓮(マグノリア)、ハリエットを外典福音(アポクリファ)を変じさせた逃れられざるもの(アドラステア)と同様に。

 サリッサには申し訳ないが、あんなもの早々に破壊しておいて良かったとさえ思う。

 

「アキト! それにサリッサ! いったいいつまでイチャイチャしているんですかあなた達は!」

 

 と、俺は脇道に逸れた物騒な思考を回していたのだが、不意に張り上げられた喝の声に現実に引き戻された。

 見ればカタリナが青筋を立ててキレている。これもちょっと珍しい。

 

「い、イチャイチャなんてしてないわよ!?」

「黙って頭を撫でくり回されておいて何を言ってるんですかあなたは!? 早く仕事をなさい仕事を! アキトもさっさと朝食をお選びなさいませ!」

「客に対する態度かそれ!?」

 

 言い返した俺の言葉にご婦人がたの笑い声が重なった。

 俺達は揃って身を縮めるしかない。

 それにしても、カタリナは彼女にしては随分と余裕がない様子である。もしや何かあったのか――と、ぼんやり思考を巡らせた時、店を後にするご婦人がたと入れ替わりにマリーが現れた。

 怒りの形相である。マリーは普段滅多に怒らないのだが、見る限りニワトリの時より憤慨している。これもやはり、ちょっと珍しい。

 

「タカナシ殿! これはいったいどういうことなのだ!?」

 

 これ、が何を指しているのかを問おうと口を開きかけた俺は、戸口からひょっこり顔を出している無貌の仮面を見止めて思わず身を縮めた。

 リコリスである。今朝がたまで南門で一緒に過ごしていたのだが、夜が明けるなり町長に話を付けてくると言い残して姿を消していた。

 

「なぜリコリス殿が門番に任命されるのだ! 聞けばタカナシ殿が快諾したというではないか! 貴殿らはいったいどういう関係なのだ!?」

 

 マリーは物凄い剣幕だが、彼女が怒っている理由には見当がつかない。

 というか、この口ぶりだと――

 

「マリー、もしかしてリコリスと知り合いなのか?」

「ぐっ……知り合い……ではあるのだが……っ」

 

 苦虫を噛み潰したような顔するマリー。

 その背後から、まるで瞬間移動でもしたかのような機敏さでリコリスが現れた。顔を真っ青にしたマリーが振り向くより早く、彼女はだいぶ低い位置にあるマリーの両肩をがっちりと掴んで仮面の裏から喋った。

 

「殿下とは転移街(ポート)アズルでお知り合いになったんです。あっ、私とタカナシさんはー……えーと、どういう設定にしたんでしたっけ?」

「俺ともそうだろ!? っていうか設定って言うのやめてくれ仕返しか!?」

「あ、そういえばそうでしたね! 私達は浅い知り合いです!」

 

 青い顔のマリーを押さえつつ、リコリスは確信犯的に声を弾ませる。

 彼女のその言い回しは、どうやら初対面のようであるカタリナとサリッサに疑念を与えるには十分だったらしい。「誰ですか、この人は」みたいな疑念を含んだ視線がカタリナから俺に、「なんだオメー」みたいな不可視の敵意がサリッサからリコリスに発散されている。

 冷や汗が背筋を伝う。

 

「実際、俺はその仮面の下も知らないくらいの浅い知り合いだろうが……!」

「え……タカナシさん、もしかして……見たいんですか……?」

「そうじゃねえよ!?」

 

 俺の苦し紛れの突っ込みに、仮面越しに僅かに見える碧眼が幾度か瞬きをした。

 いや見たいか見たくないかで言えば自問の余地なく見たいのだが、別に本人が嫌がっているのなら無理に見たいわけではない――という、俺の内心を知ってか知らずか、リコリスは自分の頬を押さえながら身を捩じらせる。

 

「その……タカナシさんなら……ふたりっきりの時になら……良いです……よ?」

「頼むからそういう誤解を招きそうな冗談はやめてくれないか!?」

 

 年頃の女の子だろうリコリスがそんな言動をすれば普通、多少なり愉快だったり可愛かったり色気があるのだろうが、微妙に不気味な仮面を被っているせいで色気も何もない。純粋に怖い。

 怖いのだが、傍らに立っていたサリッサがまるで変質者でも見るかのような目を俺に向けて数歩後退っている。

 

「まっ、まさか……そんな……タカナシ殿……?」

 

 見れば、マリーまで裏切られて絶望したかのような顔で口を押えていた。

 冷や汗と動悸が止まらない。

 いったい、彼女らは頭の中でどんな想像をしているのだろうか。仮面の話だよな?

 一縷の望みを託してカタリナを振り返ると、彼女だけは無表情だった。少なからず安堵する俺だったが――赤い眼鏡の奥にある瞳が淡い光を宿していることに気付いて戦慄する。

 信じられねえ。権能を使ってやがる。

 彼女は普段から俺に対して叡智の福音を使っている様子なのだが、それだって決して褒められたことではない。なにせ神の力と称されるほどの能力である。辞書みたいなノリで気軽に使うようなものではないのだ。決して。

 そんな全知の力を向けられているとは露知らず、リコリスは絶望に震えるマリーを再びホールドして朗らかな声を張った。

 

「というわけで、今日からセントレア南門の門番になりましたリコリスです。私もタカナシさんや殿下と同じ詰め所で生活させて頂きますので、どうぞ宜しくお願いします」

「……っ、はぁ!? 同じ詰め所!?」

 

 さすがに話の内容が許容量をオーバーしたらしい。

 サリッサが険しい表情で食って掛かる。

 

「じょ、常識的に考えて、いい歳した男女が同じ屋根の下って不味いでしょ……!?」

「と言われましても。それを言ったらマリアージュ殿下だって同じでしょうに」

「ちびっこはちびっこだから良いのよ。子供っていうか……子供だし」

「誰が子供かッ! おまえとて似たようなものであろうが!」

「……は? あたしはたまたま縮んでるだけよ。元々はあんたより年上なんだけど?」

 

 そのサリッサに今度はマリーが噛み付き、睨み合いを始める。

 嗚呼、収拾がつかなくなってきた。

 俺は冷や汗を拭い、リコリスの説得を試みる。

 

「町会に掛け合えば空き家を回して貰えると思うし、わざわざあんなボロ家に住まなくてもいいんだぞ……他の街門だって人手が足りてるわけじゃないし、そっちに回るって選択肢もある」

「いえ、それは上手い手ではないです。町長さんからお聞きしましたが、この街は昨晩のようにアズルから流れてくる方々を受け入れるつもりなのでしょう? だとすると、住居として使える建物は極力温存した方が良いですよ」

 

 実に滑らかな反論によって一刀両断された俺は、視野広いなー……などと素直に感心するしかない。確かに、難民の問題を任されている俺もそのつもりだったのだ。

 今までの印象と違わず、素性は知れないが有能である。

 

「それにもし私が南門の番に加われば、交代で休みを取る余裕も生まれるかもしれません。タカナシさんと殿下のおふたりだけではそんな余裕はなかなか無かったでしょう? おふたりにとっても悪い話ではないと思いますが」

「おお、確かに」

 

 思わずポンと手を打つ。

 昨日のような慌ただしさは時間的余裕の無さに起因しているのだ。もっと余裕があれば降臨節の準備にも時間を掛けられるかもしれない。ささやかだが楽しい催しを用意できればいい――俺はそう考える。

 が、同意を示した俺に集まったその場の視線は酷く寒々しいものだった。

 いつの間にか物理的に噛み付き合っていたマリーとサリッサ、睨み付けるようにリコリスを観察していたカタリナも、どこか拗ねたような顔で俺を見ている。

 

 何が言いたいのかは分かる。そこまで鈍くはない。

 

 しかしこちらも譲るわけにはいかない。俺は美味しいケーキを焼くのだ。

 見ていてくれ、来瀬川教諭。

 決意と共に拳を握る俺だったが、青い少女と赤い少女に物理的に噛み付かれて短い悲鳴を上げた。

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