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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
四章 竜殺し
142/321

03.長い一日②

 転移街(ポート)アズルが燃えた日からおよそ二カ月。

 あれ以来、少なくともドーリアや他の皇族達が目立った動きを見せることはなく、それはこの国の皇帝や異端者達も同様で、落ち着いたら連絡をくれると約束した第二皇子アーネストですら同じだった。彼の消息は杳として知れない。

 

 大きな事件も動乱もない。

 しかし、そんな凪のように穏やかな日々であっても世界は動きを止めようとしない。

 

「前々から兆候はありましたが、アズル領の財政が破綻しました」

 

 幾分か苦渋の滲む声色で告げた町長は、それきり口を噤む。

 それはランチ前に行われているこのセントレア番兵団の定例会議、つまり町内会では近年稀に見るほど深刻な議題だった。

 街である以上は小さな事件が度々起きるとしても、この街は基本的に平和だ。最近起きた大きな問題は医者不足くらいなもので、それもドネットの雇用で解消されている。

 街を上げたイベントである収穫祭も無事に――ではなかったのだが――終わり、寒さは厳しいながらも手だけは空く冬という季節を迎えたこの街の人々にとって、このニュースはまさに寝耳に水だ。

 

 転移街(ポート)アズルという街がこの地方で担っていた役割は、交通・流通の要衝だけではない。セントレアや近隣のいくつかの街を含めたこの地方全体を統治していたのがアズルの領主、オズウェル・P・アズルという男だ。

 つまり、この街セントレアも財政が破綻したアズル領に含まれる。

 そもそも、アズル領唯一の転移街(ポート)から転移門(ポータル)が失われた影響は決して小さくなかった。この数か月、アズル領を出入りする物品の流通ルートも、グラストルという皇国最北の大都市を経由するルートに変更されている。

 勿論セントレアも例外ではない。流通の悪化は農家が大多数を占めるこの街の住民の生活にも少なからず影響を与えつつある。

 

 平たく言えば金がない。

 領主にも、領民にもだ。

 

「目下の課題は、周辺の街に流入しているアズルの難民ですね」

「例のドーリアの攻撃で家を失った者達じゃな」

「はい。今までは領主の庇護下にあったようですが……この情勢下では」

 

 いくら領主といっても、数百数千といった単位の人間の生活を長期間保障するのは不可能だ。長くは保たないだろうとは思っていたが、予想以上に早かった。

 アズルの街は転移門はおろか水道橋といったインフラをも失っているわけで、いずれ復興するにしても今日明日の話ではない。街を捨てる住民が出るのは避けられなかっただろう。どうにもならない。

 というか正直、俺に政治はよく分からない。それこそカレル、皇帝の仕事だ。しかし領の財政が致命的に破綻するまで放置したということは、少なくとも皇国の中央行政府は支援をするつもりがないのだろう。

 

「セントレアの町会としても放置はできません」

「うむ……下手に放っておいてガラの悪い連中が増えてもかなわんからのう。タカ坊の仕事が増えるのはよいが、マリーちゃんを危ない目に合わせるわけにはいかん」

「って俺は良いのかよ」

 

 町長と鍛冶屋のチェスターの会話を聞き流していた俺は、急に自分の名前を出されてツッコミを入れる。が、昼間からセントレア唯一の酒場「飲んだくれ牧場」に集まっている番兵団の面々、ごく普通の農民の皆さんも「うんうん」としきりに頷いている。

 

「ベテランだから良いんだよ、タカ坊は」

「タカちゃんなら荒事でそこらのゴロツキに遅れはとらないわよねえ」

 

 まあ、こんな風でも良いように使われているわけではなく妥当な役割分担である。

 実際、番兵団には戦力らしい戦力が他にない。

 俺以外の魔力使いはマリーくらいなもので、彼女が来る前は俺が唯一の戦力だった。

 昔からこんな感じである。

 

 俺に無邪気な評を下す彼らは、以前の事件で俺が毎年かけ続けていた忘却(オブリビオン)という大魔法の効果を解除されている。つまり、彼らが生まれる前から変わらない姿で門番を続けている俺を思い出したらしい。

 その上で、彼らはこの程度の反応を俺に向けている。いわく東洋人は歳を取らないだとか、実はあいつは昔から街を守ってる妖精なんじゃないかだとか、そんな感じの噂になっているらしい。さすがに直接聞いたわけではないのだが。

 しかし、怪異として疎まれるか恐れられるか、そのあたりの反応を予想していた俺にとっては「何も変わらない」というのは望外の待遇だった。

 

「……いえ、実は治安のことは心配してないんですよ。タカナシ君達も居ますし、今はミラベル様もいらっしゃいますしね」

 

 ――漸くその人物(・・・・)が話題に上った。

 

 田舎街のボランティア活動組織の域を出ない番兵団の面々が居並ぶ中、異彩を放っている人物がいる。

 その少女には、まるで宗教画か何かから抜け出してきたかのような独特の存在感があった。貞淑そうでいて、実は体のラインが良く出る修道服で身を包み、カズラというらしい袖のない祭服を外衣のように羽織っている。宗教色の強い服装に違わず、彼女は司教である。いや修道女なのか何なのか判断に困る服装ではあるのだが、補佐司教という階位であるらしい。よく知らないが中間管理職くらいの立場だったと思う。

 性別や年齢を考えると妙な職業ではあるが、彼女の最大の特徴はその美貌――少なからず幼さを残しながらも、細氷の咲いた明けの晴空を思わせるような静謐な美がある。

 銀糸めいた髪の毛先を弄りながら澄まし顔でいた彼女は、思わず目を向けてしまった俺と視線を合わせるや、ニッコリと作り笑顔を浮かべた。

 その顔で、

 

「ええ。セントレアの皆様には大変お世話になっていることですし、我が水星天騎士団も微力ながらお手伝いをさせて頂ければ幸いです」

 

 という頼もしい言葉を、小鳥の囀りかの如く澄んだ声音で言うのだ。

 

 彼女に誰が悪印象を抱くだろう。

 町内会の皆々様におかれましては、老若男女の区別なく全員の首が彼女の方に向いて釘付けになってしまっている。恐らく、彼女に清廉さだとか気品だとかを見出しているのだろう。

 間違いではない。

 聖職者であると同時に、彼女もまたこの国の皇女である。

 

 しかし俺は知っている。

 彼女こそは異端審問で名を馳せる、アルスゴーの吸血姫。かつて皇国最強の騎士集団、九天の騎士ナイツオブナインヘイブンを配下として帝位を狙った信念の少女だ。

 ミラベル・ウィリデ・スルーブレイス。

 自称俺の相棒、マリーの実姉である。

 知る限り彼女達の姉妹はもうひとり居るのだが、今は置いておく。

 

「あ……ありがとうございます、ミラベル殿下」

「いえいえ」

 

 思わず見惚れた、といった体から回復した町長は、斜めにズレた丸眼鏡を直して俺達に向き直った。

 

「実は……僕は、逆にチャンスだと思ってるんですよ。先々のことを考えると、街に人手が多いに越したことはないですからね。まずは難民の方々ををきちんと移住者として受け入れたいと考えています」

 

 先々、というのは街の将来を見据えて、という意味だろう。

 流通の問題がなくてもセントレアは人口減少が進行している過疎地だ。アズル領の破綻は確かに痛手だが、どうせダメージを受けるのが避けられないのなら、それに乗じて街の人口を多少は回復しちまえという話なわけだ。

 この街にも余剰の資金はないので言うほど簡単ではないだろうが、狙いは分かるし合理的だ。やはり彼は街の運営に向いている。番兵団の面々にも異論はないらしい。

 となると、

 

「というわけでタカナシ君、段取りはお願いします」

「はあ……まあ、そうなるっすよね」

 

 番兵団の中で専業門番をやっているのは俺とマリーくらいなもので。

 こういう案件に充てられる人員も自ずと絞られてくるわけだ。

 それはいい。

 こういうのも門番の仕事だろう。たぶん。

 だが、

 

「殿下もお力添え下さるようですので、どうぞ二人で頑張ってください」

 

 町長が最後にそんな言葉を添えやがったので、一気にきな臭くなった。

 よくよく考えたら番兵団の集まりなのにマリーの姿がないのは不自然だ。

 

 まあ、誰が手を回したのかは考えるまでもない。

 見れば、犯人も俺を向いてパチンパチンとぎこちないウインクをしている。

 子供じみたその様子に清廉さだとか気品だとかを見出すのはやはり無理だが、今更なので特に彼女への評価は変わらない。

 

 お姫様の気まぐれにも困ったものだ。

 俺は襟足辺りを掻きながら、明後日の方向へと目を逸らした。

 

 

 

 

 ■■■

 

 

 

 

現界(セフィロト)でこの季節にイチゴが手に入ると思ったんですか?」

「……デジャヴだ」

「はい?」

「いや、何でもない。やっぱり難しいよな」

 

 ミラベルはつい何時間か前のパン屋店主と全く同じ表情を浮かべた。

 つまりは苦笑いである。

 

「皇都の市場なら或いは……といったところですね。近くに転移門(ポータル)がない以上、皇都まで何カ月かかるか分かりませんけど」

「だよなあ。こりゃカタリナの言うとおり、往還門を使うしかないかもな」

「ええっと……あれって、そんな理由で気安く行き来して良いものなんでしたっけ?」

「勿論、避けるべきだろうな」

「ですよね」

 

 俺がこの街で隠匿している世界間移動の(ゲート)――往還門は、以前の事件で未知の動きを見せた。恐らくあれは時間移動だったのだが、その確証が持てない程度にあの遺跡はよく分からない。未だ正体不明だ。

 あれ以来何度か試して安全を確認したものの、使用はできる限り避けるべきだろう。そう結論付けてはいるのだが、止むを得ない事情も少なからずあったりするわけで。

 いや、イチゴの調達ではない。

 

 どうにもならない事柄はさて置き、カタリナのところで買っておいたバゲットサンドを齧る。塩漬け肉の燻製、瑞々しい何かの菜っ葉、あとチーズ。実にシンプルな構成だ。

 だが美味い。やっぱり九天の連中はパン屋の才能がある。

 冬空の下、しかも風車塔の屋根などという奇妙なシチュエーションでなければもっと美味かっただろう。まず寒いし、寝ずの番をしていたので昼過ぎの日差しも目に染みる。

 

 一方、隣で屋根に座り、無音でティーカップを傾ける皇女様は澄ましたものである。

 彼女も彼女で多忙なはずなのだが、やはり見た目に反してタフな子だ。

 

「で、まさか本当に難民の件で打ち合わせをするためだけにランチのお誘いをくれたわけじゃないだろ。なにか困り事でもあるのか」

「あはは、困っているといえば困っていますね。使いの者がなかなか帰ってこなくて」

「それは……どうしようもないな。今この地方は陸の孤島みたいなもんだし」

「おかげで他の皇族達に宛てた手紙も戻ってきませんし、皇都の状況も全然わからないんです。あーあ、もしかしたら終わっちゃってるかもですね、継承戦」

 

 ミラベルは軽い口調でそう言うが、時折視線が寒空を彷徨っている。

 本音を全部吐き出してしまえばいいと思うのだが、この子が吐くのは霞む息だけだ。

 きっとそれ以上を引き出すには、俺では役者が不足しているのだろう。

 

 継承戦。

 建前上は皇族たちの皇位争奪戦である。

 俺によって武力による解決を阻止されたミラベルは、それ以来ずっと交渉での解決を試みている。耳を貸そうとしない皇族たちにも根気よく説得を続け、皇族以外の権力者にも根回しを重ねてきた。放っておくこともできたのに、だ。

 だから仮に手遅れだったとしても、彼女だけが責任を感じる必要はないだろう――などと口下手な俺が言ったところで何の慰めにもならないのだろうが。

 

「そんなことより、降臨節はどのように過ごされるんですか?」

 

 ミラベルが打算的にそう切り出したのは、いつまで経っても対人スキルがイマイチな俺への気遣いからなのか額面通りの意味でしかないのか。にっこり笑顔を作った彼女を観察しても読み取れない。

 

「マリーとケーキ焼いてケーキ食べて……今のところはそれくらいだろうな。ああ、ミラベルも一緒にどうだ。たまにはゆっくりしてもいいんじゃないか」

「うーん、それもそれで魅力的なお誘いですけど……その後でもう少しロマンチックなひと時をご一緒させていただければと思います。できれば二人きりで」

「おお、相変わらずグイグイ来る」

「性分ですので」

 

 いつかどこかで言ったり聞いたりしたようなことを言うミラベル。

 回避は難しい。

 が、俺は彼女の右ストレートじみたアプローチに対して応えようとは思わない。

 

「悪いな。残念ながら夜は仕事があるんだよ。なんせ門番だし俺」

 

 正直なところミラベルのことは好ましく思うし、俺は心の底から彼女の幸福を願っている。だが、それは保護者のような心持ちでの話だ。この子と恋仲になる、などという未来は万が一にもない。あってはいけないと思う。

 身分も違えば立場も違う。

 生きてきた歳月も、生きていく歳月もまるで異なる。

 俺達は異なり過ぎている。

 

「残念です。催事の日くらいはお休みしてもいいと思うんですけど」

「どうにも代わりがいなくてね。さて、俺はもう帰って寝るよ」

 

 さらっと流してしまわないと自分の騎士団から人を寄越しかねない。

 俺は気落ちしただろうミラベルをなるべく見ないようにしながら立ち上がろうとするが、コートの袖を摘ままれてやむなく振り返った。

 実に切り替えが早い。ミラベルは再び笑顔を作っていた。

 

「その前に、少し教会の方に顔を出していただけますか? トビアスがタカナシ様に何か用事があるそうでして」

「俺に? あの爺さんが?」

「はい。様子からして急ぎの用事ではないのだと思いますけど、良かったら」

 

 俺は水星天騎士団の副団長を務めている老騎士の彫り物のような固い顔を思い起こして首を傾げた。用件に見当がつかないのである。

 だが「眠いから嫌だ」とも言えない。水星天騎士団にはアズルの一件で大きな借りがあるし、この会話の流れで軽い頼まれごとまで断るのは些か気が引ける。

 という俺の内心まで読み切っているだろう皇女様はニコニコと俺の返事を待っている。上目遣いの碧眼に悪戯心が光っているのを確認し、俺は肩を落とした。

 

 意識してみれば、内面の方もよく似ている。

 少し歳の離れた妹の方ではなく、色味が遠い方の姉妹にだ。

 どうにも敵わない。

 

 俺が了承の返事を口にするまで、十秒もかからなかった

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