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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
四章 竜殺し
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06.灰色の寄る辺②

 ひーちゃん先生の本名は、どうやら来瀬川姫路(くるせがわひめじ)というらしい。

 らしい、というのは彼女がカフェのカウンターで飲み物を選んでいる間にスマートフォンの電話帳やメール履歴から必死に検索を行った結果、間接的に知った事実だからだ。

 彼女の名前を口の中で反芻してみても、千年も前の記憶が鮮明に蘇ってくることはなかった。なにせ家族についてですら記憶がおぼろげなのだ。教師と生徒という薄い関係性では無理もないことだろう。

 テーブル席に座り、常のごとく己の過去について他人事感覚で考えていると、飲み物の載ったトレイを抱えた来瀬川教諭がトコトコと歩いてきた。

 

「高梨くん、カフェモカ好きなの?」

「ええ、まあ。甘いものは全般が好きですね」

「へえー! 珍しいね、私カフェモカが好きな男の子って初めて見たかも!」

「不思議だなあ。結構美味いんですけど」

 

 無難に応じつつ視線を送ると、来瀬川教諭は自分の顔と似たような大きさの、何某フラペチーノというらしいパフェのような飲み物を両手で持って、テーブルを挟んだ向かいの席に着席している。

 やはり教師には見えないので些か調子を狂わされるのだが、慣れるしかない。馴染みのないカップに口を付ける前に、俺は一言を口にする。

 

「ご馳走になります」

「うん、どうぞどうぞー!?」

 

 元気いっぱいに促すや否や、来瀬川教諭は何某フラペチーノの頂上部に突き刺さっている緑のストローを、ガブリと思い切り咥えた。

 愉快な人だ。見ていると思わず笑顔になってしまう。単なる教師と生徒という薄い関係性だった――と思うのだが、気のせいだろうか。どうも懐かしさや親しみのようなものを感じてしまう。

 

「うん……でも元気そうで良かった。先生は安心しました」

 

 俺はカップを傾けながら、ポツリと呟いた来瀬川教諭を改めて見る。

 彼女の幼い笑顔は、どこか大人びた微笑みに変じていた。

 

「ほら、高梨くん、ご家庭の事情で大変だったでしょ。休学中どうしてるのかなってずっと気になってたんだよ、私」

 

 

 

 俺――高梨明人は、単なる高校生だ。

 この世界、異界(クリフォト)の暦で言えば九月の頭、夏休み明けの時点で、通っていた高校を一時的に休学させてもらっている。

 理由は、家族の蒸発だ。両親と妹が消えた。彼らの行方は知れなかったが、両親は以前から家庭内の不和を互いの親戚中に触れ回っていた。そんな折に消えたのだから、世間には事件性がどうとかいうより単なる出奔として捉えられてしまった。

 事実もそう遠くはないだろう。

 

 ただ一人残された俺は、なんの因果か夏休みの真っ最中に異世界送りになってしまったのだが、周囲の人間からしてみれば俺は一介の高校生に過ぎず、育児放棄(ネグレクト)被害者の未成年でしかなかった。

 もしかすると親戚も事態を予見していたのかもしれない。俺の親権は早々に母方の叔母にあたる女性へと移り、住んでいるマンションの名義も彼女に変更されたと聞く。

 

 もっとも、その叔母という人物に俺は会ったこともない。

 忘れていなければ、だが。

 

 俺にそんな庇護が必要だったかどうかは別として、異界(クリフォト)での俺の身分はそんなものだったと記憶している。

 こういった事情もあり、学校側は特例として環境が落ち着くまでの休学を認め、当の俺はそんな些事は一切顧みずに現界(セフィロト)で暮らし続けていたというわけだ。

 だが来瀬川教諭からしてみれば、こんな特殊な事情を抱えた生徒を気にかけてしまうのは無理もないだろう。

 仮にそれが教師という立場上のポーズでしかなかったとしても、ごくごく当たり前のことだ。蔑ろにしていいものではない。

 

 

 

「俺は大丈夫です。どうもご心配をおかけしました」

「あはは! 良いって良いって! 子供はね、もっと大人を頼って良いんだからね!」

 

 本心からの言葉かそうでないのかは分からなかったが、来瀬川教諭は明朗に言い切って再びストローを咥えるや、ジュルジュルと何某フラペチーノを啜った。

 よほど好きなのだろうか。ニコニコとしているその様子を見るに、やはり子供にしか見えない。女児だ。しみじみとそう思いながら、俺もカップのカフェモカを飲む。

 

「で、休学中に女の子にプレゼント買っちゃうんだー!?」

「ブホッ」

 

 話題の振り幅が凄まじい。来瀬川教諭はそれに負けないくらいの落差で表情を変えた。笑顔ではあるのだが、下卑た――というと語弊があるかもしれないが、下卑た笑みとしか形容できない顔である。

 

「うん、先生は怒ったりはしないよ。青春にも潤いは必要だもん。でもね、ボディバターをプレゼントってどうなんだろうね? 値段的には高校生っぽくて微笑ましいけどさ」

「ゲホッ……ゲホッ! ええ、と……ナシですかね」

「ナシじゃないよ! 貰ったら嬉しいと思うよ! でも五点くらいかなぁ!?」

 

 点が高いのか低いのか分からん。むせたカフェモカでベットリしてしまった口元を紙ナプキンで拭いつつ、俺は身振りで先を促す。

 それで来瀬川教諭は気を良くしたらしい。ニコニコと語りだした。

 

「そういうのって結構香りが強くて好みが分かれるから難しいんだよ。好みを知ってるんだったらまあ、二十点くらいにはなるかもだけど……そうじゃなかったらやっぱり五点かなー?」

「ああ、百点満点だったんすね」

「勿論だよ」

 

 点が低過ぎるだろう。こっちだって頑張って選んでるのに。

 さて、ほぼ初対面のようなものなのでこれも推測に過ぎないのだが、来瀬川教諭はこういったものの評価については割と容赦がない人のように思う。

 だが逆に言えば、彼女の判定はそれなりに信用に値する――のではないだろうか。

 もしかすると参考になるかもしれない。

 

「まあ聞いてください、ひーちゃん先生。別にあれに決めたわけじゃないんです。むしろ、こういうのもあるんだなってくらいの感覚で見てただけなんです。俺だってちゃんと本命を別に考えてます」

「あれっ、そうなんだ!?」

「はい。ちゃんと考えてますよ、四人分ね」

 

 俺が胸を張ってそう言った瞬間、空気が音を立てて凍り付いたような気がした。

 来瀬川教諭は笑顔で停止している。

 

「……ん、んー? お、お誕生日なんだよね? 女の子のお友達のね?」

 

 言われて気が付いた。さっきはつい、そんなことを口走ってしまった気がする。 かといって降臨節についてありのままを説明するわけにはいかないので、構わず突っ走ることにした。

 

「ええ、彼女達は四つ子なんです」

「どうしてそんなすぐバレる嘘つくのかな!? 先生悲しいよ!?」

 

 ごめんな、ひーちゃん先生。

 内心では謝りつつ、俺は言葉を続けた。

 

「やっぱりプレゼントってのは、お互いの関係性に沿った物品じゃないと不幸な結果を招くと思うんですよ」

「おっとぉ、唐突に知ったふうな口を利くね」

「ええ。重過ぎず軽過ぎず、バランスが肝心だと思うんです。それでいて貰って嬉しい物。でも何が嬉しいかって部分は好みの問題もあって難しい」

「それ、さっきボディバターのくだりで先生が言ったんだけどね?」

 

 また来瀬川教諭の表情が鮮やかに変わった。ジト目で茶々を入れてくる。

 取り合わず、ジェスチャーを交えながら持論を展開する。

 

「つまり相手に対する理解が肝心ってわけだ。でも、それなら俺にも少しは自信がある。なんだかんだ付き合いが長……くはないですが、結構、色々と苦楽を共にしてますから……たぶん」

「自信がフワッとしてるけど大丈夫? 先生なんとなく不安だよ」

「ぶっちゃけ俺も不安なんでチェックしてもらっていいですか」

「急にぶっちゃけたね……いいけど」

 

 じるじる、と元気なくストローを啜る。ひーちゃん先生はしおれていた。

 不味い。途中で脱落されても困る。

 自信がある方から順番に披露した方が良いだろうか。

 俺はカタリナの顔をぼんやりと思い浮かべながら口を開いた。

 

「まず一人目ですが、あいつに関しては恐らく問題ありません。お互いに秘密を共有するような間柄ですし、物を贈るのも二度目ですから」

「へえーそうなんだ! 仲いいんだね! 前は何をあげたの?」

 

 来瀬川教諭の目の色が少し変わる。

 よし、食い付いた。ノリが良いぞ、この先生は。

 

「眼鏡ですね」

「えっ」

 

 俺が即答するや、来瀬川教諭の笑顔がまたも止まった。

 

「お洒落なサングラスとか……かな?」

「いえ、眼鏡です。度入りの」

「……えっ、なんで?」

「そいつが親と戦っ……喧嘩をして壊したので、代わりを調達したんですよ。このモールの眼鏡屋で一緒に選びました」

「一緒に眼鏡屋さんに……へ、へえー、面白……くはないけど。何なんだろねそれは」

「まあ、あれやこれやと言われましたが、今も使って貰ってるんで喜んでくれたんだと思いますよ。我ながら素晴らしい気遣いだったと思うんですが」

「そ、そっかそっかー……ほんとに大丈夫かな」

 

 問題無いはずだ。俺は予め選定しておいた商品をスマートフォンに表示させ、ひーちゃん先生に指し示した。

 

「ええ、今回も完璧です。あいつにはパン酵母を贈りたいと思います」

「なんでぇーっ!?」

 

 ガタァン。

 天を衝かんばかりの勢いで立ち上がった来瀬川教諭の悲鳴が、閑散としたカフェ店内に響き渡る。あまり客が居なくて良かった。

 

「なんで!? なんでよりによって菌なの!? 発酵させちゃうの!? 毎朝早起きして一緒にフカフカのパンを焼こうぜってことなの!? 愛が回りくどいよ!? 伝わんなさ過ぎて心的外傷(トラウマ)になっちゃうよ! 零点だよ!」

 

 笑顔の権化はどこへやら、顔は真っ青だ。俺のスマートフォンの画面に表示された顆粒タイプの天然パン酵母のパッケージを指差し、猛烈な勢いでまくし立てている。

 

 無論、これは俺が彼女に期待していた反応とは違う。妙だ。

 少し考えて思い当たり、補足の説明を加えてみる。

 

「ああ、言ってませんでしたが、そいつパン屋なんですよ」

「仮にそうでも零点だよッ!」

 

 即答されてしまった。

 

「馬鹿な。安定した天然酵母ですよ? 貴重だ」

「知らないよ! 自然派食品の売り文句だよそれは!」

 

 来瀬川教諭、フンスフンスとご立腹である。

 無駄に色気づいてもいないし、物凄く実用的だ。しかも菌を上手く培養すれば長く使えるだろう。一体、何が問題だというのだろうか。

 

「全然ダメだよ高梨くん! いきなりこんな調子じゃ、もう全員分チェックしないと先生は収まりがつかないよ!?」

 

 今度は吹き零れそうなヤカンじみた様子だ。変化の目まぐるしい人だ。

 しかし、収まりがつかないのは俺も同じである。

 ここは是非ともどうにかして、ひーちゃん先生のお墨付きを頂きたいところだ。

 

「いや、次こそは……大丈夫ですよ。好みの分かりやすい奴ですから」

 

 頭を切り替え、今度はサリッサの事をぼんやりと思い浮かべる。彼女のことも最近よく分かるようになってきた――気がする。

 崩れそうになる自信を必死で繋ぎ止めながら、俺はスマートフォンを素早く操作する。ブックマークしておいたページを開き、テーブルに置いた。

 

「……これは?」

「和牛です」

 

 画面には、綺麗なサシが入った肉の画像が表示されている。

 ――――来瀬川教諭は激昂した。

 

「ほぅらね! やっぱりね! そんなことだろうと思ってたよ先生はッ!」

「馬鹿な。黒毛和牛ですよ? 絶対に美味い」

「美味しいとか美味しくないとかそういう問題じゃないからねッ!? それ以前の問題だからねッ!?」

 

 何故だ。理不尽だ。

 

「いや、待ってください。今度は間違いなく俺が正しいです。先生はあいつを知らないからそう言うんだ。あいつなら滅茶苦茶喜んで……食べては喜んで食べては喜んで……何だったら適当に塩コショウ振って焼いただけでも喜んで食べてくれますよ、たぶん」

「高梨くん…………先生はね、きみにそんなイメージを持たれてるその子が可哀想で可哀想で仕方ないよ……あまりにも不憫だよ……っ」

 

 俺の反論に対し、ひーちゃん先生は悲壮に垂れ下がった目尻を拭うのみだ。

 もはや零点どころか得点自体が無くなってしまっている。

 何とか立ち直ったらしく、急に居住まいを正した小さい先生は、どんぐりの如き瞳をキッと俺へ向ける。

 

「あのね、高梨くん。ちょっと逆の立場になってみて考えようよ」

「というと?」

「例えばね、私が高梨くんのちょっと気になる憧れのお姉さんだったとするよ」

 

 小さい先生は難しい仮定を口にした。

 俺は僅かに考え、

 

「……いま鼻で笑わなかった?」

「いえ」

 

 大丈夫だったはずだ。

 

「その私が、高梨くんの誕生日プレゼントに高級なペンとか高級スイーツとかをあげたとするよ。きみ、それで満足する?」

 

 どうしてそのチョイスなのか、と考えてみる。

 恐らく前者はパン酵母――職業に関連する実用品を指しているのだろう。来瀬川教諭にとって俺は学生でしかないので、勉学の実用品ということだ。

 なら、後者は和牛に対応しているのだろう。つまり俺の好物か。カフェモカのくだりのやり取りを覚えていたらしい。

 

「いや、普通に嬉しいですけど」

「ホントに?」

「ええ、まあ……いや……どうかな……」

 

 そう言われると何か、物足りない気がした。

 上手く表現できなかったが、少なくとも百点満点の満足度ではない。

 そんな気がするのだ。

 

 来瀬川教諭は「そうそう、そういうことなんだよー」などと言いながら、ストローの先端で何某フラペチーノのクリームを掬い取ってモグモグしている。

 本当にそうなのか。再び自問し、俺は黙考する。

 

 いや――違う。

 

「待ってください、先生。それは前提がおかしいですよ。俺は友達に渡すプレゼントだって言いましたよね。俺自身はちょっと気になる憧れの異性なんかじゃ……」

「んー? 違うの?」

 

 言葉に詰まる。

 閉口した俺を、ひーちゃん先生は小悪魔めいた笑みで見ている。

 愛玩動物か何かになった気分だった。

 

 クソ。

 やっぱりだ。見た目に反して、この人は大人なのだ。

 みっともなく赤面した顔を隠すため、俺はカップを思い切り傾けるくらいしかできなかった。

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