04.長い一日③
どうもその年若い女騎士は、半身だけを敵に向けて構えるらしい。
左半身だ。左の手は徒手ではなく、身幅の広い短剣を順手で持ち、切っ先は敵の首元を指している。見たことがない珍しい構えだ。
そう構えられると、敵はその短剣を注視せざるを得ない。彼女が右の手で持っている片手剣は胴体で巧妙に隠されている。
珍しいが、成る程。
意外に実戦向きな構えのように思う。
本命は、隠されている右の片手剣だろう。
利き腕は関係ない。修練を重ねた戦士が両利きに近い性質を獲得するのは珍しくないからだ。が、刀剣類の中でも著しくリーチで劣る短剣を本命とする剣士はまず居ないように思う。消去法で右。独特の構えから考えても理にかなっている。
セオリーからしても右が攻撃、左は防御。
ちょうどそこまで考えた時、剣技が脳裏で囁いた。
繰り出されるのは右の剣、身を翻して右脇から左上に切り上げ。
一撃目が躱されれば二の太刀で左の短剣が似た軌道を奔る。
彼女が放つのはそんな二段の剣技であるらしい。
予想が少し外れた。
本命は左の二の太刀だ。
良い型だ。
脳内に描かれたビジョンを忠実になぞるかのように、彼女が動く。
初動として左の短剣が揺らめくように動くが、フェイク。無視して右の初撃を待つか、とも考えたが秒の半分くらいで俺は方針を変えた。
様子見程度の加減で自分の長剣を突き込む。順当に短剣で弾かれるかと思ったのだが、こちらの刃は巧みに流されてしまった。
上手いな、などと思う暇もなく、隠されていた片手剣が視界外から来る。
剣が身体で隠されている状態から飛び出してくる斬撃。しかも王道を外した足狙いの切り上げ。本来であれば意表を突かれる一撃だろう。
しかし、少し鈍い。
長剣の柄頭で飛び出して来た片手剣の腹を打ち、太刀筋を変えて外す。俺は逸れていった敵の剣を目で追いつつ、二の太刀を繰り出すだろう左腕を――掴んだ。
「――ええっ!?」
起こりの前に技を潰されるとは思っていなかったらしい。
素っ頓狂な声を上げる少女の足を蹴り払う。
ぐらりと体勢を崩した彼女を、そのまま背負って投げた。
背中から落ちて逆さまになった困惑顔に、率直な感想を述べる。
「受け流しが上手いんだな、君は。あと軽いし細い」
「……あ、ありがとうございます?」
なぜ疑問形なのかと少し考え、そういえばこれは指導なのだったと思い出す。漠然とした感想を伝えたところで仕方がないだろう。
さて、どう教えればいいだろう。
人に剣の指南をした最後の記憶を掘り起こそうとするが、いつものように失敗した。
困ったものである。
普段はあまり意識しないのだが、こと剣の技術に関して言えば、
普通の人間と俺の感覚は、差異が大き過ぎる。
俺にとって「技術」とは体得するものでも習熟するものでもない。既に持っているものでしかなく、これから先も受動的に得ていくものでしかない。剣の福音、剣技の有無に起因するこの根本的な感覚の違いがなかなか厄介で、「技術」を人に上手く説明するのが難しいのである。
いや、俺が口下手なせいではない――はずだ。
「そうだな……あまり左をアテにし過ぎず、右をもっと鋭く打った方がいい。というか、右だけで殺すつもりで掛かった方が、相手も上手く引っ掛かるんじゃないかな」
「えっ!?」
ハッとした表情で少女は勢いよく口を開いた。
「い、今の立ち合いだけで象限儀の左を見切ったんですか!?」
「見切りとはちょっと違う。魔法だとでも思ってくれりゃいいよ」
「ま……魔法?」
勿論そんな規格外の魔法は存在しない。少女は目を点にして呆けているが、他に簡易な説明が思いつかないのでそれ以上は補足せず、手を貸して立たせる。
不発に終わった例の剣技は、どうやら象限儀という名らしい。
「でも、今の技といい受け流しといい見事なもんだったよ」
「いえ、私は取り立てて優れているわけではなくて……家業が剣士だったので、騎士学校を出た他の騎士とは流派が違うんです」
「へえ、家伝の技ってやつなんだな。ありがとう。良いものを見せてもらった」
「あ、あはは! そ、そんな大層なものでは……お目汚し失礼しました!」
照れたような顔ではにかむこの少女はモイラ・ラングレン。
セントレアに駐屯している水星天騎士団の一員だ。
顔見知りだが、実はあまり接点がない。
こんな用事でもなければ顔を合わせる機会がない相手だ。
用事というのは他でもない。ミラベルとの昼食の後、副団長のガルーザ卿から若手の騎士への剣術指南を依頼されたのだ。彼らに大きな借りがある身としては断るわけにもいかず、俺は渋々それを引き受けた。
受けたのだが、よくよく考えてみたら俺に剣の指南役など務まるはずがない。
背筋を伸ばしてお辞儀をするモイラを手で制し、俺は長剣を鞘に納めて向き直る。
「打ち合い稽古が手っ取り早いって話だったが、これ本当に役に立ってるか?」
「勿論です! まさか団長代理とお手合わせできるなんて……!」
「と……とんだ貧乏くじッスよォ……!!」
喚き声に近い男の声が上がる。
モイラの後方、地面の上に仰向けになって倒れている若い騎士がいる。
「ハァ……九天に……勝っちまうような人と……稽古なんかしても……ハァ……レベル違い過ぎて何の参考にもならないんッスよ……マジ死ぬかと思ったッス……!!」
「ヘ、ヘッケルさん、失礼ですよ!」
「モイラちゃんさぁ……ハァ……団長代理をリスペクトするのは良いッスけど、勝ちに行くのはさすがに無茶ッスわ! 普通ハァ……まともに打ち合えないんスよその人とは……ハンパねぇッスよマジで……!」
大口を開けてハァハァ呼吸している彼も水星天騎士団の団員だ。
若手と古兵に分かれているらしいこの騎士団の中で、彼、ヘッケル君は、どうやら前者の中心に位置する騎士らしい。試してみた限り、剣の腕も悪くない。
現に彼らの稽古に使った五分のうち、四分三十秒くらいは彼がモイラの前に出て前衛として頑張っていた。
オーソドックスで特徴の少ない剣筋ではあったが、とにかく打ち込みが細かく速い。その回転数を武器に手数で相手を圧倒するタイプの剣士だ。
ただ、その分バテるのも早かった。
四分三十秒。まるで短距離走者のような奴である。
「ヘッケル君はあれだな。体力を付けようぜ。肉食え肉」
「それ剣術のアドバイスじゃないッスよね!?」
「あながち無関係じゃない。何をやるにしたって体力は大事だろ。うらぶれた街門の警備でも、騎士業でも同じだ。前日の夕方から一睡もせずにあれやこれやするのにも同じ。体力さえあれば何でもできるぞ」
「……実感がこもってますね」
「現在進行形だからな。おかげで視界が若干黄色い」
ついでに言えば頭も痛い。
いつの間にか起き上がったヘッケル君が笑いながら言う。
「団長代理って、いつも疲れた顔してるッスもんね。ちゃんと寝てるんスか?」
「寝れる時に、としか言いようがない」
「んー……寝れる時ッスか?」
口をへの字に曲げたヘッケルが脳内で俺の一日のスケジュールを思い描き始めたので早々にお暇することにした。種や仕掛けのある話だからだ。追及は避けたい。
そそくさと踵を返すと、ヘッケル君が思い出したように声を掛けてきた。
「あ、そういや降臨節に宴会やるんスけど、団長代理もどうッスか」
「宴会?」
普通、騎士の口からはまず飛び出さなさそうな単語に、思わず立ち止まって聞き返してしまう。
「この街酒場あるじゃないッスか。俺ら普段あんま行かないんスけど、降臨節くらいは羽目を外そうって話になりまして。あ、若い奴らだけでやるんで気兼ねもないッスよ」
「へぇ……やっぱ君達も人の子なんだなあ」
「い、今まで自分らをなんだと思ってたんスか……?」
誘いは嬉しいが、せっかくの息抜きの場に俺が居ても邪魔なだけだろう。
社交辞令ってやつに違いない。
「まあ、行けたら行くよ。夜は仕事もあるし、何か起きるかもしれないからな」
ひらひらと手を振りながらその場を去る。
去り際に見えたモイラの少し残念そうな様子は無視し、
それから、「行けたら行く」という文句の意味合いはどこでも変わらないんだな、などと、関係のないことで頭を埋める努力をした。
■■■
「あーあ……駄目だったッスねえ」
若き水星天騎士、ヘッケル・ガーウェイは東洋人の少年をしっかりと見送った後、大仰な溜息を吐いた。
手合わせでこっぴどくやられたことは気にしていない。
水星天騎士団の正騎士になって一年にも満たない彼は、あの少年と打ち合って勝ちを狙おうなどとは全く考えていなかった。そこまでの腕自慢ではない。
「駄目だったッスねえ……ッ!」
しかし、ヘッケルは血涙を流さんばかりに顔を歪ませ、歯を食いしばり、悔恨を口にする。せめてあともう一合、自分が前衛で粘れていたら、或いは相方の技が届いていたかも知れない――などという後悔ではない。
「団長代理と仲良くなろう作戦……駄目だったッスねえ!」
「なんで三回も言うんですかヘッケルさん!?」
血涙――は流石に無かったものの、ヘッケルは己の頬を伝う大筋の涙を袖で拭う。
「オレ……もうなんか泣けてきちゃって……モイラちゃん健気過ぎッスよマジで……うっうっ……せっかく副団長に頼んで呼んでもらったのに……!」
「あーもう! 良いじゃないですか別に!」
一方、憐れまれている少女、モイラは顔を真っ赤にして否定するのみだ。
「それに違うんです! 代理はいつもお忙しそうだから……ちょっと気分転換にどうかなって思っただけなんです! さ、作戦とか、そういうのじゃないですから!」
「くぅーっ! ホントいじらしいッスよねぇ! 素直に用件だけで呼び出せないところとか! 呼び出せたのに切り出せなくて結局オレにフォローさせちゃうところとか!」
「あ、あああーっ!」
弁明を聞くなり男泣きを加速させるヘッケルだったが、グッと涙をこらえて鼻を啜るや、茹でダコめいた顔で首をブンブンと振り続ける少女の肩に手を置いた。
「でも分かる。分かるッスよ。降臨節ッスからね。好きな人と過ごしたいッスよね。オレも故郷に残してきた幼馴染のフランちゃんと一緒に聖夜を過ごしたいッス。できればイチャイチャもしたいッス」
「ヘ……ヘッケルさん」
「へへっ、でも仕事に生きるオレってカッコいいじゃないッスか。フランちゃんもそう言ってくれたんで、オレ、頑張れるんス。離れてても心は一つだって信じられるんスよ」
ヘッケルは鼻を擦り、はにかみながら言う。
モイラは苦笑いを浮かべる他ない。
良い話風に言ってはいるものの、内容があまり伴っていない。関係もない。
ヘッケルは根の優しい、いわゆる良い人なのだが、妙にノリが軽くて言動がズレている時がある。ちょっとだけ変な人物なのだった。
「だからモイラちゃんも頑張ろう! オレ、これからも応援するッスよ!」
「……あ、ありがとうございます?」
何が「だから」なのかは分からなかったものの、モイラは頭を下げる。
顔を上げた時には、ヘッケルはもう泣いてはいなかった。
顎に親指と人差し指を当て、明後日の方向を向いている。
「しっかし、団長代理は誰と過ごすんスかねえ、降臨節」
「え? だって仕事って言って……」
「いやいやいや、なわけないじゃないッスか。だってあの人の周りヤバイでしょ」
ぎょっとしたモイラは、あの東洋人の少年と親交のあるらしい人物を何人か思い浮かべた。同居している皇女――は幼いから除外しても良いだろう。
他に――ヤバイ?
「特に怪しいのは九天のカタリナさんと、サリッサちゃんッスかね」
「ええっ!?」
挙がった名前に驚き、思わず両手の得物、剣と短剣を取り落としてしまった。
ふたりとも有名人だ。モイラも当然知っている。
カタリナ・ルースは眼鏡に若干邪魔されているだけで、それでも美人と分かる美人だし、サリッサは皇国では珍しい黒髪赤目――些か人外めいた魅力がある美少女である。
平々凡々の自分とは、女性としての魅力の桁が、二つ三つ違う。
「うーん……ありゃ、たぶんくっつくかくっつかないかの瀬戸際って感じッス。こう……なんスかね? もうちょっとなにか切っ掛けがあればって感じなんスけどねー?」
なんスかね?
打ちひしがれたかけたモイラだったが、首を傾げて考え込んでいるヘッケルの顔を凝視した。果たして、この男は数十秒前に「応援する」などと言った男と本当に同一人物なのだろうか。殴っても許されないだろうか。
「ゴホン……あー、そこまでにしておけ、ヘッケル」
「副団長!?」
咳払いと共に会話に割り込んできたのは、普段こういった浮ついた話題と対極に位置していそうな老騎士、水星天騎士団副団長のトビアス・ガルーザだった。
若輩の騎士であるモイラとヘッケルは条件反射的に敬礼をするが、老騎士は何故か少し、呆れたような笑っているような、微妙な面持ちで彼らの動きを制した。
「いや、構えなくて良い。咎めようというわけではないのだ。ただ、そうさな……少し手心を加えてやってくれ」
老騎士の視線が斜めに落ちる。
モイラとヘッケルもつられて同じ方向に目線を落とす。
今の今まで全く気が付かなったのが不思議でならなかったが、
地面に――誰かが倒れていた。
直立不動のまま、うつ伏せに倒れ込んだらそんな姿勢になるかもしれない――と、辛うじて予想できる程度の奇妙な倒れ方だ。
銀色の綺麗な長い髪が、勢いよく床にぶちまけたモップのように広がっている。
――銀色の髪。
「まさか……ミラベル様!?」
「なんつーことになってんスかそれ!?」
変わり果てた主の姿に戦慄するモイラとヘッケルに、老騎士は肩を落とす。
「すまんな。我々もここで様子を窺っていたのだ。おまえたちが誘いを掛ければ、代理殿も折れるかもしれんと期待していたのだが……」
倒れた皇女はピクリともしない。
息をしているかどうか怪しい、と不敬とは思いつつモイラは冷や汗をかく。
ヘッケルは放心している。
無理もない。
水星天騎士団の団員の殆どが、忠を尽くすべき皇女ミラベルの素顔を知らない。
怜悧で、明晰で、そして必要とあれば非情に徹する。義によって実の妹を殺し、自らも命を断とうとした氷の吸血姫しか知らないのだ。
「……どうして」
永遠にも似た気まずい沈黙の後、垂れた皇女がようやく蚊の鳴くような音を発した。
「どうして……あのふたりが……」
それきり、うんともすんとも言わなくなる。
その時、あまりの事態に放心していたヘッケルの意識が復帰した。
「ふたりって、カタリナさんとサリッサちゃんッスか? どうしてそのふたりが団長代理と仲良くなってるかってことッスか?」
「………………そう」
身振り手振りを交えて問い掛け、肯定の返事を引き出すヘッケル。
皇女の奇態に狼狽するしかなかったモイラは、素直に感心していた。
もしかするとヘッケルは意外と人の機微に聡い部類の人間なのだろうか。
先程の応援発言も何かの間違いだったのかも知れない。
腕組をしている老騎士も、ヘッケルと皇女のやり取りを黙って見守っている。
「……んー、そッスね」
隣に立つモイラからの尊敬を含んだ眼差しと、無言の期待を込めた老騎士の圧を一身に浴びた若輩の騎士、ヘッケル・ガーウェイは、顎に親指と人差し指を当てる例のポーズでしばし黙考する。
それは長いようでいて短い、不思議な時間だった。
そして、
「いやあ、わかんねッスわ!」
そう言って思い切り相好を崩した若き騎士は、
即座に身を翻したモイラから無言の肘鉄を受け、音も無く地に崩れ落ちた。




